1944総統暗殺10
ヘルマン・ゲーリング装甲師団の多くの将兵たちは、釈然としないと言った表情を浮かべながら練兵場に三々五々と集まっていた。
だらけた様子の下士官兵が多かったが、とやかく細かいことを言うような将校は少なかった。夜中に叩き起こされた彼らも、師団の将兵を召集させた理由を知らなかったからだ。
ドイツ空軍所属とは言え、全ドイツ地上部隊の中でも精鋭部隊の一つとされていたHG装甲師団だったが、その士気は下がり切っていた。
理由は明らかだった。国際連盟軍のシチリア上陸以来、HG装甲師団は北上を止められないイタリア戦線の第一線で戦い抜いていたのだが、日々容赦なく積み重ねられていく損害に対して、兵や装備の補充は少なかった。
空軍所属のHG装甲師団に対する補充は、イタリア戦線で共に戦う陸軍のそれとは別系統であったためではあったのだが、それを除いても最近では補充が乏しくなっていた。
以前は、そうではなかった。HG装甲師団には、陸軍や武装親衛隊の精鋭部隊よりも優先して最新鋭の装備が配備されていたほどだったのだ。
シチリア島に配属となる前も、当時配備が開始されたばかりのパンター戦車を地中海戦線で始めて装備したのはHG装甲師団だった。
だが、既に新鋭パンター戦車は全て失われていた。初期生産型故の故障率の高さや大重量故の燃費の悪さなどから放棄された車両もあったが、激戦の中で戦闘で破損したパンターも少なくなかった。
ヘルマン・ゲーリング装甲師団は、その名の通り前大戦の撃墜王にしてナチス党の幹部であるゲーリング国家元帥との繋がりの深い部隊だった。
プロイセン内務大臣の地位に就いたゲーリング国家元帥が警察内部に創設した特殊部隊がHG装甲師団の前身だった。その後、所属の変更や規模の拡大を続けて今の装甲師団にまでになっていたのだが、部隊創設者との関係が薄れていくことはなかった。
むしろ、ゲーリング国家元帥の権限や役職の上昇に従ってHG装甲師団の戦力も拡大していったと言っても良かっただろう。
そう考えると、イタリア戦線でHG装甲師団が苦闘したのも、逆にゲーリング国家元帥の権威が低下した為なのかも知れなかった。
気になる情報があった。最前線にいたHG装甲師団の将兵には、ベルリンの細かな事情まではよくわからなかったが、ゲーリング国家元帥はシチリア戦前後に実質的に失脚していたらしいというのだ。
ゲーリング国家元帥の失脚理由は不明だったが、開戦以前から国家元帥は国際協調路線を主張していたから、国際連盟軍との講和を唱えて総統の不興を買ってしまったのかもしれなかった。
ただし、一般国民などへの影響を考慮すれば、ゲーリング国家元帥ほどの大物を更迭する事はできなかった。それで表向きは病気療養とでも言う事にして実務権限を奪われていったらしい。
そのような事情があるものだから、最前線の将兵達からすれば、理由も分からずにHG装甲師団の補充が途絶えたように思えたようだった。
シュルツ軍曹は、自分と同じように練兵場に集まってくるHG装甲師団の兵士達の顔触れを冷やかに見つめていた。
補充を受けて再編成を行っている筈なのに、見かけるのは見慣れた顔ばかりだった。後方に送られてもなお補充は進んでいなかったのだ。装備はともかく、配属されてくる新兵は少なかった。
気になる噂もあった。ドイツ空軍はヘルマン・ゲーリングの名を冠した師団を新設する予定であったらしい。再編成中に師団司令部勤務などの一部の士官が他隊へと転出していったが、それは元々第2HG師団とでも言うべき新設部隊の幹部として抽出されていたというのだ。
ところが、実際にはこの第2HG師団の新設は実現化していなかった。他隊に転出した士官の多くも貧弱な装備しか持たない空軍野戦師団に異動していたようだった。
噂が本当だとすれば、失脚したゲーリング国家元帥の名前をつけた部隊の増強を空軍の上層部が嫌がったのではないか。
