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1944総統暗殺12

 先ごろグデーリアン上級大将が新たに得た荘園は、上級大将の祖先がかつて有していた所領からほど近い場所にあった。つまり、上級大将から見ればポーランド領内の祖先の所領を取り戻しただけのことだったのだ。


 荘園は瀟洒な邸宅が付けられた広大なものだった。よく整備された状態で引き渡された肥沃な田畑と牧草地は、大きな実りと売上を予期させるものだった。

 広大な荘園の敷地の中には、田畑の他に程よい間隔で柔らかな木漏れ日を作り出す疎林や使用人とその家族が暮らす家屋、家畜舎なども含まれていた。



 だが、グデーリアン家に栄光と発展をもたらす筈だった荘園は、最初の収穫が得られる前に失われていた。

 荘園があったポーゼン州は、ソ連軍の攻勢において進撃路に重なっていた。肥沃な田畑も、今頃は使用人が振るう鍬や耡ではなく、無粋なソ連軍戦車の履帯によって耕されているのではないか。


 グデーリアン上級大将は、ゲーリング国家元帥の目前で思わず眉をしかめていた。なぜ自分の手からこぼれ落ちた荘園を整える費用を自分が支払わなければならないのか。そう考えていたのだ。

 それ以前に、荘園はヒトラー総統から無税で自分に与えられたものでは無かったのか。グデーリアン上級大将は、自分にそう告げたラマース官房長官の言葉を思い出していた。



 グデーリアン上級大将が荘園を入手することになったきっかけは、二年ほど前にヒトラー総統の方針に異を唱えて更迭された直後のことだった。休職中の上級大将のところへ総統副官のシュムント少将が訪れていたのだ。

 それは俄には信じられない様な内容の話だった。

 シュムント少将が言うには、長年の国家、民族への献身に対するドイツ国民からの感謝の印として、ドイツの領域に新たに加わった東方のポーランド領の中から選ばれる荘園の購入資金がグデーリアン元帥に授与されることになったというのだ。


 シュムント少将は更に続けた。勿論、これはヒトラー総統からの気前の良い贈り物だというのだ。その上で、金銭的な実務に関してはラマース官房長官が担当すると告げていた。

 その後に接触してきたラマース官房長官によれば、総統からの巨額の下賜金は税務署の関与しない無課税のものであるが、その性質上下賜金のことは他者には知らせぬ事と言う話だった。

 最初は降って湧いたような有り難い話に困惑したグデーリアン上級大将だったが、すぐに総統の真意に気が付いていた。



 総統の目的の一つは、単純に将軍達の忠誠を得る為だろう。以前よりヒトラー総統は、軍部や政治家などに自分との関係が良好かどうかを問わずに贈り物を行っていた。

 その贈り物が高価であればあるだけヒトラー総統に頭が上がらなくなるというわけだった。


 ただし、そのような安っぽい理由だけが目的では無かったはずだ。ヒトラー総統は、新たに得た東部領に将軍達を入植させる事で、自分に忠実な新貴族層を構築しようとしていたのではないか。

 おそらく、下賜金自体は様々な立場の者たちに授与されているはずだが、それが明確に荘園となる土地の購入という形をとっているのは軍人だけではないのか。そして、復活した偉大なるドイツ帝国の中で、グデーリアン上級大将のような将軍たちからなるプロイセン軍人貴族が復活するのだ。



 しかし、グデーリアン家の新たな所領として何年も掛けて選び抜き、荘園を整備した努力は無駄に終わっていた。勿論、ソ連軍の占領地帯に取り残されたのはグデーリアン上級大将の荘園だけではなかった。多くのポーランド領、東プロイセンの領域がソ連軍に包囲されていた。

 もっとも、荘園を整備するにあたってはグデーリアン上級大将の私費が投入されたわけではなかった。シュムント少将やラマース官房長官から聞いたとおり、ヒトラー総統は実に気前よく資金を出してくれたからだ。


