1944コルシカ島沖海戦27
アンソンが射撃の目標としたラ・ガリソニエール級軽巡洋艦にしてみれば、艦橋構造物の前側に発生した被弾は、第1、2両主砲塔の機能を奪われたことで、大部分の打撃力を喪失する大損害となっていたはずだ。
被弾箇所からして弾薬庫への緊急注水も行われている可能性が高いから、応急工作でこれ以上の艦体部への損害を食い止めることが出来たとしても、被弾箇所近くの主砲を発砲することは不可能となっているだろう。
だが、それだけであれば同艦にとって致命傷とはなり得なかった。
確かに3基の主砲塔のうち過半数の2基は使用不可能となっていたし、戦艦主砲弾の炸裂によって生じた過大な圧力によって、艦体部に歪みや亀裂などが生じた可能性も高かった。
ただし、後部の第3砲塔には被害は及んでいないし、艦橋構造物や測距儀などにも目立った損害はないから、主砲発射機能そのものには支障はないはずだった。
戦力は大きく低下していたとしても、戦闘の継続そのものはまだ可能だったのだ。
ただし、アンソンから放たれた主砲弾が命中したのは艦橋構造物前部の一箇所だけではなかった。艦尾近くにも被弾箇所があったのだ。
第1、2砲塔下部の艦体に命中した部分は、砲塔には外観に変化があったものの、艦体に生じた破孔などは小さかった。十分な存速を有したままラ・ガリソニエール級軽巡洋艦の艦体に命中した砲弾は、一瞬の間に装甲板を突き抜けて艦体内部に踊りこんだのだろう。
だが、艦尾近くの被弾箇所は、顕著な形跡を残していた。直撃弾が発生した箇所は、艦尾から数十メートルあたりのようだった。しかも、主砲弾が完全に艦内にとどまっている間に炸裂したようだった。
どのような経緯でそうなったのかは、俄にはわからなかった。正確な事象を確認しようとするのであれば、敵艦を鹵獲した上で設備の整った工作艦などの支援のもとで時間をかけて調査する必要があるのではないか。
いずれにせよ、アンソンから放たれた砲弾のうち一発は、敵艦艦尾付近の内部で炸裂していた。
被弾箇所は、機関部や主砲塔群などの重要防護区画からはやや距離があるように思えるが、位置からして舵取機が置かれていた可能性は高かった。そうだとすれば、操舵能力を維持するためにある程度の装甲が配置されていてもおかしくはなかった。
もちろん、巡洋艦主砲に対する耐久を前提として配置された装甲だから、到底戦艦主砲弾の直撃に耐えられるものではなかったはずだ。おそらく一瞬のうちに14インチ砲弾は敵艦内部に潜り込んでいたはずだ。
そこから先の詳細は不明だが、アンソンの主砲弾は確かに敵艦内部で炸裂したようだった。主砲塔下部と比べると装甲は更に薄いはずの艦尾部の艦内で炸裂が起こったのだ。
着弾後に同じような現象が起こっていたとすると、艦尾部でも敵艦の左右舷に施された薄い装甲板を突き破って外部に抜けた後に炸裂してもおかしくないはずだった。
あるいは、弾着時の装甲板への姿勢が前半部への被弾とは違っていたのかもしれない。この程度の距離では、戦艦主砲はほとんど仰角をかけずに発射されるから、着弾時も低い弾道となることで垂直面の装甲にほぼ直角に着弾する正撃となる可能性が高かった。
ただし、近距離であっても着弾時の海面からの高さによっては甲板に張られた水平装甲に着弾する可能性は残されていた。その場合、装甲板自体は肉薄であったとしても、恐ろしく斜めに着弾するから見かけ上の装甲厚はかなりのものとなるはずだった。
斜撃となっても、よほどのことがない限り戦艦主砲弾の大質量と高い存速によって貫通されてしまうはずだが、その場合でも着弾時に有していた運動量の大部分が、装甲を貫通する過程で装甲板の破壊やたわみに変換されてしまうことで失われてしまったのかもしれない。
だが、笠原大尉は全く別の可能性も考えていた。実際には、命中した14インチ砲弾は、ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦の薄い水平装甲を、障子紙のようにあっさりと貫通してしまったのかもしれなかった。
それどころか、艦体内部の舵取機を破壊するか、あるいは至近距離に大穴を開けながらも、更に艦体を突き破って海中に没した時点で炸裂したのではないか。
