1944断章 イタリア戦線4
ロシア遠征軍の名は現在のシベリア―ロシア帝国にとって特別な意味を持っていた。
ありふれた名前だから同名の部隊は歴史上に何度か出現していたが、先の欧州大戦において編成されてフランス本国で戦ったものが最も有名であるはずだった。
元々、ロシア遠征軍が編成されていたのは、半ば脅迫といってもよいフランスの強い要請によるものだった。
当時はドイツやオーストリアからなる中央同盟国に対して東からロシア帝国が、西から英仏などが戦線を構築していた。連合国側がドイツを包囲する体制と見えるが、実際には包囲網内で自在に機動できる内線の利を有するために一方的に中央同盟側が不利とは言えなかった。
この東西に分かれた戦線で主戦場となったのはフランス本国内の戦線だった。様々な理由から従来想定されていた機動戦が不可能となった時点で、両国が塹壕と火力を駆使した陣地戦に移行していたからだ。
強固な陣地を突破するために開発された戦車や化学兵器など新兵器の投入も行われていたが、縦深を深く取られた本格的な陣地は、第一線の突破を許したとしても予備陣地で持ちこたえることが出来たから、第一線で戦力を消耗した攻勢側の勢いが続かずに大局には影響しなかった。
最前線を突破できたとしても、攻勢前の準備砲撃等によって荒れ果てた陣地周辺を重厚な牽引式の火砲では追随出来なかった。そして火力支援を欠いた突破部隊は、第二線以降の陣地や投入された予備隊に討ち滅ぼされていったのだ。
こうした泥沼の消耗戦を強いられていたフランス政府は、自軍の戦力不足を補うために自国内の戦線にロシア帝国軍の投入を強く求めていた。
人口比で言えばドイツ東西の戦線は不均衡であると主張していたのだ。
強引な主張だったが、当時のロシア帝国の立場では無視はできなかった。仮にフランスが対独講和、あるいは降伏という道を選んだ際には、ドイツ帝国は全力を対露戦線に投入することは明白だったからだ。
この要請に応じて編成されたのがロシア遠征軍だった。しかし、その部隊編成は困難を極めていた。
当然だが、ロシア帝国から敵国ドイツ帝国やオスマン帝国を通り抜けて部隊をフランス本国に送り込むのは不可能だから、北海を経由する北方ルートか、太平洋からインド洋、地中海を通過して遥々向かう南方ルートのどちらかで部隊を送り込むしか無かった。
しかも、当時は既に国内では長く続く戦時体制への反発などから革命の機運が高まっていた。
そのような情勢化で遠隔地に派遣されるために、ロシア遠征軍の幹部は帝室に近い王党派のものが優先されて選出されていた。その他に皇族士官も何人か含まれていたらしい。
こうして部隊は編成されたものの、大きな問題が一つ残されていた。本国から遠く離れた場所に展開する大部隊に対して、満足な補給を行えるだけの兵站線を維持することは、当時のロシア帝国には到底不可能だったのだ。
思わぬ程の大軍に気を良くしたのか、フランスはロシア遠征軍に対する補給を請け負うとは言っていたものの、砲弾などの物資不足にあえぐ前線の実状を考慮すれば、自国軍に対する補給を優先されてしまう可能性は高かった。
最終的にロシア遠征軍に対する補給を請け負ったのは日本帝国だった。当時の日本帝国は、中東方面に兵力を送っていたのに加えて、フランス本国に展開する各国軍に向けて続々と日本本土で生産された各種軍需品を輸出していた。
更に増援として中東の戦線から抽出された部隊と現地で合流するために日本本土からフランスに向かう部隊もあったから、これの輸送に便乗する形で日本製の各種兵装を装備したロシア遠征軍も西へと向かっていったのだ。
フランス本土では日本軍に並んで戦線に投入されたロシア遠征軍だったが、本国で革命が起こった後はこの日本経由の兵站線を持つことが大きな利点となっていた。
元々皇室に近い幹部の多かったロシア遠征軍は、革命派の処刑を免れてシベリア地方に逃れたマリア、アナスタシアの2皇女を担ぎ上げた勢力に合流していた。
