1944特設水上爆撃隊8
艦種からすれば本末転倒とも言える水上機母艦航空隊の転科は、巡洋艦艦載機部隊にとっても大きな衝撃を与えていた。
特設水上機母艦とは異なり、正規の艦艇である水上機母艦は主力艦隊に随伴して洋上で攻勢的な任務に使用するために建造されていたものだった。
その搭載機の任務は、純然たる捜索、偵察任務に加えて巡洋艦艦載機と同じく対艦攻撃も想定されており、就役当時は零式水上偵察機と補助戦闘機として運用される零式水上観測機が搭載されていた。
そのような運用計画が継続されていたのであれば、水上機母艦搭載機は青江二飛曹が乗り込むものと同じ瑞雲が水上爆撃機として主力となっていてもおかしくはなかったのではないか。
過去には、水上機母艦に零式艦上戦闘機を原型として浮舟など水上機に必要な艤装を施された特異な二式水上戦闘機が搭載されたこともあったらしい。
攻撃隊を編成するような積極的な使用は難しいが、浮舟という足かせが付けられた戦闘機であっても、補助防空戦闘程度は可能だった。おそらく高速輸送艦として使用されていた水上機母艦にとって、水上戦闘機は自衛戦闘のために搭載されていたのだろう。
だが、水上機母艦から搭載機が降ろされたのは、それからしばらくしてからのことだった。
正確な理由は青江二飛曹にはよくわからなかったが、高速輸送に専念させるためか、あるいは結局は零式艦上戦闘機を母体とした二式水上戦闘機でも、枢軸軍が使用する陸上機の性能には抗し得なかった為かもしれない。
そして、今回のニースへの上陸作戦を控えた時期に行われた大規模な再編成によって、とうとう水上機母艦からは編制としての水上機部隊が取り除かれてしまっていた。
1個戦隊分の水上機母艦からは固有の搭載機そのものが無くなっていた。艦種が変更されたわけでもなければ、射出機などの航空艤装が撤去されたわけではないようだが、前後の状況からして母艦航空隊がここから先に再編制されることがあるとは思えなかった。
仮に母艦航空隊が復活することがあったとしても、その装備は水上機ではなく回転翼機となるのではないか。もう1個の航空戦隊が装備機を回転翼機に改めていたからだ。
水上機母艦に搭載された回転翼機は、陸軍が制式採用した観測直協機だった。より大型で連絡機として使用できる機体も搭載されているらしいが、主力は軽快な複座機であるらしい。
本来は重砲兵部隊に同行して着弾観測を実施するために制式化された機体で、原型はシベリアーロシア帝国と英国の共同開発機であったというが、詳細は青江二飛曹も知らなかった。
ただ、漏れ伝わってくる開発時の経緯などからすると、本来は砲兵部隊で着弾観測に用いられていたオートジャイロを代替する為の機体だというから、洋上で運用されるようなものではなさそうだった。
そのせいなのか、直協機として大規模な運用を開始している陸軍に対抗するように回転翼機の導入を開始したものの、日本海軍ではこの新たな機種をどのように運用するのか、それ自体が手探りの段階のようだった。
今回の作戦において航空分艦隊に配属された水上機母艦に集中配備されたのも、運用試験の延長なのではないか。
だが、上陸地点周辺に行われている艦砲射撃の着弾観測ではすでに回転翼機は成果を上げているようだった。制空権が確保されている状況では空中に静止できる回転翼機は継続した観測には向いているのかもしれない。
それ以上に運用に制限の多い水上機と比べると、使い勝手の良さが際立っているようだった。
水上機を発艦させるには大掛かりな射出機と風向きの制限が必要だったが、回転翼機の場合は回転翼の回転半径に余裕をもたせた空間さえあれば発艦は容易だった。
着艦の場合は、一度着水した後に引き上げなければならない水上機に対して、回転翼機はそのまま開けた甲板に降り立つだけなのだから、発艦以上に利点が大きかった。
水上機と比べても現行の回転翼機は非力で飛行形態には制限が大きかったが、本来は補助的な航空戦力に過ぎない水上機に敵艦隊への襲撃などといった攻勢任務を与える方がむしろおかしいのではないか。
