1944ニース航空戦5
上陸直後のフランス艦隊との交戦後、ニースに上陸した国際連盟軍の大部分は確保された上陸岸からイタリア国境を目指して東進を開始していた。
現在、イタリア半島では英国軍を主力とする国際連盟軍とドイツ軍が激戦を繰り広げていた。枢軸軍が東部戦線に戦力を集中させているために、戦力比では国際連盟軍が圧倒しているものの、ドイツ軍は険峻な地形が連続するアペニン山脈という地勢を最大限利用して遅滞行動に努めているらしい。
日本陸軍を主力とするニースに上陸した部隊は、このイタリア戦線に対する側面攻撃を意図して東進を開始したようだった。
山がちな地形が続くイタリア半島だったが、その付け根にあたる部分には機械化された軍団が機動戦を行えるほど広大なポー平原があった。
旧オーストリア領、スイスとイタリア王国間の国境に広がるアルプス山脈とイタリア半島を縦断するアペニン山脈との間に広がるポー平原は、イタリア有数の穀倉地帯であるとともに、一大工業地帯でもあった。
国際連盟軍は枢軸軍の策源地ともなっているこのポー平原を側面から衝くことでイタリア戦線の決着を早期につけるつもりではないか。
これはドイツから見れば厄介な事態のはずだった。劣勢のイタリア戦線はもはや時間稼ぎにしかなっていないが、英日両軍を中核とする国際連盟軍が地中海に展開する全軍をイタリア半島の付け根に展開すれば、今以上に事態は大きく変わるはずだった。
戦略上の主導権は国際連盟軍にあった。
ポー平原からそのまま北上すればドイツ本国と同等といっても良い旧オーストリア領を直撃できるし、東進を続ければバルカン半島に駐留するドイツ軍の後方を遮断出来るのではないか。
現在、ドイツ統治下のバルカン半島は政情不安が広がっていた。特に、ユーゴスラビア王国内での抵抗運動が勢力を増していたのだ。
噂によれば、ドイツ軍の侵攻を受けて亡命していたはずの国王が国際連盟軍の手で密かに国内に戻って来ているという話だった。しかも、共産党系の抵抗運動を束ねるチトーを臨時の首相に任命したと言うのだ。
俄には信じられない話だが、民族や主義者などで分裂状態になっていたユーゴスラビア内の対独抵抗運動が集合を始めているのは確からしい。
大規模化した対独抵抗運動は、国際連盟軍が密かに空輸していると思われる豊富な火器を保有する無視できない戦力になっていた。
現地に駐留するドイツ軍は治安維持用の軽装備しか持たない2線級の部隊に限られていたから、昨今では大規模な聖域の存在を許すまでになっているという話だった。
そのような状態のバルカン半島に国際連盟軍が侵攻すれば、抵抗運動もこれに呼応して騒乱状態に陥るのは必至だった。騒乱はユーゴスラビア領内を超えてバルカン半島全体、さらにはルーマニアやハンガリーにまで飛び火する可能性すらあった。
もちろん、国際連盟軍が大挙してアルプス山脈を越山して旧オーストリア領に侵攻する可能性も捨てきれなかった。その場合でも本国との連絡線を断たれたバルカン半島のドイツ軍になすすべは無かったからだ。
それどころか、ソ連と対峙する東部戦線にも危機が訪れる事になるのではないか。東プロイセンと連接する戦線北方に展開する部隊はともかく、南方の部隊はやはり本国との連絡線に圧迫を受けることになるからだ。
可能性で言えば、一度イタリア半島の付け根で合流した国際連盟軍が折り返してフランス本土に攻め込むことも考えられた。
もしもフランス本土の大西洋岸まで到達されれば、同地に展開する防空部隊が失われるから、英国本土から出撃する英国空軍重爆撃機隊と対峙するドイツ空軍の防空体制は縦深を欠いた厚みの無いものになってしまうはずだった。
しかし、この様な事態に対する枢軸軍の方針は未だに定まっていなかった。実質的にはドイツ軍指揮下で受け身で状況を捉えるしかないヴィシー・フランス軍はともかく、そのドイツ軍内部でも意見が大きく別れているらしい。
