1944総統暗殺5
シュタウフェンベルク大佐達を乗せたHe111が降り立ったベルリン郊外の飛行場は、妙に閑散としていた。
危うい所だった。太陽はすでに西の地平線で赤く輝きながらも沈もうとしていた。夏の夜はまだ明るいが、この薄明も長くは続かないはずだった。
だが夕陽に照らされた飛行場は、シュタウフェンベルク大佐達が東プロイセンの総統大本営に飛び立った時は、もう少し活気があったはずだった。
この飛行場には輸送時に立ち寄るものなどを除けば戦闘機隊などは配属されておらず、もっぱら輸送機や連絡機の運用が行われているに過ぎなかったが、輸送機の群れが飛び立つこともあった。
だが、今は整備隊や飛行場管理隊の兵員が何人か手持ち無沙汰にしているのが見えるだけで、飛行場には奇妙な程の静けさが漂っていた。
シュタウフェンベルク大佐とヘフテン中尉は、困惑したまま顔を見合わせていた。機体を降りて、三々五々といった調子で集まってきた整備兵に状況を尋ねても要領を得ない返事が返ってくるばかりだった。
飛行場は昼過ぎから離着陸機が途絶えているらしい。その頃東へ飛んでいく編隊を見たというものもいたが、時間からしてそれは東プロイセンでシュタウフェンベルク大佐達も聞いていた戦闘機隊だろう。
しかし、飛行場管理隊などへの命令は途絶えていた。それも定時連絡なども絶えてしまっているらしい。まるで上級司令部が消滅してしまったかのようだった。
というよりも電話も繋がなくなっているらしい。もしかすると交換所かどこかで通信の遮断が行われているのかもしれない。
ワルキューレ作戦によってベルリンが制圧されたのかとも考えたが、空軍の部隊を動かす予定は無かったから、国内予備軍以外の部隊も動いているということになる。
クーデター計画ではとりあえず空軍の存在は無視していた。空軍の地上部隊の戦力は少なかったし、クーデター鎮圧に戦闘機隊などが駆り出されるとも思えない。
実質的には更迭されたというゲーリング国家元帥はともかく、クーデターに成功すれば空軍の指揮官にはその時に話をつければいい。それが同志達の大凡の意見だった。
それがクーデター計画にとって有利なことなのかどうかもかも分からなかったが、ベルリンで予想外の事態が起こっているのは確実なようだった。
予定ではシュタウフェンベルク大佐達を迎えに国内予備軍から車輌がよこされるはずだったがそれもなかった。
しばらく状況を確かめてから、それ以上の情報が集まらないことを確認するとシュタウフェンベルク大佐は決断していた。ベントラー街に電話も通じない以上は、飛行場の車輌を借用してでもベルリン市街地に向かうしかない。
シュタウフェンベルク大佐が国内予備軍の名を出すと、あっさりと飛行場管理隊は一台のキューベルワーゲンを貸してくれた。だが管理棟の裏で貸し出されたキューベルワーゲンを見たシュタウフェンベルク大佐とヘフテン中尉は大きくため息をついた。
やけに簡単に管理隊が貸してくれるはずだった。そのキューベルワーゲンは走り出す前に今にも自壊しそうなぐらい草臥れていた。空軍の所属を示す標識のあたりには何度も塗り返された後があった。おそらく軍に納品されてから持ち主が何度も代わっているのだろう。
いつまでもここでため息をついていても仕方が無い。車の草臥れた跡も歴戦の兵の証拠だと自分に言い聞かせると、シュタウフェンベルク大佐はヘフテン中尉にうなずいて見せた。
管理隊は車輌は貸してくれても、運転手は貸してくれなかった。そのせいで運転手はヘフテン中尉が務めることになった。
階級には差があったが、シュタウフェンベルク大佐とヘフテン中尉は同世代だった。予備役召集を受けた中尉と、士官学校を卒業してからエリートコースを進んだ陸軍将校団生え抜きの大佐との間には軍歴の違いがあるからだ。
ヘフテン中尉は召集を受けるまでは銀行に務めていた。そのせいか数字にも強く、国内予備軍参謀長付きの副官としては重宝する人材だったのだが、運転席に座った姿はあまり様にならなかった。
