1944コルシカ島沖海戦24
薄暗い艦橋の窓から差し込んでくる、絶え間なく続くようなフランス艦隊の激しい対空射撃の明かりによって照らし出されたK部隊司令官のカナンシュ少将の顔は、ひどく歪んで見えていた。
それに先程のカナンシュ少将の発言内容も不可解なものだった。日本軍が大きな戦果を挙げたと言ったのだが、実際にはそのような様子は見られなかったからだ。
これまで確認された敵艦隊の様子からして、K部隊の接近前に行われた日本海軍航空隊による攻撃はあまり戦果をあげていなかったはずだ。
敵艦隊が高速航行を続けていたことから、少なくとも敵艦に直撃を与えて目印となる火災を発生させたり、あるいは撃沈までは行かなくとも機関や水線下の艦体に損傷を与えて行足を鈍らせることも出来なかったはずだ。
怪訝そうな表情を浮かべる司令部要員の様子に気がついたのか、カナンシュ少将は少しばかりつまらなそうな顔になっていった。
「何だ、気が付いていなかったのか。奴らが足を止めれば、この周辺海域に展開する艦隊がおっとり刀で駆けつけてくるはずだ。開戦初期のドイツ海軍の通商破壊艦は姿を隠し続けている間こそ脅威だったが、一度位置を掴まれたら我が海軍の包囲網を突破出来ずに沈められた。
昨年にアフリカ沖で暴れまわったドイツの戦艦もそうだっただろう。逆に早々とブレストに逃げ込んだビスマルクは、初期の航空攻撃に失敗したことで取り逃がしたとも言えるだろう。
だが、そんなことは奴ら、フランス人自身もよくわかっているはずだ。だから奴らは必要以上に撃沈は出来ないまでも足止めになる航空攻撃を恐れているんだろう。
案外、我々の水上艦隊と刺し違えるのは武人の誉だが、航空機ごときに袋叩きされるのは我慢ならんと考えているだけかもしれんがな」
そこで一旦口を閉じると、カナンシュ少将は周囲を見回しながら、冷笑を浮かべて続けた。
「先程の日本軍による航空攻撃は、実際の戦果は無かったにせよ、フランス人共を動揺させる効果はあったようだ。曳火砲撃を航空機の攻撃によるものか、あるいはその支援だと勘違いしたんだろう。要するに、狼が出たと騒ぎ立てる子供のようなものと言うことだ。
だが、本当の狼である我々は空からではなく海からやってきた。フランス人共はその事にまだ気がついていないか、気が付いていたとしても、それ以上に航空攻撃の方をより恐れているということだ……」
そこでカナンシュ少将は冷笑を浮かべていた表情を一気に引き締めると、鋭い目をしながらいった。
「奇襲とはならなくとも、この隙を逃してはならない。艦隊各艦に下命、全艦突撃、予定通りに敵艦隊殿艦を第一目標、片っ端から沈めるつもりでかかるぞ」
何時になくカナンシュ少将は勢いの良い様子でいった。その調子に当てられたのか、司令部要員も逸る様子で次々と指示を出していった。
連絡将校である笠原大尉一人がその慌ただしい雰囲気の埒外に置かれていた。連絡を取るべき相手がいなかったからだ。
すでに攻撃を終えた日本海軍の航空隊は遥か彼方の空域に過ぎ去ってしまっていた。これまで接触艦として動いていた島風も、航空攻撃と同時に戦闘に加入していた。おそらく島風の戦闘能力は現状では大きく低下しているはずだ。
駆逐艦の搭載弾薬数などたかが知れているから、すでに島風は主砲弾の大半を射耗しているのではないか。曳火砲撃で敵艦隊の所在をK部隊に知らしめたのも、残弾が僅少で自らの砲撃では十分な損害を与えられないと判断した為かも知れなかった。
それにこれまでの様子からして、詳細は不明だが島風にはかなりの損害が出ているはずだ。幸いなことに艦橋前部の両用砲塔は使用可能なようだが、通信が一時的に途絶えていたことからすると、無線機にも何らかの損害が出ている可能性が高かった。
K部隊が島風に対して誤射寸前となるまで同艦から連絡がなかったのも、長距離無線が使用不可能となって近距離用の隊内無線しか使えなかったからかも知れなかった。
