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1944特設水上爆撃隊10

 地中海上空を飛行する瑞雲の操縦を後席の副操縦装置で行いながらも村上大尉は言葉を続けていた。操縦を奪われた青江二飛曹は困惑しながらそれを聞いていた。

 だが二飛曹の次第に視線は天を見上げたまま離れなくなっていた。


「古来より人々は星々の動きと自分たちの生活を密接に結びつけていた。種蒔きや収穫の時期の目安として、吉兆を占う材料として、星の光は使われていたわけだ。

 そのように単純な構成の世界においては星々と自分たちの位置関係を正確に把握する必要はなかった。天動説の通りに自分たちの周りを星々が取り囲んでいるという感覚で問題はなかった。そもそも人々が一生のうちに移動する距離が現在と比べて小さかったからだ。

 しかし、科学が進んで自分たちが暮らす大地がこの世界にいくらでもある星の一つに過ぎないということを知ったあとでも、人々の認識の中では自分たちを中心とする天動説から離れることが出来ないのではないか。

 この事自体はさほど不自然なことだとは思わない。技術の革新によってどれだけ移動速度が向上してあっと言う間に地球を一周できるようになったとしても、人間の感覚は容易には革新を計れないからだ。

 それに、自身の位置を座標の中心に据え置くのは、計測の正確さと計算の簡略化からすれば当然のことではある」


 そこで村上大尉は一度言葉を切っていた。

「だが、考えてみるとこの星空の配列が生まれたのは偶然に過ぎない。星の光が生まれた位置は視野角とは関係なしにそれぞれが遥か彼方に分かれているからだ」


 青江二飛曹は意味がわからずに首を傾げていたが、そんな様子に気がついたのか、村上大尉は説明するような声でいった。

「我々の地球に一番近い恒星、つまり太陽は除いてということだが、それは5光年ほど離れた場所にあるらしい。まだこの分野は研究が進んでいるわけではないようだが、この5光年という距離は恒星間としてはかなり近いものであるようだ。

 つまり、他の星々も少なくともその程度は離れているということになる」


 やはり話について行けずに青江二飛曹は生返事を返していた。

「光年、というとどのくらい離れているんです」

「光の速さで一年かかる距離だ……そう言われても実感がわかんだろうな。そうだな、この瑞雲の最高速度は大体250ノットといったところだが……仮にこれよりも一桁大きい、つまり2500ノットで飛ぶ飛行機があるとしよう」


「2500ノットですか、いくら何でもそんな飛行機は出来ませんよ」

 青江二飛曹は驚きながら言ったが、村上大尉は何でも無いような声で答えていた。

「それはどうかな。これだと音の速さの3,4倍程度になるが、現在でも新鋭戦闘機が後先考えずに動力降下すれば音の速さ近くまで達することは出来るようだ。

 これを考慮すればこの速度は将来的には達成出来ない速度ではないと思う。さて、仮に長生きして百歳まで生きる人間が一人いたとして、生まれたと同時に2500ノットで飛び出すとしよう。この人間が死ぬまでに飛ぶ距離は……ざっと2億海里、4億キロといったところか」


 青江二飛曹は首を傾げていた。どうも話が飛躍しすぎてよくわからなかったからだ。

「一体何の話なんです……2億海里といってもとんでもない距離だということは分かりますが……」

「とんでもない距離か……たしかにそう感じるが、ところが1光年は何兆キロもあるわけだ。だから一人の人間が一生かかって飛べる距離を一万回繰り返してようやく隣の星までたどり着けるというわけだ」



 思わず青江二飛曹は嘆息していた。

「とんでもなく遠くに星があるということは分かりましたよ。いや、よくは分からないんですが……しかし、これまでそんな事考えもしなかったですがね」

 後席からはどこか楽しげな声が聞こえてきていた。

「日常で使うような距離からは到底かけ離れているからな。だが、これでわかっただろう。それだけ遥か彼方にそれぞれがある星から届く光がこのような配列をとるのは、我々の地球がこの一点に存在してるこの間に過ぎないということだ。

