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1944ニース航空戦4

 プレー少尉達飛行隊の搭乗員が、巨大な格納庫の中でギイと言う名のシステムを初めて見せられたその翌日から、これに対応した訓練が開始されていた。

 だが、その訓練は当初どこか間の抜けたものにしかならなかったが、それも無理はなかった。


 この親子爆撃機のシステムは飛行隊の誰もが初めて触れるものだった。飛行隊どころか、フランス空軍全軍にまで対象を広げても専門家など存在しないのだから、訓練一つとっても全てを手探りで行っていくほかなかったのだ。

 ギイシステムを構築した技術将校らも、運用面に関してはあまり頼りにならなかった。技術面での助言は得られたが、具体的な操作手順などはともかく、彼らも運用法はさっぱりわからなかったのだ。


 親子爆撃機自体、元々はドイツ空軍からの技術供与によって誕生したものだったが、その彼らも新たに考案されたものであったから詳細な運用法や戦術まではまだ確立していなかったようだ。

 結局、飛行隊は個々の搭乗員の練度維持を目的とした従来どおりのD.525単独による飛行訓練と並行して、整備班や技術将校によって作製された模擬機による訓練を行っていた。


 模擬機と言っても単純なものだった。ギイシステムによる弾頭化改造工事が行われる前に一時保管されていたアミオ359の中から状態が良好なものを選出して、上部にD.525を接続するための支柱を追加しただけの代物だった。

 もちろん、下部のアミオ359は通常の有人機仕様のままだった。これでD.525を搭載した状態での離陸から切り離しまでを模倣しようとしていたのだ。

 実機を使った訓練は許可されなかった。いくら廃棄間際の機体の流用であったとしても、貴重な弾頭機を訓練のために使い捨てすることは不可能だったのだ。


 しかし、この改造を行った機体がどこまで正規仕様と同一の挙動を示すのか、それは誰にもわからなかった。改造された訓練仕様機は厳密には実機とは形状が異なっていたからだ。

 弾頭化改造に伴う無人化だけではなかった。正規仕様に搭載するのと同一形状の支柱では短すぎて通常のアミオ359に搭載した場合は、高速回転するD.525のプロペラで機体を破損してしまうからだ。


 それに、D.525に搭載された無線操縦システムの子機側をアミオ359にそのまま搭載する事もできなかった。技術的な詳細は知らないが、無線操縦システムは本来の操縦系統に直結するものらしく、既存の操縦系統と併存させるのは難しいというのだ。

 訓練機のために本格的な改設計を行うのも難しかった。飛行隊の整備班も、技術将校と製造業者から派遣された技術者たちも本来の無人弾頭機への改造や整備で手一杯の状態だったからだ。

 特に整備班の業務量は格段に増大していた。飛行隊の保有機数はさほど変わらないのに、エンジンの数は単純に三倍になっていたからだ。ある程度の増員もあったし、改造には専門の技術者があたっていたが、それでも工数は増えていたようだ。


 結局、訓練機仕様のアミオ359に搭載されたのは、D.525の無線操縦装置に連動して搭乗員にランプでこれを知らせるという中途半端な代物だった。

 D.525の訓練に付き合って飛ぶアミオ359の搭乗員は、このランプを見ながら操縦するというのだが、結局これでは個人差などが激しすぎてどれだけ実機と同じ挙動となるのかはさっぱりわからなかった。



 妥協の産物となった模擬訓練装置だったが、それでもこのギイシステムの運用が困難極まりないものであることは、即座に飛行隊の要員に知れ渡っていた。

 始めて実機を見たその日からわかっていたことだが、離陸以前に機体に乗り込むだけでも一苦労だったのだ。


 飛行隊の搭乗員は、部隊に配属された期間は短くとも実戦部隊に在籍していた経験は長かったから、本来は愛機の操縦席に潜り込むぐらいは目をつむってでも容易だった。

 ところが、大型のクレーンを使ってアミオ359の上に載せられた途端にそれは一大事業とならざるを得なかった。最初の印象通りに地上から二階の天井まで登るようなものだったからだ。


