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1944特設水上爆撃隊9

 ニース郊外から出撃した瑞雲隊は、断雲を切り裂くように突き抜けながら高度を徐々に上げていた。

 先発しているはずの零式水上偵察機の姿は操縦席からでは見えなかった。ただし、後席の村上大尉の様子からすると、肉眼では難しいものの、双眼鏡を使えば何とか上空の位置を確認することはできるようだった。


 不確かな飛行が続いていた。しかも、航空時計を見ると、青江二飛曹の感覚に反して驚くほど時間の経過は僅かだった。

 攻撃隊を構成する機数は少なくないのに、連携はまばらだった。しかも数が中途半端に多いから、編隊を解散して各個に敵艦を目指すのも難しかった。

 下手をすれば暗闇の中で僚機と空中衝突しかねないし、ばらばらに投弾しても有力な高速艦ばかりだという敵艦隊に通用するとは思えなかった。



 視線方向の星が不規則にまたたくを見つけて、青江二飛曹は思わず舌打ちしていた。また瑞雲の進路上に断雲が広がっているらしい。

 闇夜に紛れて正確なことはわからないが、断雲一つ一つは薄く、広がりもさほどのものではないようだった。だが、暗闇のなかでも僅かに海面を照らし出す星明りが確認できなくなるし、僚機の姿が断続的に見失われるのも厄介だった。

 それに、突き抜けたと思えばすぐに次の断雲が見えてくるものだから、青江二飛曹にはまるで断雲が自分たちにまとわりつくような気がしてひどく不快感を覚えていたのだ。


 後席から声がかけられたのはそんな時だった。

「少し操縦を代わろうか」

 気負うところのない、ひどく涼し気な声だった。勿論、後席の村上大尉の声だった。発進直後は編隊他機や母艦との連絡などで多忙のようだったが、巡航飛行に入ったことで手が空いたのかもしれない。

 だが、青江二飛曹は最初何を言われたのかわからなかった。足柄の飛行長を務める村上大尉は、二飛曹にとって直属の上官だったが、これまで同乗したことはさほどなかった。

 青江二飛曹は瑞雲の搭乗員だったが、飛行長である村上大尉は三座の零式水上偵察機に乗り込んでいるか、足柄にとどまって指揮を執っていることが多かったからだ。


 もちろん、青江二飛曹もいくら同乗の経験が少ないからと言って村上大尉の声を聞き間違えたというわけではなかった。言葉がわからなかったわけではなく、その意味がわからなかったのだ。

 しばらく考えてから、村上大尉が後席の副操縦装置のことを言っていることに気がついていた。



 配備された瑞雲には、後席から機体の操作を行う副操縦装置が装備されていた。ただし、操縦席に設けられている主操作系統からすると、後席のそれはひどく簡易なものでしかなかった。

 巡航時に補助的な使用は出来るだろうが、熟練者でなければ微妙で繊細な操作が要求される戦闘時や離着陸時などには使用できそうもなかった。

 この機体にも副操縦装置は設けられていたが、普段は取り外し式の操縦桿が差し込まれることは殆どなかった。青江二飛曹も副操縦装置のことは半ば忘れていたほどだった。


 大型の陸上攻撃機や重爆撃機のように専門の副操縦士まで有するほどではないが、長距離飛行を行う偵察機の場合、操縦を交代するために複数の操縦系統を備えているものは少なくなかった。

 ただし、複座の瑞雲の場合は本来であればそれほど高度な操縦装置は必要ないはずだった。長距離偵察を行う零式水上偵察機などとは違って、操縦士の疲労を考慮しなければならないほど長時間飛行することは無いはずだからだ。


 瑞雲に設けられた副操縦装置は、本来は飛行訓練時に使用されるようなものであるようだ。後席に座る教官が訓練生が操縦できなくなった時などに補助的に使用するのだろう。

 だが、後方の練習航空隊ならばともかく、実戦部隊に配備される機体にそのような副操縦装置が搭載されているのは解せなかった。

 この機体の操縦士である青江二飛曹も機種転換訓練は受けていたが、これまで乗り込んでいた零式水上観測機や零式水上偵察機と比べて瑞雲の操縦系統に格段の違いがあるわけではなかったから、訓練期間は短かったし副操縦装置の世話になることもほとんどなかった。