 それに、よく考えると奇妙なことだと思わないか。有史以来、幾度か星の消滅が観測されたことがあったらしい。詳しい現象は知らないが、間違いなく星にも寿命はあるようだ。

 つまり、何年も何千年も掛けて到達した光の持ち主は、今この瞬間には遥か彼方で死に絶えているかもしれないわけだ」


 青江二飛曹は放心した表情で天を仰ぎながら言った。

「何というか、実感がわきませんね。なんと言えば良いのか、あまりに縮尺が大きすぎて、自分と関わりがある話とは思えませんよ」

 気になることがあった。つい先程まであれほど激しく感じられた星の瞬きが少なくなっているような気がしていた。そういえば、断雲がまばらになっているのか、僚機の姿を見失いそうになることも無くなりかけていた。

 これまで確認されていた断雲は、遙かアルプス山脈の北方で形成されたものが、ここまで流されて来ていたのかもしれなかった。

 だが、アルプス山脈から湧きいでた雲は、欧州大陸と地中海の間の海岸線で生じる地面温度などといった環境の著しい変化に耐えられなかった。それで細切れにされて断雲になっていたのではないか。

 青江二飛曹の推測が正しいとすれば、これから先は気象条件が大きく変動でもしない限りは、煩わしい断雲に悩まされる可能性は無視してもよいはずだった。

 断雲が吹き飛ばされたことで鮮やかに見えるようになった満天の星空に囲まれながら、青江二飛曹はそう考えていた。


「さっきも言ったが、遥か彼方にあったとしても、星々と我々人間とは無関係ではいられない。人間のほうが星空を積極的に利用しているからだ。

 大事なのは、自らが矮小であることを自覚しながらも、それに押し流されないことではないか。それさえ理解していれば、どのような事態に対しても自己を見失うことなく、自分の立ち位置を守り続けられるだろう」

 相変わらず、村上大尉の言葉は抽象的過ぎて青江二飛曹は理解が追い付かなかった。しかし、二飛曹は無理に理解を早めようとは思わなかった。理解しようと考え続ける事が重要なのだと気がついていたからだ。

 それだけではなかった。断雲が切れると共に、感覚が広がっていくような気がしていた。村上大尉の言うとおりに星空との関係を再確認したせいかもしれない。


 最初に感じられたのは村上大尉の気配だった。後席から伝わってくる息遣いだけではなかった。制限の多い副操縦装置で操作しているせいかもしれないが、繰り返される機体の僅かな動きから大尉の個性や感覚が伝わってくる様な気がしていたのだ。

 その次にあったのは周囲を飛行しているはずの瑞雲隊僚機の動きだった。推力式の排気管から漏れ出る排気炎や操縦機器からの僅かな光、何よりも僚機によって星々が遮られることで観測は容易になっていた。

 それに、排気管から排出される高温の排煙は徐々に温度を低下させつつ機体後方に残されていくから、星々のゆらぎを観測することで間接的に僚機が辿った軌道を知ることさえ出来そうだった。

 この条件であれば、同様の手段で高度を上げているはずの零式水上偵察機群を観測することも出来るのではないか。



 しかし、青江二飛曹の知覚が広がりを見せたのはそこまでだった。手足を伸ばそうとしても見えない壁に遮られて最後まで伸ばしきれない、そんなもどかしさを感じていた。

 しばらくしてからその理由に気がついていた。簡単なことだ。今はこの瑞雲が村上大尉によって操縦されていたために、青江二飛曹の体の延長線上に存在していなかったからだ。

 そのせいで僚機の動きや周囲の気象条件などが機体にもたらす動きを正確に把握できなかったのではないか。

 目隠しをして走らされているように、五感のいくつかを遮られたような気がしていたのだ。


 その事に気がついた時、自然に天上を見上げていた青江二飛曹の視線は計器盤に向けられていた。そっと操縦桿に手を伸ばしながら、二飛曹は落ち着いた声でいった。

「操縦、貰います」

 青江二飛曹の雰囲気を察したのか、村上大尉も即座に復唱を返していた。青江二飛曹が手にした操縦桿は普段よりも重かった。まだ後席の副操縦装置が機能していたから、二人でそれぞれ操縦桿を握っているような状態だったからだ。

