1942マルタ島沖海戦3
会議に参加した将校たちが退出した後も、ボンディーノ大佐はしかめっ面をして席に座り込んだまま会議室の壁に貼り付けられている地中海の地図を睨み付けていた。
ふと後ろから肩に手をかけられて、ボンディーノ大佐は反射的に手を振り払いながら、鋭い目をしたまま立ち上がった。
そこには、駆逐艦アルティリエーレ艦長の任を解かれ、代わって第1戦隊参謀長に任じられたルティーニ中佐が、ボンディーノ大佐の急な反応に驚いた顔をしていた。
大人げない反応だったかと、ボンディーノ大佐は照れ笑いを浮かべたが、しかめっ面のまま無理に笑おうとしたものだから、妙に不気味な表情にしかならなかった。
だが、海軍兵学校の学生時代からの長い付き合いであるルティーニ中佐は苦笑いを浮かべただけだった。
ルティーニ中佐には、海軍兵学校で一学年上だったこの男が、いつも不機嫌そうな顔に見えるだけで、他意はないことを知っていたからだ。
「大佐、そんな難しい顔をして何か気に入らないことでもあるのですか」
そういわれると作り笑いは一気に消えうせて、ボンディーノ大佐はしかめっ面に戻って座り込んだ。
「気に入らないこと?あるとすれば、それは全てだよルティーニ…俺達は一体何をしにあの島まで行くんだ」
ルティーニ中佐は、海図上のマルタ島を指さしながらそういうボンディーノ大佐を、苦笑いしながら見ていた。
「何をするといって…マルタ島を占領しようとする伊独陸軍の援護ではないのですか」
「そうではなくてな…もっと根本的な理由なのだが、何故俺達にはマルタ島が必要なんだ」
ルティーニ中佐は不思議そうな顔をしていった。
「それは…マルタ島に駐留する英国軍部隊によって、我々のイタリア本土から北アフリカへの補給線が妨害されているからでしょう。北アフリカ戦線の補給態勢を確立するためには、マルタ島を攻略する必要があるというのは本作戦の前提ではないですか」
ボンディーノ大佐はそれを聞くと、面倒くさそうに頭を掻きむしると、開き直ったような顔をルティーニ中佐に向けた。
「要はマルタ島…というよりもはマルタ島に駐留する連盟の航空戦力を無効化出来ればいいのだろう。俺が言いたいのはだ。その手段として本当にマルタ島を占領する必要はあるのかということだよ」
今度はルティーニ中佐は困惑した顔になった。
「ですが…マルタ島の防空部隊や航空戦力は、開戦当初から大幅に強化されていると聞きます。
それにシチリア島からの爆撃だけでマルタ島を抑えこむには、これまでの戦闘からドイツ空軍の二個航空軍団を貼り付けさせる必要が有るようです。
しかし、ドイツ空軍の主戦線は対ソ戦なのでしょうし、北アフリカでの直接航空支援にも航空部隊は必要なのでしょうから、常にシチリア島にそれだけの戦力をとどまらせておく訳にはいかない。
それならば禍根を断つためにマルタ島を占拠する必要があるのではないでしょうか」
「まぁ、航空戦力だけでマルタ島を抑えこむのが難しいというのは認めるよ。確かにマルタ島の航空戦力が北アフリカへの補給船団を護衛する我が艦隊への脅威になっている。
これも認める…だがなぁ、滑走路を破壊するだけなら艦隊の艦砲射撃でもいいんだし、これだけの艦隊と五個師団も投入してあんな小島を手に入れる必要が有るのか。
いや、その前に本当にドイツっぽやファシスト共はマルタ島を本気でとるつもりはあるのか」
普段から不機嫌そうな表情の多いボンディーノ大佐だったが、今日は本当に機嫌が悪いらしく、いつもより物騒な顔になっていた。
だが、ルティーニ中佐は困惑顔から、どこか呆れたような顔になっていた。何となくボンディーノ大佐の機嫌が悪い本当の理由に思い至ったからだ。
不穏な発言を繰り返すボンディーノ大佐だったが、まさか突き詰めて言えば、ドイツ人がや政権をとるファシスト党の連中がただ嫌いなだけではないのか。