ゆっくりとシュルツ軍曹は、周囲を見渡していた。軍曹の中隊にも欠員は多かったが、補充兵が来ないものだから、ふてぶてしい古兵ばかりが目立っていた。
シュルツ軍曹の部隊は戦車隊だったが、欠員が多いのは戦車ごと乗員が失われただけではなかった。
戦車を失った後も、シュルツ軍曹達の部隊は後退を許されたわけでは無かった。どのみち後方に下がったところで代替の車両はなかった。
結局、戦車を失った戦車兵も対戦車兵器を支給されて即席の対戦車猟兵に再編されていたが、使い慣れない対戦車火器で戦果を上げるのは難しかった。
それ以前に、急造の陣地に籠もった彼らが手にする火器の射程に敵戦車が収まる前に、国際連盟軍は徹底した砲爆撃を加えていた。長射程の対戦車砲はほとんど発砲する前に破壊されていたし、携行火器は射程に入るまでに兵員の方が参っていた。
熟練した兵ですらいい加減参ってくる着弾の衝撃で、貴重な補充兵の少なくない数が神経をやられていた。
永遠に続くかと思われたイタリア戦線の消耗の激しい戦いは、唐突に終わりを見せていた。あまりの損害の多さに戦力外とでも判断されたのか、HG装甲師団は再編成のために本国への帰還を命じられていたのだ。
しかし、本国帰還後もなかなか師団の再編成作業は進まなかった。表向きは陸軍と空軍の所属の違いによる補充体制の違いや、戦争の長期化による生産体制の悪化が原因とされていたが、その説明に納得する古参兵は少なかった。
損耗した戦車隊には、新型のパンターが配備されることは無かった。
シチリア戦前にHG装甲師団に配備されたパンター戦車は初期生産型だった。そのせいか性能は高いものの故障が多く、それが原因で遺棄された車両も少なくなかった。
現在では、そのような戦訓を受けて改良された型式の生産が本格化している筈だが、改良型のパンターがHG装甲師団に配備されることはなかった。
それどころか、細々と配備される四号戦車に混じって旧式化したはずの三号戦車まで届くことまであった。
師団に届くのは数的には四号戦車が多かった。以前に配備されていた四号戦車と同じく、長砲身砲やシェルツェンを備えた型式だった。
ただし、容易には補給が得られない戦局の悪化を反映しているのか、それとも単に生産コストを下げたかったのかは分からないが、主砲弾の搭載定数が増大する代わりに砲塔旋回装置が簡素化されていた。
それに対して、三号戦車は旧式化していることを除いても、いささか頼りない姿だった。その主砲が長砲身の50ミリ砲から四号戦車の初期型が装備していた短砲身75ミリ砲に換装されていたからだ。
要するに旧式化した三号戦車を歩兵支援用の火力支援車輌に改装したものらしい。
だが、主砲は同一であるものの、相対する敵兵器はすでに四号戦車の初期生産型が一線部隊に配備されていた時期とは変わっていた。
開戦直後に四号短砲身型などの火力支援車が目標としたのは、戦間期に開発されていた口径40ミリ程度の対戦車砲や機関銃巣だった。だが、そのような中途半端な口径の対戦車砲は開戦以後急速に陳腐化していた。
もともと、40ミリ級の対戦車砲は、戦間期に流行した機動戦理論の元で開発された戦車などに対抗するためのものだった。
先の欧州大戦では、戦線を突破した敵戦車に対して大威力の野砲による水平射撃が行われていたのだが、牽引式の野砲は重量がありすぎて大戦後に想定された機動戦に対応できなかったし、理想とされた自走砲の開発も戦間期の予算削減によって実現化した軍はなかった。
第一、対応する戦車も機動戦のために高速化の代わりに弱装甲のものばかりだったから、小口径化した野砲に過ぎない対戦車砲でも対処は可能だったのだ。
