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1944総統暗殺4

 東プロイセンの総統大本営からベルリンへと向かうHe111の狭い機内で、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、副官のヘフテン中尉と難しい表情で何度も時計に目をやっていた。今日ほど時間が経つのが遅く感じる日はこれまでになかった。



 その日、シュタウフェンベルク大佐達は総統大本営で作戦会議を行っていたヒトラー総統の暗殺を試みていた。

 大佐達がとった方法は、以前にドイツ官憲に拘束されていた英国の工作員が所持していた爆弾を流用するというものだった。

 仮に爆発物の残骸が発見された時は、シュタウフェンベルク大佐たちドイツ国内の反ナチスグループではなく、イギリス諜報部を犯人と誤認させられるのではないかと考えていたからだ。

 もっともその可能性は実際には限りなく低かった。いくら英国の情報部が卓越した能力を有しているとはいえ、警備体制の充実した総統大本営の中でも特に警戒厳重な総統用執務棟の地下にある会議室にまで爆弾を持ち込めるはずも無いからだ。


 会議中の爆破自体は成功したが、彼らの行動自体は綱渡りといってもよかった。直前に会議開始時間を繰り上げられた為に二つ準備した爆弾を両方とも書類鞄に仕込んだのは会議に出席する直前になってしまっていた。

 僥倖だったのは、作戦会議が開始された直後にはまだ国内予備軍からの報告が求められていなかったことだった。


 シュタウフェンベルク大佐が参謀長を務める国内予備軍は、文字通り最前線を除く国内に駐留する全軍の管理、補充を担当する部署だった。

 最前線に展開する各方面に対して補充の部隊を送り込むのが主な任務だが、将兵だけではなく各種装備の補充をも担当する為に、軍需産業の指導を含む強い権限が持たされていた。



 ただし、国内予備軍の権限は実際の戦場には及んでいなかった。後方で再編成中の部隊を管理することはあっても、基本的に戦闘時に部隊の指揮を取ることはないのだ。

 ヒトラー総統の暗殺を実行した作戦会議において、国内予備軍の報告が緊急の案件よりも後回しになったのはそのような理由があったためだろう。まずは大きな動きのあった最前線からの報告が優先されていたのだ。


 これは暗殺を実行したシュタウフェンベルク大佐たちにとって見れば僥倖だった。最前線からの報告が何なのかは作戦会議の前半に参加していなかったからよく分からなかったのだが、何らかの大きな動きがソ連軍にあったことだけは確実だった。

 そこで、会議において総統に予備兵力に関する最新情報を報告する必要があるという名目で、国内予備軍司令部に現状を問い合わせる時間を設けてもらったのだ。


 だが、シュタウフェンベルク大佐の命を受けたヘフテン中尉がベルリンの官公庁街であるベントラー街にある国内予備軍司令部と連絡をとったのは事実だが、その内容は最前線に移動可能な予備部隊の最新状況などではなかった。

 地中海での戦闘で片目と片手を失ったシュタウフェンベルク大佐が不自由な体で2つの爆弾の信管を設定する時間を稼ぐ為に、司令部勤務の同志と連絡をとっていたのだ。



 その後も綱渡りは続いた。爆弾入りの書類鞄を配置したのは、作戦会議が行われていた総統用地下壕内の会議室だったが、作戦会議の途中で入室したシュタウフェンベルク大佐を出席者達は一斉に鋭い目で見つめていた。

 その異様な視線にシュタウフェンベルク大佐は総統暗殺の企みが暴露されたのではないか、一瞬そこまで考えてしまったほどだった。それに思っていたよりも会議の出席者が多かった事も気になっていた。


 シュタウフェンベルク大佐の考えが杞憂であったことはすぐに分かっていた。隻眼の大佐の顔を見た出席者達の多くがすぐに視線を反らしていたからだ。どうやら、単に作戦会議の内容に殺気立っていただけらしい。

