1944ニース航空戦9
鮮やかな奇襲だった。奇妙な形態の敵機が忽ち撃墜される様子を目前で見せられたエミール・ハルヴィッツ少尉は、舌を巻いていた。
初弾を放ったのはこの特別小隊の指揮を取るリュノ中尉だった。
ハルヴィッツ少尉達他の小隊員が高性能の44式特殊戦闘機の性能を今一活かしきれていないのに、リュノ中尉はもう何年もこの機体に乗っているかのように機体を知り尽くした鋭くも危なげない操作を行っていた。
規模の拡張が続いている自由フランス軍のなかでも、ノルマンディー連隊は古参の戦闘機隊であり、特別小隊は、その連隊司令部直属の部隊だった。
特別小隊が装備する44式特殊戦闘機は、その名の通り今年になって日本陸軍に制式化された最新鋭機だった。機体構造は三式戦闘機のそれを踏襲していたが、エンジンを操縦席前後にそれぞれ配置された特異な双発機となっていた。
むしろ機体形状は三式戦闘機の前半部と、機首に大口径機関砲を装備するために胴体後部にエンジンを備えた三式襲撃機の後半部をつなぎ合わせたものと考えたほうが正確かもしれなかった。
胴体はほとんどエンジンや燃料タンク、補機類などで占められていたから、主翼にしか機関銃砲を装備できなかった44式特殊戦闘機は、火力は通常の三式戦闘機と変わらなかったものの、速度や上昇性能は従来の単座戦闘機とは隔絶していた。
もっとも、44式特殊戦闘機は高性能と引き換えに高価な機体だった。日本陸軍でも装備する部隊はまだ少ないし、その名の通り特殊機として少数生産されるだけだから、完全に従来の三式戦闘機に取って代わるようなものでもなかった。
以前にノルマンディー連隊に配属されていたという日本陸軍の技術士官のつてを頼って連隊に配備がされたというものの、ほとんど試供品のような扱いだったから、今後の配備に関しては不明だった。
補給ルートをインド洋経由の日本軍に頼っていることもあってノルマンディー連隊の装備は日本製だったが、三式戦闘機の配備はほとんど日本陸軍の飛行戦隊と同じ時期だったというからかなり優遇された部隊だった。
もっとも、ハルヴィッツ少尉は当時のことはよく知らなかった。ノルマンディー連隊に配属されて間もなかったし、古参の隊員の中で親しいものはいなかった。
むしろ、自由フランスの結成から間もなく編制開始されたこの古参のノルマンディー連隊のなかでは、ハルヴィッツ少尉は浮いた存在だった。
連隊本隊ではなく、配属直後から新機種への適性が評価されて特別小隊に配属されたこともあるが、ハルヴィッツ少尉の出自が周囲の隊員から隔意を持たれる原因となっていた。
規模の拡大を続ける自由フランス軍は、なりふり構わず世界各地に散らばる植民地からも兵員を徴募していた。特に、植民地防衛部隊や移民などの白人種は優先して徴募対象となっていた。
いくら植民地から現地民を兵員として規模を拡大したところで、フランス本国に侵攻するには正当性を欠くと考えられていたからだ。
ハルヴィッツ少尉からしたら馬鹿馬鹿しい話に思えるのだが、自由フランス軍上層部は本国人から見ても違和感のない白人種でないと、本国に残留する国民から反感を抱かれると考えているようだった。
だが、ハルヴィッツ少尉のように白人種であってもマダガスカル出身の人間は自由フランス軍にとって微妙な存在だった。マダガスカル島はフランスの植民地であることには違いがないのだが、他の植民地と比べると異質な特徴があったからだ。
前世紀末頃にあった軍事情報漏洩を発端としたドレフュス事件以後に、マダガスカル島は欧州から広く移民を募ったユダヤ人自治区とされていたからだ。
本来、単なる軍事機密の漏洩事件であったはずの同事件は、容疑者として拘束されたのがユダヤ系のドレフュス大尉であったことで、普仏戦争敗北などによりフランス全土で高まっていた反ユダヤ感情を刺激していた。