ただし、左右両舷の舷側装甲をどちらも突き破って被弾側と反対側の空中で起爆した場合とは異なり、海中で砲弾が炸裂した場合は破片はともかく発生した衝撃の大部分は砲弾の弾道を逆にたどるように上空、すなわち先程貫通したばかりのラ・ガリソニエール級軽巡洋艦の艦尾に向かうはずだった。
抵抗となるものがなく自由に破片や衝撃波が分散する空中爆発とは異なり、海中で起爆した場合は巨大な水柱を発生するのに足りるエネルギーがそこで解放されるからだ。
海中で解放された砲弾の炸裂による衝撃波は、周囲の海水に締め付けられるが、逃げ先が一箇所だけ存在した。自らが開けた敵艦の艦艇部の開口部だった。その一箇所に大部分が逃げ込むことで、敵艦の艦体部には過大な圧力が掛かったのではないか。
戦艦主砲弾の炸裂による衝撃波は大きかった。戦艦の全長よりもなお長大な水柱を僅かな間に作り上げるほどだからだ。その衝撃が砲弾の貫通によって弱体化した軽巡洋艦の艦尾、しかもその貫通痕の一箇所に集中すれば一挙に周辺の構造材が破断してもおかしくはなかった。
アンソンの射撃によって傷ついたラ・ガリソニエール級軽巡洋艦から無残な傷跡を残して脱落した艦尾部を見つめながら笠原大尉はそう考えていた。
艦尾の脱落によって、アンソンの標的となっていたラ・ガリソニエール級軽巡洋艦は航行能力すら部分的に失おうとしていた。脱落した部分には舵取機や舵そのものが配置されていたようだからだ。
更に位置からして海中の推進機そのものにも損害が出ていてもおかしくなかった。仮にプロペラが無事だったとしても、舵を取れないのであればまともな航行など不可能だった。
もちろん、艦体前部の第1、2砲塔部の損害も含めて浸水による被害や艦体の破損による水中抵抗の増大も無視できないはずだった。それを証明するかのように、先程までアンソンとほぼ同等の速力を発揮していたラ・ガリソニエール級軽巡洋艦はがくりと速力を急激に低下させていた。
もはや、同級艦3隻で構成されていた緻密な小群を維持することすら出来なかった。
最初に動いたのは、未だに被弾を逃れていた小群2番艦だった。小群の1番艦から脱落した艦尾は、主艦体から離れた後も浮揚したままだった。
脱落したのは舵取機室よりも後部の艦体だけのようだったが、隔壁に破損を免れて水密を保ったままの区画が残されているのかも知れなかった。その区画が浮力源となって脱落した艦尾だけを浮揚させているのだろう。
だが、小群ごとにばらけてしまっている単縦陣の中で、小群1番艦を追尾する他ない2番艦にとってみれば、浮揚する脱落した艦尾はただの障害物でしかなかった。
2番艦は1番艦の被弾後も逡巡するように直進を続けていたが、しばらくしてから大きく転舵していた。脱落した1番艦の艦尾が急速に接近していたからだろう。
もちろん、脱落した艦尾との接触がなくとも、次には操舵機能を失った1番艦の本体が障害となっていたはずだった。
小群2番艦の転舵は、純粋に脱落した1番艦の艦尾や更にその先の本体との衝突を回避するためのものと思われた。
ただし、同時に彼らにとっても予想外の結果を招いていた。アンソンに続くハウからの射撃がやや遅れて着弾していたが、海面に上がる水柱が描く散布界は小群2番艦が転舵したことで大きく同艦から外れていた。
むしろ、急速に速力を低下させていた小群1番艦を巻き込む形でハウから放たれた砲弾による水柱の群れが発生していた。
水柱となって湧き上がっていた海水に濡れそぼりながら、よたよたと1番艦はもはや舵を切ることも出来ずに前進していたが、水柱が収まった時はすでに脱落した艦尾は海上から姿を消してしまっていた。
直撃弾があったとは思えないが、破損した艦尾部分のみの状態では至近弾の衝撃でも浸水を招くのには十分だったのではないか。
アンソンとハウの射撃は一時的に停止していた。損害による急減速かあるいは僚艦との衝突を回避するためか、理由はどうであれアンソンもハウも射撃目標とした敵艦が、これまでに蓄積された射撃諸元が無効化されるほど急速に機動したことで照準をやり直す羽目になっていたからだ。
