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1944コルシカ島沖海戦32

 駒形中尉に声がかけられたのは海上に曙光が差し込む頃だった。ただし、それ以前から中尉の周りには未だに弱々しい陽光よりも眩しい懐中電灯の明かりで照らし出されていた。


 このとき、駒形中尉は島風の後部甲板で爆雷投下軌条の修理作業を行う水雷科員の監督を行っていた。昨夜の戦闘で損傷したものの、特に早急に修理するように艦長の浅田中佐に厳命されたことから、手隙の水雷科員総出で徹夜の修理を行っていたのだ。

 本来であればこうした艦内で行う修理作業は工作科の担当となりそうなものだったが、彼らは他の被弾箇所、特に艦体に影響を及ぼすような重要箇所の応急作業で手一杯の状況だった。


 幸いなことに爆雷投下軌条の破損は軽微なものだった。直接の被弾が原因ではなかったようだ。

 周囲に着弾して炸裂した敵弾の破片か、被弾によって破壊された島風の構造物が激突した衝撃で軌条が歪んでしまっただけのようだった。

 損傷は軽微だったものの、軌条自体が歪んでしまったために円筒状に整形された爆雷の投下は不可能な状態だったのだ。



 戦闘後に初めてこの場で爆雷投下軌条の損傷を確認した駒形中尉は、背筋が凍るような思いをしていた。

 破損していた投下軌条は島風の最後部に置かれていた。艦尾から爆雷を投下するためのものだから当然なのだが、投下軌条の前には対空機銃座、爆雷投射機に続いて3番主砲と兵装が集中配置されていた。


 しかし、後部甲板には被弾の跡が生々しく残されていた。機銃座と爆雷投射機は敵砲弾にもぎ取られていたのか、巨人が無造作に引き抜いたかのような醜い傷跡だけを残して姿を消していた。3番砲塔から伸びる砲身も捻じくれていたから、発砲が不可能になっているのは一目瞭然だった。

 3番砲塔に命中した砲弾は砲身のみを破損させており、砲員は奇跡的に全員生存していたというが、被弾箇所がわずかにずれていれば破片防護程度でしか無い紙切れのような構造を貫いて、操作にあたる将兵全員が戦死していてもおかしくなかった。



 艦尾から軌条に置かれた爆雷を逐次投下する爆雷投下軌条とは異なり、少量の装薬を用いて左右舷に爆雷を放り投げるように投射するのが爆雷投射機だった。

 爆雷投下軌条は構造上艦首尾線上の敵潜にしか攻撃できないが、爆雷投射機は左右舷に攻撃を加えることが可能だった。

 もっとも、実際には爆雷投射機と投下軌条は併用されることも多かった。従来の聴音機では敵潜の正確な位置を掴むことは難しかったから、敵潜の概略位置を通過しつつ左右、艦尾に続けざまに爆雷を投下していたからだ。


 最近では、対潜火器の主力は爆雷では無くなりつつあった。爆雷投下軌条はもちろん、爆雷投射機も自艦の後方にしか攻撃出来ないのに対して、画期的な対潜迫撃砲が実用化されていたからだ。

 元々、対潜迫撃砲は英国で開発されていたものだが、日本海軍でも同様の構造のものが整備されていた。これらの対潜迫撃砲は迫撃砲とはいっても、陸上部隊が使用するような単一の砲身で構成されているものではなかった。

 搭載艦の規模などにもよっても変わるのだが、10連、20連と束ねて使用されるのが基本だった。しかも特に初期のものは小銃擲弾の様に砲身を持たない差し込み式の迫撃砲だったから、小型の対潜爆雷が無造作に甲板に並べられているような奇妙な構造となっていた。



 対潜迫撃砲が画期的だったのはその構造ではなかった。迫撃砲の発射方向を艦首に向けているために、従来の爆雷投下では不可能だった艦前方への射撃が可能だったのだ。

 これにより聴音機によって探知した水中目標が移動する前に迅速に攻撃を加える事が可能となったが、それに加えて弾体にも工夫があった。

 従来の爆雷が規定の水深で起爆する水圧式の信管で起爆させていたのに対して、対潜迫撃砲では接触式の信管を使用していたのだ。


 従来のように単発の爆雷では、接触式の信管では命中精度から効果は殆ど望めないだろうが、対潜迫撃砲の場合は弾体は小さくとも多数を同時に発射するから、まるで鳥撃ちの散弾のように広い範囲内にばらまく事が可能だった。

 そのうちの一発でも起爆すれば一斉に爆圧で誘爆を起こすことで、十分な打撃を敵潜の艦体に加えられるはずだった。

 この特性を積極的に利用すれば、単なる対潜火器ではなく、起爆によって敵潜位置を特定する探知機としての使用も可能だった。


 対潜迫撃砲は日本海軍でも散布爆雷の名称で装備が開始されていたが、この島風には搭載されていなかった。松型駆逐艦や鵜来型海防艦の様に、主に船団護衛にあたる艦艇から優先して搭載工事が行われているらしい。

