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1944バルト海海戦6

 手元の資料を確認する男たちの表情は様々だった。総統代行への就任を宣言したゲーリング国家元帥の後ろに控えながら、秘書とも補佐官ともとれる曖昧な立場にあるシェレンベルク准将は半ば傍観者の気分で各省庁高官の男たちの顔を眺めていた。

 ただし、政府高官とはいってもヒトラー総統に任命されていた大臣は殆どおらず、大半は次官や大臣代行だった。先の総統暗殺事件に巻き込まれて死亡、あるいは行方不明となった閣僚も多かったのだ。



 最終的に総統暗殺を目的とした爆発の発生した東プロイセンの総統大本営において行方不明扱いになった高官は少なく無かった。当時の総統大本営には軍関係者だけでなく、ヒトラー総統への説明や閣議などのために在席していた閣僚や官僚が大勢いたからだ。

 もっとも、行方不明者の中には実際に爆発事件の現場に居合わせていたかどうかはわからないものも多かった。ソ連軍によって東プロイセン全体が包囲下に置かれていたからだ。

 その上に周辺の部隊に合流した警備部隊によれば、暗殺事件の後に指揮系統の混乱を狙っていたのか総統大本営はソ連軍の集中した爆撃を受けたらしく、連絡のつかない政府高官のうちどれだけが死亡したのか、あるいは個別に逃げ出して難民と化しているのか分からなかった。

 総統大本営周辺はまだドイツ軍の支配下にあったが、いずれソ連軍に占拠されれば、彼らの捕虜となるものも出てくるかもしれなかった。


 だが、彼らの安否を確認している余裕は無かった。いち早く国家体制を立て直すため、ゲーリング国家元帥はベルリンに残っていたものだけで臨時の組閣を行っていた。

 ヒトラー総統は、生前より執務を自分が取れないときはゲーリング国家元帥に委任することをさだめた総統後継法を定めていたから、それを根拠としていたのだ。

 もっとも、軍を含む大多数の官僚はなし崩し的ではあってもゲーリング国家元帥の政府首班就任を概ね受け入れていた。国家元帥の他にこの混乱を極めた状況で政権を運用できるだけの大物政治家がいなかったからだ。



 新たに誕生したゲーリング政権は、ナチス党色を薄めて国際連盟との講和を指向していた。シェレンベルク准将のように親衛隊の制服を脱いで背広姿などで勤務するようになったものも少なくなかった。

 その証拠に、国際連盟軍との講和を現実化させるために英国に送られた特使は、ナチス党員ではないどころかヒトラー総統時代には疎まれて失脚していた以前のケルン市長であるアデナウアーが選ばれていたのだ。


 出席者の手元にある資料は、そのアデナウアー特使が持ち帰ってきた文章をもとにしたものだった。その内容を出席者が確認し得たと判断したのか、ゲーリング国家元帥が口を開いていた。

「現時点で英国のチャーチル首相が講和にあたって要求した条件は手元にあるとおりだ。

 元文章のサインはチャーチル首相の他に国際連盟加盟諸国の有力国大使のものもあった。現時点では講和条件に関しては国際連盟の総意と言って差し支えないだろう

 そこでこの条件に関して現状を踏まえて各省庁の意見を聞いておきたい。まずは……この状況では軍事力が優先だな。空軍はどうか……」


 空軍を代表する形で出席している戦闘機総監であるガーランド少将が資料を読み上げていた。

「現有保有機に関しては小隊単位で各機種を譲渡のこと。これはサンプルとして必要ということですな。他に実験、試験機に関しては概略のリストを提出の事……このあたりは支障はないでしょう。講和が決裂しない限り我々の保有する機体の性能が知られることは不利益とはなりません。

 むしろ我がドイツの技術力を示す機会になるかとも思われます。どのみち我々が負ければ彼らに渡るデータです。精々今のうちに高く売りつけてしまえばいいのでないですかな。

 他には重爆撃機に関しては原則保有機を放棄、ただし東部戦線において投入中の機体に関しては留保する。重爆撃機のカテゴリー分けは後日再協議……これは英国本土への都市爆撃が可能な機体が前提ということでしょうか。