「あなたがドイツ人を気に入らないのは知っています、私も別に地中海で大きな顔をするドイツ海軍を好きなわけじゃない。しかし彼らは彼らで十分な戦力で事に当たろうとはしていると思います。もしも日本やイギリスの艦隊がマルタ島救援に来援しても、それを阻止するのは不可能ではないでしょう」
そういうとルティーニ中佐は会議で渡された資料を取り出していた。ボンディーノ大佐は生返事をしながら資料を見返していた。
確かにこの作戦に独伊、それにヴィシーフランス海軍が投入する戦力はかなり大規模なものになっていた。
三カ国連合艦隊の総旗艦を務めるのは、ドイツ海軍に昨年就役したばかりの最新鋭艦である戦艦テルピッツだった。
ビスマルク級戦艦の二番艦であるテルピッツは、満載排水量で五万トンを超える世界最大の戦艦だった。
それに加えて、ドイツ海軍はシャルンホルスト、グナイゼナウの二隻のシャルンホルスト級戦艦、それに重巡洋艦プリンツ・オイゲンと六隻の駆逐艦を、フランス降伏直後に空挺師団によって占拠されていたジブラルタルを経由して、地中海に送り込んでいた。
この十隻の艦隊は、巡洋戦艦ゲーベンがヤウズ・スルタン・セリムとして売却されてから、約30年ぶりにドイツ海軍が新たに編成した地中海艦隊だった。
本来地中海での枢軸軍の主力であったイタリア海軍からは、リットリオ級のリットリオとボンディーノ大佐が艦長を務めるヴィットリオ・ヴェネト、それに旧式ではあるがカイオディエリ、アンドレアドリアの戦艦だけでも四隻がこの作戦に参加することになっていた。
つまり戦艦戦力だけで、独伊あわせて七隻もが参加する大兵力となっていたのだ。
これに対して、この時期、英国海軍が地中海に展開する稼働の戦艦は、一時的にいなくなっていた。
昨年末に、イタリア海軍の潜水艦部隊が、イギリス海軍の根拠地となっていたアレクサンドリア港を、有人魚雷マイアーレを用いて、襲撃を行なっていたからだ。
この攻撃では、わずか十名の潜水コマンド部隊とマイアーレによって、英国海軍のクィーン・エリザベス、ヴァリアント、ラミリーズの三隻の戦艦に対して、これを行動不能とするほどの損害を与えるという大戦果をあげていた。
その後の偵察で、この三隻の戦艦は完全な撃沈こそ免れたものの、自力航行できずに、曳航された状態でスエズ運河を通ってよたよたと後方に送られているのが確認されていた。
そして、英国海軍が地中海に新たな戦艦を送り込んだ気配は今のところ無かった。
旧式のものが多いとはいえ、強大な戦艦戦力を有していたはずのイギリス海軍が地中海に増援を送り込めないのは、フランス占領地帯のブレスト軍港にとどまったまま出撃の機会を伺っているビスマルクによって本国艦隊が牽制され、その多くがカナダからの船団護衛任務に付いているのが主な理由だった。
何隻かの戦艦はアジア艦隊として編成されて、フランス領インドシナ攻略作戦に参加したらしいが、その後の動きはなかった。
おそらくシンガポールで他の植民地の動きににらみをきかせているのだろうと考えられていた。
だが、英国海軍の戦艦の不在は、必ずしも枢軸艦隊が圧倒的優位にたったことを示さなかった。
日本海軍は、金剛型四隻と磐城型三隻のやはり計七隻の戦艦を地中海戦線に投入していたからだ。
金剛型は先の欧州大戦開戦前後に就役し、四隻揃ってユトランド沖海戦にも参加した、日本海軍の戦艦の中でも最も艦齢の長い古参艦だった。
ドイツ海軍の一部は、この長い艦齢からか金剛型戦艦を低く評価する嫌いがあった。
逆にドイツ海軍の主力艦は、ここ十年ほどに就役した新鋭艦ばかりで占められていたからだ。