 就役時からこのような新鋭の対潜兵器を搭載する艦艇も多いが、空母分艦隊直属の哨戒艦として改装された島風は艦体前方に進出して電探による捜索を行うのが任務だったから、自衛戦闘以上の対潜能力は要求されていなかった。


 これは単に島風が有力な対潜兵器を搭載しなかっただけではなかった。これまでは魚雷を担当する水雷長以下の水雷科がいわば余技として爆雷散布や機雷の敷設を行っていたのだが、最近になって対潜作戦を専任する機雷科が独立していた。

 一応は汎用型の駆逐艦である松型などはともかく、雷装を持たない対潜艦艇である海防艦などでは、水雷科よりも機雷長以下の機雷科の方が主流となっているようだった。



 もっとも、散布爆雷に推されてはいるものの従来型の対潜兵器である爆雷も有用性をなくしていたわけではなかった。散布爆雷を装備する海防艦でも爆雷投下軌条に加えて、十基以上もの爆雷投射機を備えていた。

 理由は幾つかあった。散布爆雷は信管構造から目標に接触しない限り起爆しなかった。これは探知手段としてみれば利点でもあるが、爆雷の散布界と敵潜位置が重ならなければ損害を与えることは全く出来なかった。

 これが水圧式信管の爆雷であれば直撃でなくとも敵潜に損害を与えることが可能だった。艦体に亀裂などを生じさせるほどの損害ではなかったとしても、潜行中で過酷な水圧に締め付けられている潜水艦にとっては、爆雷の衝撃は距離を保ったとしても決して安全ではなかった。


 だが、従来型爆雷を運用する最大の理由は、爆雷の構造が単純なゆえの大威力を持つことではないか。最近の爆雷は高性能化が進む潜水艦に対応するために、沈下速度向上を狙って砲弾にも似た流線型に整形されていたが、基本的な構造に変化はなかった。

 爆雷の外形に変化はあっても、信管を除けばドラム缶状の弾体の内部には炸薬が満載されていた。しかもその弾殻は極薄く、重量比で見ると爆弾や榴弾と比べると炸薬量は大きかった。

 陸上や艦上、あるいは空中で炸裂する榴弾の多くは、爆発そのものではなく炸裂によって生じる弾殻の破片で打撃を与えるのを目的としていた。それに対して常に高い水圧にさらされている潜水艦に対してさらなる圧力を与えるのが爆雷の使い方だった。

 それに大気中に比べて水中の抵抗は大きいから、よほど近距離でもない限り敵潜の外殻を急速に速度の低下する爆雷の破片で切り裂くのは難しいだろう。


 言い換えれば、爆雷は爆発物の塊でもあった。しかも昨夜の戦闘では爆雷投下軌条は損傷により使用不能な状態となり、未使用の爆雷が投棄もできないまま被弾した艦尾に放置されていた。

 爆雷投射機と機銃座が直撃弾によって操作員もろとも吹き飛ばされたのは、戦死者には申し訳ないが島風にしてみれば不幸中の幸いかもしれなかった。

 仮に中途半端な損害によって火災でも生じていれば、やはり誘爆が起こっていた可能性は高かっただろう。



 駒形中尉は頭を振っていた。戦闘は激しかったが、ニース沖から急派された日本海軍の増援部隊が介入したことでフランス艦隊は制圧されていた。撃沈や損傷により自沈した艦艇も少なくなかった。

 もう爆雷を投下する必要はないはずだ。それに、戦闘終盤では友軍の英国海軍K部隊でも撃沈された艦もあったようだ。中途半端な態勢で待機を続けていたが、島風も溺者救助に加わることになるのではないか。

 もしかすると、艦長が爆雷投下軌条の修理を命じたのは、かさばる爆雷を投棄して溺者を受け入れる空間を作るためかもしれなかった。


 昨夜は戦闘前に長時間の待機まであったから、駒形中尉だけではなく水雷科を含む島風乗員の多くは疲労が激しかった。修理を続ける水雷科員たちは、黙々と文句一つ言わずに作業を続けていたが、それは疲労を感じていないからではなく、単に戦闘の興奮が続いているからなのだろう。

 だから駒形中尉は艦長からの呼び出しを平然として聞いていた。おそらく今後の島風の行動に関して命令があるのだろう。その程度に構えていたのだ。

 中尉は島風乗組の士官の中では若手だから、あるいは溺者救助の際には艇指揮を任せられるのかもしれなかった。


 爆雷投下軌条の修理は完了していないが、作業完了までは少しのはずだった。あとは下士官に任せても問題ないだろう。駒形中尉は先任下士官に声を掛けると重い足取りで伝令のあとに続いた。

