1944コルシカ島沖海戦26
命中弾のお返しのように、K部隊旗艦として艦隊の先頭を行くアンソンは、損害が明らかとなる前に同じく敵小群の中で1番艦の位置にあるラ・ガリソニエール級軽巡洋艦に射撃を放っていた。
それ以前から相次ぐ射撃と修正によって、アンソンの主砲弾が海面に描く散布界は完全に目標とするラ・ガリソニエール級軽巡洋艦を挟叉する位置に発生していた。
命中弾が出なかったのは単に確率の問題に過ぎなかった。あるいは、キング・ジョージ5世級戦艦が本来想定していた主砲射撃の標的である敵戦艦よりも、軽巡洋艦に過ぎないラ・ガリソニエール級の方が艦型が小さいために命中弾が無かったかだ。
しかし、これまでそのラ・ガリソニエール級が享受していた幸運を使い果たしていたのか、アンソンが被弾と同時に放った何度めかの斉射弾は一度に複数が命中していた。
最初に笠原大尉が感じたのは違和感だった。着弾と同時に、これまでの斉射弾と同様に敵艦の周囲に多数の水柱が発生していたのだが、その数がそれまでの斉射よりも少ないような気がしていたのだ。
現状、敵艦隊の単縦陣は乱れがちだったもののコルシカ島に向けて直進を続けていた。これに対して、K部隊主力は概ね敵艦隊に対してやや接近する針路を保ちながら同航戦を挑んでいた。
そのような対敵姿勢からして、艦橋構造物前後に備えられていた3基の主砲塔はすべて目標とする敵艦を射界におさめていた。つまり四連装砲塔と連装砲塔の混載で10門もの数が備えられた主砲弾が、斉射のたびごとに一万トンもない軽巡洋艦に向けて放たれていたのだ。
キング・ジョージ5世級戦艦が備えていた主砲は、口径こそ従来の14インチ、35.6センチ径のものだったが、クイーンエリザベス級などの連装砲塔に備えられたものと同一ではなく改良されたものだった。
当初は四連装砲塔のみを3基、計12門装備する基本計画だったそうだが、重量対策などから煩わしい連装、四連装砲塔の混載という変則的な形状になってしまったらしい。
しかも、先の欧州大戦後の急速な軍縮がもたらした予算不足の中で、英国海軍の艦艇設計部門は経験や技量が大きく低下していた。詳しくは笠原大尉も知らないが、計画的な人員整理や他部門への人員の振り分けなどが日本海軍の艦政本部などと比べるとうまく行かなかったらしい。
そのような状況下で行われたキング・ジョージ5世級戦艦の設計作業は決して成功とは言い難いものだった。理想は高く設定されていたものの、それを実現するための基礎体力が低下していたとも言える。
あるいは戦艦主砲のような大口径砲を四連装砲塔に収めるという構造の複雑化を招くであろう基本的な計画そのものに無理があったのかもしれない。1番艦であるキング・ジョージ5世の就役直後は主砲に限らず各所の故障も相次いでいたらしい。
同級2番艦で、シチリア上陸作戦に伴う戦闘で撃沈されるまでK部隊にも所属していたプリンス・オブ・ウェールズは、就役直後にドイツ海軍が大西洋に出撃させた戦艦ビスマルクの追撃に出動していたが、その行動は不調の連続だった。
結果的に戦艦ビスマルクは、英国海軍の波状的ではあるが統制の取れない幾度かの攻勢をはねのけて、ドイツ占領下のフランス本土にあるブレスト軍港に逃げ延びていたが、同艦を逃した一因にもキング・ジョージ5世級戦艦の不調が挙げられるのではないか。
ただし、1番艦の就役から3年以上過ぎた現在、キング・ジョージ5世級戦艦が抱えていた多くの故障箇所は完全に修理、あるいは改良が施されていた。少なくとも戦闘中に主砲が発砲不能となるような事態には早々陥らないはずだった。
笠原大尉は僅かに興奮していた。水柱は、海面に落着した砲弾によって発生していた。言い方を変えれば、命中しなかった砲弾によって作り上げられたものだった。
その長大な水柱の数が少ないということは、ようやく命中弾が発生したということではないか。