 そうであれば、今の我々に必要なのは戦闘機や戦闘爆撃機であって重爆撃機ではないのですからこれも差し支えないでしょう。

 以上空軍としては国際連盟との講和条件に何ら問題は感じておりません。それよりも講和がなって国際連盟軍と対峙する戦力を一刻も早く東部戦線に再展開出来ることを願っています」


 ガーランド少将はあっさりとそう言っていた。戦闘機総監である少将は、空軍制限を加える条件が重爆撃機に対するものばかりだったから、大して興味も抱かなかったのだろう。



 もっとも、そのような独善は海軍側の出席者であるクメッツ大将も同様だった。

 本来クメッツ大将はドイツ海軍全体からすれば主力とは言い難いバルト海艦隊の艦隊司令官だったのだが、外洋を追われたドイツ海軍水上艦の多くがバルト海艦隊に編入されたこと、ソ連海軍が従来の想定よりも遥かに多くの有力艦をバルト海に投入しているのが分かったことなどから、現在は実質的にドイツ海軍主力を率いる事になってしまっていた。


 海軍総司令官のデーニッツ元帥が行方不明の中で、ドイツ海軍を代表することになってしまったクメッツ大将はいった。

「現状からすれば、海軍も空軍同様ですな。……水上艦はこれをバルト海に移動する。日時に関しては別途協議を行う期限日を越えてドイツ国外に展開する艦艇は抑留する。賠償艦に関しては戦後協議のこと。

 些か非常識な文面ではありますが、ほぼ現状の追認でしょう。期限が常識的なものであれば、抑留の対象となり得る主力艦はビスマルク、テルピッツの二隻ですな。

 このうちテルピッツはタラントにおりますが、実質的に抑留済みですし、そもそもテルピッツは行動能力を失っています。ビスマルクはブレストで修理作業中ですが、英国空軍の爆撃が停止しているため、ここ最近は作業は順調に進んでいると現地から報告が上がっています。

 国際連盟軍が航行の自由を確約してくれるならば、ビスマルクも最低限の航行能力を確保してバルト海へ回航するのは難しくないでしょうな。それに……もし無事に回航出来ない程の損害を被っているのであれば、バルト海に投入しても無意味です」


 クメッツ大将はそう言ったが、誰かが不思議そうな声を上げていた。

「しかし、潜水艦隊は全廃を要求していますな。これはバルト海への移動も不許可ということでしょうか」


 眉をしかめたクメッツ大将が何かをいうよりも前に、会議卓の片隅にいたアデナウアー特使が淡々とした口調でいった。

「それは特に英国からの強い要求があったらしい。潜水艦は浮上航行にて全艦が英国本土の指定港に回航、その場で抑留されるとのことだ。

 乗員に関しては、戦犯指定があるものを除いて戦時中はドイツ国内に帰還する手段を用意するとのことだった。それと、潜水艦隊に関しては早急に本国に残されているこれまでの行動記録も提出が求められている」


 そう言うと、アデナウアー特使はクメッツ大将を見たが、大将はわずかに眉をしかめただけだった。

「先程のガーランド少将ではないが、我々にとって今潜水艦隊の価値は重爆撃機同様にさほど高くないと言ってよいだろう。英国を敵に回さないのであれば、潜水艦による通商破壊作戦は無意味だ。それに現在の我が海軍の主戦場はバルト海の海底ではなく海上にある。

 その意味では、我が海軍の潜水艦は艦型が過小過ぎて艦隊型潜水艦として水上艦隊支援任務に就かせるには不適切と言わざるを得ない。

 現在の状況で潜水艦隊の使いみちがあるとすれば、ソ連への支援を続ける米国からバレンツ海に向かう船団を襲撃させる作戦が考えられるが……」

 そこでクメッツ大将は口を閉じるとゲーリング国家元帥に顔を向けていた。


 ゲーリング国家元帥は重々しく首を振っていた。

「駄目だ。国際連盟との講和がなったとしても新たに米国を敵に回すのは得策ではない。それに国際連盟も一枚岩ではない。我がドイツが米国と敵対関係になれば、講和を考え直そうという国も出てくるのではないかな」