 空中に上がればどんなに激しい戦闘でも恐怖心を抱くことのない古強者であっても、実際の高度は遥かに低いはずなのに支えもなしに操縦席まで上り詰めるのに恐れを抱くものもすくなくなかった。

 それを順番が来るまでに眺めている間は、プレー少尉やコルコンブ曹長も尻込みする様子の同僚たちに野次を飛ばす元気があったものの、実際に自分たちでやってみると長大な梯子の途中で目を回す羽目になっていた。



 なんとか操縦席にたどり着いてエンジンが回り始めてからも戸惑うことは多かった。風防からの視界はアミオ359と支柱によって嵩上げされている分だけ高く、普段の感覚とは乖離が激しかった。

 地上で滑走路まで自力で移動するのも難しかった。地上で方向転換するためにアミオ359の操作を行うことができなかったからだ。実際には設備の充実した後方基地から運用するのを前提として、基地配備の牽引車を活用するほかないだろう。


 滑走路端に大馬力の牽引車で寄せてもらって離陸する段になっても違和感は消えなかった。むしろ、より強まったような気がした。

 誘導路を移動している際からわかっていたことなのだが、高さが増しているせいなのか、あるいは単純に状態の良い機体を選抜してもまだ訓練機のアミオ359の調子が悪いのかはわからないのだが、D.525の操縦席では普段よりも格段に振動が激しかったのだ。

 やはりこれも普段よりも長い気がする離陸滑走をおえて空中に飛び上がった瞬間に消えた振動の様子に、プレー少尉はそれだけで普段の飛行よりも疲労を感じていたほどだった。



 実際の飛行も散々なものだった。直進飛行程度ならば、多少の振動がある程度でさほどの問題は生じなかったのだが、一度旋回機動などを行うとたちまち化けの皮が剥がれていた。

 旋回に要する時間は恐ろしく長かった。飛行形態からして急速なロールを打つことなど到底出来ないし、旋回半径はひどく大きかった。


 それだけ十分と思える余裕を取ったにもかかわらず、旋回を開始する頃には危険なほど機体が震えていた。主翼もありえないほどしなっていたから、金属疲労も大きなものになっているはずだった。

 理由は明らかだった。当初からそのように設計された構造ではなく、無理矢理に2機の航空機をつなげたものだから、飛行特性の違いが支柱を伝わっていたのだ。

 機体の重量は双発多座のアミオ359のほうがはるかに大きいから、飛行中は何度かそちらに引っ張られるような尻がむず痒くなりそうな奇妙な感覚を覚えていた。



 ―――これで本当に長時間の侵攻飛行など可能なのか……

 プレー少尉は、首を傾げながらも合図に従ってアミオ359との切り離しレバーに手を掛けていた。

 レバーを操作すると、鈍い音と共に劇的に飛行が安定していた。ちらりと見ると、切り離されたアミオ359がゆっくりと自機から離れていく姿が見えていた。

 離れていくアミオ359の機内にこちらを顧みることもなく不安そうな顔つきで必死になって操縦桿にしがみついている操縦員を見つけて、思わずプレー少尉は苦笑していた。


 プレー少尉達に付き合ってアミオ359に乗り込んでいるのはまだ経験の浅い操縦員だった。

 練習飛行に熟練の操縦員を引っ張ってこれるほど余裕がなかったのだが、そのような新米搭乗員にも関わらず、ここから先彼はプレー少尉が操作する無線操縦装置のリピーターの指示どおりに機体を操らなければならないのだ。


 自分よりも面倒臭そうな作業に駆り出されている操縦員に同情しながらも、プレー少尉はこの訓練の意義を計りかねていた。あの様子では無線操縦装置の指示にどれだけ正しくアミオ359が従えるのかわかったものではなかった。

 結局は、弾頭機の動きは実戦で実機を操作するまでわからないのではないか。


 ゆっくりと旋回して距離を取りながら、プレー少尉は自機の操作と無線操縦装置の操作を両立していた。D.525の旋回には理由があった。右手で自機の操縦桿を、左手で無線操縦装置のノブを動かしているものだから、スロットレバーを操作する余裕がなかったのだ。