高級将校の移動とはとても思えなかったが、非常事態なのだからやむを得なかった。いまは最優先でベントラー街の国内予備軍司令部へと移動して状況を把握しなければならないからだ。
ヘフテン中尉がエンジンをかけると、一応整備はされているのかキューベルワーゲンは一度唸ると軽快なエンジン音を唸らせた。
そのままゆっくりとヘフテン中尉はキューベルワーゲンを前進させた。意外なほど素直な反応を返す車両に満足すると、中尉は助手席に座るシュタウフェンベルク大佐に振り向いた。
「この車は、見てくれは悪いですが中身は十分に整備されているようです。ベントラー街までは持つでしょう」
シュタウフェンベルク大佐は肩をすくませて苦笑しながらいった。
「そう願いたいものだな。とにかく君が運転を覚えている間に司令部の同志達のところへ急ごう」
シュタウフェンベルク大佐が促すと、ヘフテン中尉も力強くうなずいてからアクセルを踏み込んでいた。
しかし、飛行場の敷地を出ようとしたところで、ふとシュタウフェンベルク大佐はかすかな物音に気がついて顔を上げた。アフリカやロシアで何度も聞いた音が聞こえていた。しかし、ベルリン郊外の飛行場に鳴り響くのは奇妙だった。
その違和感のせいで運転席のヘフテン中尉に警告するのが遅れてしまった。召集を受けて東部戦線に従軍していたヘフテン中尉も、久々に聞く音を聞き逃していたようだった。
気がついたときには飛行場を周囲から覆い隠すかのような小高い丘の影から、二人が乗ったキューベルワーゲンに向けて二号戦車とシュビムワーゲンが1両ずつ滑り込むようにして現れていた。
すでに回避する余裕はなくなっていた。ヘフテン中尉は顔を真っ青にして急ブレーキを掛けていたが、どうやら突然の出現に驚いているのは相手も同じらしく、二号戦車は履帯を軋ませながら貧相な規格の道路上を横滑りしながら停止した。
二号戦車の後ろにいたシュビムワーゲンのほうはブレーキが間に合わなかったのか、二号戦車の背後に金属音を放って接触してから停止していた。
シュタウフェンベルク大佐たちのキューベルワーゲンは、急制動を掛けた二号戦車の直前で停止していたが、その隙間はごく僅かしかなかった。
すぐに、停止したシュビムワーゲンから、苛立ったように顔をゆがませた若い大尉が降りると、背後の部下を促してシュタウフィンベルク大佐のほうに向かってきた。まだ朦朧としているような大尉の部下は、それでも短機関銃MP40を構えて従ってきた。
シュタウフェンベルク大佐も状況がよくつかめないままキューベルワーゲンから降り立っていた。
その間に、すばやく大佐は二号戦車やシュビムワーゲンに描かれた記章を読み取ろうとしていた。結果は意外なものだった。実働部隊では無くベルリン郊外にあって戦車兵を教育する機甲学校の所属車輌だったのだ。
今時大戦開戦頃にはドイツ軍機甲部隊主力の一翼を担った二号戦車だったが、火力、装甲共に貧弱さは隠しきれずに前線配備を解かれていた。その後は後方警備などほ補助任務につけられていたから、この二号戦車も機甲学校の教育用機材として使われているのだろう。
だが、二号戦車の所属は分かったものの、不可解な部分は残った。軍制度改革によってドイツ本土内の教育機関であるにも関わらず、機甲学校は国内予備軍の管轄から外されていた。
戦車部隊の教育、補充の権限を持つ機甲兵総監が設けられていたからだ。あるいは戦線の拡大、長期化によって国内予備軍の負担が大きくなり過ぎたための処置だったのかもしれない。
何れにせよ、クーデターのために国内予備軍司令部から出されるワルキューレ作戦では、正規のやり方では機甲部隊は動員することは出来ないはずだった。
ただし、クーデター計画に機甲部隊が無視されている訳ではなかった。同志が密かにベルリン周辺の部隊に接触して協力を仰ぐ手筈となっていた。
確か接触する部隊の中には機甲学校も含まれていた筈だった。もしかするとクーデター派の同志が抑えた部隊が迎えをよこしたのかもしれない。
