1944バルト海海戦8
ひどく寒々しい場所だった。吹きさらしの見張り所ほどではないはずだが、艦橋の開口部からは容赦なく艦の前進による合成風が入り込んでいた。
それにバルト海では秋を迎えて最近になって急な冷え込みを感じるようになっていた。クリューガー少佐は無意識の内に軍衣の前を合わせていた。
重巡洋艦プリンツオイゲンの海上公試は順調に進んでいた。少なくとも機関部には大きな支障は出ていないようだった。
だが、当初から海上公試では機関部から問題が生じるとは考えられなかった。今回の公試は先の東プロイセン沖で起こった戦闘で破損した艦体の修理状況を実働状態で確認するのが主な目的だったからだ。
キール工廠で行われたプリンツオイゲンの修理工事は慌ただしいものだった。工数はさほど多くはなかったのだが、工期が非常識なほど切り詰められていたからだ。
ドイツ海軍の要衝であるキール工廠だったが、陸上におけるソ連軍の大攻勢に伴ってバルト海で行われた戦闘では、プリンツオイゲン以上の損害を受けた艦艇も少なくなかった。
それらの辛うじてキールまで後退した損傷艦の修理が優先されていたものだから、小中破状態のプリンツオイゲンは後回しにされていたのだ。
しかも、腹立たしいことにようやく実際に乾ドックに入れてみると、事前の工廠技術者達の見積もりよりも、プリンツオイゲン水線下の損害は大きいことが判明していた。
戦死した艦長の代理としてプリンツオイゲンの指揮を任されているクリューガー少佐としては、乾ドック内でしか行えない艦体修理工事の工期延長を要請していたのだが、それは認められなかった。
プリンツオイゲンの後にもドック入りを余儀なくされている艦艇の修理予定が組まれていたからだ。
だが、クリューガー少佐は工期延長が認められなかったのは、工廠、というよりもキール軍港全体の能力が飽和してしまったからではないかとも考えていた。
つい最近まで、キール軍港に停泊する艦艇の数は限られていた。英国本土との距離がさほどないものだから、激しい爆撃を日常的に受けていたからだ。
半ば東部戦線を支援する艦砲射撃任務を行うためでもあったが、プリンツオイゲンを含む大型艦の多くは、英国からより距離のあるバルト海深くの東プロイセンにあるゴーテンハーフェンに移動していたほどだった。
移動したのは艦艇だけではなかった。数多くの艦艇の活動を支援する為にキール工廠の支所扱いとなったゴーテンハーフェンには多くの技術者や工員も派遣されていたのだ。
勿論だが、東プロイセンがソ連軍に包囲されている今は、派遣されたキール工廠の技術者達も現地に取り残されたままだった。国際連盟軍との限定的な講和が成立したため英国から爆撃機が飛来する事はなくなったが、多くの技術者を欠いたキール工廠の能力は低下していたのだ。
理由はどうであれ工期が伸ばせない以上、作業内容そのものを見直す他なかった。クリューガー少佐は、工廠側で工事を担当するヴェルナー技術大尉と慌ただしく水線下の工事に工員を集中して投入するように作業計画を見直していた。
二人の苦労の結果、何とか工事期間内でプリンツオイゲンの艦体修理工事は終了したが、水線上に存在するそれ以外の艦橋構造物の修理などは後回しにされてしまっていた。
キール工廠は混乱を極めていた。作業工程に関する打ち合わせの際に知ったのだが、艦体の修理工事が中心となるにも関わらず、工事責任者であるヴェルナー技術大尉の専門は本来は機関部を担当する造機だった。
工廠の技術者であるにも関わらず戦闘中の艦艇に乗艦した経験も持つというから、ヴェルナー技術大尉は若いながら腹の座った技術将校ではあったが、どうにも泥縄的な感覚は否めなかった。
混乱は人事だけではなかった。プリンツオイゲンが入渠した乾ドックの近くにある別の乾ドックには、見慣れない戦艦らしき艦艇があったのだが、どうにもそのドックでは作業が行われている形跡が無かったのだ。
クリューガー少佐は首を傾げていたが、ヴェルナー技術大尉はあっさりと艦の正体を教えてくれた。
