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1944断章 イタリア戦線5

 ウランフ中将とセミューノフ大尉の計画は壮大なものだった。ドイツ軍指揮下にある元ソ連軍捕虜を集団的に脱走させて、その人員でロシア帝国指揮下の遠征軍を編成しようというのだった。

 シベリア―ロシア帝国から国際連盟軍に司令部要員として派遣されているアバカロフ中尉に対して、締め切った幕舎の一角でドイツ軍の捕虜となっていたセミューノフ大尉は熱っぽい口調で説明を続けていた。


 このような説明の作業には慣れているのか、セミョーノフ大尉の説明は滑らかなものだった。要所々々にウランフ中将や孔飛上尉の補足が入るものの、大尉の説明の流れを断ち切るようなものではなかった。

 セミョーノフ大尉のほうが予め二人から補足が入る箇所を正確に見極めて用意していたからだろう。あるいは、信頼性の低い情報を自分から説明してアバカロフ中尉の信頼を損なうよりも、姑息にも厄介なところだけ二人に説明を押し付けていただけなのかもしれない。


 だが、幕舎内でよく通る声を聞いているとまるでセミョーノフ大尉の独演会のような雰囲気だった。アバカロフ中尉は注意しながら大尉の説明を聞いていた。心を無警戒にしたままで大尉の話を聞いていれば、たちまち取り込まれそうな気がしていたのだ。

 ウランフ中将のモスクワ留学時代の知り合いだということは、セミョーノフ大尉も共産党の総本山であるモスクワで教官か生徒か、そのどちらかの立場にあったのではないか。

 もしかするとセミョーノフ大尉の専門は政治宣伝かもしれなかった。それも単に前線部隊に同行する政治将校などではなく、もっと高度な専門教育を受けた技術者かもしれない。

 ウランフ中将が信用している様子からすると、すでにセミョーノフ大尉もソ連は見限っているということだろうが、全幅の信頼を置くことは出来そうもなかった。



 ところが、セミョーノフ大尉自体はさほど信頼できそうもないものの、その説明の内容自体は興味深いものだった。組織的に元ソ連軍の捕虜を脱走させることができれば、魔法のように短時間でロシア軍に師団単位の部隊を構築できるというのだ。


 セミョーノフ大尉が国際連盟軍の捕虜となった時点で、イタリア半島には1万名を超える数の膨大な東方部隊が分散して築壕作業などに動員されている筈だった。

 多少はセミョーノフ大尉が数を盛っている可能性は捨てきれないが、それでも数千名の元ソ連軍捕虜がイタリア戦線に投入されているのは間違いなかった。


 捕虜からの情報などから推測すると、ドイツ軍は陣地構築にかなりの人数を割いているようだった。この方面の国際連盟軍は火力で優越していたから、生半可な陣地では火力戦闘に対応できないのだ。

 ところが、築壕作業に投入された工数は膨大であるにも関わらず、完成した陣地はそう強固なものとは言えないようだった。

 理由は明らかだった。作業効率が明らかに悪かったのだ。



 イタリア半島を縦断するアペニン山脈は、強固な陣地を構築可能な険しい地形が連続していたが、それは同時に各種工作機械や重車両の展開をも阻んでいた。

 攻め手である国際連盟軍では、戦車を原型とした日本製の工兵車両などで機械化された工兵部隊を用いて進撃路の構築などを行っていたが、ドイツ軍は隠蔽効果も狙っているのか、自然地形を最大限利用して陣地を構築しようとしているようだった。

 あるいは単に投入可能な工作車両の数が限られているのかもしれなかった。


 ドイツ軍の意図が状況に適応していれば効果は大きかった。無防備に国際連盟軍が進攻すれば、既知の前線陣地に火力を集中させている間に隠蔽されていた陣地から予想外の攻撃を受けることもありうるだろう。

 だが、実際にはドイツ軍の初期想定通りに陣地を構築して国際連盟軍を待ち受けることが出来た戦場は少なかった。陣地が完成するよりも早く前線が移動して築壕作業中に半端な状態で前線部隊を収容するのが日常化していたのだ。

 中には砲塔下部の構造だけが残された陣地跡も見つかっていたらしい。どうやら寸法からして戦車の砲塔を流用する設計だったようだが、実際には砲塔を搭載する前に前線が到達したことで構築途中で放棄されていたようだった。