そのような過剰な任務を省き、長距離の哨戒も空母航空隊の電探搭載機に任せるのであれば、大部分の作業は回転翼機でも十分行えるのかもしれなかった。
だが、水上機母艦航空隊の再編成は、巡洋艦艦載機部隊にとってみれば影響が大きかった。これまでのように単に水上機を装備する部隊が減少するだけではなかった。
各巡洋艦搭載の水上偵察機部隊と水上機母艦とは、戦隊どころかその上位の艦隊の段階で所属が異なっているにも関わらず、密接な関係にあったからだ。
今ニース沖合から発進した特設飛行隊の母艦は、大型巡洋艦であることは共通しているもののその所属は異なっていた。青江二飛曹は巡洋分艦隊に配属された重巡洋艦足柄を母艦としていたが、飛行隊の中でも最大機数を発艦させた軽巡洋艦利根、筑摩の2隻からなる第8戦隊は空母分艦隊の直掩についていた。
他にも護衛戦力として戦艦分艦隊に配属された戦隊もあった。
ただし、配属先は異なるものの各機の母艦である巡洋艦群は、水上機の母艦であると共に水上戦闘艦艇でもあった。つまり、航空機の発着艦を任務として自衛火力以上の兵装を有しない純然たる航空母艦とは異なり、母艦でありながらも自らも積極的に敵艦と交戦する可能性が高いということだ。
今次大戦開戦以前に想定されていた漸減邀撃作戦を持って行われる対米戦では、重巡洋艦と一部の大型軽巡洋艦は、夜戦においては水雷戦隊を火力で持って援護すると共に、主力艦同士が衝突する艦隊決戦となる昼間戦闘では敵戦艦群に雷撃を実施する予定となっていた。
このように大型巡洋艦が配属された戦隊には八面六臂の活躍が期待されていたのだが、それは同時に敵艦隊との交戦で損害を被る可能性も高いということを意味していた。
搭載機部隊にしてみれば厄介な話だった。母艦から出撃して無事に帰還できたとしても、航空母艦と比べて母艦自体が喪失している可能性が高いということだからだ。
仮に母艦が無事だったとしても、帰還時には敵艦隊と接敵している可能性もあった。勿論、その場合は帰還しても母艦に収容してもらえることはないだろう。
しかし、当初の経緯からして空母航空隊の水増しの為に揃えられた戦力とはいえ、自分達のことながら水上爆撃機として運用される水上偵察機とその要員は、決して使い捨てにできるほど安いものではなかった。
以前であれば本来の母艦でなくとも航空母艦に収容されることも可能だった。陸上機と水上機の境が曖昧だった頃は、水上戦闘艦搭載機であっても整備などのために空母に収容されることも多く、艦尾などに水上機収容用のデリックや格納庫に通じる扉などを設けている艦が多かったからだ。
だが、専用化が進んだ現在ではそのような過渡的な措置が取られることはなくなっていた。水上戦闘艦であっても大型艦であれば簡易な整備機能を有するようになっていたこともあったが、それよりも航空母艦側にそのような余裕がなくなっていたと考えるべきだろう。
本来着艦させるべき空母艦載機の数が増えているものだから、巡洋艦程度の排水量しか無い小型の空母ならばともかく、戦艦に匹敵する天城型や翔鶴型などの大型空母を、たった数機の水上機を収容させるために海上に停止させるような無防備な行動は取らせたくないだろう。
それ以前に搭載機数増大を狙って、新鋭艦では格納庫を艦尾まで広げているから、水上機を収容させる設備も空間もなかった。
従来の航空母艦に代わって投弾後に帰還した水上偵察機を一括して受け入れるのは水上機母艦となるはずだった。
日本海軍の水上機母艦は、他国の同艦種よりも高速で火力が充実しているとはいえ、それはあくまでも空母艦隊に随伴して自衛戦闘を行う程度のものでしか無いから、巡洋艦のように敵艦隊に向けて突撃を行うことは考えづらいし、当然のことながら水上機の収容設備も充実していたからだ。
それに、元々自艦から発艦した水上機を収容しなければならないのだから帰還時に多少収容数が増えたところで、収容作業自体は殆ど変わらないはずだった。
