1944ニース航空戦11
単座ながら操縦席の前後にそれぞれエンジンを装備した四四式特殊戦闘機は、見た目の割には重量のある機体だった。
ただし、自重があってもそれ以上に出力は大きかったから、速度性能は卓越したものがあった。
機首に設けられたプロペラは二重反転式となっていた。おかげで前方視界は回転する二重のプロペラに邪魔されて暗くなってしまうのだが、前後のプロペラで整流されるおかげで、大出力エンジンにつきものの激しいカウンタートルクは抑えられていた。
四四式特殊戦闘機のプロペラは、一対は機種側に装備されたエンジンによって駆動されていた。もう一対のプロペラを駆動させるための機構などがプロペラ軸周りなどに追加されているが、機種側エンジンは三式戦闘機のそれとほとんど変わりは無かった。
その一方で後部装備のエンジンには特殊な機構があった。エンジン本体は機種側のそれと変わらないのだが、出力軸から出た回転力は操縦席や機種側エンジンの下部に設けられた延長軸を介して、もう一対のプロペラに繋がる機首近くの反転ギアに伝達されていた。
このような機構は、構造は複雑になるものの左右両翼にそれぞれエンジンを搭載する通常の双発機と比べると、戦闘機としての利点は無視できなかった。
左右両翼にエンジンナセルを搭載する場合、いわば3胴機のような形状となって多大な空気抵抗源となってしまうのだが、串型配置の場合は前方投影面積は単発機とほとんど変わらないほどだから、速度性能に関わる空気抵抗を極限出来たのだ。
それに両翼配置の場合は重量のあるエンジンが左右に分散するためにロール率が悪化する傾向があったが、串形配置の場合は重量物が胴体内に集中しているために左右方向の偏りはほとんど無視出来た。
しかし、単発の三式戦闘機と比べると、四四式特殊戦闘機には旋回半径が大きくなる傾向があった。速度が高すぎて、通常の単発機並の旋回半径を行おうとすれば、だいぶエンジン出力を落とさなければならなくなるからだ。
速度が高いために旋回を開始してから終了するまでは短時間で済むが、大回りとなってしまうのは事実だった。
だが、ハルヴィッツ少尉の目の前を飛行するリュノ中尉の機体は、気流をうまく使ってでもいるのか、カタログ値を上回る旋回性能を発揮しているようだった。
険しい表情でハルヴィッツ少尉は、飛行機雲を引くリュノ中尉の機体を見つめていた。少尉の目の前で段々と見える範囲が変わっていたからだ。
何とか追いつけていた最初の頃は四四式特殊戦闘機の尾翼が逆Tの字で見えていたのだが、次第に広大な尾翼に描かれた文字が見えるようになってきていた。
ハルヴィッツ少尉の機体が追いつけないものだから、真後ろから追随していたはずの長機と角度がついてしまっていたのだ。
次に見えたのは、胴体に描かれた一連のマークだった。リュノ中尉の機体には自由フランス軍所属を示すロレーヌ十字が規定通りの位置に描かれていたが、それと並んで麦穂の絵が描かれていた。
それがリュノ中尉個人を示す標識だった。連隊一の戦績の持ち主にしてはひどく地味な標識だったが、中尉にはこだわりがあるらしい。機種転換があった際も、ロレーヌ十字や迷彩の塗装は興味が無いのか整備に任せきりだったのに、麦穂の絵だけは本人が描いていたほどだった。
連隊の士気を高めるためにももっと勇ましい絵柄の方が良いのではないか、ハルヴィッツ少尉がそう質すと、リュノ中尉はわずかに顔を歪ませながらいった。
「この絵じゃないと、誰が来たのかあいつに分からないんだよ」
あいつとは誰なのか、ハルヴィッツ少尉には聞けなかった。もしかすると、その時のリュノ中尉は笑おうとしていたのかもしれなかった。
だが、リュノ中尉は長い間笑うことを忘れていたから、頬を歪ませただけで終わってしまったのではないか。ハルヴィッツ少尉は何となくそう考えていた。
ふとハルヴィッツ少尉は我に返っていた。気がつくと麦穂の絵は視界から消え去っていた。リュノ中尉の機体に追いついたわけではなかった。