 以前からイタリア戦線のドイツ軍には陣地構築作業に割り振れる人員が不足していた。元々この方面では国際連盟軍に対して戦力比では劣勢だったから前線から人員を抽出するのは難しかった。

 戦闘工兵など高度な技術を持つ将兵もその多くは前線に投入されて築豪作業に割り当てるだけの人員は確保できなかったようだ。

 しかも、ドイツ軍の手によって前イタリア国王エマヌエーレ3世の暗殺が行われていたものだから、これに反感を抱いている現地住民を徴用するのは難しく、確保したとしても頻繁なサボタージュや脱走が相次いでいた。

 このような状況では政治的な信頼性は低くとも頭数の多い東方部隊の投入もやむを得なかったのではないか。


 もっとも作業量は多いが、東方部隊の待遇はあまり良くはないようだった。元々ドイツ軍は信頼性の欠如などから元ソ連軍の捕虜を戦闘部隊に編入する意図は薄かった。築豪作業などには数少ないドイツ軍の工兵部隊が配属されることもあるようだったが、実際には監視役としての性格の方が強かったのだろう。

 そのような現状を考慮すれば、国際連盟軍側からセミョーノフ大尉達が呼びかければ、これに呼応して続々と東方部隊も投降して合流を図るのではないかというのだ。



 ただし、この投降の呼び掛けを大々的に行うには一つ条件があった。国際連盟軍に寝返った彼らの受け皿となる部隊が必要だったのだ。そうでなければ彼らの立場は捕虜のままでドイツ軍指揮下の現状と何一つ変わらないからだ。

 しかも、その部隊はソ連と対峙する国際連盟加盟国のロシア帝国の指揮下に置く必要があった。戦後における身の安全の保証がされないからだ。

 ドイツ軍の捕虜となった後にドイツに組みしてしまった彼らは、戦後になってソ連に引き渡されれば犯罪者として裁かれる運命にあったのだ。


 無茶な話のように思えるが、最低限の辻褄合わせだけは用意してあった。シベリア―ロシア帝国も、それと対峙するソ連も、双方共に自分たちこそが旧ロシア帝国を支配する正統な政府であり、相手側は自国領の半分を不当に占拠する非合法組織と規定していた。

 この理屈に従うならば、ソ連軍からドイツ軍の捕虜となった東方部隊の隊員達も市民としての登録こそないが、シベリア―ロシア帝国の人間ということになる。

 もちろんそのままではソ連に与する犯罪者扱いされてしまうことになるのだが、その場で新たに編成されたロシア遠征軍に徴兵されて配属されたことにすればそれ以前のソ連軍、ドイツ軍への従軍は免責されることになる。

 戦後はシベリア―ロシア帝国に「亡命」すればよかった。建国当時に比べれば移民の受け入れなどによって大分ましにはなったが、ソ連に対してシベリア―ロシア帝国は人口比において劣勢であるのは変わりなかったから、実戦を経験した将兵は高く評価されるはずだった。



 だが、ウランフ中将とセミューノフ大尉が立てた計画はそこで終わりではなかった。東方部隊から投降してきた兵たちの受け皿となるロシア遠征軍には、元ソ連兵が忠誠を誓うべき対象となる貴人が必要だと考えていたのだ。

 あるいは、シベリア―ロシア帝国が元ソ連兵のロシア遠征軍に与える保証であると言っても良かった。皇族や民主化の進んだ現在のロシア帝国においてもなお尊敬を受けるような上級貴族の子弟を指揮官に抱いているとすれば、帝国政府も簡単には彼らを見放さないはずだからだ。


 そういう意味ではアレクセイ・アバカロフ中尉は格好の人材だと言えた。


 アバカロフ中尉の養父である大公は革命勢力に処刑された前皇帝の弟だった。本来であれば女皇として即位した姪であるマリア・ニコラエヴナよりも皇位継承権は上位にあるはずだった。

 だが、革命勢力に追われて欧州方面に逃れた大公はシベリアーロシア帝国の建国の場に立ち会うことは出来なかった。それに自分の即位では旧弊な体制の焼き直しにしかならないとも考えていたのではないか。