ヴェルナー技術大尉によれば、乾ドックを占拠しているのは、ビスマルク級に続く主力戦艦としては建造された名前も決まっていない新戦艦であるらしい。
ただし、既存艦の修理工事が増えた事や、バルト海で戦闘が起こるまでドイツ海軍における戦艦の必要性が低下していた事などから、建造工事は中断していた。
それくらいならばせめて進水させて修理艦の為に乾ドックを空ければ良さそうなものだが、実際には水線下の工事が終了していない為にそれも難しいらしい。
ところが、ヴェルナー技術大尉はそうした表向きの話の後に皮肉げに続けた。
クリューガー少佐の様に乾ドックを空けるように意見を上げたものは少なくなかった。ところが工廠の上層部はその意見をにべもなく却下していた。乾ドックを空けるために必要なものに限ったとしても、新戦艦の工事量が多すぎると言うのだ。
だが、実際には新戦艦に対する方針のぶれがそのような結論に達した原因ではないか。ヴェルナー技術大尉の話を総合的に判断すると、そのような結論が導き出されていた。
乾ドックを開けるためだけに新戦艦の進水作業を行うこと自体はさほど困難であるとは思えなかった。とりあえず開口部を塞いでしまえばいいだけだった。
本当に最低限の工事とするならば、艦体の外形なども考慮するべきでは無かった。工事量が最低限となるならば、外板ではなく船体内部のみ水密区画としてもよいのだ。
重量のある砲塔などの大物艤装品が搭載されていないのであれば、浮力は最低限で構わないからだ。極端なことを言えば、乾ドックから引き出される瞬間だけ浮いていればいいのだ。
その程度の工事であれば、材料の手配は難しくはない筈だった。本来の仕様に従った高級鋼材も不要だった。場合によっては英空軍の爆撃で発生したキール工廠施設の破片など有り合わせの材料を現場合わせで使用しても構わないのだ。
ところが、そのような応急的な工事は行われなかった。キール工廠側の人間はともかく、海軍上層部の間に根強い反対意見があったらしい。何でも、クリューガー少佐が考えているような雑な応急工事を行ってしまった場合、その後の復旧が難しくなってしまうというのだ。
名前すらない新戦艦は、艤装品の殆どは発注済みで製作段階にあるらしい。ただし、当初計画からは艤装工程は遅れていた。昨年に慌ただしくこのキール工廠から最初で最後の戦闘航海に出撃していった戦艦マッケンゼンの工事が優先されていたからだ。
マッケンゼンは、砲力こそビスマルク級戦艦に搭載されていた連装砲塔と同型の38センチ砲を計6門装備する有力なものだったが、その装甲は巡洋艦に毛の生えた程度に過ぎなかった。
かつての英国海軍が保有していた弱装甲の巡洋戦艦に類するものだったが、当初からマッケンゼンは戦艦群と共に敵主力と交戦することが目的では無かった。
マッケンゼンには、その速力と長大な航続力を活かして欧州から遠く離れた海域まで進出して通商破壊作戦を実施する能力が求められていた。これにより英国海軍の戦力を誘引して主力艦隊の戦闘を優位に導こうというのだ。
だが、実際にはマッケンゼンによる長距離通商破壊作戦によって間接的に支援される相手は、主力艦隊ではなく行動の機会を奪われていた潜水艦隊になっていた。
マッケンゼンが本来支援すべき戦艦群を始めとする主力艦隊は、英国海空軍の執拗な攻撃によって母港に逼塞せざるを得なかった。それに代わって積極的に船団を襲撃することで英国に流入する物資の流れを遮断して降伏に追い込もうとしていた潜水艦隊だったが、彼らも苦境に立たされていた。
日英海軍が船団護衛部隊の増強や戦技、兵器の開発を急速に進めていたからだ。
マッケンゼンの出撃は、この潜水艦隊を側面から援護するためのものだった。ドイツ海軍戦艦の出現によって日英海軍も戦艦などの有力な水上戦闘用艦艇を船団に同行させるしかなくなるはずだった。
だが、それは同時に対潜艦艇部隊の縮小や船団運用の非効率化を招くのではないか、そう考えられていたのだ。