水上機母艦の搭載機数が多いとはいえ、巡洋艦から発艦した全機が無事に戻れば収容定数を超えてしまうはずだが、露天繋止数の増大はある程度可能だろうし、機体を投棄する事になっても乗員の救助は確実に行えるだろう。
勿論、水上機運用に特化した水上機母艦の整備能力は定数が2,3機程度の巡洋艦とは比べ物にならないから、再出撃のために整備を行うのも容易なはずだ。
空母搭載機のようには行かないだろうが、巡洋艦から出撃して帰還した機体と水上機母艦固有の搭載機でもって物資や機材を消耗し尽くすまで反復攻撃を行うことは可能のはずだった。
このような点からすると、普段の行動では馴染みがなかったとしても、水上機母艦は巡洋艦搭載機部隊にとって第二の母艦とも言える存在のはずだった。それが固有の搭載水上機を廃止するというのだから、航空隊に広がった不安は大きなものだったのだ。
今の所は、特設補給隊に指定された艦も、回転翼機母艦とされた艦も水上機収容用のデリックなどは撤去されていないようだが、現状が長引くようであればどうなるかわからなかった。
補給物資の積み込み、積み下ろしなどのためにデリック自体が残される可能性もあるが、補給用のデリックと水上機用のそれでは要求されるものが違うはずだから、改造などを受けることもありうるのではないか。
それ以前に、搭載機を降ろされた艦はもちろん、回転翼機部隊となった艦でも整備長以下の整備科は、水上機運用から手を引いているはずだ。当然のことながら整備科倉庫などからも水上機用の消耗品や機材などは降ろされているだろう。
これでは仮に水上機母艦に収容されたとしても、再出撃など不可能だろう。
巡洋艦搭載機部隊に広がった不安はこれが原因だった。本来の想定通りに空母艦載機を補強するために巡洋艦から出撃したとしても、帰還先のない一度きりの出撃となるのではないか、あるいはそれを理由に現在のように出撃を差し止められるかだ。
―――結局は、この作戦が強行されたのは、先の見えない水上機部隊の将来に対する焦りが原因に過ぎない、ということか……
青江二飛曹は冷めた表情でそう考えていた。
巡洋艦搭載機への配属が長かったとはいえ、青江二飛曹自身にはさほど現状に対するこだわりはなかった。元々、二飛曹が海軍の搭乗員となったのは成り行きのようなものだった。
今次大戦開戦前、欧州における政治情勢の悪化などから大規模な戦争の予感が密かに市井に広がっていた。最もその受け取り方は一様ではなかった。
あるものは前大戦時のように軍需品の生産による経済成長を期待していたし、逆に出征した親類などを失ったり、自らが傷痍軍人となったものは暗い予兆を覚えていた。
青江二飛曹は後者の方だった。フランス本土の戦闘でひどい目にあったという傷痍軍人が近所にいたものだから、学校を出ても兵隊として招集されるのではないかと考えたのだ。
徴兵されて陸軍で下っ端の兵隊になるよりもは、最初から志願してスマートに見える海軍で飛行機に乗ったほうが格好が良いではないか、そのように友人たちと話していた青江二飛曹は、規模や制度の拡張を行っていた海軍飛行予科練習生に願書を出していた。
その結果が地中海の片隅での飛行作業に繋がっていたのだ。
だが、青江二飛曹の予想は外れていた。少なくとも当時予科練を落ちて地方に残っていた友人たちの大半は、皮肉なことに招集を免れて職についていた。
欧州を早々に追い出されていた国際連盟軍にとって、必要だったのは頭数にしかならない日本陸軍の新兵ではなく、日本本土で大増産されている砲弾などの各種軍需物資だったからだ。
二式観測直協機の設定は下記アドレスで公開中です
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天城型空母の設定は下記アドレスで公開中です
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