何れにせよK部隊の視点からすると島風を戦力とみなすことは出来そうも無かった。密に連絡をとりあうことが出来ないのであれば、混乱しがちな夜戦では単艦行動の友軍艦はむしろ足手まといになりかねなかった。
カナンシュ少将も島風にこれ以上の積極的な行動を求めるつもりはなさそうだった。
当初の作戦計画とは異なり、カナンシュ少将はK部隊主力に後続する駆逐隊の分離を禁じていた。島風からのまばらな曳火砲撃に誘引されるように対空射撃を続けているフランス艦隊が、接近するに連れて予想以上に混乱している様子が伺えるようになっていたからだ。
敵艦隊を目視で確認できた当初は、3本の緻密な単縦陣を構築していると思われていたのだが、実際には陣形にはかなりの乱れがあった。中央の単縦陣は2,3隻毎に前後の艦にかなりの間隔が空いていたのだ。
陣形の乱れからして、回避行動の際に自由を効かせるなどの戦術的な理由から大きな間隔が取られているとは思えなかった。それぞれ2,3隻に別れた小群内は緻密な間隔を保っていたからだ。
だが、時間をかけて観測してみると、緻密な間隔を保っているのは同型艦か準同型艦に限られているのが確認できていた。間隔が空いているのは艦種が異なる群同士の間のようだった。
混乱しがちな夜間における長距離進出や対空戦闘の連続によって緻密な単縦陣を保つことが出来なくなっていたのだろう。あるいは、各艦の艦長たちが必要以上に僚艦との衝突を恐れたのかも知れなかった。
艦種ごとに間隔が空いているのは、同型艦であれば操艦時の挙動が予想できるが、艦種が違えば艦体の形状などから操舵性が変化して追随が難しいと考えたからではないか。
K部隊も艦隊単位での練度はさほど高くはないと笠原大尉は考えていたのだが、フランス艦隊はそれ以上に練度が低いのかも知れなかった。それに、敵艦隊のフランス人自身もその事を痛感している節があった。
それが消極的な艦隊陣形の乱れを生むことになったのではないか。それ以前に、ろくな確認もせずに対空射撃を開始してしまったのも練度不足が原因なのだろう。
―――敵艦隊の戦力は強大だが、このあたりにつけ入る隙きがあるかも知れんな……
笠原大尉はそう考えていた。
見張員が確認したとおり、敵艦隊の最後尾についていたのはラ・ガリソニエール級軽巡洋艦だった。3隻の同型艦は緻密な隊形を保っていたが、対空射撃の閃光で自位置を盛大に暴露していた。
しかも、同級の対空射撃はさほど強力とは思えなかった。ダンケルク級戦艦に随伴させる事を前提として建造されたともされるラ・ガリソニエール級軽巡洋艦は、就役してから10年程度の働き盛りと言っても良い艦だった。
就役時期で言えば日本海軍の最上型軽巡洋艦と同世代と言えた。主砲が長砲身の15センチ級砲三連装砲塔という所も似ていると言えなくも無かった。
ただし、最上型軽巡洋艦が打撃力を重視して砲塔を5基、計15門も備えていたのに対して、ラ・ガリソニエール級が備える主砲は三連装砲塔3基の9門でしか無かった。
一万トン級の最上型に対して同級が基準排水量で7,8千トン級と一回り小ぶりであることも原因なのだろうが、同世代の米海軍のブルックリン級でも最上型と同数の主砲を備えていたから、同時期に建造されていた英仏の軽巡洋艦が弱兵装であるとの傾向に変わりはなかっただろう。
ハイン・マット式の特異な収容装置に加えて最大4機の水上機を搭載可能な航空兵装は排水量の割には充実しており、航続距離や速力の点でもダンケルク級戦艦の随伴艦、あるいや護衛艦艇としてみれば十分な性能を有しているものの、ラ・ガリソニエール級が単艦での戦闘能力では不満足な点があるのは事実だった。
貧弱なのは主砲だけではなかった。高角砲は連装砲塔4基を備えており、搭載数はこの程度の巡洋艦としては標準的ともいえるが、口径は長10センチにも劣る9センチ程度でしかないから危害半径は小さくなるはずだ。
