1944ニース航空戦12
冷静に考えれば、鈍重な双発機を抱えた敵機がそう何度も回避行動を行えるはずはなかった。ハルヴィッツ少尉はそう考えると再び敵機を銃撃していた。
今度は命中していた。敵機下部の双発機から大口径の20ミリ機関砲弾の炸裂によって脱落した敵機の構造材が剥がされてくのも見えていた。
だが、敵機はしぶとかった。20ミリ弾の直撃を受けたのにも関わらず飛行を続けていたのだ。命中箇所が双発機の胴体後方であったために、致命傷とはならなかったのだろう。
2度も肩透かしを食らったハルヴィッツ少尉はすっかり頭に血が登っていた。先程のリュノ中尉の鮮やかな射撃が頭に残っているものだから、自分の不甲斐なさに怒りを覚えていたのだ。
その時、ハルヴィッツ少尉の機体は危険なほど敵機に接近していたが、そのことに気が付かずに再び射撃を行っていた。
射撃と同時に警告の声が聞こえたような気がしたが、頭に血が上ったハルヴィッツ少尉はそれが自分に向けられたものであることに気が付いていなかった。それに、その警告はどのみち手遅れだった。
相当の手練であろう敵搭乗員は、鈍重な機体を駆使して回避を続けていたが、それも限界だった。ハルヴィッツ少尉の機体は既に危険なほど敵機に接近していた。後方に振り返って忙しく頭を動かす不安そうな敵搭乗員の顔まで見える程だった。
ハルヴィッツ少尉は、凄惨な笑みを浮かべながら引き金を引いていた。
今度も命中していた。しかも吸い込まれる様に敵機下部の双発機に飛び込んだ銃弾は、エンジンナセルに食い込みながら機首へと一部は抜けていったようだった。
いくら何でも、これは致命傷となっているだろう。銃弾が命中する手応えを感じながら、ハルヴィッツ少尉はそう考えていた。
だが、ハルヴィッツ少尉が単純に喜んでいられたのはそこまでだった。次の瞬間、双発機が膨れ上がったような気がしていた。少尉が怪訝に思うよりも早く、いきなり目の前で探照灯を当てられたような凄まじい閃光が発生していた。
ハルヴィッツ少尉が唖然として何も対応できないうちに、少尉の機体を轟音と衝撃が襲っていた。反射的に目をつぶりながら、少尉は機位を保つので精一杯だった。
最も、目をつぶったままでは揺さぶられた機体が実際にどのような飛行姿勢になっているかは全く分からなかった。
機体を揺さぶる振動の中で、何度かそれとは違う鋭い衝撃が襲っていた。どうやら機体構造に無視できない破片が衝突しているらしい。
その衝撃でようやくハルヴィッツ少尉は事態を理解し始めていた。この衝撃は、敵双発機が爆発したことによるものであるようだった。
自分では、安全な距離を保っていたつもりだったのだが、実際には頭に血が登っていた為に冷静な判断をかいて危険な所まで踏み込んでいたのかもしれなかった。
あるいは、単に射弾が自爆用に炸薬を満載していたのであろう敵双発機の信管部分を刺激して発動させてしまった可能性もあった。
単に機体が破壊された、というだけではこの爆発の凄まじさは説明がつかないような気がしていたのだ。
激しい衝撃と閃光は、始まったときと同様に唐突に収まっていた。ずいぶんと長い間揺さぶられていたような気がしたが、実際にはごく短時間の出来事に過ぎなかった。
外部から観測した者があれば、至近距離で爆発した敵機の爆発域にハルヴィッツ少尉が自分から突っ込んでいったようにしか見えなかったのではないか。
衝撃の去った機体の中で、自分を取り戻したハルヴィッツ少尉は手早く自機の様子を確認していった。
最初に自分の体に異常が無いのを確認していた。同時に操縦席内部にも目立った異常は無かった。風防にはいくつか擦り傷のような損傷が見られたが、頑丈な防弾ガラスを破壊する様な破片の衝突は無かったようだ。
確かに、先程感じた破片の衝突によるものと思われる鈍い衝撃は、いずれも自分から離れた位置で発生していたような気がする。
次にハルヴィッツ少尉は素早く操縦席内の各種計器を確認して首を傾げていた。思ったよりも異常な数値を示す計器が少なかったからだ。
前部エンジンの冷却水の温度が短時間のうちに上昇していたから、破片を吸い込んだかあるいはラジエーターの破損が予想されたが、今の所はすぐにエンジンが過熱して異常を起こす程ではなさそうだから、エンジン出力を絞ればまだ飛行は可能だった。
