1944ニース航空戦13
プレー少尉のD.525が着陸していたのはニース郊外の草原だった。
状況は、損傷した機体でだましだまし不時着を試みたいつかのサルディーニャ島と同じようなものだったが違う点もあった。あの時は、プレー少尉は負傷で意識を失っていたのだが、今は不時着の時も意識はしっかりしていた。
ただし、機体の損傷は大きかった。プレー少尉のD.525は、後方から集中的に撃ち込まれた20ミリ弾と思われる機関砲弾によって、水平、垂直両尾翼を半ば吹き飛ばされていたからだ。
もう少し着弾点が前方にずれていれば、今頃はプレー少尉の体の方も吹き飛ばされて空中に散華していた筈だった。
操縦席への被弾がなかったのは偶然だったのか、それとも狙ったものだったのかは分からなかった。それを知る唯一の人間はすでに失われていたからだ。
戦闘の最後の頃は、殆どプレー少尉の意識は残っていなかった。おそろしく性能の高いクロードの戦闘機に対抗するために激しい機動を連続していたものだから、体にかかる負担が大きかったのだ。
だが、終盤は単にプレー少尉が一方的に追い回されていたようなものだった。性能の差を少尉は最後まで埋めることができなかったのだ。
追い詰められたプレー少尉のD.525は、背後から撃ち込まれた避けようのない射弾によって致命的な損害を受けていたのだ。操縦翼面の大半を失ったD.525は、もはやプレー少尉の意のままに操ることは出来なかった。
その後の経緯はプレー少尉にとっても不可解なものだった。尾翼を損傷した衝撃故か、少尉のD.525は急減速しながら機首を上げていた。というよりも、翼面が減少した機尾側が落ちたという方が正確だったのかも知れない。
この機首上げは突然のことだった。そのときのプレー少尉は、意に沿わぬ機体の挙動と激しい機動の影響で虚脱状態に近い状況だったのだ。
だから、D.525の目前をクロードが乗り込んでいるはずの敵機が通り過ぎる瞬間に、機首の20ミリ機関砲が僅かな残弾を叩き込んだのは偶然のようなものだったはずだ。
唖然とするプレー少尉の前で、しばらくは何事もなかったかのようにクロードの機体は飛び続けていたものの、唐突に被弾箇所から火を吹き始めていた。
どうやら燃料配管か燃料槽自体に損傷を与えた様だった。一度上がった火の手は、止みそうも無かった。炎は、あの麦穂の絵を吹き飛ばすように上がっていた。
プレー少尉も、その様子を長々と眺めていられるような余裕は無かった。動翼が吹き飛ばされたことで、D.525の操縦性は極端に悪化していた。不時着までエンジンが回り続けていたのは奇跡のようなものだった。
あらぬ方向に向かおうとするD.525を騙し騙し操縦しながらも、プレー少尉は視界の隅にうつるクロードの機体を追いかけようとしていた。
クロードの機体も次第に高度を落としながら、最後は草原を選ぶようにして不時着していた。その様子をうかがう限り操縦士が生存している可能性は高かった。
結局、無理をしながらもプレー少尉がD.525を不時着させたのは、クロードが降り立った場所から丘一つを越えた所だった。
主脚が出なかった為に胴体着陸したD.525は、草原の草花を表土ごと盛大に剥ぎ取りながら静止していたが、操縦士をがんじがらめにしようとする装具をもどかしげに剥ぎ取りながら、プレー少尉は完全に機体が止まるよりも早く操縦席を飛び出していた。
プレー少尉は勢いよく丘を駆け上がっていた。一秒でも早く不時着したクロードの機体に近付こうとしていたのだ。
もっとも、機体に向かって実際に何をしようとしていたのか、それはプレー少尉本人にもよく分かっていなかった。ただ本能に突き動かされるように一心になって疾走していた。
だが、丘を越えたところでプレー少尉は絶望を覚えていた。クロードの機体は、まだ燃えていたからだ。どれだけ燃料を搭載していたのか、火災が収まる気配はなかった。
それだけではなかった。それだけの火災にもかかわらず、機体形状は不時着時の損傷を除けば原型を保っているように見えていたが、操縦席の風防天蓋は閉まったままだった。
炎の向こう側の様子は分からなかったが、もしクロードが生存して機体から脱出したのであれば、状況からして一度開けた風防を火災の中でもう一度閉鎖するような余裕は無かったはずだ。