最終的には事件そのものは軍情報部によって真犯人が明らかとされていたものの、ユダヤ人に対する世論の反感は収まることなく、またユダヤ人側もフランス人の間に広がる反ユダヤ感情に脅威を抱いていた。
最終的に、ユダヤ人国家建設を目指す一部ユダヤ人指導者と本国内の世情の安定を望んだフランス政府の思惑が合致した結果、マダガスカル島にユダヤ人に優先移民権を与える結果になっていたのだ。
だが、これは実質上のユダヤ人を対象とした棄民政策だった。確かに、マダガスカル等に移住したユダヤ人達には高度な自治権が与えられており、実質的には半独立国扱いを受けていた。
しかし、高度な自治権の裏側にはフランス政府の無関心さも垣間見えていた。本国に置いておけば何かと問題になるユダヤ人が目の前から居なくなったことで彼らの意識からユダヤ系住民は消え去っていたのだ。
マダガスカル島にはフランス政府の干渉がない代わりに、国民に対する庇護も援助も最低限しか与えられなかったのだ。
マダガスカル島への移民一世に当たるハルヴィッツ少尉の祖父たちは、フランス政府の棄民対策を嘆く間もなく、実質的な自分たちの国家建設に邁進していた。少なくともそこではユダヤ人達がユダヤ人であるという理由で差別されることだけはなかったからだ。
それに、彼らは孤立無援では無かった。ユダヤ人国家建設を目指すユダヤ人指導者層は、あくまでもイスラエルの地であるパレスチナへの帰還を目指す一部強硬派と枝分かれしつつも、欧州各地からユダヤ系移民を募っていたからだ。
ただし、故郷を捨ててマダガスカル島に上陸したユダヤ人達の全員が状況を歓迎した訳ではなかった。中には、インフラ網も十分ではなく、欧州と比べると劣悪な環境としか思えない島内の環境に騙されたと感じたものもいたのではないか。
さらに言えば、ユダヤ人の大量植民はマダガスカル島の環境に大きな影響を与えていた。宅地などの造成によって自然環境が破壊されたのもそうだが、彼らはもとからの住民の存在をほとんど無視していた。
マダガスカル島には、アフリカ大陸と隔絶した地理のためか、アフリカ系というよりもインド系に近い現地民がすでに存在していた。
新たに入植したユダヤ人はある時は彼らを利用し、あるときは彼らを追い立てながら植民地の拡大を図っていたのだ。
もっとも現地のインド系住民の存在は悪いことばかりではなかった。彼らを利用する形で汎インド洋系の通商網の組織化が行われていたからだ。
元々ユダヤ系人間には金融や通商の職につくものが多く、それが利に敏いインド系住民の存在と結びついたことでマダガスカルを中心とした船舶運輸の大規模化を招いていたのだ。
そのために現在のマダガスカルのユダヤ人と現地インド系住民は支配者と抑圧民という単純な関係にとどまらない複雑な社会構造を形成するに至っていた。
しかし、このような複雑な歴史がフランス本国人に顧みられることは無かった。彼らからすればマダガスカルの住民は単なる異質なユダヤ人という認識でしかなかったのだ。
下手に見た目では区別が付きにくい為に影に渡った際の差別意識は強烈なものがあるようだった。
事態を複雑にさせることに、マダガスカルの住民の中には欧州本土に対する強烈な帰属意識を抱く層があった。年齢で言えば、それは丁度ハルヴィッツ少尉の親達の世代だった。
彼らの思いは複雑だった。その年代は幼少期をフランス本国で過ごしていたからだ。子供だった彼らからすれば、欧州の環境は懐かしく思えるはずだった。それに、事情もよくわからないままに親たちに連れて来られたマダガスカル島の過酷な環境も相まって欧州本土に過剰な思い入れを抱いているようだった。
ハルヴィッツ少尉の祖父たちと違って、親の世代はドレフュス事件やユダヤ人差別を深刻には捉えていなかった。まだ子供だった彼らは詳細を覚えていないからだ。