だが、シュタウフェンベルク大佐のところまで肩を怒らせて近寄ってきた大尉は、素早く腰のホルスターから拳銃を抜いて大佐へと向けた。
「国内予備軍参謀長のシュタウフェンベルク大佐殿……ですな。自分は機甲学校付のシュナイダー大尉であります。
大佐、あなたを逮捕するよう命令が出ています。ご同行願います」
シュナイダー大尉は口調こそ丁寧だったが、シュタウフェンベルク大佐に向けた拳銃の銃口は微動だにしなかった。
大佐は呆気にとられて、護身用に持ち歩いていた私物のブローニング拳銃を抜く暇も無かった。親衛隊ならばともかく、まさか同じ国防軍の士官から銃を向けられるとは思いもしなかったからだ。
運転席のへフテン中尉は咄嗟に運転席ドアに固定されていたMP40短機関銃を取り出そうとしたが、それよりも早く大尉の部下達から短機関銃を向けられてしぶしぶ手を上げていた。
シュナイダー大尉は、手を上げたヘフテン中尉を一瞥するとシュタウフェンベルク大佐にいった。
「シュタウフェンベルク大佐。あなたには反乱の容疑がかけられています。司令部まで同行してもらいます。もちろん副官も一緒にです」
数秒間目を閉じたシュタウフェンベルク大佐は素早く考えをまとめた。シュナイダー大尉はともかく部下の兵士達全員がナチス党の支持者であるとは思えない。
勝ち目の無い戦争を始めた現在のナチス党指導者に対して反感を抱いているドイツ国民は少なく無いと思ったからだ。潜在的なクーデター支持派は国防軍内部にも多数存在するはずだ。
それならばまだ兵たちを説得することは不可能ではないはずだった。
目を開けてシュナイダー大尉のしかめっ面を感情のこもらない目で見つめると、シュタウフェンベルク大佐は言葉を選びながらゆっくりといった。
「聞いてくれ。私は決して野心から決起したのではない。我々は皆、祖国に忠誠を誓った。だが祖国を率いる総統はどうだ」
そこでシュタウフェンベルク大佐は言葉を切った。シュナイダー大尉や部下に考えさせる時間を与えるためだ。
そのシュナイダー大尉は、押し黙って拳銃を構えたままシュタウフィンベルク大佐を凝視していたが、制止したり同調する気配はなかった。
「残念だが答えは否だ。総統は幾度も祖国を裏切った。フランスを支配し、ロシアに侵攻し、アフリカで血を流した。その結果祖国は全てを敵に回している。
思い出すのだ。諸君らの父や兄、友が戦場で倒れたのは誰のせいなのかを、そしていまだ戦争を拡大しようとしながらのうのうと指導者の位置に座っているのが誰なのか」
シュタウフェンベルク大佐は背後で兵士達が動揺しているのを感じていた。もう一押しで説得することが出来る。それを実感していた。
それまで黙っていたシュナイダー大尉は、表情を曇らせて手にした拳銃の銃口を下げていた。
シュタウフェンベルク大佐は安堵のため息をつきかけた。どうやらシュダイナー大尉も自分たちが決起した理由を理解してくれたようだった。
だが次の瞬間に銃声が聞こえた。それと同時にシュタウフェンベルク大佐は、右足に赤熱した鉄棒を押し当てられたような熱と衝撃を感じていた。
意識に反してシュタウフェンベルク大佐は立っていることも出来ずに倒れこんでしまったいた。視界の隅に9ミリ弾に撃ち抜かれて血が噴出している右足と大佐の下に駆け寄ろうとして兵士に制止されているヘフテン中尉の姿が見えていた。
「残念です。小官も非常に残念なのです。一級鉄十字章まで授与されたほどの英雄が党と祖国を裏切り、誇りを失ってよもや総統までも侮辱なされるとは……」
シュタウフェンベルク大佐は、呆気にとられて彼に残されていた右目でシュナイダー大尉を見ていた。大尉はどこか芝居がかかった様子で残念がっていた。
シュナイダー大尉の右手に握られている拳銃の銃口から硝煙が上がっており、そのうえになぜ今まで気が付かなかったのか、大尉の制服にはナチス党員を示す記章が輝いていた。
この戦争でここまで生き残った自分の命運も尽き果てた。シュタウフェンベルク大佐はそう思っていた。
軍用車輌ではない軽やかなエンジン音が聞こえてきたのはその時だった。