それに、後座装置周りが適切でないのか発射速度もそれほど高くはないようだ。40ミリ級の大口径機関砲が対空機関砲として搭載されたのも、これを補うためでもあったのかも知れない。
高々度から水平爆撃を行う爆撃機などならばともかく、必中を期すために海面近くを這うように膚接を図る雷撃機などには、心理的なものを含めて効果は大口径の機関砲の方が高いのではないか。
何れにせよ、対空射撃はK部隊による射撃照準を助けることにしかならなかった。フランス艦は闇夜という隠れ蓑を、自らの射撃によって剥ぎ取ってしまっていたのだ。
当初の計画通り、K部隊による射撃はそのような最後尾のラ・ガリソニエール級軽巡洋艦を狙ったものだった。
敵艦隊最後尾の少群は、3隻のラ・ガリソニエール級軽巡洋艦で構成されていた。
その3隻に向けてK部隊主力からの射撃が集中していた。アンソン、ハウのキング・ジョージ5世級戦艦2隻が小群の1、2番艦一隻ずつを射撃し、残りの4隻の軽巡洋艦群が小群の3番艦、すなわち敵艦隊の殿艦を集中砲撃していた。
射程の関係から後続の駆逐艦群は戦闘に何ら寄与せずにいたが、それは大部分の敵艦隊も同様だった。あるいは、本当に幻にすぎない上空の脅威に振り回されて、現実の脅威であるK部隊にまだ気が付いていないのかも知れなかった。
アンソンが砲撃を開始した瞬間、思わず笠原大尉は目をつむっていた。敵艦隊の激しい対空砲火があったとはいえ、闇夜になれた目には主砲発砲の閃光はあまりに眩しかったのだ。
それからしばらくして、弾着を知らせる報告が上がった。意外なほど発砲から弾着までの時間は短かった。それほど敵艦隊との交戦距離は狭まっていたのだろう。
初弾にも関わらず、夜間の射撃としてはアンソンの射撃精度は高かった。精度に関して昼夜を問わないレーダー照準によるものだということもあるが、やはり対空射撃の照り返しによって肉眼でも敵艦の位置を把握済みであったことが射撃精度の向上につながっていたようだ。
アンソンの初弾は全て外れた。ただし、散布界はそれほど広くはなかった。弾着によって発生した水柱は、程よい範囲に広がっていた。しかも、弾着点が描く散布界は、視線方向に対して左右のずれはあったもの、前後方向はほとんど正しいようだった。
敵艦の前方に集中した水柱のいくつかは、完全に消え去る前に目標となったラ・ガリソニエール級が前進することで見かけ上その姿を包み込むような位置にあったのだ。
アンソン艦橋に声ならぬ声が上がっていた。このまま修正を行えば、第2斉射あたりから命中弾を出してもおかしくはないかもしれなかった。
そのアンソンに続くハウも、命中弾こそ同じく無かったものの散布界と目標との誤差はそれほどないようだった。そして、ハウに後続する軽巡洋艦群は、4隻が揃ってただ1隻を集中射撃したせいか、初弾から命中弾が出ているようだった。
ただし、アンソンの艦橋からでは詳細はわからなかった。角度が悪かったのもあるが、それ以上に視界が遮られていたのだ。
5千トン級でしかない小型のアリシューザ級軽巡洋艦でも6門の主砲を備えていた。リアンダー級軽巡洋艦はもっと多いから、30門近くもの砲から放たれた15.2センチ砲弾が敵艦を狙っていたのだ。
当然のことながら、命中弾とならなった砲弾は、敵軽巡洋艦の姿を覆い尽くすかのように、周囲に数多くの水柱を発生させていた。あれでは僚艦の射撃によるものと区別がつかずに弾着の修正すら困難ではないのか。
笠原大尉はそう心配していたのだが、次の瞬間に愁眉を開いていた。水柱の向こう側に赤黒い光が見えたのだ。最初は未だに敵艦による対空砲火が続いているのかと思ったのだが、実際には友軍巡洋艦群の砲撃によって火災が生じているようだった。
対空砲の砲口炎による眩く白い閃光とは明らかに異なる赤黒い炎は、K部隊がこの戦闘であげたはじめての戦果だった。