1944特設水上爆撃隊7
日本海軍では、かつてあれほど重点的に整備されていたのが嘘だったかのように水上機部隊の縮小が相次いでいた。陸上基地から運用される常設の部隊などはもう殆ど残っていないのではないか。
水上機部隊の中には転科の対象となったものも多かった。高速水上偵察機の開発中止が象徴するように、使い勝手の悪さなどから水上機部隊の有用性が低下していると判断されたのは間違いないが、訓練された操縦員や熟練の偵察員は貴重な存在だったからだ。
再訓練によって別部隊に要員を転用できれば、それに越したことはなかった。
転科先は様々なものがあったようだ。戦闘機や艦上哨戒機の装備によって、昨今増強が著しい船団護衛用の海防空母搭載部隊として再編制された部隊が多かったが、整備員や偵察員の大幅な増強を受けて飛行艇部隊に転科した部隊もあったようだ。
同じ水上機ではあっても、単発の水上偵察機と比べると遥かに大型な飛行艇の需要は現在も大きいようだった。
海軍の大型飛行艇は、四発の陸軍重爆撃機にも必適する巨人機だった。搭載量や航続距離もその図体に比例するように大きかった。
大半の飛行艇部隊は、主に開発時の目的どおりに長距離偵察機として運用されていたが、飛行艇部隊の主力機である二式飛行艇には輸送型もあったから、傷病兵の本土への移送や重要人物の移動などに従事する輸送専門の部隊もあった。
このような水上機部隊の縮小は、水上機の使い勝手が悪いためといわれているが、青江二飛曹にはそれだけが原因だとは思えなかった。というよりも、そんなことは以前からわかっていたことだからだ。本質的な理由は別にあるのではないか。
確かに陸上機と比べると水上機は原理上不利な点が少なくなかった。空気抵抗の塊である浮舟を持つために高速化には限度があるし、艦載機として運用する場合も収容には母艦を洋上で無防備に停止させる必要があった。
もちろん、水上機にも利点はあった。その運用に際して陸上機や艦載機とは異なり、長大な滑走路や甲板全てを費やさなければならない飛行甲板の必要はなかったから、主力艦を投入できない支戦線や本格的な航空基地が開設されるまでの間を支える戦力として期待されていたのだ。
だが、最近ではそのような利点は薄れてきていた。各種土木機材の装備によって設営隊の能力が飛躍的に向上したことから、航空基地に必要な滑走路や付随施設の建造速度も、人力に頼っていた従来のやり方とは比較にならないほど格段に高まっていた。
牽引機や排土機のような土木工事に特化した車両だけではなく、最近では陸軍で工兵用として開発されていた三式装甲作業車を装備する部隊も増えていたから、ある程度の前線であっても作業を強行することも不可能ではないらしい。
そのように大幅な機械化によって迅速に機能が充実した航空基地が設営できるのであれば、中途半端な性能しか持たない水上機部隊を投入するよりも、最初から陸上機部隊を送り込んだほうが効率が良いと判断されていたのではないか。
陸上機ではなく、艦載機であっても事情はさほど変わらないようだった。今次大戦の開戦以後も、大型の軍艦である正規空母の数こそさほど増えてはいないものの、その代りに船団護衛用の海防空母は多数が就役していた。
海防空母は元々補助的な任務に使用するために建造されていたものだったが、その航空機運用能力は侮れないものがあった。
海防空母の原型となっているのは一万トン級の戦時標準規格船だった。戦時規格の名称を持つとはいえその構造は商船と変わりがなかった。規格も水密区画などが充実した軍艦のそれではなく、商船建造用に定められた帝国海事協会の船級規則に則ったものだった。
航空艤装も、当初建造されていたものは、通常の三島型貨物船から上部構造物を取り払って代わりに飛行甲板を括り付けたような簡素なものでしかなかった。
艦型も小さく、速力も低いことから高速の正規空母のように広大な飛行甲板に多数の攻撃隊を並べて一挙に発艦させる事もできなかったのだ。
