1944バルト海海戦5
すでに基地を襲撃したIl-2編隊は護衛機を従えて遥か遠くに飛び去っていった。追撃は出来なかった。物理的に不可能だというのではなかった。
Fw190D-9は、デム曹長が見たところそれほど悪い機体とは思えなかった。これまで乗り込んでいたBf109と比べると細かな相違点は少なくなかったが、戦闘機動をとっても特に不安は感じなかった。
原型が爆撃機用の重量のある水冷エンジンであるためか、加速時などに微妙なもたつきを感じないでもなかったが、致命的なほどとは思えなかった。ただし、フォッケウルフ社の技術者が改設計途上の機体だと妙に念を押してしまったためか、機体に愛着を持てない搭乗員は少なくないようだった。
それ以前に、第53戦闘/爆撃航空団に配属されたFw190Dの任務は、積極的な敵機との交戦ではなかったのだ。
Me262やFw190Dなど新型機の配備を集中して受けた航空団だったが、実働段階にあったのは1個飛行隊だけだった。しかも、飛行隊の装備機種は統一されていなかった。
2個飛行中隊が新機軸のジェットエンジンを搭載したMe262であるのに対して、デム曹長達が配備された中隊だけがFw190Dを装備していたのだ。
変則的な編成の理由はすぐに分かっていた。飛行中隊を指揮するマッケナ大尉からの説明があったのだ。中隊の搭乗員を集めた部屋で大尉は最初にいった。
「我が中隊の目的は、航空団主力である画期的なジェット戦闘機、Me262を敵手から防護しその能力を十全に発揮させることである」
ひどく曖昧な言葉だった。だが、すぐにマッケナ大尉は実務的な説明に入っていた。デム曹長達の任務は、実際にはMe262が配備された基地の防空任務になるようだった。
単純に聞けば首を傾げざるを得ない任務だった。話を聞く限りでは、艦艇に搭載される蒸気機関のように高速で回転するタービンで圧縮と燃焼を一連の動きとして行うジェットエンジンは、従来のピストンエンジン搭載機よりも高速性能に優れる一方で、エンジン構造は精緻で繊細な上に燃料消費量も多かった。
水冷エンジンに換装したFw190Dの航続距離は正確にはわからないが、機体構造そのものには大きな変化はない以上は、従来のFw190AやBf109とそれほど変化があるとは思えなかった。
だから航続距離で言えばジェットエンジン搭載機の方が短距離飛行となる防空任務には向いているのではないか。
だが、マッケナ大尉はそのような質問を予め予期していたように淡々とした声でいった。
「ジェットエンジン搭載機はたしかに高速飛行は可能なのだが、加速性能はさほどでもない。急速なスロットルの操作で簡単にエンジンは停止してしまうし、横滑りなどの変則的な機動を行ったときも同様だ。専門的なことは省くが、タービンエンジンは流入する空気量や流速などが重要であるらしい。
これらの欠点は離着陸時にも当てはまる。離着陸に必要な滑走距離は長いし、時間もかかる。それ以前に、改良は進められているがジェットエンジンはまだデリケートな代物だから、滑走路は舗装していなければ離着陸は難しい。
要するにジェットエンジン搭載機を運用するには、敵機から標的とされる可能性の高い設備の整った大掛かりな航空基地が必要となるというわけだ。
だから戦場での我が中隊の行動は、主力の離陸前から在空してMe262の離陸を援護すると共に、飛行隊主力が帰還する際も余裕を持って離陸して無防備なジェットエンジン機の着陸を援護する、ということになる。
飛行隊は、Me262の慣熟が完了次第東部戦線に向かうことになる。ただし場合によっては中隊の任務はジェットエンジン機の援護だけでは無い可能性もあるから、各搭乗員はそれぞれ準備を怠らないように。
とりあえずは我が中隊も液冷のフォッケに慣れないといかん。名簿に記載の各小隊長はとりあえず飛行隊の参謀のところへ行って明日以降の訓練計画を作成してくれ」