それに、英国海軍の旧式戦艦であるクィーンエリザベス級やリヴェンジ級は、ビスマルク級に準ずる大口径の15インチ砲を搭載していたが、金剛型の主砲はそれよりも一回り小さな14インチ、36センチ砲でしかなかったことも、金剛型戦艦を低く評価する一因となっていた。
だが、ボンディーノ大佐は、そのような見方は危険過ぎると考えていた。
確かにドイツ海軍の大型艦は新鋭艦ばかりだったが、それは先の欧州大戦の敗北によるスカパフロー一斉自沈やその影響によってドイツ海軍から主力艦が消え失せていたからに過ぎない。
逆にドイツ海軍には大型艦造修のノウハウがここ十年ほどしか無いのだ。
それに欧州大戦当時から就役し続けているとはいっても、日本海軍は近年になってから大規模な改装工事を相次いで旧式戦艦に施していた。
金剛型もその主砲である36サンチ砲そのものには変化はなかったようだが、機関や装甲は一新されていると判断されていた。
ボンディーノ大佐は、その改装は日本海軍がユトランド沖海戦での戦訓を取り入れたものだと考えていた。
勿論改造計画の詳細は、日本海軍が公表していないため不明な点が多かったが、戦訓が活かされているとすれば、水平甲板装甲は大幅に強化されているはずだった。
ユトランド沖海戦では、光学機器の発達や、射撃管制技術の革新によって長距離砲戦が実現したからだ。
当時誰も考えていなかったほどの長距離から放たれた砲弾は、近距離で大半が命中する舷側ではなく、重力に引かれて放物線を描いて甲板へと命中した。
舷側と比べて軽視されていた甲板装甲は、これに耐えることが出来なかったのだ。
これにより、当時より弱装甲が指摘されていた英国海軍の巡洋戦艦が何隻も水平甲板や砲塔天蓋を貫かれて撃沈されていた。
逆説的にいえば、甲板装甲の重視ということは、より長距離での砲戦を考慮しているということにもなる。
金剛型は技術革新による長距離砲戦に対応した戦艦へと生まれ変わっていたのだ。
それに、近年では光学機器よりも正確な測距が可能となるレーダーが海戦に用いられるようになっていた。
レーダー照準射撃は未だ確立された手法ではないが、夜間や視界の悪い悪天候でも射撃照準は不可能では無くなってきていた。
つまり、36センチ砲であっても大損害を与えうる距離での砲撃戦が起こる可能性は少なくなかったのだ。
実は、日本海軍と同様に、イタリア海軍でも、旧式化していたコンテ・ディ・カブール級とアンドレア・ドリア級の近代化改装工事を実施していた。
これら四隻の旧式戦艦は、主機の変更や在来砲の砲身中ぐり加工による大口径化などの大掛かりな工事によってその性能や艦影を一変させていた。
おそらく金剛型に限らず、日英の旧式戦艦も大掛かりな改装工事をうけたものは相応の能力向上がなされているだろう。
だとすれば、元が弩級艦であるコンテ・ディ・カブール級よりも、超弩級の巡洋戦艦を出自とする金剛型のほうが、今現在も有力な戦力を持つのではないのか。ボンディーノ大佐はそう考えていた。
磐城型戦艦は、金剛型以上に厄介な相手だった。
1935年の改正軍縮条約によって増加した日本海軍の戦艦枠内で建造された磐城型は、基準排水量三万五千トンの所謂条約型戦艦だった。
当初は金剛型同様の36センチ砲を三連装砲塔を三基、計9門、あるいは連装砲塔と混載の8門を搭載すると考えられていたが、イタリアの脱退による軍縮条約の無効化などによって、最終的には長門型同様の16インチ連装砲塔を搭載して就役していた。
ただし、長門型やビスマルク級が連装砲塔を四基、計8門の主砲を装備するのに対して、磐城型は三基、6門に抑えていた。
これをもってドイツ海軍などは、磐城型を空母随伴などに用いる巡洋戦艦的な艦と判断していたが、ボンディーノ大佐はそれに同意できなかった。