 気になって以前少しばかり調べてみたが、副操縦装置が備えられていたのは足柄に配備された機体だけではなかった。青江二飛曹が調べた限りでは、巡洋艦に搭載された瑞雲は全て副操縦装置が備えられた形で配備されていたようだ。

 正確なところは結局わからなかったが、どうやらこの副操縦装置は元々練習機仕様として計画されていた頃の名残であったらしい。


 瑞雲の計画当初は、巡洋艦搭載用だけではなく、基地航空隊においても大々的に同機が運用されるはずだった。それだけ水上爆撃機としての能力に期待されていたということだろう。

 そのような状況であれば、一定数の割合で練習機仕様を保有する必要もあるはずだった。当初から水上爆撃機隊に配属される新兵も少なくないからだ。


 ところが、実際には戦訓を反映して水上爆撃機どころか、水上機という類別そのものが大幅な見直しを受けることになっていた。そのような状況だから、単に残された巡洋艦搭載機の定数を満たすだけであれば、消耗分を含めても生産数が三桁にも届かない可能性すらあった。

 この状況では大規模な練習機仕様の製造の必要性はなくなってしまうが、それでも機種転換訓練などにおいて一定数の練習機は必要となるはずだった。それで製造業者や航空行政に携わる技術官僚は頭を抱えることになったのではないか。


 母艦である足柄共々欧州派遣が長引いていたから青江二飛曹も噂話程度でしか知らないが、一大消耗戦となった感のある今次大戦に対応するために、日本本土では各種航空機の大量生産体制が構築されていた。

 どの製造業者も設備や工員を拡充して製造数の拡大に努めていた。ただし、どれだけ生産体制を強化したとしても、生産機種が頻繁に変更されていてはそのたびに治具や工員の配置などを変更しなければならなくなる。


 戦闘機であれば海軍の零式艦上戦闘機や陸軍の三式戦闘機などが特に重点製造機種に指定されて量産体制が構築されているらしい。この両機はすでに一万を超える数が生産されていた。

 一世代前の九六式艦上戦闘機の生産数が各型全てを合計しても千機程度だったというから、文字通り桁違いということになる。

 製造業者のことはよくわからないが、製造の体制そのものが開戦前とは一変しているのではないか。


 そのような大量生産体制の中にわずか百機程度の製造しか望めない特殊機の計画を組み込むのは難しかったはずだ。

 それに生産数が少なくとも陸軍の司令部偵察機のように前線部隊から航空本部まで希求するような需要があるのならばともかく、すでに水上機には将来が無いようにも思えたはずだった。


 実際に配備された実戦機に練習機の仕様が残されているのはこのあたりに原因があったらしい。製造効率を向上させるために仕様を統一した結果、練習機にどうしても必要な副操縦装置を実戦機に組み込んだ形で製造されていたのだ。

 だが、母艦搭載の航空隊は、対潜哨戒を除いてこれまでほとんど実戦に投入されていなかったから、消耗も少ない代わりに新兵の補充も少なかった。

 結局副操縦装置は無用の長物とかしており、普段は邪魔にならないように後席脇の定位置に固縛されている操縦桿が、足元の操縦装置に差し込まれることもなかったのだ。



 だが、青江二飛曹は後席で物音を聞いた直後に操縦桿に不自然な重みを感じていた。

 ―――返事も聞かずに副操を動かしたのか……

 青江二飛曹は慌てて操縦桿から手を離していた。後席と違って操縦席には操縦桿を取り外すような機能は無かったからだ。少し遅れて後席からまた声が聞こえた。

「操縦、貰います……二飛曹もたまには星を見てみないかね。操縦に専念していると空を見上げる余裕もないだろう。この星空を独り占めするのも悪いと思ってね」


 ひどくのんびりとした声だった。浮世離れした内容だったといってもよかった。だから青江二飛曹は困惑を覚えていた。

 先程から瑞雲は幾度も断雲を突き抜けていた。一つ一つは薄いが不規則に広がっているものだから、断雲によって星々の光も明るさが頻繁に変化していた。とてもではないが、面白く思えるような光景とはいえないのではないか。それともその変化そのものが面白いということなのだろうか。