最後は若手の士官たちに向けた言葉だった。彼らは中隊付きの下士官に促されて三々五々部屋から出ていった。
部屋に残されたのは、マッケナ大尉を除くと古参の下士官搭乗員ばかりだった。顔を見合わせている下士官たちに向かって大尉が言った。
「もう気がついていると思うが、君達下士官は原隊でベテランだが撃墜数の少ないものを選んでもらった。悪く思わんでくれ。
俺達爆撃機乗りからすると、星の数を見せびらかすような奴らは信用できない。撃墜王ってのは勝手に飛び去って狩りを楽しむような奴等だからな」
下士官達は困惑して無言のままでいた。不思議とデム曹長は嫌な気はしなかった。ある意味で自分たちを高く評価しているような言葉であったからかもしれない。
「撃墜数は少ないが、これまでの戦闘を生き延びてきた諸君らならば若い士官連中を補佐してくれるものと期待している」
そう言うとマッケナ大尉は、この航空団の内情を話し始めていた。酸いも甘いも知り尽くした下士官にだけ言っておくつもりらしい。
元々この航空団は、双発の高速重爆撃機を運用する部隊だった。使用機種はドイツ空軍の主力爆撃機の一つであるJu88だったから、当時は特筆すべきことはない普通の爆撃機部隊だった。
だが、つい数ヶ月前に部隊に大きな動きがあった。性能の陳腐化が激しかったJu88の損耗が激しかった航空団は、本国に戻されて新型機の配備を受けることになったのだ。それがドイツ空軍初のジェット機であるMe262だった。
ただし、再編成が開始された頃に配備が始まったのはMe262の中でも爆撃照準装置などを備えた爆撃機型だった。
デム曹長達は知らなかったが、Me262は機関砲を四門備えた戦闘機型と並行して、機関砲を減らしてその分を爆撃能力獲得に向けた爆撃機型も生産されていたらしい。
だから、装備機種がジェット機となっても航空団の名称そのものは変わらなかったのだ。
再編成が開始されてから新型機の配備は遅れながらも進んでいたが、搭乗員の訓練は難航していた。同じ双発機とは言っても、単純にレシプロエンジンとジェットエンジンでは操縦や整備性に違いが多すぎたのだ。
Me262が装備するジェットエンジンは急速な機動によって呆気なく停止したし、どれだけ整備しても20時間を超えて稼働する個体は当初は殆どなかった。
それだけではなかった。ジェット機は速度が高く、高速で航過しながらの照準は困難を極めていた。航空団の以前の装備であるJu88も、配備開始当初は最高速度500キロ毎時を超える高速重爆撃機としてもてはやされていたのだが、新機軸のジェット機であるMe262の速度はそれを300キロ以上も上回っていた。
しかし、問題は多々あれども、航空団の搭乗員達はジェットエンジン搭載のMe262に期待も抱いていた。
当然といえば当然だが、並外れた高速性能は照準が困難となる同時に生存性の向上も望めるはずだった。愛機のJu88が旧式化して敵戦闘機から逃れられずに僚機を次々と失っていた搭乗員達からすれば、それは何よりも重要なことだったのだ。
劣悪な整備性や操縦性の問題は時間が次第に解決していった。航空団に届けられるエンジンは生産体制の強化や設計の改善などによって次第に稼働時間が伸びていったし、整備部隊もジェットエンジンに慣れて来ていた。装備される爆撃照準器もMe262の高速飛行に対応できるように改良が施されていった。
それに元々爆撃機は急速な機動を取ることが戦闘機と比べると少ないから、信頼性の低いジェットエンジンの運用には爆撃航空団の方が向いていたかもしれなかった。
ジェットエンジンの加速性能の低さは如何ともし難いが、相次ぐ実戦を想定した訓練などから従来のレシプロ機を配備した基地防空部隊があれば大部分カバー出来るという研究結果も出ていた。デム曹長たちが招集されることになった原因はそのあたりにあるらしい。
ただし、レシプロ戦闘機を装備した基地防空部隊はあくまで航空団主力を援護するための部隊だった。整備や補給の手間は出来るだけ縮小したいと言うのが、ただでさえ整備の手間暇のかかるMe262を主力とする航空団の本音だった。