おそらく磐城型戦艦は、詳細設計の展開時期からいって、軍縮条約を遵守するため、排水量を三万五千トンに厳密に抑えられていたはずだった。
主砲の装備数を6門に抑えているのは、16インチ砲に対する垂直、水平装甲分の重量を確保するためなのではないのか。
門数は少ないが、日本海軍の16インチ砲は遠距離であっても威力が低下しない大威力の主砲だった。
45口径と比較的短砲身だから、主砲戦距離では大落角になるから、長砲身砲の低伸する弾道よりも、水平装甲に命中する確立が高いためだ。
一発あたりの損害では、シャルンホルスト級の28センチ砲やコンテ・ディ・カブール級などが装備する32センチ砲よりも格段に有力な砲と言えた。
磐城型は、主砲搭載数こそ少ないが、純然たる16インチ砲搭載の戦艦であって、旧時代的な巡洋戦艦ではあり得なかった。
そして、その点ではかつて巡洋戦艦として就役しながらも、装甲の強化によって戦艦へと類別された金剛型も同様であった。
金剛型と磐城型が、これまで地中海に展開する空母部隊の護衛任務に就いていたのは、主力戦艦ではない巡洋戦艦だからではなく、高速戦艦としての能力を買われているためなのだろう。
日本海軍は、戦艦のみならず、有力な大型空母やそれを護衛する水雷戦隊を組み合わせた機動艦隊を地中海に投入していた。
これまでの戦闘では、日本海軍の機動部隊は北アフリカ戦線の枢軸軍に対する対地攻撃に猛威を振るっていた。
日本海軍が戦線に投入している空母は、英国海軍と比べても段違いの打撃力を有していた。
英国製の空母が重装甲と引き換えに搭載機数が少ないということもあるが、それよりも英国海軍が空母を各艦隊に付随させてばらばらに行動させていたのに対して、日本海軍の空母は一まとめに航空艦隊という単位で運用していたということの方が大きい。
大型空母四隻と軽空母一隻からなる日本艦隊は、約250機ほどの航空機を投入することが出来た。
これだけでケッセルリンク大将の指揮の元で、現在シチリア島周辺に展開する航空部隊の約半数にも達していた。
これに対して、枢軸連合艦隊側の艦隊航空戦力は、戦艦や巡洋艦が有する水上偵察機を除けば皆無だった。
ドイツ海軍には、戦前からの艦隊増強計画によって建造中の空母があったが、未だ進水すら果たしていなかった。
イタリア海軍も同様に正規空母は建造段階であり、唯一洋上で水上戦闘機隊を運用できる高速水上機母艦であったファルコは、昨年のマタパン岬沖海戦で撃沈されたまま代艦建造の目処も立っていなかった。
フランス海軍は戦前から空母ベアルンを運用していたが、ベアルンは現在ヴィシーフランス海軍の管理下にはなく、中立を保った植民地に停泊したまま行動を停止していた。
一応は、ドイツ占領下で中断されていたベアルン後継艦となるジョッフル級の建造が、ヴィシーフランス海軍によって再開されていたが、独伊海軍の正規空母建造以上に工程は遅れていた。
その代わりとしてドイツ空軍は洋上での対艦攻撃を約束していた。
確かに大型爆撃機による大容量爆弾による水平爆撃や、急降下爆撃機によるピンポイントでの対艦攻撃はかなりの脅威となるはずだった。
マルタ島沖、つまりシチリア島やイタリア本土の周辺にまで空母部隊が接近してくれば、日本軍機に比べて航続距離の短いドイツ軍機でも有効に戦えるはずだった。
作戦によれば、マルタ島防衛に接近してくる敵艦隊を、マルタ島周辺海域に多数潜伏させている潜水艦隊で襲撃、同時にマルタ島に降下した部隊を支援する航空部隊を転用して、艦隊攻撃に当たらせるとしていた。
その仕上げとして潜水艦や爆撃機によって足止めと損害を受けた敵艦隊を、ボンディーノ大佐たちの戦艦を中心とした水上砲撃部隊が襲撃を行うとされていた。
これによって周辺の制海、制空権を確保し、マルタ島を完全制圧するための上陸部隊の行動の安全を確立する予定だった。