 だが、後席で予備操縦桿が抜き取られる物音がすると同時に、驚くほど操縦桿の感触は軽々としたものに変わっていた。


 村上大尉に半ば強引に操縦を持っていかれて、ひとりでに動く操縦桿を眺めていた時間はさほど長くはないはずだった。その間も巡航状態が続いていたから、大きな動きは無かったはずだった。

 それなのに、まるで別の機体を操っているかのように感覚が変わっていた。勿論、実際に機体の操縦に変化が生じたとは思えなかった。突発的な故障でもない限りそんなことはありえないからだ。

 感覚の変化は青江二飛曹の方に理由があるのだろう。



 今や瑞雲は青江二飛曹の手足そのものになっていた。先程まで感じていた作戦に対する不満が消えたわけではないが、村上大尉の言葉を聞いたあとは何かが吹っ切れたような感触を覚えていた。

 どうせなるようにしかならない。ある意味で捨て鉢になっているようだが、現実に目を背けたり、1下士官にはどうしようもないことに一喜一憂するよりもはましだろう。

 自分にそう言い聞かせると、青江二飛曹は新鮮な気分で操縦桿を握っていた。周囲の僚機の配置を正確に把握することで、操縦にも不安がなくなっていた。

 むしろ、機体を操るのが楽しみでさえあったのだ。



 しかし、星々に見守られた安穏とした飛行は長続きしなかった。しばらくしてから後席の村上大尉に緊張が走ったのが感じられていた。

 村上大尉は、独り言にしては大きすぎる声でいった。

「妙だな……まだ予想位置には距離があるはずだが、逆探に反応があった……」

 青江二飛曹は、緊張しながらたずねていた。

「コルシカ島に向かっているという、敵艦、でしょうか……」


 だが、村上大尉はあっさりといった。

「いや、それはないな。反応があった波長は我軍で使用されている艦載電探のものと一致した。反応からして接触艦となっている島風のものだろう。確か島風は、防空巡洋艦用の対空用の捜索用電探を装備していたはずだ。おそらく、島風は無線封止を行わずに制限なしで対空捜索電探を使用しているようだな」

 青江二飛曹は首を傾げていた。単独で接触を行っている島風が捜索用電探を使用している事自体は、それほど違和感は無かった。夜間に高速で航行する艦隊と確実に接触を保つためだろう。


 満天の星空も海面まで明るく照らし出してくれるほどの光量はもたらしてはくれないだろう。目視のみで接触を保つつもりならば、相当に近距離まで踏み込む必要があるし、仮に艦隊が分離したとしても気が付かないのではないか。

 それに、以前は夜戦を重視した水雷戦隊所属の駆逐艦には熟練した見張員が配置されていたというが、艦隊の増強に伴って経験豊富な下士官や古参兵は不足しがちになっていたから、夜間見張り能力は相当に低下しているはずだ。


 だが、敵艦隊との接触を保つのが目的であれば、使用されるのは対水上電探になるのではないか。青江二飛曹はふと嫌な予感を感じて言った。

「対空捜索電探が作動しているとなると、島風にとっての経空脅威、フランス艦隊を援護する夜間戦闘機でも出撃しているのでしょうか。あるいは、敵艦隊から観測機でも射出されたのか……」

「それはないだろう、フランス本土から離れた海域に絶え間なく夜戦を出すような余裕は彼らにあるまい。それに島風単艦に対して観測機まで使用するとは思えない。仮に観測機を出すとしても、もっと先になるだろう……これは、単に我が隊の接近を確認するためでは……」


 そこで急に言葉を止めると、村上大尉が手元を弄る音が聞こえた。青江二飛曹が怪訝そうな表情を浮かべる前に、大尉は困惑した声でいった。

「島風から入電だ……この空域で旋回待機せよ、だと……」

島風型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddsimakaze.html

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