つまり、クロードは機上で戦死しており、いま機体ごと火葬されてしまったのだろう。
そこまではプレー少尉も頭では理解したが、感情がそれに追いついていなかった。自分は復讐を果たしたかったのか、それともただ彼にもう一度会いたかったのか。
それがどんなものであったにせよ、もう生き残ったのはプレー少尉ただ一人でしか無かった。あの懐かしい故郷、ケルグリの麦畑で自分と一緒だったクロードもグローン中尉も誰とももう話をする事はできなかった。
その単純な事実に打ちのめされてプレー少尉は、滂沱と流れる涙を止める事ができずにその場で膝をついていた。
プレー少尉がその人物の気配に気がついたのはその時だった。涙を拭うことも忘れて少尉が振り返ると、若い男がこちらに拳銃の銃口を向けていた。
見慣れない男だった。おそらく、プレー少尉やクロードよりもまだ若い、まだ子供といってもおかしくないような若い男だった。男が着込んでいるのは操縦服だった。少尉達ヴィシーフランス空軍のそれとは異なり、装具も洗練されたすっきりとしたものだった。
プレー少尉は、反射的に護身用の拳銃に手を伸ばしたが、すぐに億劫になって止めた。
若い男の操縦服や装具には見覚えがあった。以前サルディーニャ島で不時着した際にクロードが身に着けていたものと同型の様だった。それに、いつの間に着陸したのか、クロードの機体と同型の戦闘機が草原の向こうに見えていた。
おそらく、目の前の男は最初にプレー少尉が銃撃したクロードの僚機を操縦していたのだろう。自由フランス軍の将兵でクロードの僚友なのだとすれば、自分を撃つ資格は十分にあるだろう。
プレー少尉はひどく疲労を感じていた。ケルグリから出ていった男たちは皆この戦争で死んでいったのだ。自分一人生き残ってもしょうがない。ぼんやりとそう考えながら少尉は男の様子を見つめていた。
しかし、若い男の反応はプレー少尉の予想外のものだった。手にした拳銃を下ろすと男はいった。
「あんたがジャン・ル・プレーか」
プレー少尉はあ然として目を見開いて男の顔を見つめていた。冷静に考えてみれば、クロードが僚友に自分のことを喋っていれば名前くらい知っていてもおかしくはないのだが、そこまで今の少尉には考えが進まなかった。
プレー少尉の返答はなかったが、反応で確信したのか若い男は懐に手をやって封筒を掴み出していた。
「これはあんた宛の手紙だ。それと……」
若い男の手から受け取った封筒に書かれた文字は、たしかに懐かしいクロードの書いたものだった。それに、男が続けた名前はクロードの父親のものだった。
プレー少尉は、自分宛とクロードの父親宛、2通の封筒を受け取って戸惑った表情で固まっていた。封筒の中身を見るのが怖かったが、それ以上に中身を知らずに死ぬことのほうが怖かった。
受け取ってしばらくしてから震える手で封筒を開いて便箋の文字を負い始めた男の姿を見ながら、ハルヴィッツ少尉は思わずため息をついていた。これでリュノ中尉への義理は果たしたと考えていたからだ。
やはり、同じ麦穂の絵を描いていた機体に乗ってリュノ中尉を撃墜した男が宛先の一人だった。それにもう一通の宛先である中尉の父親のことも知っているようだから、これでハルヴィッツ少尉の手元には自分宛の封筒が残されているだけになっていた。
リュノ中尉と目の前で涙を流しながら手紙を読み進める男の関係はよく分からなかった。あの地味な麦穂の絵を描いている上に父親とも知り合いのようだから、対独降伏前のフランス軍が二分されるよりも前からの知り合いなのだろう。
だが、ハルヴィッツ少尉はそれを知ろうとは思わなかった。少尉にとってリュノ中尉は彗星のようにあらわれて、彗星のように去っていった。もしより深く知ろうとすれば、現実との差に幻滅するだけかもしれないと考えていたのだ。
幻は幻のまま、知らなくともいいことは知らなくともいいだろう。そう考えると、ハルヴィッツ少尉は涙にくれる男を越えてまだ燃え盛る44式特殊戦闘機に近寄ると、勢いよく封を切ってもいない封筒を火に投げ入れていた。
ハルヴィッツ少尉は背を向けて不時着した愛機の方に向かおうとしていた。両方のエンジンが被弾で損傷した愛機だったが、まだ前部エンジンは動く可能性があった。
