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1944総統暗殺9

 イタリア前国王エマヌエーレ三世を武装親衛隊所属の部隊が殺害したことが及ぼした影響は大きかった。

 実際には、それ以前にイタリア王国首脳部は国際連盟との講和を決意していたはずだが、国王暗殺によって彼らは枢軸勢力からの離脱に際して揺るぎない大義名分を手にしていたからだ。



 今に至るも国王暗殺の余波は響いていた。

 国際連盟との講和と同時に、それを予期していたドイツ軍は、イタリア半島北部を占領して傀儡国家であるイタリア社会共和国を作り上げていた。

 しかし、イタリア社会共和国に対する民衆の支持は殆ど得られていなかった。その国軍は士気や練度は最低の状態にあり、それどころか相次ぐ将兵の脱走を警戒しなければならない始末だった。

 当然のことながら、物資調達や築城作業の使役といった住民の協力も得るのは難しかった。


 しかも作戦失敗の影響は、イタリア戦線内に留まらなかった。作戦を主導していた親衛隊の責任問題が浮上していたのだ。

 ただし、作戦の詳細を公表する事はできなかった。仮に万事が上手く行ったとしても、一国の皇太子妃を誘拐してイタリア王国の内政に干渉しようとしていたなど公に出来るはずもなかったのだ。


 作戦失敗の責任問題は、だから密かに処理されようとしていた。勿論だが、作戦の最終的な承認を行った総統を罰することはできなかったし、親衛隊の総責任者であるヒムラー長官も同様だった。

 逆に、実際にローマに潜入して戦闘を行った前線指揮官を罰することも出来なかった。モルス少佐を指揮官とする潜入部隊は、イタリア王国軍の軍警察であるカラビニエリに包囲されて全員が戦死するか捕虜となっていたからだ。


 結局、責任を取らされたのは、現場に出ることの無かった部隊指揮官ばかりだった。

 作戦を実行した第502親衛隊猟兵大隊は、唐突に東部戦線に送られていた。表向きは激戦の続く東部戦線の補強ということだったが、実際には懲罰行為ではないか。

 特殊戦部隊として編成されたはずの第502猟兵大隊は、最前線での過酷な任務を与えられて損耗が激しいという噂もあったが、詳細はケラー中尉にも分からなかった。


 だが、責任の追求はそれで終わらなかった。作戦の情報支援を行っていた親衛隊情報本部第6局も事態悪化の責任があるという声が上がっていたのだ。

 発端となったのは、第502猟兵大隊を率いていたスコルツェニー中佐による告発だった。第6局からの情報が不正確であった為に作戦は不首尾に終わったのだと主張していたらしい。

 あまり根拠のある主張では無かった。スコルツェニー中佐は責任を他者に擦り付ければこの場は逃れられるとでも思っていたのではないか。


 だが、結局はスコルツェニー中佐も作戦失敗の責任から逃れることは出来ずに、指揮下の部隊と共に東部戦線送りとなっていた。ところが、本人は責任を問われる事となったものの、発言内容だけは残されていた。

 実施部隊への懲罰だけでは親衛隊への責任追求は不十分だという声が上がっていたのだ。



 国防軍情報部長であるカナリス提督が事態に介入したのはそんな時だった。当初は、多くのものがこれ幸いと提督が対立関係にあると言っても良い親衛隊情報本部の弱体化に乗り出したと考えていたのだが、実際にはこれを弁護する姿勢を示していた。

 カナリス提督の分析によれば、シェレンベルク准将らが提供した情報そのものは正確なものであり、責任はこれの解釈を誤り、現地情勢の変化に対応できなかった実施部隊にあると断言していたのだ。


 カナリス提督の援護で、第6局の立場は首の皮一枚でつながったが、同時に提督に大きな借りが出来たのも事実だった。

 実際にそのせいでシェレンベルク准将はカナリス提督の発案によるゲーリング国家元帥への戦況説明を行うことになっていたのだ。



 シェレンベルク准将に従って何度もゲーリング国家元帥宅であるカリンハルを訪れていたケラー中尉は、巧みな人心掌握術によって国家元帥が次第に准将に信頼を寄せていくのが分かっていた。

