1944バルト海海戦4
デム曹長の転属先となる航空団の所在はなかなか判明しなかった。ドイツ南部のミュンヘン近くで再編成中だと言う話だったのだが、目的地近くでも転属先の部隊を見つけることが出来なかったのだ。
しばらく探している間に、デム曹長は同じような境遇の将兵の存在に気がついていた。皆同じ部隊への転属命令を受けているようだった。ミュンヘン近くの空軍施設をうろついていたものだから自然と集まってきていたのだ。
しかし、仲間たちと巡り会えたというのにデム曹長の表情は冴えなかった。何となく転属者達の共通項が見えてきたような気がしたからだ。
転属する将兵は戦闘航空団に所属していた戦闘機乗りばかりだった。だが、意外なことにこれまで搭乗して来た機種は異なっていた。デム曹長のようにBf109に乗っていたものだけではなく、これまで空冷エンジンのFw190に搭乗してきたものもいたのだ。
そのような状況をみて、一人の搭乗員が言った。もしかすると、自分たちは従来のBf109やFw190の二機種とは全く異なる新型戦闘機で編成される部隊の中核に選ばれたのではないか。
しかし、そのような楽天的な意見に同調する搭乗員は少なかった。声を上げたのはひどく若い将校だった。下士官からの累進とは思えないから、士官候補生出身なのだろう。
以前は候補生も実施部隊で随分と経験を積んでから任官するものだったが、最近では指揮官不足から促成教育となっていた。この少尉も見習士官としての経験は乏しそうだった。
だがどうも妙だった。その新米少尉の言うとおりに新規編成部隊の中核となるならば、少なくとも熟練した指揮官が必要なはずだった。
それに、デム曹長は周囲の下士官から自分と同じ匂いを嗅ぎ取っていた。古参の下士官が多いのに勲章をぶら下げたものは少なかった。おそらくは戦歴は長くとも華々しい活躍とは縁遠いものばかりなのだろう。
しばらくしてから、情報収集に出ていた下士官の聞き込みで配属先部隊の居場所がようやく分かっていた。当初聞いていた部隊名から最近になって変更があったらしい。
転属に伴う書類には爆撃航空団と記載されていたのだが、実際には聞き慣れない戦闘/爆撃航空団となっているうえに部隊番号まで変わっていた。
どうやら、転属先の航空団が転科を伴う再編成を行っているのは事実だったらしい。しかも慌ただしく行われたものだから書類上での処置が追いついていないようだった。
しかし、ようやくたどり着いた航空団の格納庫で、自分たちの乗機だと説明されたのは、ある意味で新米少尉の言った通りのものだった。機種自体はFw190だった。これまで乗り込んでいたBf109とは明らかに異なる機体形状にデム曹長は首を傾げていた。
まだ違和感があった。Fw190を操縦したことはなかったが、これまで飽きるほど見てきた機体のはずだった。特に戦闘爆撃機として同機が攻撃航空団に配属されるようになってからは同じ戦場で目撃する例は増えていた。
だが、目の前の機体はこれまで見てきた機体とは違う気がしていた。首を傾げていたデム曹長は、しばらく眺めていてからようやく気がついていた。
まるで空冷エンジンのようにプロペラ直後に巨大な開口部があるものだから分からなかったのだが、明らかに目の前のFw190は機首を延長してその空間に長大な水冷エンジンを搭載していたのだ。
格納庫で作業中だった製造業者であるフォッケウルフ社の技術者による説明が、搭乗員達が集合してからすぐに行われていた。生産開始から間もない機体の為に製作元も整備指導に当たっていたらしい。
デム曹長が考えていたとおり、このFw190はこれまでの生産型が搭載していた空冷星型エンジンであるBMW801ではなく、水冷のJumo213に換装したFw190Dだった。
原型機であるFw190Aは、三年ほど前のドーバー海峡を挟んで英独間で激戦が繰り広げられた英国本土航空戦で初陣を飾っていた。同機の当初の開発目的は、高性能ではあるものの精緻な構造故か生産性に難のあるBf109を補完するための補助戦闘機というものだった。