デム曹長たちが新型のFw190Dを装備する事になったのもそれが原因だった。新型機故に製造業者の技術者を技術指導の名目で確保できるし、装備するFw190Dが装備するJumo213は、同型エンジンを航空団が装備していたJu88にも備えていたから、残されていた予備部品やエンジン専門の整備兵が転用できたのだ。
ところが、最近になって航空団にはさらなる変化が訪れていた。装備するMe262が爆撃機型から戦闘機型に転換されるとともに、航空団自体も戦闘航空団に転科されることになったのだ。
航空団の搭乗員からすれば反感を抱くしか無い結果だった。理由はよく分からないが、ゲーリング国家元帥の総統代行に伴う処置であるらしい。
ゲーリング国家元帥自身がそのような命令を出したわけではないらしいが、戦闘機隊総監であるガーランド少将の強引な意見を聞き入れてしまったらしい。というよりも国家元帥が一個航空団の転科などという些事に関わっていられないすきを突かれたのではないか。
以前よりガーランド少将は高速のMe262を戦闘機に一本化すべしと説いていたようだった。小型の爆弾を一発、二発落としてもしょうがないと言う発言もあったらしい。
何れにせよ、航空団の転科や再編成は中途半端な状態だったから、航空団のうち一個飛行隊のみが実働とされて、戦闘/爆撃航空団という今までに例のない部隊名となってしまっていたのだ。
装備も中途半端なものだった。デム曹長達Fw190D装備も防空中隊の編成はかろうじて間に合ったものの、主力機のMe262は戦闘機型の配備が間に合わずに、爆撃機型に機関砲を増備した醜い改造痕が残る機体も少なくなかった。
そのような航空団の転属時の事を思い出していたデム曹長は我に返っていた。あれから僅かな時しか経っていないのに、東部戦線の最前線に移動してからの日数はひどく長い気がしていた。
デム曹長は、僚機からの無線で伝えられた方向を見ていた。予定通り飛行隊主力の2個中隊のMe262が帰還してくるのが見えていた。
ここから先は、先程のような失態を繰り返すわけには行かなかった。デム曹長はそう考えて目を皿のようにしていたが、それでも接近してくる飛行中隊の様子を見ていた。
デム曹長は狭苦しい操縦席の中で愁眉を開いていた。ここから見る限り、出撃した機数と帰還した機数は一致していた。また、目に見えるほどの黒煙などを引いている機体も見えなかった。
デム曹長達が上空で旋回しながら見守る中で、次々と帰還したMe262が滑走路に着陸していった。やはりジェットエンジン機の着陸速度は高く、Fw190では悠々と離着陸できる長大な滑走路でも狭苦しく見えていた。
異変が生じたのは最後の機体だった。その機も着地の瞬間までは他の機体と変わらなかった。しかし、滑走路を減速しながら走っていた機体が、急に蛇行を始めていた。タイヤでもパンクしたのかもしれないが、ここからでは原因は分からなかった。
先程の襲撃時に散乱した破片を踏み越えたのかとも思ったが、単に滑走路の整備が不十分だったのかもしれない。
本来ジェットエンジン搭載機にはコンクリート舗装の高規格な滑走路が必要とされていた。この基地の滑走路は一応は十分な水平を取った上で転圧を行っていたのだが、高速の着陸機が連続したものだから滑走路に凹凸が生じていた可能性もあった。
最初は僅かだった蛇行は、搭乗員の制御を離れて次第に大きくなっていった。
上空から眺めていたデム曹長は、声にならない悲鳴を上げていた。ついに滑走路を飛び出したMe262が、曹長達に代わって哨戒飛行を行うために引き出されていたFw190の列線に飛び込んでいたのだ。
―――これは大事になるぞ……
デム曹長はそう考えていたが、それがこの状況なのか、それとも野戦に向かないMe262まで強引に投入しなければならないこの戦局全体を見据えてのことなのかは曹長にも分からなかった。