 おそらくは、カナリス提督の計画はこのような時の為にあったのだろう。シェレンベルク准将を通してゲーリング国家元帥を意のままに操ろうと言うのだ。


 そのゲーリング国家元帥は、すがりつくような目でシェレンベルク准将を見つめていたが、准将は敢えて望みを捨てさせるかのように、淡々とした口調で言った。

「総統はお亡くなりになりました」


 ゲーリング国家元帥は一瞬目を見開いたが、諦めがつかないように言った。

「それは……間違いないのだろうか。ならず者共による反逆はこれまでにも幾度もあったが、そのたびに総統は危機を潜り抜けて来られたのだ。

 今度も、その強運を発揮して生き延びておられるということは無いのか。現に総統と行動をともにしていたはずのヒムラーは無事に何度もベルリンと通話しておるというではないか」


 シェレンベルク准将は首を振っていた。悲しげな表情で続けたが、付き合いの長いケラー中尉にはどことなくわざとらしいものに思えていた。

「残念ですが、間違いありません。理由はよくわかりませんが、親衛隊長官、宣伝大臣の二人は単にその時間に会議から抜け出していたようです。あるいは最初から戦況会議の出席者としては数えられていなかったのか……

 何れにせよ、総統が爆殺されたのは間違いありません。頑丈な総統専用壕で会議が開かれていたことが仇となったようです。総統大本営の中でも特に専用壕は強固に構築されていましたが、それは逆に内部で炸裂した際に爆風の逃げ場がないことをも意味します。

 総統専用壕内部で炸裂したのは目撃証言などもあるため間違いないようです」


 まるで見てきたかのようにシェレンベルク准将はいった。ケラー中尉は、生真面目そうな表情で准将の後ろに控えていたが、まさか爆弾を仕掛けた本人から正確な情報を聞き出したとは国家元帥には言えないだろうなとぼんやりと考えていた。

 だが、ゲーリング国家元帥はそんな様子には全く気がつく気配はなかった。


「二人が会議から抜け出していた、だと。まさか……准将はヒムラーめが、その……この破廉恥な行為に関わっているというのか」

 シェレンベルク准将はわずかに困惑を浮かべていた。

 「それは分かりませんが、お二人の立場からして可能性は低いかと思いますが……ですが、問題はそこにはありません。自らが新たな全ドイツの指導者であると宣言したヒムラー長官が壊滅した総統大本営に留まっていることにあります」


 要領を得ないというゲーリング国家元帥に向かってシェレンベルク准将は続けた。

「すでに、総統大本営は最高司令部として機能していません。総統も、軍首脳や報告に訪れていた大臣級の閣僚も死亡、人事不詳になっているからです。

 ヒムラー長官は、生き残った通信施設を使用しているだけです。閣僚や幕僚が付き従っているわけではなく、政権運用能力はありません。それでベルリンの状況はフロム大将に一任しているようです。

 その一方で、クーデター派にも大きな戦力は無いようです。フロム大将も国内予備軍司令部の権限では、動員可能な兵力に限りがあります。むしろ多くの部隊は正規の命令系統から外れた彼らの命令をどう解釈すればよいのか、それが判断付かずにいるようです。

 ですが、この状況を長い間放置するわけには行きません。最高司令部の機能が喪失した今この瞬間も、東部戦線の最前線ではソ連軍に包囲されようとしている部隊が指揮を求めているのです。

 いち早く多くの官僚が勤めるベルリンの統制を立て直して正統な指揮系統を確立する必要がありますが、それが出来るのは閣下をおいて他には誰もいません」


 シェレンベルク准将は、そう言うと唖然としているゲーリング国家元帥の顔を覗き込んでいた。

「総統がその任を遂行できない状態になった場合、ゲーリング国家元帥に総統職を代行させるとの総統布告は撤回されておりません。まさに総統が執務を執行できない状況にある今、法的には閣下が全ドイツを指揮するのが正当であると考えられます」