上手くすれば支援無しでこの草原から離陸できるかもしれないし、最悪の場合は機体の無線機で救援を呼んでも良かった。ニース上空には哨戒機が常時飛行しているはずだから、基地への連絡くらいは転送してくれるはずだった。
高度な訓練を受けた搭乗員は貴重なせいか、国際連盟軍の搭乗員救難体制は充実していた。自由フランス軍単体では見るべきものはないが、駐留する日本軍は使い勝手の良い回転翼機を保有していた。
回転翼機の航続距離は短いが、ニースからまだそれほど離れていないはずだからうまくすれば今日中に基地まで戻れるだろう。
とりあえずは、エンジンの調子を確認してからこれからの行動を決めるつもりだった。だが、愛機の姿が見える前に、ふとハルヴィッツ少尉は違和感を覚えて慌てて振り返っていた。
―――本当にリュノ中尉は機上で戦死したのか……
状況からして、あの男がそう考えているのは間違いなかった。それに炎上している四四式特殊戦闘機の風防は閉まったままだったから、脱出することが出来ずに機内に取り残されたと判断するのも無理はなかった。
もっとも、あの男も炎の向こうの操縦席を直に確認してリュノ中尉の死体を見たわけではなかったはずだ。状況からそう判断しただけではないか。
しかし、ハルヴィッツ少尉もリュノ中尉もあの男が操縦するD.525から銃撃を受けたのは間違いなかった。では自分と中尉の生死を分けたのは何だったのか。
ハルヴィッツ少尉は首を傾げながら丹念にリュノ中尉の四四式特殊戦闘機の様子を確認していった。被弾箇所は両者とも同じような箇所だった。少尉の機体は上方から、中尉の機体は下方から射撃を受けていたが、被弾箇所を延長するとどちらも後部エンジンにたどり着くはずだった。
四四式特殊戦闘機に搭載されているエンジンは、英国製のマーリンエンジンを日本本土でライセンス生産されたものだった。当然防弾鋼製ではないのだから銃砲弾に対する耐久性は限られてはいるが、ワンピース構造のエンジン本体は頑丈極まりないものだった。
現に後部エンジンは致命的な損傷を受けたものの、後方から射撃を受けた機体に搭乗していたハルヴィッツ少尉の体には何の傷もなかった。
それに、不時着した状況を見る限りでは着地の瞬間までリュノ中尉には意識が残っていたのではないか。
―――もしかすると、リュノ中尉は生き延びて機体から脱出した、のか……
そう考えながら、ハルヴィッツ少尉は周辺の地形を確認していた。リュノ中尉の四四式特殊戦闘機が不時着していたのは草原の外れに近い箇所だった。周辺には灌木も見えるし、しばらく行けば渓谷もあった。
リュノ中尉が機外に脱出して風防を元通りに直すことができれば、あの男が近くまで来る前にこの場を離れて身を隠しても矛盾は生じなかった。
ただし、問題が一つあった。この推論が正しいとすれば、リュノ中尉は脱走したことになるのではないか。
そこまで至ったところでハルヴィッツ少尉は考えるのをやめていた。リュノ中尉の生死がどうであれ、彼は故郷に帰っていったのだろう。そう思ったのだ。
それと同時に夏場のはずなのに、ハルヴィッツ少尉はひどく寒気を感じていた。もしかすると複雑怪奇な欧州本土の事情を物の怪として感じ取っていたのかもしれない。
―――ここは寒い。早く自分の故郷へ帰ろう。
ハルヴィッツ少尉はそう考えていた。気を許すことが出来ない先住の隣人がいようとも、自然環境が厳しいとしても、あのマダガスカル島が自分の故郷だった。
欧州から見捨てられた思っている祖父母の世代とも、懐かしい欧州に帰ろうとしている親たちの世代ともハルヴィッツ少尉は考えが合わなかった。このフランスという土地は、結局自分とは何の関わりもない場所なのだ。
そんなところで果てしのない殺し合いを続けている自分があまりにも馬鹿馬鹿しいとさえ思っていた。
ハルヴィッツ少尉は愛機に向き直って歩き出していた。もう二度と泣き崩れる男やリュノ中尉の機体には振り返らなかった。
四四式特殊戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です
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ドヴォアチヌD.525の設定は下記アドレスで公開中です
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