 既に前皇帝の遺児であるマリア、アナスタシアの2皇女を旗印とすることによって反革命勢力はまとまりつつあったし、彼女らを悲劇の主人公とする物語を作り上げたことで日英などの諸外国の世論をも味方につけようとしていた。

 そこへ法的には正統であったとしても、大公が強引に継承順を主張しても不利になるばかりの筈だった。


 最終的に大公は歴史上の女帝の例を持ち出してマリア皇女の即位をお膳立てすると共に、自らはその後見人として皇族や上流貴族層のまとめ役となっていた。

 養子とはいえアバカロフ中尉はその大公の息子なのだから、皇族士官として遠征軍の指揮官に祭り上げるには十分な資格を有していた。



 だが、このロシア遠征軍の構想には重要な視点が抜けていた。旗頭に仰ごうという肝心のアバカロフ中尉の意思を完全に無視していたのだ。

 遠征軍の説明を受けたアバカロフ中尉は、眉をしかめていた。

「どうも皆さんは勘違いされておられるようだ。私は大公家にとって血の繋がらない養子に過ぎないし、第一最終的に師団編成を満たそうという規模の部隊の指揮をとるには私の中尉という階級はあまりに低すぎるでしょう。あまり現実的な話とは思えませんね。

 私は司令部勤務では最下級の参謀将校です。そんな胡乱気な師団を指揮統率出来るだけの経験も知識もありませんよ」


 そう言ってアバカロフ中尉は口を閉じていた。実際には、他にも理由はあった。現在のロシア帝国政府は一皇族が外地で権限を振るうのを歓迎しないはずだった。

 そうでなくともアバカロフ中尉は大公家の養子という微妙な立場にあるのだ。下手に目立って政府関係者から睨まれることになれば養父にどんな迷惑がかかるか分かったものではなかった。

 ただでさえ旧体制派の貴族層とも懇意にしているせいで、大公家は実際に政府を動かしている官僚団とは不仲だと言われていたのだ。

 実際には現体制に不平不満はあるものの、資金力などから排斥する事のできない貴族層を大公が抑え込んでいるのではないかとも思えるが、それが真実だったとしても公言できるような事では無かった。



 だが、懸念顔を浮かべたアバカロフ中尉の言葉が聞こえなかったかのように、ウランフ中将は笑みを崩さなかった。

 ちらりとセミョーノフ大尉の顔を見るとウランフ中将は言った。

「この場合、階級の大小や指揮官教育の有無は大した問題とはならない。中尉はロシア帝国を代表する王子様として後ろに控えてくれていればいいんだからな。それによほど詳しくない限り、ソ連人は中尉が大公の養子であるなんてことは知らんからその点も大丈夫だ」


 それではまるでただの傀儡ではないか。アバカロフ中尉は眉をしかめながらそう考えたのだが、実際にはそれよりも悪かった。

 不機嫌そうな顔でアバカロフ中尉が何かを返すよりも早く、ウランフ中将が続けた。

「安心してくれ。本国の馬占山将軍を通してハバロフスクにはもう話は通してあるからな」

 アバカロフ中尉は、意表を突かれてまじまじとウランフ中将の顔を覗き込んでいた。この場合のハバロフスクとは、帝都ではなくそこに存在する政府を指していたからだ。


 すでに逃げ道は断たれていた。自分は厄介事に巻き込まれつつある。そのような確信をいだきつつも、アバカロフ中尉は力のない声で反論した。

「だから、いくらなんでも中尉の階級は低すぎるでしょう。単に象徴が欲しいだけならば、もっとベテランの貴族将校でも充てればいいではないですか」


 アバカロフ中尉はウランフ中将を向いていったのだが、間髪入れずに答えたのはセミョーノフ大尉だった。

「我々元赤軍兵たちは貴族の名前など知りはしません。皇族方であればこそ、兵たちに正統性を主張することができるのです」


 すぐにウランフ中将も後に引き続いていった。

「階級のことなど気にするな。いざとなれば戦時昇進扱いで将軍にしてもらえば済む話だ」

 そう言って豪快に笑い声を上げたウランフ中将を見ながら、単に冗談で言ったのか、それとも本気なのか、それがわからずにアバカロフ中尉は呆然としていた。

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