しかし、実戦に投入されたFw190は、大出力空冷エンジンと洗練された機体構造からドイツ空軍の予想を上回る性能を発揮しており、実質的にBf109と共にドイツ空軍戦闘航空団を支える主力戦闘機の一翼を担っていたのだ。
Fw190の利点は大出力エンジンの搭載だけではなかった。スペイン内戦から初期型が投入されていたBf109と比べて機体構造は進化していたし、整備性や量産性などを向上させる細かな工夫も多かった。
精緻な設計からややもすれば華奢な印象すら与えるBf109と比べると、Fw190はまるで無骨な軍馬のようだった。
だが、今では相対的に見るとFw190の性能は低下しているとも言えた。ドーバー海峡でFw190が圧倒していた英国空軍主力のスピットファイアが次々とエンジン換装などを行った改良型などを投入してきたのに対して、ドイツ空軍戦闘機の性能は頭打ちをしている感があった。
1800馬力にも達する空冷エンジンを効率よく搭載したFw190Aだったが、その後のエンジン出力の向上が望めなかったのだ。
詳細はデム曹長もよくは知らないが、鹵獲されたスピットファイアなどを調べると搭載するマーリンエンジンの本体にはさほどの進化は見られないものの、付随する過給器の大型化、高性能化が進んでいるらしい。
それならばBf109などのドイツ空軍機も同じ様な措置を取ればいいのではないかとも思うのだが、モーターカノン方式の機関砲と位置が干渉して過給器の大型化は難しいらしい。
しかし、飛躍的とまでは言えないものの、より出力の高いエンジンへの換装を一度は行ったBf109に対して、Fw190は搭載エンジンには代わりはなかった。
それにFw190生産型の中には対重爆撃機、対地攻撃などの為に装甲の強化や重火力化によって重量を増大させたものもあったから、飛行性能はむしろ原型機よりも低下しているとも言えた。
さらにいえば、過給器の性能特性から高高度飛行も苦手としていたから、国際連盟軍の戦闘機に弱点をつかれることも多かったようだ。
だが、フォッケウルフ社の技術者によれば、そのような事態に対して同社技術陣は手をこまねいていただけでは無かったらしい。エンジンそのものの改良が期待出来ないのであれば、エンジン自体を別機種に換装するまでだった。
しかし、実戦配備されたA型に続くB、C型は製作された試作機こそ優秀な性能を発揮したものの、制式化は見送られていたらしい。
理由は簡単なものだった。換装するエンジンが並行して生産される既存機に搭載されているものと同じだったからだ。無残な制式化の断念を思い出したのか、悔しがるフォッケウルフ社の技術者の様子を、デム曹長のように元々Bf109に乗っていた搭乗員は冷ややかに見ていた。
エンジンの取り合いが起これば、結果的に戦闘機隊に配備される機数は制限されることになる。Fw190は元々補助戦闘機として計画されていたのだから、よほどの性能向上がなければ既存のBf109を押しのけて優先生産機種に据えられることは無いはずだった。
そこまで考えてから、ふとデム曹長は視線を機体の方に向けていた。フォッケウルフ社の技術者が語る経緯からすると、この機体はBf109などの既存の重点生産機種とは搭載エンジンの機種が異なるために水冷エンジン搭載機として制式化が果たされたということだろう。
デム曹長の脳裏には、いくつかの爆撃機の姿が思い起こされていた。例えば、双発の高速爆撃機であるJu88などは、水冷エンジンと空冷エンジンを搭載した型式がそれぞれ存在していた。
基本構造から異なるそのようなエンジン型式の違いが成り立っていたのは、水冷エンジンに必要不可欠な冷却水冷却用のラジエーターを胴体やエンジンナセル外部に突出させるのでなく、環状のものをエンジン前方のカウリング内部に据え付けているからだった。
このような一見すると細長い空冷エンジンのようにも見える環状ラジエーターであればエンジンと一体に艤装できるから、エンジン取付架より後方をエンジン型式に関係なく共通化を図ることも可能だった。
Fw190Dが装備するJumo213もJu88などに環状ラジエーターを備えて据え付けられた事があったはずだ。