単に、先行するリュノ中尉の機体が旋回を終えて直線飛行に戻ったことで、ハルヴィッツ少尉の視線方向と機位が一致しただけの話だった。
2番機の位置にしがみついているハルヴィッツ少尉の機体も旋回を終えていたが、小隊の残り2機が後方に追随出来ているか確認するだけの余裕は少尉にはなかった。
やはり高速の重戦闘機にしては鋭い旋回だった。リュノ中尉は、太陽を背負う形で上空から奇襲をかけて鮮やかに一機の奇妙な双発爆撃機を撃墜すると、降下速度を維持したまま高速で敵編隊を突き抜けていた。
ハルヴィッツ少尉も敵編隊に射撃を行っていたが、命中したかどうかは分からなかった。それよりも長機に追随するので精一杯だったのだ。
一度敵編隊からみて斜め下方に離脱した特別小隊は、速度をゆっくりと高度に変換しながらも高速で270度近い旋回を行っていた。旋回を終えたとき、先頭を行くリュノ中尉の四四式特殊戦闘機の機位は、再び正確に敵編隊を指向していた。
上空から見た時はよく分からなかったのだが、ほぼ真横から見ると奇妙な敵機の構造は一目瞭然だった。双発のアミオ359の上部に単発戦闘機が載せられていたのだ。
上空から見た時は、近接して飛んでいるだけにも思えたのだが、横から見ると両機をつなぐ構造材もある様だった。
下部のアミオ359にも何らかの改造がなされているようだが、詳細は分からなかった。
ハルヴィッツ少尉が奇妙な構造の敵機に気を取られていると、リュノ中尉からの無線が入っていた。
「本隊が敵護衛機を抑えている間にあの双発機を叩く」
淡々とした声に、ハルヴィッツ少尉は慌てて周囲を見渡していた。
周辺空域に展開していた早期警戒機から敵機襲来の報を受けたノルマンディ連隊は、四四式特殊戦闘機のエンジン出力が大きいために高高度性能に勝る特別小隊を上空で待機させる一方で、低空域では連隊の本隊が待機していた。
しかし、先程のヴィシー軍の奇襲攻撃で、本隊には少なからぬ損害が出ていたようだった。
編隊から離れて急加速を開始した双発機が唐突に爆発した時、特別小隊は太陽を背にする為に機動を行っている最中だった。
ハルヴィッツ少尉は敵機の自爆に度肝を抜かれていた。爆発は大規模なものだった。しかも、上空から見ると一目瞭然だったのだが、並進する2機がほぼ同時に爆発したのだから、偶然や事故ではあり得なかった。
急加速していた敵機の爆発は、広範囲に高速で飛来する破片を撒き散らしていた。詳細は不明だが双発爆撃機の重量だけを見れば戦艦の主砲弾が炸裂したようなものではないか。
だが、一時は敵機の自爆で本隊は大混乱に陥っていたものの、次第に立ち直って護衛機らしい敵戦闘機隊と交戦に入っていた。もしかすると特別小隊、というよりもリュノ中尉の鮮やかな奇襲攻撃で敵機が撃墜されたのに触発されたのかもしれない。
確かにこれならば敵戦闘機の存在は当座無視出来そうだった。それに、接近したことで敵機の正体が把握されつつあった。
意外なほど敵機の速度は高かった。大角度の旋回を終えた時ほぼ真横に敵機を捉えていた特別小隊は、次第に斜め後方から接近する形になっていた。しかし、双発機から防御機銃座の火線が伸びてくる気配は無かった。アミオ359には後方に向けて射撃可能な機銃座がある筈だった。
それも当然だった。接近したことで分かったのだが、双発機からは機銃座どころか操縦席を含む上部の風防自体が撤去されていたからだ。
ハルヴィッツ少尉は、先程本隊の目の前で唐突に敵双発機が自爆した理由が分かった気がしていた。双発機は無人化されているのだ。しかも遠隔操縦で自爆させられるのではないか。
突飛な考えではあったが、技術的には不可能ではないはずだ。
ハルヴィッツ少尉の考えが当たっているのであれば、敵戦闘機の数が少ない理由も説明できるはずだった。あの不格好に双発機に繋がれた戦闘機は単に爆撃機を操作するだけなのだろう。
ハルヴィッツ少尉は思わずほくそ笑んでいた。ヴィシー軍は戦術を誤ったとしか言いようがなかったからだ。今のように爆撃機が緻密な編隊を組むのは、広大な空域の見張りを分担して早期に敵戦闘機を発見すると共に、単機では貧弱な防御機銃座の火力を集中して敵機を迎撃するためだった。