フランス本土の半分は未だにドイツ軍の占領地帯に指定されていたが、この部隊を率いるロンメル元帥などは、東進する日本軍の後背から攻め寄ってイタリア半島で交戦中の部隊と共に挟撃を図ろうとしているらしい。
だが、この挟撃作戦には肝心のイタリア戦線を指揮するケッセルリンク元帥のほうが乗り気ではないようだった。
ドイツ軍高官の事情はよく分からないが、ケッセルリンク元帥は空き家となったフランス本土に大西洋側から侵攻される可能性や、ドイツ軍全体から見れば支戦線でしかないイタリア戦線に戦力を集中させるのをよく思っていないのではないか。
国際連盟軍が確保したニース橋頭堡に対する大規模な航空攻撃の実施は、このドイツ軍のうちロンメル元帥か、その周辺からの圧力を受けたものだったらしい。
末端の飛行士官でしかないプレー少尉には軍上層部の事情は察するしか無いが、ヴィシーフランス軍に対してかなり強硬な姿勢で要請があったという話だった。おそらく実際には命令に近いものだったのだろう。
ロンメル元帥は、開戦時の対独戦の際には機械化師団を率いてフランス本土を縦横無尽に暴れまわった経歴の持ち主だった。フランス軍首脳には相当にやりづらい相手だったのではないか。
結局は、それが航空攻撃を強行する理由になっていたのだろう。
もっとも、その様な経緯であったとはいえ行われた航空攻撃に完全に勝算が無いわけではなかったはずだ。いくらドイツ軍高官の圧力があったからと言って、みすみす兵を無駄に死地に追いやるほどフランス空軍の上層部に意地がないとは思えなかった。
ニースの上陸岸は無防備とは言えないにしても、上陸当初に比べれば戦力は低下している、はずだった。
上陸部隊主力の日本軍は大部分の東進が確認されていたし、イタリア半島に駐留するドイツ軍守備隊からは大規模な艦砲射撃を受けた報告もあったから、地上兵力だけではなく、有力な国際連盟軍の艦隊も上陸部隊に寄り添うように沖合を東進している可能性が高かった。
主力部隊が出撃したのであれば、国際連盟軍のニース守備隊の戦力が限定されるはずだから、陸上部隊を本格的に投入してニースを奪還するのは難しいにしても、多方向からの侵入などの手段を駆使すればロンメル元帥が納得できる程度の損害を橋頭堡に与えることもできるのではないか。フランス軍上層部はそう考えていたようだった。
要は東進する日本軍がイタリア半島に展開する英国軍などと合流する前にニースから後方補給拠点としての機能を奪えばいいのだ。
ところが、この航空攻撃は無残な失敗に終わっていた。予想以上に国際連盟軍のニース守備隊が強力だったのだ。
国際連盟軍に占拠されたニース周辺の要地には強力な防空部隊が展開していたらしい。偵察機が撃墜されたために詳細は不明だったが、すでに固定配置の大口径高射砲が設置されていると思われる陣地までもがニースにはあったらしい。
ニースに上陸した国際連盟軍部隊の規模は大きかった。最終的には複数の軍団を指揮下に置く軍規模にはなっていたのではないか。
その程度の規模であれば師団級の部隊に随伴して野戦運用を行う牽引式の高射砲を装備する軽快な防空部隊とは別に、10センチを超える大口径の要地防衛用の重高射砲を装備する部隊が配属されていたとしてもおかしくはなかった。
その様な重装備の部隊では東進する主力部隊に同行しては足手まといになるから、ニース防衛部隊に編入されていたのではないか。
また、多方向からの同時侵入を図るために海側から市街地への突入を図ろうとした部隊も、水雷戦隊と思われる駆逐艦部隊からの猛射をうけたらしい。後からわかったのだが、運がいいのか悪いのか、丁度ニースには補給船団が到着したところだった。
東進する日本軍は、戦車や重砲をふんだんに装備した大規模な機械化部隊であるらしい。戦力は大きいが、機械化部隊であるために必要とする物資も膨大なものであるはずだった。
補給拠点となるニースと前線部隊を結ぶ補給路にかかる負担は大きくなるし、ニースに荷揚げされる貨物量や入港する輸送船の数も多いのではないか。