 だから、こんなところで荘園の改築業者の支払い催促などを受けるとは全くグデーリアン上級大将は思いもしなかったのだ。

 ただし、下賜金の事自体は口外できなかった。ラマース官房長官はくどい程に下賜金の秘密を守るようにグデーリアン上級大将に念を押していたからだ。勿論、他の受給者にも同じように強く要請していたのではないか。



 ところが、グデーリアン上級大将の逡巡をあざ笑うかのように、ゲーリング国家元帥はあっさりといった。

「実は、以前ラマース官房長官がベルリン近くに邸宅を求めた際、私の家のあるショルフハイデの森の一部を彼に譲ったことがあってね。それ以来彼とは懇意にさせて貰っているのだよ。

 ああ、ラマース官房長官と付き合いがあるのは、貴官も一緒ではないかな。貴官は知らぬかも知れないが、総統基金の授与者には原則的にラマース官房長官が秘密の厳守を通告していると思うが、官房長官の方には詳細な記録が残されているのだよ」


 グデーリアン上級大将は一瞬呆気に取られたが、すぐに鋭い目をゲーリング国家元帥に向けていた。

「それならばその封筒の請求書に関しては小官には支払い義務が無いことは国家元帥もご承知ではないですかな。ラマース官房長官からは、荘園の改築費用は総統がお支払いくださると聞いているのでね」


 だが、ゲーリング国家元帥は冷ややかな視線を向けていた。

「貴官もすでに知っていようが、総統はお亡くなりになられた。現在は非常時ゆえ総統がその責務を全うできない時にその任を代行すると定めた国家元帥たる私が総統代行を務めている

 しかし、私が代行するのはドイツ政府を率いてこの戦争の戦火からドイツ市民を守り抜くという総統の本来の業務のみである。総統基金の運用などという些事に関わっていられるような余裕は今はもうないのだ」


 相変わらず視線は冷ややかだったが、そこでわずかに表情を歪ませながら、皮肉気な口調でゲーリング国家元帥は続けた。

「ただし、貴官もまたドイツ移民の安寧を守るという軍人本来の職務に忠実であるのだとすれば、ラマース官房長官も銃後で安心して総統基金の運用を行うだけの余裕は出来るかもしれないな……」



 脅しのような台詞を聞いてグデーリアン上級大将は、腕を組んで眉をしかめて鋭い目でゲーリング国家元帥を睨みつけるようにしていたが、その眼光にも国家元帥はひるんだ様子は見せずに、上級大将からは見えないように裏返した書類を重厚な執務机から取り出していた。

「ところで、この戦時中に荘園や下賜金をねだって総統を多忙にさせた将軍は貴官だけではないそうだね。もちろん、誰も下賜金の秘密を守っていたのであれば誰がそうであるのか、貴官ら自身にも分からなかっただろうが……」


 これみよがしに、下賜金授与者のリストらしき書類をちらつかせながら、ゲーリング国家元帥は続けた。

「しかも、貴官ら高級将官には開戦前より多額の報酬が月給とは別に総統基金より支出されている。戦時下の困窮生活にあえぐ薄給の国民がこれを知れば、どのような反応を返すかな……」


 グデーリアン上級大将は、嫌そうな顔で反論しようとしていた。上級大将に言わせれば、それは高級将官の給与体系を是正するための措置だった。

 戦間期から国務大臣や次官などの給与体系が十分に整備されていたのに対して、規模の小さかった時期のドイツ軍部には元帥や上級大将など高級将官に対応する給与体系は存在していなかった。