 それを聞いてもなおゲーリング国家元帥は迷ったような声でいった。

「しかし、ベルリン市内はクーデター派とヒムラーの命を受けた部隊が衝突しているのではないか。

 そんな状態で私の言う事を落ち着いて聞くようなものがいるとは思えないが……」

 ゲーリング国家元帥がそう言ったところで、それまで押し黙って書類を眺めていたカナリス提督が、始めて書類の記述に気が付いたといった風を装いながらも言った。

「閣下のお立場ならば戦力には宛がありますぞ。これによれば、イタリア戦線で損害を受けたヘルマン・ゲーリング装甲師団がベルリン郊外で再編成作業中ですな。

 空軍所属の彼等ならば閣下の命令で動かせるのではないですかな」


 おそらくカナリス提督は空軍所属のHG装甲師団の存在に早くから気がついていたはずだった。

 だが、カナリス提督の思惑としては、意のままにゲーリング国家元帥を操って、自らは舞台裏に潜んだまま国政を動かそうとしているはずだった。

 それならば新たな総統候補と軍との間には、ある程度の距離感がある方が望ましい筈だった。その方が軍の統帥を維持するために情報部長であるカナリス提督の重要性が増すからだった。

 だから、敢えてクーデター派と国内予備軍との抗争に介入する戦力として陸軍ではなく空軍所属の部隊を投入させようとしているのではないか。



 未だに逡巡している様子のゲーリング国家元帥に、シェレンベルク准将がささやくような声で言った。

「ヒムラー長官は軍とのパイプを作る為に、ロンメル元帥を抱き込もうとしています。ですが、閣下もご存知の通り、ロンメル元帥は国際連盟軍との講和に反対のはずです。

 裏を返せば、少なくとも当座はヒムラー長官もロンメル元帥の意向を無視は出来ないはずです。彼らは東部戦線が破局を迎えようとしている今も英日との戦争を続けようとしています。

 もはや、この戦争を正しい形に引き戻すことができるのは、閣下だけなのです」



 シェレンベルク准将は言い終わると一歩下がっていた。すでに言うべきことはすべて語り尽くしていたのだ。

 暫くの間、ゲーリング国家元帥は執務机の上の自分の手のひらを閉じたり開いたりとしながら悶々と考え込んでいるようだった。


 しばらくして再び顔を上げると、ゲーリング国家元帥の顔つきはまた一変していた。先程までの絶望した表情でも、最近見せていた憂いを帯びたものでもなく、確固たる信念が伺える顔立ちになっていた。

 だが、ゲーリング国家元帥の口をついてきたのは意外な言葉だった。

「ラマースは何処にいるか把握しているか」



 意表をつく名前にシェレンベルク准将とケラー中尉は顔を見合わせていた。もっとも、二人共視界の隅にうつるカナリス提督が一瞬嫌そうな顔を見せたのは見逃さなかった。

 意外な名前だった。内閣官房長官を務めるラマースはナチス党の古参幹部でもある大物ではあったが、親衛隊の様な戦力や宣伝省の様な外部への影響力を持つ機関などを掌握しているわけでは無かったからだ。


 シェレンベルク准将が黙ったままだったので、ケラー中尉は首を傾げて記憶を辿りながら言った。

「確か暫くは総統大本営で閣議が開かれる予定が無かったので、ラマース官房長官もベルリンの総統官邸で執務をとられている筈です。

 時間が時間なので、官邸ではなく自宅におられるかも知れませんが」


 ケラー中尉がそう言うと、ゲーリング国家元帥は鋭い瞳で中尉を見つめながら言った。

「君はケラー中尉だったな。中尉はこれから部下を連れて何としてでもラマースを確保してくれ。

 奴めの仕事は口と頭、それにサインをする片手さえあれば事足りる。私の陣営に加わるのを嫌がって確保に手間取るようなら、手足の一本へし折っても構わん」

 物騒な声でそう言うと、ゲーリング国家元帥はシェレンベルク准将に向き直っていた。

「私を焚き付けた責任は重いぞ、准将。君には運転手をやってもらう。まずは我がHG師団を抑える。車を玄関に回しておけ」


 一転して慌ただしく動き始めたカリンハルの中で、ゲーリング国家元帥に追い立てられるように飛び出しながら、ケラー中尉はふと我に返っていた。

 ―――結局、何をしてもらうためにラマース官房長官を連れてこなければならないのだ……

 その理由をケラー中尉が知ったのは、しばらく先のことだった。

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