2皇女を象徴とすることで得た求心力で辛うじて一つの集団となったシベリア―ロシア帝国だったが、その軍事力は諸勢力を糾合した寄り合い所帯であることに変わりはなかった。
シベリア地方は、反革命勢力の流入でにわかに人口の爆発的な増大が発生していたが、同地は革命前は辺境という位置づけでしかなったから産業の育成などは満足に進められていなかった。
豊富な地下資源の採掘などは期待できるものの、旧帝国領の中枢部から脱出してきた大部分の勢力もいずれは補給が途絶えて兵器の整備もままならなくなるのは確実だった。
ところが、遠く離れたフランス本土に派遣されていたロシア遠征軍だけはその例外だった。元々遠征軍は本国からの支援が得られない状況で兵站を日本帝国に依存していたために、補給が途切れる事は考えられなかったからだ。
旧ロシア帝国時代に生産された兵器類を装備していた他勢力出身の部隊が戦力をすり減らして再編制を余儀なくされていったのに対して、日本製の兵器で固められたロシア遠征軍は、新生国軍の大規模な再編制の時間を稼ぎながら革命勢力のシベリア地方侵入を防ぐ原動力となっていた。
ロシア遠征軍の名が特別な意味を持つのはそのような経緯があったからだった。
アバカロフ中尉は、唐突にロシア遠征軍の編成などと言い出したウランフ中将の言葉の意味が分からずに、眉をしかめたまま中将の顔を見つめていた。
だが、ウランフ中将は、アバカロフ中尉のそんな表情に気がついているのかいないのか、大して気負った様子も見せずに孔飛上尉に向かってうなずいていた。
アバカロフ中尉は背後で孔飛上尉が出ていく気配を感じていたが、ウランフ中将に向けた視線は逸らせなかった。
「あのソ連の捕虜達の……東方部隊という集まりなんだがな。要は開戦初期にドイツ軍の捕虜になってから、ソ連を見限ってドイツについた連中だ。
ところがな、ドイツ人というのがこれがまたひどい奴らでな。元々アーリア人が最高だと思っとる差別主義者だから、元ソ連人の劣ったスラブ人は信用ならん……と、まぁそう考えていたようだ。
かき集められた元ソ連捕虜だが、東方部隊としてまとめられたとしても実戦力としては誰も期待していなかったようだ。与えられたのは戦闘任務ではなく、塹壕掘りや戦場掃除といった補助任務ばかりだったらしい。
こうなると、東方部隊というのは、単に捕虜収容所から前線に捕虜たちを移動させるための集まりだったようだな。
もっとも、ドイツ人というのは抜け目の無い連中だ。奴らが言うところの東部戦線に東方部隊を派遣すれば、これ幸いと逃げ出して赤軍に復帰されてしまうかもそれない。
どうも、元捕虜からすれば関係の無さそうなイタリア戦線に東方部隊がいたのも、そのあたりに原因があったらしい」
一度は頷いていたもののアバカロフ中尉は首を傾げていた。
「しかし、表にいたなかには明らかにスラブ人ではない……ムスリムも含まれていたようですが……」
ウランフ中将は、馬鹿にしたような顔で言った。
「ドイツ人にスラブ人とコーカサス人の区別がつくものか。いや、区別がついたところで、皆自分たちよりも劣った蛮族扱いなんだろうよ」
そこで一旦口を閉じると、ウランフ中将は少しばかり真面目な顔になって続けた。
「実のところ、ドイツのナチス党の軍隊……武装親衛隊とかいったか。この方面には投入されていないが、対ソ戦では装甲化された師団まで参戦しているらしいと聞いているが、その武装親衛隊にはドイツ人ではない、外国人部隊もあるそうだ。
最初のうちは外人部隊といっても、オーストリアだとか欧州各国のドイツ国外に住むドイツ人が対象だったが、最近では志願させた外国人までいるそうだ」
志願を強要させたということは、それはすでに志願という意味ではないのではないか。アバカロフ中尉はそう考えたが、ウランフ中将はそんなことを気にした様子もなく続けた。
「武装親衛隊にはすでに占領地域からかき集めた義勇部隊が師団単位であるようだ。