しかし、笠原大尉の予想を裏付けるような情景は中々確認できなかった。なんの偶然だったのか、敵艦周辺に発生した水柱の多くはアンソン寄りの海面に発生しており、それが視界を妨げていたからだ。
落着した砲弾が描く散布界は、敵艦を中心としたものではなく、ややアンソン寄りの海面を中心としたものとなってしまっていたようだった。
笠原大尉は、そのことに気がつくと落胆していた。下手に期待したものだったから、落差が激しくなってしまったのだろう。
水柱の数が少なく見えたのも、単に視線方向に直列に近いかたちで水柱が発生したものだから、手前に発生した水柱によって、後方の水柱が覆い隠されてしまったというだけだったのではないか。そう考えてしまったからだ。
だが、笠原大尉が落胆したのは早計に過ぎていた。大尉の手持ちの双眼鏡よりも、遥かに高倍率で視野の明るい固定式の双眼鏡を操作する見張所から歓声のようなものが上がっていたのだ。
すぐに報告の声も聞こえていた。やはり複数の命中弾が発生しているらしい。
笠原大尉は首を傾げていた。対敵姿勢や針路から、英仏両艦隊の間隔は次第に狭まっていたから、標的とするラ・ガリソニエール級軽巡洋艦との距離は、戦艦の交戦距離としては至近距離とも言える一万メートル程度にまで接近していた。
しかし、この距離は主砲戦距離としては短いものの、やはり目視では確認しづらいはずだ。十キロ先ものわずか2,300メートル程度の目標をこのように短時間で詳細まで把握できるものなのか。
しかし、笠原大尉の懸念は、水柱の影から敵艦が現れたのを手にした双眼鏡で確認したことで払拭されていた。その姿が先程の射撃前とはまさに一変していたからだ。
水柱の影から弱々しく現れた姿は、先程まで戦艦の主砲弾を浴びながらも雄々しく戦っていた軽巡洋艦と同一のものとは思えなかった。
しかも、その速力は明らかにこれまでよりはるかに低下していた。中々確認できなかったのも道理だった。水柱の発生箇所とはあまり関係がなかった。単に著しく速力が低下したせいで、水柱が描く散布界から抜け出すこともできなくなっていたからだ。
ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦に3基備えられた三連装の主砲塔は、機関部上部に設置された艦橋や煙突構造物などを挟んで前後に配置されていた。
そのうち、背負式に前部に2基が備えられた主砲塔はその姿を醜く変えていた。3門ずつ備えられた15.2センチ砲の砲身があらぬ方向を向いてしまっていたのだ。
だが、実際の被弾箇所は主砲塔そのものではなさそうだった。自艦の主砲に耐久しうる程度とはいっても、軽巡洋艦に過ぎないラ・ガリソニエール級が砲塔にそれほどの重装甲を施せるとは思えなかった。
おそらく最も装甲が厚くなる砲塔前盾でも100ミリ程度でしかないはずだ。軽巡洋艦としては多い三連装砲塔だから、砲塔内部の空間にも余裕はそれほどないはずだから、戦艦主砲弾を被弾すれば原型を留めないほど破壊されてもおかしくはないはずだった。
軽巡洋艦の主砲弾に耐久しうる程度の装甲が100ミリ程度なのに対して、この距離の14インチ砲弾は、垂直面に命中した場合の最適の条件であれば400ミリ近くまで貫通する能力があってもおかしくはなかった。
当然のことながら、これは自艦の装甲すら易易と貫通しかねない大きな数値だったが、戦艦の主砲戦距離としては現在の一万メートルは至近距離だったのだ。
戦艦と戦艦が交戦するのであれば自艦の安全距離を保って戦闘を継続するのが常識的な戦法だったが、敵軽快艦艇を短時間で無力化する必要性と、敵艦艇の主砲威力を考慮して、このような交戦距離をカナンシュ少将は選択したのだろう。
交戦距離に関するカナンシュ少将の判断は誤ってはいないようだった。この距離でも重要防御区画に対してラ・ガリソニエール級の15.2センチ砲弾が何ら有効打を与えられなかったのに対して、アンソンの主砲弾は同級に致命的な損害を与えていたからだ。
