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1944総統暗殺2

 ファリナッチを乗せた専用列車は、予定を大きく遅れて目的地に到着していた。


 本来の予定では、到着時間からヒトラー総統との会談が開始されるまでは時間があったはずだが、実際には到着時間は定められていた会談開始時間とさほど変わらない時間になってしまっていた。

 最も、ファリナッチには実害は無さそうだった。どのみち早く着いたところでやることも無かったのだ。これ迄の経験からすると、ただ無為な時間を過ごすだけだった筈だ。


 目的地となっていたのは、東プロイセン州に設けられた狼の砦と呼称される総統大本営の一つだった。ヒトラー総統は、東部戦線の開設後はベルリンよりも最前線に近いここで執務を取ることが多いらしい。

 既に最前線はソ連軍に押しやられて西へと次第に移動していたのだが、厳重な防護体制にある総統大本営の様子に変わりはなさそうだった。



 総統大本営に設けられた引込線のホームに降り立ったファリナッチは意外そうな表情を浮かべていた。

 ヒトラー総統を含む貴賓を迎えることも多いホームには、総統の趣味なのか簡素ながら頑丈そうな待合室が設けられていた。その待合室の前には、所在投げな様子の男達が立っていた。


 多忙なヒトラー総統が、属国扱いを隠そうともしなくなっていたイタリアの首相である自分を出迎えるとは、ファリナッチも当初から考えていなかった。

 これがナチス党の政権奪取前からイタリア首相であったファシストの先輩であると言っても良いムッソリーニ統領であれば話は別だったのだろうが、初めてあった時からヒトラー総統はファリナッチを明らかに軽視している気配があった。

 だからファリナッチを出迎える人間があっても実務者である下級官僚や護衛部隊の尉官といったところだろうと考えていたのだが、予想に反してホームに居たのはヒムラー親衛隊長官とゲッベルス宣伝大臣の二人だった。


 高官中の高官である二人が共にホームで待ち受けているのは、ファリナッチにとって予想外のことだった。ヒトラー総統ほどではないにせよ、二人共多忙であるはずだし、それにヒムラー長官はともかくゲッベルス宣伝大臣はもっぱら情報網が集中しているベルリンの宣伝省で勤務していると聞いていたからだ。

 だが、ファリナッチはすぐに違和感を覚えていた。ヒムラー長官もゲッベルス宣伝大臣もホームに降り立ったファリナッチを迎えようとはしなかった。それに、二人共怪訝そうな顔でファリナッチを見ていたのだ。



 違和感を覚えたまま、ファリナッチは待合に近付こうとしていたが、待合の建屋に辿り着く前に背後で重々しい軋み音が聞こえていた。慌ててファリナッチが振り返ると、彼らを降ろしたばかりの列車が早くも走り始めたところだった。

 ファリナッチは眉をひそめていた。不思議そうな顔をしていたのはファリナッチだけではなかった。随員達も多くが戸惑った顔になっていたのだ。


 主要な随員達は全員が降り立ったようだが、ホームに降り立った随員の数からすると、ざっと見ても下級職員はまだ車内に残っているものがいるはずだった。

 別に彼らがゆっくりとしていた訳ではなかった。首相専用列車の中には少なくない数量のレセプションや通信用の機材も積載されていたのだ。

 いくらイタリア社会共和国が実質的にはドイツの傀儡だとはいえ、政治的には独立した国家だった。首相であるファリナッチが移動する際はある程度の政務が行える様に、最小限に留めたとしてもかなりの数になる機材が必要だったのだ。


 ところが、それらの機材を載せたまま列車はホームから出ようとしていた。唖然としていたファリナッチだったが、すぐに手近な所にいた職員に食って掛かっていた。

 だが、職員の言うことは要領を得なかった。怒髪天をつく勢いのファリナッチに対してしどろもどろになりながらも首を傾げるばかりだったのだ。


 どうも妙だった。ファリナッチや随員は外交上の非礼として状況を捉えているのに対して、ホームにいた職員は単なる業務としか考えていなかったのだ。

 状況を質す神経質そうな男の声が聞こえたのは、そんな時だった。



 ファリナッチが慌てて振り返ると、眉をしかめたヒムラー長官が割って入ろうとするところだった。苛立たしい表情でファリナッチは何事かを言いかけたが、それよりも早くヒムラー長官は職員の顔に目をむけていた。