だが、この作戦は急遽スケジュールを繰り上げられたものだった。
今年初頭に立案されながら一度は延期されたマルタ島攻略作戦だったが、本来であれば、冬季の悪天候で航空作戦が制限される東部戦線から再び航空戦力を抽出することができるであろう時期になってから、開始されるはずだったのだ。
それが急遽決行されたのには、日本本土やアジア各国から派遣された戦力や物資が続々とエジプトへと到着しつつあることが諜報活動から得た情報によって確認されたからだった。
それらの物資がマルタ島に送り込まれて、防護態勢を整えられたあとでは、同島を攻略するのは格段に難しくなるだろう。
あるいは北アフリカでの戦局が国際連盟側優位に固定されて、北アフリカ戦線そのものが崩壊する危険性もあった。
だから、多少航空戦力は少ないがマルタ島攻略作戦が決行されることとなったのだ。
アフリカ軍団の指揮官らはマルタ島に貴重な戦力を注ぎこむよりも、増援部隊が準備を整える前に、エル・アラメインに敷かれた英国軍の防衛戦を突破してエジプトに雪崩れ込む方が先決と主張していたが、イタリア軍上層部と、何よりも南方総軍司令官であるケッセルリンク元帥がマルタ島を奪取し、補給線を確立しなければいずれ枢軸軍は敗北すると主張していた。
最終的に枢軸軍の最高指揮官ともいえるヒトラー総統の裁可によってマルタ島攻略作戦は実行されることとなった。
ヒトラー総統の考えはよくわからないが、一時的に北アフリカの最前線からすら引き抜かれて集中された航空部隊と、西部戦線開戦直後のエバン・エマール要塞攻略作戦以来久々に実戦に投入される虎の子の降下猟兵部隊を持ってすればマルタ島を攻略するのは難しくないと考えているのではないのか。
そして、本来の作戦計画よりも少ない航空戦力を補うために、急遽ドイツ、イタリア、ヴィシーフランス連合の艦隊が編成され、敵船団の阻止と、マルタ島制圧支援に当たることになっていた。
だがボンディーノ大佐には、スケジュールの繰り上げによる齟齬以前に、肝心の作戦の内容そのものにも問題があるように思えていてた。
第一に、空軍部隊の目的が不鮮明なのが気に入らなかった。
順当に考えればマルタ島を守備する英国軍を攻撃し、降下した空挺部隊を援護するのが主任務であると考えられる。
しかし、マルタ島空襲に徹した場合は、対艦攻撃はおろそかになるだろう。
その場合は、出撃した三カ国連合部隊は、有力な英日艦隊の航空戦力によって大きな損害を受けるのではないのか。
かといって爆撃機を対艦任務にのみ使用していては、いつまでたってもマルタ島は攻略不能だろう。
突き詰めて言えば軽歩兵部隊に過ぎない空挺部隊は勿論、増援の揚陸部隊も機動性を高めるために砲兵部隊などの重装備の保有数は少なかった。
元々ドイツ陸軍は、展開能力の低い砲兵部隊よりも、空軍の急降下爆撃機などを空飛ぶ砲兵として頼る傾向があった。
このマルタ島攻略作戦でも、マルタ島に程近いシチリア島の飛行場から出撃する急降下爆撃機に、砲兵の代用としての対地火力発揮が委ねられていた
だから、空軍部隊の打撃力をどの目標に割り振るのかは、シチリア島に陣取るケッセルリンク元帥の判断に委ねられていたが、刻々と変化する状況を見据えながらの難しい判断を彼は迫られることになるだろう。
「馬鹿がエジプトなんぞに手を出すからこんなことになるんだ」
考えるのに飽きたのか、つまらなそうにボンディーノ大佐は言ったが、ルティーニ中佐は、あからさまな政府批判に思わず周囲の目を気にしてあたりを見回してしまっていた。
その様子を見て、さらにボンディーノ大佐はつまらなそうに鼻を鳴らしながら立ち上がっていた。
個人の感想はともあれ、軍人としての責務を果たさないわけにはいかなかった。