 漠然と艦長は休憩のために艦長室に戻っているのではないかと考えていたのだが、戦闘中からずっといるのかどうかはわからないが、実際には艦長はまだ指揮所にいるらしい。

 首を傾げながらも駒形中尉は申告しながら指揮所に入っていた。



 駒形中尉は最初に違和感を感じていた。指揮所の中が妙に殺気立っているのだ。まるでここだけが戦闘が継続中のようだった。

 先程まで駒形中尉がいた損傷修理中の爆雷投下軌条周辺や、工作科が総出で応急修理を行っていた上甲板も慌ただしい雰囲気があったのだが、指揮所には戦闘による損害は見られなかったものの緊張感はそれ以上だった。


 駒形中尉の申告に反応は無かった。中尉を呼び付けたはずの艦長は先任将校である砲術長と険しい表情で何事かを相談しているようだった。

 だが、艦長はすぐに顔をこちらに向けて僅かに手を上げると、矢継ぎ早にいった。

「水雷長、爆雷の残弾はどれだけあるか」


 駒形中尉は、首を傾げながらも言った。別に残弾を数えていたわけではなかった。単に爆雷投射機ごと吹き飛ばされたものを除いて、一発も使用していないだけだった。

 しかし、その程度のことは艦内外の情報が集約されているという指揮所でも把握しているのではないか。駒形中尉は何となく面白くないものを感じていた。まるで兵学校の講義中に質疑を受けているような感触を覚えていたのだ。


 だが、艦長は思案顔の駒形中尉を無視するかのように背を向けると、砲術長に頷きながら言った。

「俺は引き続きここから指揮を執る。艦橋は砲術長に任せる。あとは水雷長と図ってくれ」

 それで終わりだった。事情がわからない駒形中尉を引っ張るようにして砲術長は指揮所を出ていた。



「どうもあそこは狭苦しくていかんな……」

 慌ただしく行き来する乗員たちを縫うようにして艦橋に向かいながら、しばらくしてぼそりと砲術長がいった。駒形中尉と同じ様に、やはり砲術長も艦橋こそが指揮官の居場所とでも考えているのではないか。

 そのことにわずかに安心しながらも、駒形中尉はいった。

「一体何があったんです。指揮所の連中は慌ただしかったようですが……」


 あっさりと砲術長はいった。

「先ほどニースに向かっていた船団から救援要請があったんだ。複数の敵潜からほぼ同時に襲撃を受けたらしい。どうやらフランス人は本気らしい。あちらは混乱していて状況がよくつかめんのだが、すでに何隻かの輸送船が食われたらしい。周到に襲撃海面を設定して待ち伏せていたんだろう」

「輸送船団、ですか。しかし船団には直掩が居るんでしょう。それにコルシカ島の防備部隊も使えるんじゃないですか」


 険しい表情で振り返った砲術長は、駒形中尉を睨め付けながらいった。

「どうも状況がわかっておらんようだな。船団はもうニースに向かって出港していたんだ。もしかするとコルシカ島にはフランス本国の間諜が潜んでいたのかも知れんな。

 とにかく、船団はコルシカ島から十分離れたところで襲撃を受けたらしい。防備部隊の駆潜艇では駆けつけるのに時間がかかるだろう。多分、敵潜と先ほどの艦隊の出動は連動していたんだろう。艦隊の襲撃を恐れて我が方のフランス人達が船団を慌てて出した所を、最初から潜水艦で狩るつもりだったのかもな」

 そこまで言うと、やや表情を和らげながら砲術長は続けた。

「時間だけ見れば、こちらから艦を送ったほうがコルシカ島から無理をして駆潜艇を出すよりも船団近海への到着は早いようだ。K部隊でも残った駆逐艦を何隻か……バンパイアとか言ったかな。とにかく、通訳の連絡士官もそっちに移乗させて、本艦の指揮下に入れるとのことだ」


 駒形中尉は呆気にとられていた。

「本艦が……英国駆逐艦を指揮するのですか。それもまた前代未聞ですね」

「情報を整理できる指揮所は島風にしか無いからな。艦長は船団護衛任務で先任として僚艦を指揮したこともあるらしいから大丈夫だろう。

 それよりも、敵潜が浮上してくれば俺が両用砲の速射で片をつけてやれるんだが、水中の敵潜をやれるのは水雷長にしか出来んのだから頼むぞ」


 駒形中尉は、勢いよく肩をたたいてくる砲術長に愛想笑いを返しながらも、内心ではひどく困惑していた。

 ―――こんなことになるのであれば、戦闘前に休めるうちに休んでおけば良かった。

 ぼんやりと駒形中尉はそう考えていた。

島風型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddsimakaze.html

松型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddmatu.html

鵜来型海防艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/esukuru.html

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