 その中でも、ヒトラー総統本人はシュタウフェンベルク大佐の入室に気がついてもいないような様子で、一心に巨大な会議卓の上に広げられた地図を見つめていた。

 すぐ脇に控えているカイテル元帥などが総統に何かを囁いているようだったが、その内容までは分からなかった。


 それに、シュタウフェンベルク大佐にとって作戦会議の内容自体にはさほど興味はなかった。さり気ない動作でヒトラー総統の近くに爆弾入りの図面鞄を置くと、大佐は時間を計り始めていた。

 この図面鞄を総統近くにおいた時点で、シュタウフェンベルク大佐のここでの仕事は殆ど終わったものといってよかった。ただし、すぐに会議室を出ていくことは出来なかった。

 いくら何でもそれでは怪しまれる筈だった。シュタウフェンベルク大佐はさり気ない様子で時計を確認していた。ヘフテン中尉が時間を見計らって呼びに来るはずだったからだ。



 シュタウフェンベルク大佐がやきもきする間も作戦会議は続いていた。会議の途中からだから詳細は分からないものの、国内予備軍管轄の予備戦力にまで話が伸びるにはまだ時間が掛かりそうだった。

 ふと気になって、シュタウフェンベルク大佐は会議卓上の地図に目を向けていたが、すぐに大佐は眉をしかめることになった。事前に聞かされていた戦況とは随分と現状との乖離が大きかったからだ。

 ドイツ軍側では、ソ連軍の夏季攻勢の重点をバルト海沿いと睨んでいた。最前線からの音響観測や偵察機などから得られた情報からすると、ソ連軍戦力の移動は北方に集中していたし、これを支援するために用意したと思われるソ連海軍の艦隊も最近になって確認されていた。


 ところが、実際にソ連軍の攻勢が本格的に開始されたのは、南北と中央に3分割された東部戦線のうち中央軍集団の担当戦域のようだった。

 最高司令部の読みは外されていた。理由は明らかだった。ドイツ側が予想していたよりも遥かにソ連軍の欺瞞が巧みだったのだ。

 ソ連軍は、最初に南方軍集団前面で行動を開始していた。いくつかの師団が攻勢準備と思われる射撃を開始していたのだ。ただし、この行動は当初から陽動であるとドイツ軍上層部は判断していた。

 前線の師団長クラスでは、本格的な攻勢が開始されたのではないかと考えていたものもいたようだが、南方軍集団を率いるマンシュタイン元帥はこれに否定的だった。


 そして、南方での攻勢開始からしばらくしてから、バルト海沿いでもソ連軍の行動が確認されていた。今日の作戦会議は元々このドイツ軍上層部が予め予想していた北方軍集団前面での動きに対処する為のものだった。

 少なくとも、シュタウフェンベルク大佐達がベルリンを飛び立った頃にはその様に言われていたのだ。


 ところが、更に時間差をおいてソ連軍は戦線中央部で攻勢を開始していた。当初はこれも北方からドイツ軍の戦力を抽出させるための陽動と考えられていたのだが、時間が経つにつれて本格的な攻勢であることが明らかとなっていた。

 ソ連軍が投入した火力は圧倒的だった。地上部隊の火砲だけではなく、長距離爆撃機や襲撃機までの航空戦力もかなりの数が導入されているようだった。この火力を叩きつけられた中央軍集団の被害は甚大だった。

 地図上に再現された部隊配置は、すでに歯抜けになりつつあった。前線では火力と機動力にまさるソ連軍による突破が開始されているのだろう。



 行動を開始していたのはソ連地上部隊だけではなかった。レニングラードに集結していたソ連艦隊が出撃してきたらしい。

 ただし、こちらに注目しているものは少なかった。ドイツ海軍もバルト海で艦砲射撃任務についていた艦艇を再編成して迎撃部隊としていたからだ。

 艦砲射撃を行っていたのは、元装甲艦の重巡洋艦二隻を含む巡洋艦部隊だった。これにくわえてゴーテンハーフェンで損害復旧、改装工事を行っていたグナイゼナウまで工期を切り上げて出撃する事になっているらしい。