 職員は、慌ただしくヒムラー長官に弁明を続けていた。恐ろしく早口のドイツ語は、ファリナッチには咄嗟に理解するのは難しかった。一通り話を聞き終えたヒムラー長官は、顔色一つ変えることなく職員に手で払う所作で追い払っていた。


 明らかに安堵した様子の職員が小走りで去っていくと、ヒムラー長官はようやくファリナッチに向き直っていた。

「次の列車が間もなく到着しますので、ホームを空けておくために首相の列車は移動させたそうです。貴賓用のホームはこれ一本しかありませんからな。まだ荷物があるそうですが、貨物用のホームで積み下ろし作業を行うように命じておきました。

 ところで、ファリナッチ首相は今日は何の御用でこの狼の砦まで来られたのですかな」


 ヒムラー長官の言葉は丁寧なものだったが、その態度は慇懃無礼を絵に描いたようなものだった。だが、それも無理はないのかもしれなかった。ファリナッチは諦めの境地でそう考えていた。


 外交上は枢軸国の同盟関係にあるイタリア社会共和国の首相であるファリナッチはヒトラー総統と同格ということになるのだが、実際の権勢には大きな差異があった。

 イタリア社会共和国はイタリア半島北部に押し込まれて次第に勢力を減少させ続けていた。その軍事力はドイツ軍と比べるのもおこがましかったからだ。


 それに対して、ヒムラー長官が率いる親衛隊の権力は強大だった。

 ナチス党が政権奪取するまでは単なる自衛組織であったそうだが、政権を握った後はヒトラー総統にすべての権力が集中するように、親衛隊も段階的に権限の強化が計られていた。

 陸海空軍に次ぐ第四の軍隊として武装親衛隊の存在が認められて久しかった。それに一般親衛隊として分けられた従来の組織も、治安維持、諜報といった本来は国家が有する機能の取り込み、強化が行われていた。

 武装親衛隊は、陸軍によってドイツ国内からの徴募に制限が課せられていたが、それを逆手にとって占領地のドイツ系市民などを対象とした義勇師団や捕虜からの志願者による親衛隊所属師団の新設によって拡大を続けていた。


 もちろん武装親衛隊の各隊は戦域を統括する指揮官の指揮下にあるのだが、それでもヒムラー長官の権限は僅か2個師団すら満足に編成できないイタリア社会共和国ごときでは対抗できるものではなかった。



 ファリナッチが微妙な立場のヒムラー長官に対して言葉を選んでいると、するりと近づいていたゲッベルス宣伝大臣が笑みを浮かべながら言った。

「ようこそファリナッチ首相、今日は確か我が総統との会談が予定されておりましたな。宣伝省の報道班がお二人の親密な様子を撮らせてもらう予定です……

 しかし、予定は大きくずれ込むかもしれませんぞ。我が総統は将軍達と作戦会議中ですので」

 細面には笑みを浮かべてはいたものの、ゲッベルス宣伝大臣の表情はどこか作り物じみていた。その点では侮蔑の色を隠しきれないヒムラー長官のほうがよほど人間くさいかもしれなかった。


 ファリナッチも内心の嫌悪感を押し殺しつつ言った。

「何か緊急事態が生じたのですかな。随分と道中も騒がしかったが……」

 ドイツ本国に入った辺りから、ファリナッチが乗り込んだ首相専用列車は、何度も引込線などへの退避を余儀なくされていた。同盟国首相の専用列車である事を示した後も、ドイツ国鉄職員は有無を言わさぬ態度で強引に作業を行っていた。

 事情はファリナッチを足止めした国鉄職員も知らされていなかったようだが、軍の移動にかなりに優先権が与えられていたのは確かだったらしい。

 移動する部隊は多いらしく、将兵を乗せた客車に加えて戦車や砲などの重装備を載せた無蓋貨車を何両も連ねた長大な編成の列車が何度も東へと向かって行くのをファリナッチも待避線に停車中の列車から見ていたのだ。



 ゲッベルス宣伝大臣に代わって、ヒムラー長官が何でも無い事のように言った。

「ソ連赤軍に大きな動きがあったのですよ。奴らはバルト海沿いの北方軍集団前面に戦力を集結させて一気に東プロイセンに攻め込もうとしているのです」


 ヒムラー長官は顔色一つ変えずに言ったが、ファリナッチは自分のいる場所にソ連軍が攻めてくると聞いて呆気にとられていた。その表情に満足したのか、ヒムラー長官は皮肉気な口調で続けた。