ところが、開戦以後は重装甲かつ野砲弾道の大口径砲を装備した戦車が続々と各国で制式化されていた。ソ連は開戦前からT-34を装備していたし、おそらくはこれに影響を受けたと思われる日本軍もシチリア上陸戦から三式中戦車を投入していた。
以前から英国軍は短砲身榴弾砲か、対戦車砲と同一弾道程度の砲しか持たずに鈍足ではあるものの、最低でも野砲弾道でなければ対処できない重装甲の歩兵戦車を投入していたが、最近では歩兵戦車でも3インチ野砲程度は搭載するようになっていた。
このような大火力重装甲の戦車に対抗するために、対戦車砲も野砲弾道やより高初速の高射砲弾道を持つ大口径砲に移行していた。そのような大重量の砲は、牽引が難しくなるか高価な自走砲とせざるを得ないために運用は高く付くことになるが、敵戦車に対抗できない砲よりもはましだった。
だが、そのように大威力化した対戦車砲に対しては、いくら76ミリの大口径砲とはいえ短砲身の三号戦車では容易にアウトレンジされてしまうのではないか。
大口径を活かした成形炸薬弾も用意されているというが、短砲身ゆえの低初速砲では高速で機動する敵戦車を長距離から狙い撃つことは難しそうだった。
それに、部隊配備後に整備隊からの報告でわかったのだが、師団に配備された三号戦車は新品のものではなかった。装備転換で返納されたものや、前線部隊の段列では修理不能として本国送りとなったものから改造されたものであったらしい。
三号戦車はすでにこの型式も生産は終了していた。工場で新規に生産が続いているのは、長砲身砲を備えて対戦車能力を高めた三号突撃砲用に必要とされる下部車体のみだったのだ。
結局、HG装甲師団の戦車隊は、有力な対戦車能力が与えられた長砲身型の三号突撃砲を装備する突撃砲隊を羨望の目で見ながら三号戦車の装備に甘んじなければならなかったのだ。
シュルツ軍曹は、一応は戦車扱いをちゃんと受けている四号戦車が自分の中隊に配備されたことを感謝つつも、HG装甲師団の前途に暗然たるものを抱かざるを得なかった。
ふと気がつくと、前列の方がざわめいていた。シュルツ軍曹は首を傾げていた。この突然の招集の理由はよくわからなかったが、再編成のもたつきによって弛緩しているHG装甲師団の将兵たちに対して、上層部の誰かが要らぬ活を入れに来たのではないかと軍曹は考えていたのだ。
しかし、前列のざわめきはそのような様子ではなかった。それに、瀟洒な印象すら与えるエンジン音が先程から聞こえていた。とても無骨な軍用車のものとは思えなかった。
唐突にエンジン音が途絶えていた。シュルツ軍曹が人だかりの隙間から頭を付き出そうとすると、誰かが親父だという声が聞こえていた。
唖然としてシュルツ軍曹は目を見開いていた。確かに、そこには豪勢なオープンカーから降り立ったゲーリング国家元帥の巨体が見えていた。何故か親衛隊のコートを着た若い男を一人だけお供に連れた国家元帥は、珍しく生真面目そうな顔で元帥杖を振りながらこちらに向かっていた。
まるでモーセによって海が割れたようにゲーリング国家元帥の動きに沿って人だかりが別れていった。唖然とした将兵たちをかき分けながら、国家元帥はこちらに向かっていた。
シュルツ軍曹は唖然として動くのも忘れていた。そんな軍曹の前で立ち止まると、ゲーリング国家元帥は軍曹の背後に目を向けながら言った。
「軍曹、これは君の愛車か」
慌ててシュルツ軍曹は人形のように滑稽に何度もうなずいていた。そんな様子を不審に思うこともなく、ゲーリング国家元帥は続けた。
「結構、大変結構な演台だ。では軍曹、すまんが私のこの贅肉を君の愛車の上に持ち上げてくれんか」
手伝ったのはシュルツ軍曹だけではなかった。彼を親父と呼ぶ大勢の将兵たちによって一台の四号戦車の上に持ち上げられたゲーリング国家元帥は、ゆっくりと口を開いていた。
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