出撃する艦艇にマッケンゼンが選ばれたのは、日英からすれば未知の艦艇であろうという期待もあったためだが、同艦が比較的早期に就役できる見込みがあった為でもあった。
ビスマルク級よりも大口径となる新設計の主砲を備える新戦艦などとは異なり、半ば意図的にシャルンホルスト級戦艦と類似した配置を持つマッケンゼンの艤装品には目新しい物は無かった。
マッケンゼンの主砲塔はビスマルク級とほぼ同一のものだった。しかも一部は製造が開始されていた。以前よりシャルンホルスト級戦艦の主砲塔を三連装28センチ砲から連装38センチ砲に改めて威力向上をはかる計画があったからだ。
特殊な工程から製造の難しい装甲板も比較的薄く重量は抑えられていたから、シャルンホルスト級改造用として製造されていた主砲塔を流用すれば、マッケンゼンは短時間で建造が可能だったのだ。
だが、このマッケンゼンを強引に早期就役させたことの影響を受けて新戦艦の建造は遅れていた。その分の物資や人員をマッケンゼンの建造促進に投入していたからだ。
しかも、そこまでして就役を早めたものの、出撃時のマッケンゼンは不十分な状態だった。主砲塔などは既存のものが流用できたものの、機関部はそのようなことは不可能だったからだ。
長大な航続距離と敵戦艦を振り切れる程度の速力の両立を要求されていたマッケンゼンは、蒸気タービンとディーゼルエンジンをそれぞれ搭載していた。
だが、従来艦よりも高温高圧化されていたとはいえ運用ノウハウの蓄積のある蒸気タービンはともかく、やはり従来機よりも性能を引き上げられたディーゼルエンジンは技術的に無理のあるものだった。
しかも、短時間でマッケンゼンが就役できたのは、地中海で行動不能になっていたテルピッツから多くの乗組員を転属させたからという側面も強かったから生粋のディーゼル員は不足していた。
結局はマッケンゼンの出撃時にはヴェルナー技術大尉を始めとする工廠の工員多数をも乗艦させたままおこなったらしい。
にわかには信じられないほど無茶な話だったが、結果的にマッケンゼンは有力な日英海軍艦隊と交戦して撃沈されたものの、その途上で上げた戦果は少なくなかった。
それに加えて地中海戦線で彼我の戦艦が見せた活躍などに影響されたのか、暗殺されたヒトラー総統が戦艦建造の継続を命じていたらしい。
新戦艦の応急工事を阻害していたのもその辺りが原因だったらしい。乾ドックからの進水だけを目的とした現場合わせを中心とした簡易な応急工事などを行ってしまえば、その後に製造が遅れている艤装品が完成したとしても正規状態に復旧するのが難しいというのだ。
遠くから見る限りでは新戦艦は一部の艤装工事が残されている程度にしか見えないが、実際には水平装甲など主要な艤装品も納入されていない状態だった。
中には艦内深くに配置されるはずの部品もあったから、応急工事によって搬入口を塞がれてしまえば建造が再開された時に膨大な工数の後戻り作業が発生するはずだった。
しかし、東プロイセン沖の海戦から辛うじてキールまで逃れることの出来たクリューガー少佐には、海軍上層部のそのような認識は現実を無視した虚構としか思えなかった。
どう考えても多くの艤装品を欠いた新戦艦の建造が今次大戦に間に合うとは思えない。それくらいならば修理艦の為に乾ドックを無理にでも開けたほうがよほど戦況に寄与するはずだった。
クリューガー少佐の視線がふと一点で止まっていた。ドック内の修理工事は工期を厳守するために、大きな損害を受けたにもかかわらず艦橋は最低限の機能回復工事以外は行われなかった。
そのために、艦橋内には被弾痕などの戦闘の形跡が残されたままの箇所も多かった。クリューガー少佐の視線を釘付けにしたのも、そのような箇所の一つだった。
醜い傷跡を見つめながら、クリューガー少佐は考え込んでいた。
―――この艦隊では、奴らには勝てない……
そう考えながら、クリューガー少佐は数ヶ月前、プリンツオイゲンが大損害を受けた戦闘のことを思い出していた。