現在のマダガスカル島に置いて、自由フランス軍に積極的に参加しようとしているのはこの世代だった。社会では働き盛りであっても、軍隊においては年齢からして老兵となるから、自分では徴募条件に引っかかかる者たちは、ハルヴィッツ少尉のようにその子供たちを志願させる傾向にあった。
今次大戦において、欧州全土を制圧したドイツ軍は欧州に残っていたユダヤ系に対する弾圧を始めていた。
新たに難民となった彼らは欧州からまたマダガスカル島に追放されていたのだが、彼らが語る欧州に残されたユダヤ人の悲惨な現状もマダガスカル島のユダヤ人に義憤を抱かせて自由フランス軍への協力を誘っていた。
だが、肝心の移民3世に当たるハルヴィッツ少尉達の世代は、正直なところ欧州には別になんの思い入れも無かった。難民のユダヤ人にも同胞意識を抱くのは難しかった。
親たちは欧州本土を理想郷の様に語るが、彼らが子供だった頃と比べればマダガスカル島の都市化も進んでいたからそれほど感銘を受けることもなかった。
ハルヴィッツ少尉の一族は、元を辿ればフランスードイツ国境地帯に広がるアルザス=ロレーヌ地方の出身だった。
国境地帯にあったこの地域は、長い間両国で争奪戦が繰り返されていた。前世紀末の普仏戦争で敗北したフランスは、この地域をドイツに譲る羽目になったのだが、フランス系だったハルヴィッツ少尉の一族はこれを嫌って故郷を捨ててフランス本国に移住していたのだ。
だが、ユダヤ人の一族を待ち受けていたのは、普仏戦争の敗北によって余裕を無くしたフランス人の偏見の目だった。彼らの中には、普仏戦争の敗北をもユダヤ人のスパイによるものとしていたものまでいたほどだった。
ハルヴィッツ少尉の一族がマダガスカルに移住を決意したのもそれが理由だった。商売で忙しい両親に代わって祖父母が面倒を見ることが多かったから、ハルヴィッツ少尉は、子供の頃はそんな話ばかりを聞かされて育っていた。
そのように以前から抱いていた思いがあったせいか、ハルヴィッツ少尉は自由フランス軍のなかでユダヤ系の将兵に対する有形無形の差別を冷ややかな目で見ていた。
結局は、自由フランス軍、特にその上層部はフランス本国人に違いないからだ。彼らは自分たちと変わらない容姿のユダヤ人達を利用することは考えていても、ユダヤ人に手柄を立てさせるつもりは無かったのだ。
自由フランス軍が、先の欧州大戦においてもごく限定されていたユダヤ人の志願兵を受け入れたのは、ユダヤ系を信用したためではなかった。
普仏戦争の記憶がまだ残っていた先の大戦では、政治的な信用性からドイツ系住民も少なくないマダガスカルからの志願兵は厳密な審査が設けられていた。
それが今次大戦では制限が緩んだのは時代の流れなどではなく、単に前大戦の頃よりも本土を追われた自由フランス軍に余裕が無くなっていたからに過ぎないのだろう。
表向きはユダヤ系に対する差別の存在を公言するものはいなかった。自由フランス軍と敵対するドイツがユダヤ人の排斥を主張していたために、これに対抗する必要があったからだろう。
現に、フランス本土奪還の足掛かりとなるニース上陸作戦において、地上部隊の少なくない数がマダガスカルから志願したユダヤ人を主力としていた。
ただし、開戦前からの軍人は少なかったから、上級指揮官にユダヤ系の人間が配属される例は少なかった。
それに、ユダヤ系の部隊は上陸第一波には含まれていなかった。政治的な証拠として日本軍に先んじてニースに上陸したのは、数少ない本土出身のフランス人部隊だけだったのだ。
数的には上陸部隊の主力であったにもかかわらず、増援の第二陣以降に含まれていたのだ。
そして、それがユダヤ系部隊にとっての不運を招いていたのだ。
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