命中した砲弾は、直接主砲塔を貫いたわけではなさそうだった。その下部の、第1、2砲塔の中間に位置する艦体に傷跡が残されていたからだ。
しかし、命中箇所に残された痕跡はそれほど大きなものではなかった。周囲と比べて黒ずんではいたが、主砲塔の損害がなければ気がつくことも無かったかもしれなかった。
だが、笠原大尉の見る限り、実際に命中した箇所はその場所だった。おそらく、艦体側面に命中したアンソンの主砲弾は、ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦で最も厳重に防護されているはずの艦体水線部を易易と貫いていたはずだ。
他国列強の新鋭戦艦と比べて弱体とはいえ、16インチ砲を備えたネルソン級戦艦の後に建造されたキング・ジョージ5世級戦艦は、本来はダンケルク級戦艦以降に建造されたシャルンホルスト級やビスマルク級、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦といった枢軸勢力の新鋭戦艦に対抗するために建造された戦艦だった。
14インチ砲は確かに15、16インチ級の主砲を備える新鋭戦艦に対して不利ではあるものの、比較的多い10門という装備数と充実した装甲防御力を有するキング・ジョージ5世級戦艦がそれら新鋭戦艦に対抗不可能というわけでは決して無かった。
ましてや一万トンに満たない軽巡洋艦であれば、わずか一撃で無力化されたとしても不思議ではなかった。
敵戦艦との交戦と撃破を最優先される戦艦とは異なり、各国が巡洋艦級の戦闘艦に求める能力は、戦闘能力だけではなく警備能力を重視した航続距離や偵察能力を向上させる水上機の搭載などかなりの差があったが、どんなに重装甲の巡洋艦でも常識的には舷側装甲は最大でも100ミリ程度のはずだった。
キング・ジョージ5世級戦艦の14インチ砲弾であれば、この距離ではその三倍程度の装甲板でも貫通するはずだった。極端なことを言えば、敵艦右舷から命中した砲弾がそのまま舷側装甲を貫通し、更にその反対舷の装甲を貫いてから、左舷の外舷で炸裂してもおかしくはないのだ。
単純に左右両舷の舷側装甲を足してもまだ貫通距離には十分な余裕があるからだ。
ただし、実際にはそう単純ではなかった。軽装甲の上部構造物程度ならばともかく、命中箇所からして装甲板を貫いたとしても、艦内には第1、2砲塔基部の頑丈な構造物が隣接して配置されていたはずだ。
おそらく、左舷の舷側装甲を貫通した主砲弾は、その時点で遅動式信管を作動させていたはずだ。非装甲区画で遮るものがない状態ならば、それでも反対舷に突き抜けてから炸裂したかもしれないが、砲塔基部構造物は破壊される前に貫通する砲弾の速度を低下させていたのではないか。
結局、砲弾は反対舷に突き抜ける前に、艦内で炸裂した可能性が高かった。
一万トン弱の軽巡洋艦の艦内で戦艦主砲が炸裂した割には、外部からの視認では損害は小さいように見えるが、もしかすると砲弾は反対舷の装甲に達した時点で炸裂したのかもしれない。
その場合、砲弾炸裂の衝撃や破片は着弾時の運動量を有しているから反対舷の装甲を貫きながらも、艦内にとどまること無く大部分が舷外に逃れたのではないか。
ただし、大部分が舷外に逃れたのだとしても、命中箇所の艦内は多くが破壊されたはずだ。弾薬庫などは緊急注水で爆発を逃れたのだとしても、砲塔基部を破壊されてしまえばもう砲撃は不可能だった。
それ以前に、軽巡洋艦の艦体規模では、艦橋直前の艦体構造物を損傷した場合これ以上の航行にも支障が出るのではないか。少なくとも全速発揮は不可能なはずだ。
もっとも、標的となったラ・ガリソニエール級軽巡洋艦はすでに航行不能となっているはずだった。被弾箇所は確かに一箇所だけではなかった。艦橋構造物を挟んで、後部でも被弾している形跡があったのだ。
目視でも確認は容易だった。被弾箇所が艦体前後に分かれているものだから、明確に区別がついていたのだった。