もっとも、水冷エンジン搭載型のFw190が制式化されたのはそれだけが理由ではないはずだった。
相変わらずBf109は主力戦闘機として増産が求められている為に、その搭載エンジンを他機種に流用する事は許されていないはずだが、今のドイツには生産分が余剰となるエンジンが存在しているはずだった。
それが本来は重爆撃機用に製造されていたJumo213なのではないか。今のドイツ空軍に必要なのは敵地を攻撃するための爆撃機ではなく、制空権を確保して地上の友軍を守るための戦闘機だからだ。
そう考えると、デム曹長はフォッケウルフ社の技術者が機体設計の変更を最小限に抑えられたと自慢する環状ラジエーターの形状にも疑問が生じていた。
国籍やラジエーターの取り付け位置などに関わらず、水冷エンジンを搭載した単発戦闘機は、空気抵抗を極限する為に概ね鋭角のスピナーから連続するなだらかな胴体形状をとっていた。
デム曹長は以前座学で聞きかじった知識を思い出していた。航空機が上昇する際はエンジン出力がものを云うのだが、水平飛行で高速を出すには抵抗源を廃するのが常道だった。
それに加えて、プロペラ直後に最大幅となる空冷エンジン機とは異なり、水冷エンジン機は胴体による戻り抵抗を最小限に出来る、と聞いていた。
一見すると空冷エンジンにも見える配置の環状ラジエーターは、そのような水冷エンジン搭載機の利点を自ら投げ捨ててしまっていたのではないか。
それだけではなかった。空冷エンジンに比べて環状ラジエーターを含めた水冷エンジンはより重量がある筈だった。
もしかすると、その辺りの機体操縦に必要な技術が見極められなかった為に、この航空団では水冷エンジン搭載機と原型機であるFw190の搭乗員の両方を集めたのかも知れなかった。
その辺りのことをデム曹長が質すと、フォッケウルフ社の技術者は一瞬眉をひそめてから開き直ったかのように説明を続けた。それによれば、水冷エンジンへの換装に伴う重量バランスの変化に関しては、Fw190Dでは尾翼形状の変更など最小限の改設計で対処したらしい。
総合的なバランスは通常の空冷エンジン搭載型よりも悪化したかもしれないが、その欠点を補って余りあるだけの利点がFw190Dには存在している。
それに、フォッケウルフ社ではFw190Dは従来機に水冷エンジンを搭載した暫定的な仕様であると解釈しているらしい。
これまでBf109の生産体制を阻害しないために搭載が許されていなかった水冷エンジンだったが、現在フォッケウルフ社ではこの水冷エンジンに最適化すると共に従来同機が苦手としていた高高度性能を中心に全面的な改良を施した機体が開発中であるといった。
フォッケウルフ社の技術者は半ば自慢気に言葉を連ねていたが、若手の搭乗員はともかく海千山千の古参下士官達は白けた表情になっていた。言い方はともかく、結局はこの機体は改設計中の中途半端な機体ということではないか。
そんな機体を信頼して自分の命を預けることなど出来るのか、デム曹長はそう考えて眉をしかめていたが、すぐに怪訝そうな顔になっていた。
格納庫の外から、妙に甲高いエンジン音が聞こえていた。Fw190Dの周りにいた搭乗員達は、格納庫の扉から顔を突き出すようにしていた。その彼らの前に広がる滑走路の上空を、轟音を発しながら奇妙な構造の双発機が恐ろしく速い速度で飛び去っていった。
唖然とする搭乗員達の耳に、遠雷のような残響が入ってきていた。
―――プロペラが、無いだと……では、あれが噂の……
デム曹長も唖然として黒煙を残して飛び去った機体を見つめていた。
「あれはメッサーシュミット社のジェットエンジン搭載機、Me262です。あれがこの航空団の主力機、だそうです」
興奮する搭乗員達の背に、忌々しそうなフォッケウルフ社の技術者の声がかけられていたが、それを聞くものはほとんど居なかった。
だが、デム曹長は何かが引っかかっていた。
―――待てよ。あんな機体があるのだとすれば、俺達はこの機体で何をするために集められたんだ……
デム曹長は、不安を感じながら新たな愛機となるFw190Dを振り返って見上げていた。