ただし、海防空母の能力が低いと感じるのは比較対象を正規空母としていたからだ。船団護衛に投入される海防空母の任務は、敵長距離哨戒機に対抗するための最低限の対空戦闘能力と航空対潜哨戒だった。
そのような任務においては、正規空母のように多数の攻撃隊を短時間で連続発艦させる必要などなかった。一度に発艦させるのは、戦闘機や哨戒用の艦攻、哨戒機が単機かせいぜい小隊規模で十分なはずだった。
飛行甲板の狭さや速力の低さも実際の運用では大きな支障とはならないようだった。海防空母で運用されているのは、翼面荷重が小さく、失速速度の低い旧式機や哨戒機に限られていたからだ。
それに、最近になって就役している海防空母は、航空艤装も正規空母に準ずる充実したものが搭載されているらしいと青江二飛曹も聞いていた。
補助戦力でしか無いはずの海防空母に不相応な贅沢品を積み込んだというわけではなかった。
従来の海防空母では旧式化した九六式艦上戦闘機などを運用する場合が多かった。今次大戦開戦に伴って急遽海防空母の随伴が必要となる護送船団が構築され始めたものだから、旧式化しているもののそれなりの数が確保できる機体がとりあえず転用されたというだけだ。
しかし、大規模化が進む護送船団の護衛任務の効率化を図るには、そのような当座転用の機体を使用し続けるわけにはいかなかった。それ以前に、零式艦上戦闘機の就役に従って返納されていた九六式艦上戦闘機の機体寿命はさほど長くなかった。
だが、軽快な九六式艦上戦闘機に代わって運用されるのが、艦上機として改設計が行われていたとはいえ元々が陸上機だった東海とするためには航空艤装を充実させるしか手はなかったのだろう。
建造中という噂の正規空母では、将来性を見込んで現用機よりも相当に重量のある機体でも運用可能となる航空艤装が計画されているらしかった。
ここ最近の航空機の急速な発展を考慮すれば、無理もない話だった。マルタ島沖で撃沈された龍驤のような軽量級の空母では新鋭機を運用するのが不可能になっていたのではないか。
実際、日本本土に留め置かれてもっぱら練習空母として運用されている鳳翔では、飛行甲板が短すぎて失速速度の大きい現行の機体では飛行甲板への接触までしか行わない擬着艦訓練しか行えなくなっているという噂も青江二飛曹は聞き及んでいた。
だが、その日本海軍初の空母である鳳翔とほとんど艦体寸法の変わらない海防空母であっても、着艦制動索を重量級の機体で受け止められるほどの大容量のものを搭載することで新鋭機の運用が可能となっていた。
発艦に関しても、飛行甲板に埋め込まれた射出機を多用することで可能となっていた。海防空母に搭載された射出機は、巡洋艦搭載の火薬式のものとは違って、装置自体は大掛かりになるものの、使用に際して消耗品が少なく、信頼性の高い油圧式の英国から導入されたものとされていた。
海防空母のこれらの措置は、重量級の艦上哨戒機を半ば無理やりに運用させるものだったが、この最新の航空艤装を施されたことで、本来は補助空母に過ぎなかった海防空母の柔軟な運用を可能とさせていた。
長大な飛行甲板に攻撃隊を待機させられる正規空母と比べて単位時間当たりの発艦機数が少ないことや、速力の低さから高速機動を繰り返す外洋での艦隊決戦には投入し辛いといった運用面での不利は否めないものの、重量級の新鋭艦上攻撃機でも運用できるのは大きな魅力だった。
少なくとも、航空艤装の充実した新鋭の海防空母であれば、これまでの船団護衛任務に限らずに上陸作戦において発生する対地攻撃や上空警戒といった補助的な任務では十分にこなすことができるはずだった。
このような海防空母の充実した性能は、巡洋艦搭載の水上偵察機部隊にも微妙な影響を及ぼし始めていた。
最も旧式の海防空母であってもその搭載機数は20機程度を下回ることはなかった。これに対して水上機運用に特化した利根型軽巡洋艦を除けば、大型の重巡洋艦であっても搭載機数は3機から2機が定数だったから、巡洋艦4隻が配備された戦隊の合計搭載機数でも海防空母1隻にも満たないことになる。