 出来るのは緩慢な旋回を続けながら視線をアミオ359に据え続けるほかなかったのだ。

 たどたどしく機動するアミオ359の姿を見ながら、プレー少尉は思わずため息をついていた。



 その効果が疑われた訓練機を利用した切り離し訓練だったが、実際にはこれを多用することは出来なかった。有人機のアミオ359の数が限られるものだから、訓練できる搭乗員の数がごく限定されてしまっていたからだ。

 それ以外の要員は無為に待機を続けるか、D.525単体での訓練飛行を行うしかなかった。


 しかし、訓練が中断されることはなかった。その頃には、国際連盟軍の上陸作戦が間近に迫っていることは飛行隊の要員の間でも周知の事実となっていたからだ。

 アミオ359訓練機による飛行訓練が繰り返される中で、割り当てられる搭乗員の顔ぶれが次第に変わってきていた。全員が一度や二度は切り離し訓練を経験したのだが、その後は訓練割当に含まれないものが増えていた。


 明言はされなかったが、何度も訓練を繰り返されるものだけが実戦でギイシステムを運用することになるらしい。概ねは技量優秀者ほどギイシステムに割り当てられる傾向があったが、熟練者でも割り当てられないものもいた。

 単に技量だけを見ているわけではなく、このシステムとの相性まで考慮されて判断されていたようだった。

 どのみち飛行隊全員に割り当てられるほどのアミオ359弾頭機は用意できないようだから、出撃可能な数の要員だけを集中して育成するという方針になっていたのだろう。


 ただし、残りの飛行隊搭乗員がお役御免となったわけではなかった。彼らはむしろD.525単独での飛行訓練が集中していたからだ。

 繰り返された訓練飛行によってこのシステムが飛行中に恐ろしいほど無防備になることはわかっていたから、残りの飛行隊要員も鈍重なギイシステム仕様機の護衛として出撃することになるのだろう。



 良いのか悪いのかは分からないが、プレー少尉はコルコンブ曹長と共にギイシステム担当の方に残されていた。

 こんなことならばもっと手を抜いておけば良かった。残された全員の顔にそう書いてあったが、もう後戻りは出来なかった。


 国際連盟軍が大挙してフランス本土南東部のニースに上陸したのはそのような時だった。

 飛行隊の面々も出撃を待ち構えていたのだが、上陸作戦に伴って出撃が命じられることはなかった。部隊の練度も機材も揃ってはいなかったからだ。


 プレー少尉が奇妙な噂を聞いたのは、さらにそこからしばらくしてからのことだった。

 上陸直後にフランス海軍残存艦隊と国際連盟軍艦隊との間起こった海戦以後、ニースの橋頭堡は確実なものとなって続々と国際連盟軍の後続部隊がフランス本土に足を踏み入れているとの情報が入っていた。


 しかし、国際連盟軍主力が現在のヴィシー政権の首都であるヴィシーやパリなどの内陸部主要都市に侵攻を行う気配は今のところなかった。

 上陸した国際連盟軍の主力は日本軍を中核とした部隊のようだったが、彼らはヴィシーフランス軍を無視する様に東進を開始していた。

 フランス本土を占領下に置くよりも、東進してイタリア半島の付け根に至り後背を扼することで、険しい山岳地帯の地形を最大限利用する形で遅滞を図るドイツ軍を早期に撃破することを狙ったのだろう。


 もちろん、ヴィシーフランス軍もただこれに対して手をこまねいていたわけではなかった。ニース上陸岸を包囲して圧力を加える一方で、大規模な航空攻撃が行われたらしい。


 これに訓練途上であったプレー少尉達は投入されなかったのだが、この航空攻撃は結局無惨な結果に終わったらしいと聞いていた。日本軍が去ったあとのニースには、有力な自由フランス軍が展開していたのだった。

ドヴォアチヌD.525の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/d525.html

アミオ359の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/amiot359.html

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