 しかし、青江二飛曹は困惑しながらも村上大尉の言葉を無視できなかった。現実に瑞雲の操縦を持っていかれたこともあるが、平坦なようでも何故か大尉の言葉には重みがあったのだ。

 もしかすると、先程まで感じていた青江二飛曹の焦りを村上大尉は敏感に感じ取っていたのかもしれない。だが、作戦行動中に単純に叱責しただけでは下士官の動揺を避けることは出来ない、そこで星空が何だとか話をするための理由をつけたのではないか。

 青江二飛曹はそう考えながらもすぐに自ら否定していた。自分にあっさりと見破れるようなそんな露骨なやり方を大尉がするとは思えなかったからだ。



 戦時中ゆえの中級指揮官不足を反映したために進級のはやい村上大尉との間は階級では大きな差があるが、確認したことはないが歳は青江二飛曹とほとんど変わらないはずだった。

 それなのに村上大尉には仙人のように老成した雰囲気があった。単に兵学校卒業の将校だからというわけではあり得なかった。正規の将校でも余裕のない人間などいくらでもいたからだ。

 むしろ、持って生まれた性質が村上大尉をそのような人間にしていたのではないか。


 青江二飛曹は黙ったまま村上大尉の声を待っていた。まだ大尉の話には続きがあるはずだったからだ。しばらく待ってから落ち着いた声がまた聞こえた。

「欧州に来てから暫くの間、星々の見え方が違って見えたことがあった……」

 自分の意にならぬまま操縦桿が小刻みに動かされるのを見ながら、青江二飛曹は怪訝そうな表情を浮かべていた。煩わしい断雲に遮られてまで、村上大尉の言う通りに星空を見上げる気にはなれなかったからだ。


 青江二飛曹が疑問に思ったのは、断雲がなかったとしても天測の原理からして場所が変われば、星々の位置も変化するのではないか、そう考えていたからだ。

 だが、そう尋ねると村上大尉は苦笑したような声を上げた。

「別に天測航法のことを言っているわけではない。それは自明のことだ。そうではなくて……うまくは言えんのだが、感覚的に星空が違って見えたんだな」


 何を言えばわからずに青江二飛曹は押し黙ったまま空を見上げていた。そう言われてみると確かにこの空は見慣れた日本のそれとは違うような気がする。

 しかし、村上大尉は暫くの間はといった。つまり現在ではその違和感は大尉から消え去っているということではないか。


「何がきっかけだったのか、それはもう覚えていないが、ある日に気がついた。違っているのは星空ではなかった。自分の方が違っていたのだと」

 村上大尉の言葉は謎めいていた。青江二飛曹は相槌を打つのも忘れて後席の大尉の気配に集中していた。

「星空を違って見せていたのは自分の立っている物理的な位置とは無関係だった。単に自分の受け取り方、精神的なそれが本土にいた頃から変わってしまっていたのが原因だったとしか言いようがない」


 そこで一度言葉を途切れさせると、村上大尉は青江二飛曹に尋ねていた。

「二飛曹は天動説と地動説という言葉を知っているな。星空が動いているのではない。自分たちの地球が動いているというやつだ」

 首を傾げながらも二飛曹は曖昧に答えていた。

「そういえば昔小学校で習ったような気もしますが……」

「そう、今では誰もが地動説が正しいと知識では分かっている。だが、その実は感覚的には自らを中心とする天動説を知らず知らずのうちに考えているものが多いのではないかな」


 青江二飛曹は無言で空を見上げていた。まるで禅問答のようだった。

三式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/3hf1.html

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