しかも、海防空母から運用されるのは陸上機形式の艦上機だったから、性能面で陰りが見えている水上機しか搭載できない巡洋艦搭載機部隊が軽視されるのも無理はないのではないか。
このような状況を反映してのことなのか、青江二飛曹達のような巡洋艦艦載機部隊は今の所は大きな動きはなかったが、他の艦載機部隊の中には水上機から転科した部隊も出てきていた。
最初に変化が訪れたのは特設水上機母艦搭載の航空隊だった。母艦から降ろされた航空隊は一時的に陸上基地に展開する部隊となっていたが、短期間で水上機から陸上機や飛行艇部隊に転科されていたようだった。
もっとも、この時は青江二飛曹達には大きな影響はなかった。元々、優良な貨客船を徴用した上で所要の改装を受けた特設水上機母艦は、海防空母などよりもさらに機動性に欠けていたからだ。
艦隊に随伴することがあったとしても、その航空隊が海戦で積極的に運用する事が多いとは思えなかった。おそらく実際には島嶼部などに設けられた前進基地に展開する水上機部隊に対する支援が主な任務となるのではないか。
あるいは揚陸艦部隊に随伴して補助的な対地攻撃や哨戒に用いる程度になるのだろう。
今のところは特設水上機母艦という艦種そのものは残されていたが、水上機母艦としては運用されておらず、実質上は正規空母を集約させた航空分艦隊直属の運送艦として運用されているようだった。
航空分艦隊には、軽質油や航空爆弾などの消耗品の輸送と補給といった航空機運用支援に特化した剣崎型給油艦などからなる補給隊が隷属していたが、これまでの戦訓から、上陸岸至近にとどまって対地支援攻撃を長期間継続するには莫大な物量の補給が必要とされていた。
補給が必要なのは消耗品だけではなかった。発着艦の連続で航空機そのものも戦闘時には炎天下に放り出された氷がたちまち溶けていくように損耗が激しかった。
特設水上機母艦には、母艦機能に必要な格納庫や整備施設が整えられていたから、予備機の輸送などに割り当てられているのだろう。
巡洋艦艦載機部隊にとって大きな衝撃を与えていたのは、徴用された特設艦ではなく艦隊に随伴する正規の艦艇であるはずの水上機母艦までもが、最近になって相次いで水上機を手放していたことだった。
おそらくは時期からして今回の上陸作戦に備えた再編成の一環だったのだろう。航空分艦隊にはそれぞれ2隻の水上機母艦からなる航空戦隊2個が配属されていた。
数は4隻だけだが、最低限の兵装を除くと航空艤装を重視した水上機母艦だったから、合計した搭載機の定数は多かった。
もっとも、以前から水上機母艦が定数一杯の搭載機を運用することは少なくなっていた。
自衛戦闘が可能な砲兵装に加えて、艦隊に随伴可能な速力と航空機を収納するための大容量の格納庫を有する水上機母艦は、実際には松形駆逐艦を原型とする一等輸送艦などと共に使い勝手の良い高速輸送艦として使用されていたからだ。
特にマルタ島を巡る攻防戦では、大海戦の最中に物資が尽きかけていた同島に対する緊急補給を行って辛くも陥落を防いだ原動力となったとも言われていた。
そのような状況であっても、これまでは水上機母艦搭載の水上機航空隊の編制は一応は保たれていた。搭載機の大半が返納された上で母艦から降りていた要員の多くが航空母艦などに移動していたとしても、部隊としては残されていたのだ。
ところが、再編制によって水上機母艦からは水上機航空隊が取り除かれるという異例の事態になっていた。
水上機母艦が配属された航空戦隊は、1個戦隊が補給物資を満載して特設補給隊として補給隊に護衛を兼ねて随伴しており、残り1個も搭載機を水上機から最近になって急速に拡充されている回転翼機に改めていた。
搭載量が水上機以上に乏しく打撃力を持たない回転翼機だったが、連絡機や制空権が確保された環境での弾着観測などは十分にこなせるらしい。いずれ巡洋艦や戦艦も回転翼機を搭載することになるかもしれないとまで言われていたが、それ以上に差し迫った問題が巡洋艦艦載機部隊には残されていた。
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