 だから、例え資金源が総統資金であったとしても、その手当は官僚や政治家と軍人との間の不均衡を是正するための措置だったのだ。


 だが、ゲーリング国家元帥はそのような反論を一蹴していた。

「貴官は知らないかもしれないが、一般国民はどれだけ出世しようが残業しようが、無税でそのような報酬を受け取るようなことはしないものだ。

 他の将軍たちはどう思うかな、貴官の言葉一つでその莫大な手当を失うとすれば……」



 畳み込むようにゲーリング国家元帥は言っていたのだが、ふと気がついてグデーリアン上級大将は小狡い顔で口を開いていた。

「一つお聞きしたいのですが。先程から我々が受け取っているという総統基金ですが、不正に受け取っているのは国家元帥もまた同じではないですかな。

 仮にそうであるとすれば、我々軍人も国家元帥も同じ穴のムジナなのではないですかな」

 それを公表するつもりならば道連れだ。グデーリアン上級大将はそういう意味で言ったつもりだったが、ゲーリング国家元帥は面白そうな顔になって首を傾げただけだった。


 態々ゲーリング国家元帥は巨体を揺すりながら立ち上がると、その膨れ上がった腹を一叩きしながら言った。

「どうも貴官の言うことは理解できぬな。

 貴官のような清廉潔白であるはずのプロイセン軍人、ゲルマンの騎士が金と欲にまみれていたと嘆く市民は数しれず出てくるだろうが、私のような俗物が私腹を肥やしていたからといって、今更驚くようなものがいると、本当に思っているのかね」

 堂々とゲーリング国家元帥はそう言って胸を張っていた。

「さあ選び給えグデーリアン上級大将。

 私に従い全ドイツ市民のためにその身を捧げたゲルマンの騎士として記憶されるか、それとも所詮私と同じような俗物として蔑まれるかだ」



 しばらく、グデーリアン上級大将は呆けたような顔になって揺れ動いたゲーリング国家元帥の腹を見つめていた。

 グデーリアン上級大将はひどく間の抜けた表情で立ち上がったゲーリング国家元帥の顔を見上げた。横幅だけではなく、国家元帥はまるで大男ばかりが選ばれたという古の装甲擲弾兵のような迫力さえ見せていた。


 だが、ゲーリング国家元帥の表情は、ここから見ると複雑なものであるように思えていた。傲然と胸を張っているようでもあるが、いささかの不安も感じられるものだったのだ。

 ―――口では勇ましいことを言っても、この人も不安を抱えている、ということか。

 だが、グデーリアン上級大将は、脅迫とも受け取れるゲーリング国家元帥の態度の裏にある種の真摯なものをも感じていた。



 ゲーリング国家元帥の顔を見ている間に、グデーリアン上級大将はひどく自分が薄汚れた人間であるような気がしていた。

 だが、安易にそれを認めることは出来なかった。ヒトラー総統に唯々諾々と従っていたのも、ナチス党が支配するドイツで家族を養いながら生き延びていく為だった。荘園を求めたのも、それが今後のグデーリアン家にとって大きな資産となると考えたからだ。


 ただし、それもドイツ民族が存続できなければ何の意味もなかった。断ればドイツ軍人たちの汚職として世間に知らしめると脅されたのも無視できないが、ゲーリング国家元帥が本当にドイツの存続のために尽力しようとしているのも事実のようだった。

 一度諦めたかのような顔になって首を振ると、グデーリアン上級大将は眉をしかめていかにも不承不承といった様子でいった。

「そのようにおっしゃるならば、致し方ありませんな。参謀総長の職をお引き受けするとしましょう」



 グデーリアン上級大将は、自らのプライドから半ば演技で嫌そうな顔になってそういったのだが、ゲーリング国家元帥の続く言葉を聞いて、今度は本当に嫌になっていた。

「よろしい。実のところ、貴官であればそのように言ってくれると信じていたよ。では、まずは貴官にはこれをお願いしよう」

 そう言うと、ゲーリング国家元帥はさきほど手にしていた書類を差し出していた。あっさりと渡された書類を拍子抜けして受け取りながらも、グデーリアン上級大将は首を傾げていた。その書類は確かに自分を含む軍人たちの名前と金額が記されたものだった。

 おそらく、総統基金から下賜金を受領したもののリストなのだろう。リストには意外な名前もあれば当然と思われるものもあった。


「まずは、そのリストをみて協力者をかき集めてくれたまえ」

 そう言われてグデーリアン上級大将は天を仰いでいた。どうやら今度はゲーリング国家元帥のように脅す役をやらされそうだったからだった。

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