操縦席から見渡せる範囲でも、大きな損傷は無さそうだった。あれほど機体が大きく揺さぶられた割には、機体構造にただちに影響を与える程のエネルギーを持った大きさと速度を持つだけの破片は衝突しなかったようだ。
最初にノルマンディ連隊本隊を襲った双発機の爆発とその後の損害を見ていたものだから、この機体も致命的な損害を被ったのではないかと思ったのだが、実際には杞憂だったようだ。
ハルヴィッツ少尉は敵双発機の後方から接近していたから、爆発した敵機の破片の大部分が機体前方に発生していたせいなのかとも思ったが、実際には少尉の機体は敵機の爆散円外縁部を突き抜けるように飛行していたから、後方からでも複数の破片と衝突してもおかしくはないはずだった。
あるいは、本隊を攻撃したものとは炸薬量や組成などの違いから破片の生成メカニズムが変化していたのかもしれない。
衝撃が大きかった割には、ハルヴィッツ少尉の44式特殊戦闘機が被った損害はそれほど大きくなかった。前部エンジンの冷却水温度は高いままだったが、温度上昇は止まっていた。ラジエーターの効率が低下しているのは確かだが、機能が停止したり冷却水が大量に流出するようなことはなさそうだった。
これならばまだ戦闘の継続も可能ではないか。愁眉を開きながらハルヴィッツ少尉はそう考えていた。
もっとも戦闘を続けるとしても、単機では難しかった。敵機の爆発に巻き込まれて針路がねじ曲がってしまったのか、周囲に他の小隊機の姿は見えなかった。何とかしてリュノ中尉か小隊の3、4番機と合流する必要があった。
だが、ハルヴィッツ少尉の考えは甘かった。
唐突に総毛立つ感覚を覚えたハルヴィッツ少尉は、反射的にフットレバーを蹴り上げて機体を横滑りさせていた。ほとんど同時に鈍い衝撃が少尉を襲っていた。
慌ててハルヴィッツ少尉が視線を主翼に向けると、ささくれ立つように次々と主翼の外皮がめくれ上がっていくのが見えていた。いつの間にか後方に忍び寄っていた敵機から銃撃を受けていたのだ。
主翼の損害はそれほど大きくなかった。命中したのは小口径の銃弾のようだ。破損は無視できないが、飛行には相変わらず支障はなさそうだった。ぎりぎりの所だったが、なんとか回避できたようだ。
構造が複雑な割には意外なほど頑丈な機体だ。そうハルヴィッツ少尉は安堵しかけたが、それは早計だった。少尉の目の前で着弾点が操縦席に向けて移動していたのだ。
強引な操作だった。ハルヴィッツ少尉ではなく敵機のことだった。少尉の44式特殊戦闘機の機動に合わせるように機体を横滑りさせて弾道を捻じ曲げているのだ。
その時になってようやくハルヴィッツ少尉は敵機の意図に気がついていた。射撃を行っているのはおそらくヴィシー軍の現行主力戦闘機であるドヴォアチヌD.525だった。
D.525には、各国軍で防弾装備が充実している今となっては豆鉄砲扱いされる7.5ミリ機関銃の他に、モーターカノン方式に装備する大威力のイスパノ20ミリ機関砲を備えていた。
おそらくは、敵機の搭乗員は携行弾数の少ないイスパノ20ミリ機関砲の無駄弾を避けているのだろう。7.5ミリ機銃で照準を定めた後に大威力の20ミリ機関砲を撃ち込もうとしているのではないか。
それがわかったところでハルヴィッツ少尉に為す術はなかった。機体は未だに横滑りを続けていたが、後方の敵機から放たれる弾丸のほうが動きが早かった。
視線をそらすことは出来なかった。まるで蛇に睨まれた蛙のようにハルヴィッツ少尉は着弾点を見つめていた。それほど長い時間ではなかった。ほとんど一瞬の出来事だったはずだが、その時の少尉には永遠にも思われる時間だった。
新たな着弾点は見えなくなっていた。敵機の射撃が終わったわけではなかった。ハルヴィッツ少尉の視界外に入ったのだろう。わずかに遅れて機体後部から衝撃音が響いていた。
ハルヴィッツ少尉は慌てて計器盤にまた顔を向けていた。状況は明らかだった。短時間のうちに小口径の機銃であたりをつけた敵機は、必殺の20ミリ弾を放っていた。
状況からして機体後部に着弾した20ミリ砲弾の数はそれほど多くはないはずだった。
しかし、状況は致命的だった。計器盤を確認しようとしていたハルヴィッツ少尉の視界が唐突に暗くなっていた。反射的に顔を上げた少尉は思わず眉をしかめていた。