しかし、敵機の構造からして防御機銃座など存在しないのだから、敵編隊には集中すべき火力などないのだ。
それならば態々密集隊形をとって存在を暴露したり回避機動の余地を阻害するよりも、単機で低空を密かに侵入して奇襲をかけたほうがまだましではないか。
その場合は、仮に奇襲に失敗したとしても多方向からの同時侵入となることで敵戦闘機隊の対処能力を飽和させることも可能だった。
あるいは、ヴィシー軍もこのように胡乱気な兵器の運用法をまだ確立していないのかもしれなかった。それで従来通りの編隊攻撃を行ってしまったのではないか。
ハルヴィッツ少尉は口角を吊り上げていた。それならばここであの奇妙な敵機を完膚無きまでに叩きのめすだけだった。あれが評価が定まっていない新兵器なのであれば、ここで大損害を受ければ二度と使用されなくなるかもしれないからだ。
だが、ハルヴィッツ少尉のそのような決意は、油断を招く原因ともなっていたかもしれなかった。
特別小隊は二回目の襲撃を敵編隊に掛けようとしていた。勿論、今度は初撃のような奇襲とはならなかった。敵編隊の斜め後方からやや突き上げる形となっていたが、敵機の搭乗員はすでに特別小隊の存在に気がついているはずだった。
しかし、鈍重な双発機を抱えていた敵編隊に為す術はなかった。
最初に先頭を行くリュノ中尉の機体の主翼が光っていた。両翼の20ミリ機関砲が放たれたのだ。
わずかに遅れて主翼下面からきらきらと太陽光を反射しながら空薬莢が落下していくのが見えていた。だが、その数はあまり多くはなさそうだった。発射数が少ないのは、リュノ中尉が敵機の脆弱な一点を狙ったからだろう。
発射数は少なかったが、効果は絶大だった。ハルヴィッツ少尉の視野から薬莢が消え去るよりも早く、敵編隊の1機が姿勢を崩したかと思うと急速に降下していったからだ。
撃墜された敵機は原型を保っていたから、敵搭乗員かエンジンのような重要部分だけが撃ち抜かれていたのだろう。
リュノ中尉の鮮やかな戦果にハルヴィッツ少尉も興奮を覚えていた。同時に、物足りなさも感じていた。この機体の性能であれば自分も同じようにやれるのではないか、そう考えてしまっていたのだ。
ハルヴィッツ少尉は欲を出したのか、リュノ中尉の後を正確に追っていた自機の機位をわずかに捻じ曲げていた。
狙いをつけたのは撃墜された敵機のすぐ後方を飛行していた機体だった。
だが、射撃する直前になってハルヴィッツ少尉は迷いを見せていた。おそらく、自分ではリュノ中尉のように一撃で致命部だけを撃ち抜くのは難しいだろう。
迷っていたのは一瞬だった。無理をせずにより大きな目標、下部の双発機部分を狙おうとしていたのだ。あるいは上部の単発機には逃げ出されるかもしれないが、自爆する機体の方を無力化してしまえば、残るのはただの単発戦闘機だった。
ところが、ハルヴィッツ少尉の機体から放たれた機銃弾は虚しく宙を薙いでいた。鈍重と思えていた敵機が着弾のタイミングを予期していたかのようにひらりと上昇していたのだ。
どうやらハルヴィッツ少尉が狙った機体には、最初に撃墜された敵機と比べると手練の乗員が乗り込んでいるらしい。
だが、頭に血が上っていたハルヴィッツ少尉には、そのような見極めが出来なかった。
先程までの余裕をかなぐり捨ててハルヴィッツ少尉は執拗に敵機を付け狙っていた。
三式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です
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四四式特殊戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です
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