 クメッツ大将もさほど残念に思った様子もなく頷いていた。

「ではやはり短期的にみれば潜水艦隊は不要不急という結論を出さざるを得ませんな」



 クメッツ大将は、まるで部外者のような口ぶりだった。シェレンベルク准将は内心では首を傾げざるを得なかった。軍内の意識を調査すべきかもしれない。准将はそう考えていたのだ。


 ガーランド少将もクメッツ大将も現在の主流となっている自分の専門に意識が偏りすぎているのではないか。シェレンベルク准将はそう考えていたのだ。会議が始まる前に、雑多な出席者の経歴にはわかる限り目を通していたが、二人共自分の兵科内のみを歩いてきていた。


 ガーランド少将は戦闘機隊を総括する戦闘機総監でありながら現役の搭乗員であり、意識の上では飛行隊長レベルのままで戦略的な視点には欠けているのではないか。

 軍歴はより長いが、クメッツ大将も事情はさほど変わらなかった。大将も先の大戦以前に当時のドイツ帝国海軍に任官してから水上艦畑を歩いてきた男だった。むしろ2度の大戦でなし崩し的に海軍の主力となっていた潜水艦隊には隔意を抱いてすらいるかもしれなかった。



 だが、シェレンベルク准将がそれ以上考えるよりも早く話が変わっていった。

「残るは陸軍……というよりも全般だな。現行戦車をサンプルとして航空機同様に数両提供すること……これは構わんな。あとは残りの文面か」

 ゲーリング国家元帥に続いて陸軍参謀総長のグデーリアン上級大将が言った。

「イタリア、フランスを含む国際連盟加盟諸国出身者捕虜の返還、バルカン半島及び占領下の西欧地域からの速やかなる撤退、まあこの辺りは講和を行うには前提となるでしょうな」


 グデーリアン上級大将は平然として言ったが、西欧の占領地帯に駐留する西方総軍を率いるルントシュテット元帥が疑問の声を上げていた。

「撤退せよというのならばその命には従わざるを得ないが、わしの軍は一体誰に占領地帯を引き渡せばいいのかね。自由フランスか、ヴィシー政権か、まさか雑多な抵抗運動のごろつきどもに北フランスの統治を委ねるということはないだろうが……」


 出席者の多くは顔を見合わせてから再びアデナウアー特使に視線を向けたが、今度は特使も困った顔になっていた。

「それに関しては今後協議するしかないな。無論国際連盟としては友軍である自由フランスに統治権を移譲させたいだろうが、彼らはほとんど純粋な軍事力しか無いから、とてもではないが現地の統治は出来ないだろう。

 日英など国際連盟諸国としては、自由フランスの息のかかった政治家がヴィシー政権の実務官僚たちを率いる形にしたいのではないかな。何れにせよあとは相手次第ということだろう」



 ルントシュテット元帥は、曖昧な表情でうなずきながら言った。

「ではその点は相手の出方を待つということで、わしの軍は治安維持部隊を除き本国に返すということでよろしいかな、総統代行」

 陸軍の最長老とも言われるルントシュテット元帥の言葉は、一応の敬意払っているものの尊大な口調だった。


 苦笑してルントシュテット元帥に頷きながら、ゲーリング国家元帥は言った。

「国際連盟軍に占領地帯を引き渡して本国に帰還した後は、元帥には国内予備軍司令官に就任して頂きたい。東部戦線に全力を注がなければならない以上は、迅速な予備兵力の捻出は必要不可欠だ。そのような職務をいつまでも兼任職とは出来ない」

「西部戦線が消滅するとあればやむを得んな。承知した。連絡線が絶たれた今はバルカン半島から遥々移送されてくるものは難しいかもしれんが、わしの指揮下にある部隊は短時間でマンシュタインのもとに送れるだろう」


 ルントシュテット元帥はこともなげに言ったが、末席近くから弱々しい声が上がっていた。

「少々お待ちいただきたいのですが、バルカン半島や西部の兵員を全員東部戦線に投入するのは避けて頂きたいのですが……」

 出席者の少なくない数が声を上げた男を怪訝そうな顔で見ていた。食糧省から来た男に対して殆どの人間が面識を持たなかったからだった。

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