ただでさえ大口径の二重反転プロペラが重なり合うことで視野の暗い前方風防の向こう側がいつもよりも暗くなっていたからだ。被弾した後部エンジンと繋がっている方のプロペラが、咳き込むように急減速していたのだ。
慌ててハルヴィッツ少尉はピッチ角を制御していた。後部エンジンが完全に停止してしまうのは時間の問題だった。というよりも今は単に惰性で動いているだけだろう。
そのままでは停止したプロペラが抵抗源にしかならなくなるはずだった。同時にほとんど無意識のうちに後部エンジンへの燃料供給を断っていた。
すでに戦闘の継続は不可能だった。それ以前に、後方の敵機は未だに姿を見せなかった。いまごろは止めの一撃を加えるために照準をつけているのではないか。
暗澹とした思いでハルヴィッツ少尉は振り返っていたが、背後の光景は予想外のものだった。
ハルヴィッツ少尉の機体のすぐ後ろに張り付くように飛行していたのは、予想したとおりにヴィシー軍のD.525だったが、そのさらに後ろには強引に旋回を続ける1機の44式特殊戦闘機の姿が見えていた。
同時に繋ぎっぱなしにしていた無線機の受信機から声が聞こえていた。
「お前には、誰も奪わせない」
ハルヴィッツ少尉は唖然としていた。無線機から流れていたのは、リュノ中尉の声だった。しかし、実のところ最初は誰の声だか分からなかった。これまで聞いたことがないひどく感情のこもった声だったからだ。
驚いたのはそれだけではなかった。リュノ中尉の声が聞こえたかのようなタイミングで後方の敵機が勢いよく翼を翻していたのだが、その時ハルヴィッツ少尉は敵機の胴体に見慣れたものと同じ標識が描かれているのを見たのだ。
―――なぜあの敵機にリュノ中尉と同じ、麦穂が描かれているんだ……
ハルヴィッツ少尉の見守る前で、麦穂を描いた2機の戦闘機はまるで自らを写した鏡に飛び込んでいくように接近していた。おそらく、両機の搭乗員はお互いしか見ていないはずだった。
急に蚊帳の外に置かれたハルヴィッツ少尉は、後部エンジンの停止した44式特殊戦闘機の操縦席から、飛行機雲を引きながら鋭い機動を繰り返す2機をただ眺めていた。
それはお互いの技量の全てを尽くした戦闘だった。これまでハルヴィッツ少尉が見たことがないほどの激しい戦闘だったが、同時に何故か少尉には気心がしれた者同士が剣舞を行っているような気がしていた。
被弾して退避していたハルヴィッツ少尉の機体を追いかけていたせいか、双方の主力がぶつかり合う空戦域から次第に2機とハルヴィッツ少尉だけが離れていった。だからこの2機の戦闘を目撃していたのはハルヴィッツ少尉ただ一人だけだった。
戦闘が開始された当初は互角に見えた両機だったが、次第に優劣が鮮やかになりつつあった。搭乗員の技量に差があるとは思えなかった。ハルヴィッツ少尉の目で見る限りはどちらも卓越した搭乗員だった。
両者で優劣が付いたとすれは、それは機体性能の差だった。ヴィシー空軍の主力機であるD.525が悪い機体だとは思えないが、リュノ中尉が乗り込む44式特殊戦闘機の性能は単発戦闘機のそれと比べると隔絶したものだったからだ。
激しい空中機動が連続する間に、リュノ中尉の44式特殊戦闘機がD.525の後ろにつけていた。何度もD.525は引き離そうと足掻いていたが、次第に中尉の機体はそれを追い詰めていった。
そして、リュノ中尉の機体の一部が眩いているのをハルヴィッツ少尉はため息と共に見つめていた。瞬いていたのは44式特殊戦闘機だけではなかった。D.525の機体後部からも太陽光を反射しながら何かが落下していくのが見えていた。
どうやら戦闘の勝利者はリュノ中尉で決まったようだった。44式特殊戦闘機の両翼から放たれた機関砲弾は、D.525の機体を食い散らかすように吹き飛ばしているようだった。
だが、ハルヴィッツ少尉の安堵はあっという間に吹き飛ばされてしまっていた。機体を破壊されつつあったD.525は急減速を始めていた。減速というよりも、飛行を継続できなくなりつつあるようだった。
ところが、その死に体のD.525の機体を飛び越えたように見えた44式特殊戦闘機に向かって、こちらも輝くものが撃ち込まれていた。どうやら最後の力を振り絞って銃撃が行われたようだった。
―――戦闘は相打ちか……
ハルヴィッツ少尉は呆然としながら戦闘の結果を見つめていた。
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