ところが、元ソ連軍の捕虜は扱いがだいぶ違うらしい。ドイツ人が思っていたよりもモスクワの連中が頑張るものだから、以前から共産主義者に締め付けられていたせいで占領地域からドイツに志願してきた義勇兵はともかく、元捕虜は信用に値しない。ドイツ人はそう考えておるようだな。
イタリアに東方部隊とやらが投入されたのも、ムスリムもスラブ人もお構いなしにまとめられたのも、結局はそこが原因なのだ……と言っていた」
ふと気にかかってアバカロフ中尉は首を傾げていた。ドイツ人にとっての東部戦線のことはよく分からないが、ウランフ中将の説明はやけに詳しかった。まるで見てきたかのように語っているが、これまでのイタリア戦線の状況を考えてれば、中将が手にした情報は自分と大きな違いはないはずだった。
そうだとするとウランフ中将の情報源はどこにあるのか、もしかすると満州共和国軍には自分の知らない情報収集機関でもあるのだろうか、アバカロフ中尉がそう考えていたところで、幕舎に誰かが入ってきた気配を感じていた。
幕舎に入ってきたのは複数の男たちだった。一人は先程出ていった孔飛上尉だったが、上尉の後ろに従っているのは知らない男だった。ただし、ウランフ中将達アジア系の顔立ちとは明らかに異なるスラブ系の人種なのは確かだった。
彫りの深い顔立ちに刻まれた皺はひどく深く、男はアバカロフ中尉や孔飛上尉よりも年上のようだが、それでもまだ四十には達していないだろう。
男は、振り返ったアバカロフ中尉の顔を見るなり感極まった様子で直立不動の姿勢を取りながら言った。
「殿下、お会いできて誠に光栄です。私はイサーク・ロマーノヴィッチ・セミューノフ大尉と申します。これより先、殿下と帝国の為にこの身を捧げる事を誓います」
やたらと時代がかかった言葉遣いでセミューノフ大尉と名乗った男はいったが、アカバロフ中尉の方は冷めた目で大尉を見つめていた。大尉の言った言葉を信じる事ができなかったからだ。
幼少期から大公家の預りとなったアバカロフ中尉は、子供の頃から邪な思いを持って近づいてくる佞臣に注意するように養父や義兄達から繰り返し聞かされていた。
現在のロシア帝室は微妙な立ち位置にあった。意図的に皇帝の権限は議会などによって制限されているのだが、旧弊な没落貴族などの中には未だに皇族に取り入ろうとするものも少なくなかった。
だが、彼らの魂胆は明白だった。自分たちの利益になる都合のいい皇帝を擁立しようというのだ。
彼らの企みに乗るわけには行かなかった。というよりも、彼らは現実を理解していなかったと言わざるを得なかった。すでに皇族は権力者というよりも象徴としての存在となっていたからだ。
仮に彼らの言いなりになる皇帝が誕生したとしても、現在のシベリア―ロシア帝国が成立した経緯が反革命という一点だけでなりたった寄り合い所帯でしか無かった以上は、専制を強めた皇帝では国家統合の象徴とはなり得なかった。
厄介なことに、皇族に近付こうとするのは権力欲につかれた佞臣だけでは無かった。ソ連の手先である共産主義者も、言葉巧みに皇族を取り込もうと虎視眈々とその機会を伺っていたのだ。
国家統合の象徴たる皇族が共産主義に傾倒した姿を見せつけることで政治的な宣伝に使用するつもりなのだろう。英国などでも上流階級の子女などの間に流行する共産主義に困っているらしいとも聞いていた。
アバカロフ中尉には、セミョーノフ大尉の恍惚とした表情のなかで鈍く光る目が養父たちの言っていた侫臣のそれに見えて仕方がなかった。
ところが、ウランフ中将はアバカロフ中尉のそんな警戒を吹き飛ばすかのようにあっけらかんとした声で言った。
「この男、セミョーノフ大尉とは古い知り合いでね。モスクワ時代の馴染みなんだよ」
慌ててアバカロフ中尉はウランフ中将の表情を伺っていた。モンゴル系の彼らのモスクワ時代の馴染みということは筋金入りの共産主義者ということではないか。
アバカロフ中尉はそう考えていたのだ。