小群1番艦は火力も機動力も減衰していたが、未だに3番主砲は発砲可能だった。艦体中央部への被弾は確認されていないから、機関部そのものも稼働状態にあるはずだったから、戦闘を継続することは出来るはずだ。
2番艦に至っては被弾もしていなかった。K部隊軽巡洋艦からの集中射撃を食らっていた3番艦も満身創痍といった体ではあったものの、未だに射撃を継続していた。
―――この3隻を無力化するまであと少しか……
笠原大尉は各艦を一瞥しながらそう考えていた。
今の所、アンソンに大きな損害は出ていなかった。殆ど無傷と言ってよかった。アンソン艦橋からでは他艦の詳細はわからなかったが、少なくとも戦闘不能となるほどの損害を被ったような艦はないようだった。
ハウに後続する軽巡洋艦群の中には敵ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦からの反撃を受けた艦もあるようだが、集中射撃を受けている最中の敵艦からの射撃は散発的なものでしか無かったようだった。
それに視界や角度が悪く詳細な状況は不明だったものの、目前の軽巡洋艦からなる小群からのものを除けば、敵艦隊からの反撃は確認できなかった。
ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦の直前には、艦級不明ながら重巡洋艦と思われる3隻の小群があった。さらにその前方には2隻のリシュリュー級乃至ダンケルク級と思われる戦艦が航行していたから、敵艦隊が全軍を挙げて一斉に掛かってくればK部隊の方が圧倒的に不利のはずだった。
やはり、敵艦隊の単縦陣に対して後方から接近することで主力である敵戦艦の火力を封じるというカナンシュ少将の作戦が功を奏したということだのだろう。笠原大尉はそう考えていた。
リシュリュー級にせよ、ダンケルク級にせよ、フランス海軍の新鋭戦艦は英海軍のネルソン級や米海軍のノースカロライナ級のようにすべての主砲塔を艦橋前方に配置する前方集中配置方式を取っていた。
ある程度は艦橋越しに後方への射界を有しているというが、ネルソン級では物理的には後方に砲身を向けることは出来るものの、その状態で主砲を発砲すると凄まじい衝撃が艦橋を襲うことから、実際には後方への射撃は禁止されているも同然らしいとも聞いていた。
全体的に見れば未だにK部隊が敵艦隊に対して劣勢であることに変わりはないが、優勢な敵艦隊を作戦通りに分断して撃滅していることで、アンソンの艦橋を興奮が支配していた。
しかし、そのような浮ついた雰囲気を吹き飛ばすように、カナンシュ少将の冷静な声が聞こえた。
「アンソン、ハウ両艦に伝達、射撃目標を変更する。2隻で敵軽巡2番艦に集中射撃を行う。後続軽巡群は引き続き敵3番艦に射撃を集中、駆逐艦群は敵軽快艦艇の接近を警戒せよ」
険しい表情のカナンシュ少将に、参謀の一人がおずおずといった。
「敵1番艦は放置するということですか、未だ敵艦は射撃は可能なようです。それに舵はとれないようですが、機関が無事であれば未だ航行も可能でしょう。ここは確実にとどめを刺すべきではないでしょうか……」
その参謀にカナンシュ少将は冷ややかな目を向けながらいった。
「どうも状況をよく理解していないようだな。今は時間が惜しい。敵艦をここで逃すわけにはいかんのだ」
笠原大尉は首を傾げていた。カナンシュ少将の言葉は矛盾していた。この戦闘の前に、有力な護衛部隊を欠いた状態の友軍輸送船団の安全を確保するために確実に敵艦を撃沈することの重要性を説いたのは少将ではなかったのか。
だが、カナンシュ少将は更に続けた。
「ここで敵艦隊主力に手を付けずに逃すわけにはいかん。奴らの時間稼ぎにこれ以上関わっていられるか」
唖然としながら笠原大尉は慌てて双眼鏡を艦体前方へと向けた。そこには、K部隊よりも有力な戦力を有しているはずの敵艦隊が、発砲もせずに前進を続けている姿が見えていた。
確かにその姿は軽巡洋艦群を犠牲に、この場から逃げ出そうとしているようにも見えていた。
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