「ご安心ください。すでに我が軍の参謀達はこれに対応する作戦を立案し、すでに実行中ですよ。首相も兵力の大規模な転換をご覧になったのではないかな。

 共産主義者共はどうやら南方で行われている陽動作戦で我が軍を引き付けていると判断しているようだが、我がドイツはそのような児戯に引っ掛かるほど間抜けではない。奴らが油断してバルト海沿岸を進んでくれば、集結した我が装甲部隊と東プロイセン沖に遊弋する海軍の艦砲射撃部隊によって殲滅されますよ。

 首相も安心して我が軍の勝利を御覧ください」



 ファリナッチには従軍経験はほとんど無かった。

 ファシスト党幹部の中には先の大戦中に山岳兵として激戦区で活躍したバルボ元帥のようなものもいたが、ファリナッチの場合は党幹部としての泊付の為に一時期従軍していただけのようなものだった。

 だから軍のことは殆ど分からなかったのだが、ふとファリナッチは思い出していた。偉そうな事を言ってはいるが、ヒムラー長官もゲッベルス宣伝大臣も従軍経験は無い筈だった。


 そういう目で見れば、ゲッベルス宣伝大臣が白けたような顔をしているのも、そのことに気がついたせいかもしれなかった。

 ファリナッチは、段々と馬鹿馬鹿しく思えて来ていた。どうせヒムラー長官も誰かの受け売りを話しているだけなのだろう。もしもヒムラー長官が深く事態に関わっているのであれば、こんな所ではなく作戦会議に参加しているはずだったからだ。



 ふと気にかかってファリナッチは首を傾げていた。確かに軍事的には素人同然だったとしても、ヒムラー長官が会議の場から姿を見せないというのはどういうことなのか。それにゲッベルス宣伝大臣がベルリンの宣伝省を離れているのもおかしなことだった。


 だが、ゲッベルス宣伝大臣はあっさりとした口調でファリナッチの疑問に答えていた。

「そろそろ、エッカート老が到着する時刻ですな」

 ファリナッチは唖然として聞いていた。二人の要人が待っていた相手のエッカートは、ナチス党の初期から活動に加わっていた古参中の古参だった。というよりも、ヒトラー総統が入党する以前にナチス党を結成した一人だったのだ。

 党の初期からの幹部たちの多くは党内外の政争等によって次々と表舞台から姿を消していったが、エッカートはその例外だった。実行動よりも強烈な民族主義からなる思想家としての面が強かったせいかもしれなかった。


 しかし、現在のエッカートはナチス党の特別顧問という長老格に対する名誉職の他には何の役職も与えられていなかった。ナチス党が政権を確保した頃から、老齢を理由に半ば隠遁生活を送っていたのだ。

 今でもヒトラー総統などからの信頼厚い要人ではあったが、政府の関係者ではなかった。



 ファリナッチは脱力感に襲われていた。結局の所は、ナチス党はごく狭い身内の関係を国際関係にまで引き摺る田舎者に過ぎないと考えていたからだった。そんなファリナッチの様子に気が付かなかったのか、ゲッベルス宣伝大臣が言った。

「首相もエッカート老をお待ちしますか。なんと言っても国家社会主義活動家の生き字引のような方だ。貴重なお話が聞けるかもしれませんぞ」


 ファリナッチは顔の引きつりを覚えながらもお世辞笑いを浮かべながら断っていた。

 内心では冗談ではないと考えていた。エッカート老人個人の経歴はともかく、ファリナッチ達ファシスト党の方がナチス党よりもいち早く国家社会主義政権を打ち立てた先輩格なのだ。

 もちろん、この場でそんなことを言ったところで意味は無かった。長旅で疲労しているとでも言って、早くこの場を立ち去りたかった。



 だが、ファリナッチがなにか言うよりも早く異変が起きていた。最初は軽い炸裂音だった。ソ連の爆撃が始まったのかと思ってファリナッチは身構えたが、炸裂音は一度きりだった。

 怪訝そうな顔を見合わせていると、敷地内から薄黒い煙が上がっているのが見えていた。

 総統地下壕の方だ。誰かがそう囁くのを、ファリナッチはぼんやりと聞いていた。

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