 ソ連海軍バルト海艦隊の根拠地であるレニングラードは一時期はドイツ軍の包囲下にあった。艦隊の最有力艦と言えるガングート級戦艦も同市をめぐる戦闘でドイツ空軍の急降下爆撃機に撃沈されたという情報もあった。

 バルト海の入り口であるカデカット海峡は今のところドイツ軍の勢力圏内にあったから、ソ連海軍バルト海艦隊が補充を受ける可能性は無いのだろう。



 ―――艦隊戦力で優位にある以上は、バルト海の制海権はこちらにあるということか、そうなると危険なのは艦砲射撃の援護のあるバルト海沿いの戦域ではなく中央の……

 シュタウフェンベルク大佐は言いようの無い不安感を覚えていた。このままここで持ち込んだ爆弾を爆発させても良いのか、そう迷っていたのだ。

 だが、唐突にシュタウフェンベルク大佐の考えは断ち切られていた。ベルリンの国内予備軍司令部が大佐を呼んでいる。そのような声が聞こえてきたからだ。

 予定通りだった。国内予備軍司令部からの電話自体は本物だったが、その目的はシュタウフェンベルク大佐が会議から抜け出す口実を作る為でしかなかった。ほんの一瞬だけ大佐は迷っていたが、すぐにヘフテン中尉を伴って総統専用壕から脱出していた。



 だが、その後の経緯は不可解なものだった。

 二人が背にした総統壕からは、まるで重砲が着弾したような衝撃を確認したから持ち込んだ爆弾が起爆したことは間違いないが、事態に対処する消防隊の活動や検問所の守備兵の手によって総統大本営の敷地を出るまでの間にでかなりの足止めをくらってしまっていた。


 だから、総統大本営から脱出することには成功したものの、到着したベルリンの飛行場では事態を察知した親衛隊などによって暗殺実行犯であるシュタウフェンベルク大佐達を逮捕するために十重二十重に包囲されている可能性もあった。

 二人が乗り込んだHe111が総統大本営の近くの空港から離陸するのも遅れていた。こちらは総統大本営の混乱とは無関係らしい。He111の搭乗員達によれば、昼前から戦闘機隊の移動が優先されて輸送部隊は足止めされていたようだった。



 He111が離陸した時、すでに太陽は中天を越えて西に向かっていた。その沈み込もうとする太陽を追いかけるようにHe111はベルリンに向かって飛んでいた。この分では真正面に太陽を捉えてしまう操縦席の搭乗員は眩しい思いをしていそうだった。


 事前に定められた作戦計画では、国内予備軍の緊急動員計画を流用したワルキューレ作戦の発動によって、ベルリン市街は国防軍の手で制圧されることになっていた。

 だが、ベルリン近郊には、いくつかの武装親衛隊指揮下の部隊も駐留していた。国防軍はシュタウフェンベルク大佐達国内予備軍司令部の命令によって抑えることも可能だと考えられていたが、武装親衛隊は手持ちの部隊を投入して制圧する必要があると考えられていた。


 しかも貴重な国内予備軍手持ちの部隊も作戦発動初期はベルリン市街の要地制圧に投入しなければならないはずだった。国内予備軍司令部が直接抑えている兵力はそれほど大きなものではなったからだ。

 それに、ワルキューレ作戦を発動させたとしても、最近になって行われた軍制改革の影響で国内予備軍司令部が正規の手段で指揮系統に組み込める部隊には強力な打撃力をもつ機甲部隊は含まれていなかった。


 クーデター計画の同志の働きで機甲学校などの部隊を動員する計画もあったが、その間に武装親衛隊がいち早く行動している可能性は否定できなかった。

 しばらく考えていたが、いい考えが思い浮かぶわけもなかった。もともと結論など出しようも無い。これから先は運任せでしかない。


 しかし、ベルリンにたどり着いた彼らを待っていたのは、思いもよらない事態だった。

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