港湾部を爆撃した高速爆撃機は何隻かの大型輸送艦に損害を与えたという話だったが、同時に補給船団を護衛する駆逐艦も入港していた。おそらく対空戦闘を行ったのはこの船団護衛部隊だったのだろう。
未確認ながら、護衛の駆逐艦にはイタリア海軍艦も含まれていたという情報もあった。それが本当であれば、すでにイタリア海軍も国際連盟軍との単独講和後に行われていた再編成を終えて前線に投入されたということになる。
イタリア海軍には講和時でも複数の戦艦を含む多くの大型艦艇が残存していたから、その一部であっても前線に姿を見せれば国際連盟軍にとって大きな戦力となるはずだった。
もっとも、ニースへの航空攻撃の際に友軍機に最も大きな損害を与えたのは高射砲でも艦隊防空火力でもなかった。
ニース周辺に構築された滑走路にはすでに有力な戦闘機部隊が展開していた。その規模は大きく、少なくとも戦闘機連隊程度の部隊がイタリア戦線から転戦してきていたのではないかと考えられていた。
しかも、その部隊は自由フランス軍指揮下のものだった。装備している機体は日本製の三式戦闘機か英国製のスピットファイアだったそうだが、交戦した友軍機がそれらの機体に自由フランス軍所属を意味するロレーヌ十字章が描かれていたのを目撃していたのだ。
だがプレー少尉が実際に気になっていたのはそこではなかった。すでに地上部隊に関しては上陸部隊に自由フランス軍が参加していることは確認されていたからだ。
交戦部隊からの報告では無かった。国際連盟軍自体が、フランス本土への上陸作戦を正当化させるために上陸第一派に含まれていた自由フランス軍部隊の存在を盛んに宣伝していたからだ。
ただし、国際連盟軍参加諸国内はともかく、フランス本土では自由フランス軍に対して好意的な視線を向けるものは少なかった。
自由フランスを代表するド・ゴール准将は停戦時の内閣の一員であったとはいえ次官級の末席に過ぎなかったし、フランス本土内では自由フランスは脱走者が構成した不法な団体に過ぎないと位置づけていたからだ。
それ以前に停戦直後の英国海軍によるフランス艦隊への襲撃や本国に無断で行われたインドシナ植民地の独立などは国内世論を強硬なものにさせるのに十分なものだった。
現在のフランス本土の住民の多くは自由フランスを国際連盟軍の手先程度にしか考えていないのではないか。それに、急激に勢力を拡張させた自由フランス軍の正体は、対独停戦時に英国に逃亡した僅かな元フランス軍人を除けば、植民地から徴用された現地人が大半だったからだ。
しかし、国際連盟軍の勝馬に乗っているとはいえ、基本的には烏合の衆でしかないと思われる自由フランス軍だったが、ニース上空に現れた戦闘機連隊はその例外のようだった。
ニースへの航空攻撃に参加した機体の数多くが戦意旺盛な敵戦闘機に追われて投弾を断念していたらしいし、未帰還機や基地まで帰り着いたとしても、機銃弾の被弾多数によって修理不能の用廃機扱いとなった機体も少なくなかったようだ。
迎撃に出て来た敵戦闘機には、自由フランス軍所属を示すロレーヌ十字の他に、部隊記章が描かれているものがあった。それによれば、敵戦闘機部隊はこれまでも植民地を巡る戦闘で確認されていたノルマンディー飛行連隊で間違い無さそうだった。
シリアを巡る戦闘において早くも確認されていた同連隊は、歴史の浅い自由フランス軍の中では古豪に入る類の部隊だった。そしてプレー少尉は、ノルマンディー連隊の名前を聞いた瞬間に、複雑な思いを抱いていた。
同隊には、プレー少尉にとって同郷ケルグリコミューン出身で少年時代のあこがれの人であったグローン中尉の仇でもあるとともに、やはりケルグリ出身で幼馴染であるクロード・リュノがいるはずだったからだ。
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