1944コルシカ島沖海戦23
闇夜の中から唐突に現れた島風による射撃は、駆逐艦としては相当の距離がある標的を狙っているようだった。
勿論、目標はK部隊ではなかった。長10センチ砲の砲口ではなく細長い砲身が見えているし、K部隊よりも遠距離を狙っているようだったからだ。
暫く間の抜けた時間が経った。発射速度が高いものだから、初弾が着弾するよりも次弾が発射される方が早いようだった。
笠原大尉は、双眼鏡を島風が目標としているように向けようとしていた。だが、それよりも早くアンソンの右舷前方方向に配置されていた見張員が声を上げていた。
「右舷前方2時、榴弾の着弾……いや空中で炸裂した。曳火砲撃の模様……」
妙だった。島風から放たれたのは本来対空戦闘用の榴弾として運用される通常弾のようだった。高角砲として運用される際は、着弾時に目標機が存在すると予想される位置にすばやく多数の砲弾を撃ち込んで、爆散する弾片で敵機を切り裂くのだ。
長10センチ砲が、従来の高角砲の主流だった12.7センチ砲よりも弾頭重量、すなわち爆散する破片によって生じる危害半径の縮小に甘んじても小口径化が図られたのは、高速化が進む航空機に対抗するために高初速化が図られていたからだ。
つまり爆散塊の縮小よりも、発砲から着弾点までの到達時間を短縮する方が優先されたということだった。この到達時間が長引けば、それだけ予想しうる目標機の位置が拡散してしまうからだ。
それに砲弾の小口径化によって結果的に初速だけではなく発射速度も向上していたから、一発あたりの危害半径が減少した分は単位時間あたりの発射数を増大させて対応する、それが基本的な考え方だった。
言い換えれば、危害半径の減少は発射数で補うことが出来るのだが、砲弾が炸裂するまでの到達時間を減少させるのは高初速化以外にはなしえないという判断だったのだろう。
ただし、こうした対空戦闘能力を重視した長10センチ砲の特性は、その一方で対水上砲戦向けとは言いがたかった。元々、軍縮条約の規定に縛られた駆逐艦主砲弾は、砲弾重量の点で大口径砲を多数有する巡洋艦以上とは大きな威力の差があった。
特に長10センチ砲は、ある程度以上の装甲を有する相手には殆ど有効弾を与えることが出来ない可能性が高かった。弾頭部の重量が小さいために、弾片防護以上の装甲を貫くだけの威力がなかったからだ。
最近になって建造されている一部の搭載艦で高角砲ではなく両用砲とされているのは、対水上戦闘にも投入される駆逐艦に搭載されるにあたって、汎用性を有しているかのように呼称されるようになっただけに過ぎないのではないか。
英国海軍の13.3センチ砲は、両用砲とはいいながらも砲弾重量や砲塔旋回速度の遅さなどから平射砲寄りの性格持っており対空射撃能力は限定的なものでしか無いというが、長10センチ砲はその正反対の特性を持つといってもよいのだろう。
これが陸戦のように低伸弾道の対戦車戦闘ということにでもなれば、高初速砲による高い運動量による徹甲弾射撃によって大威力を発揮させることも出来るかも知れないが、水上戦闘の場合は駆逐艦同士であっても戦車戦よりも遥かに遠距離での砲撃となって弾道は山形となるし、照明弾などの特殊弾頭を除けば駆逐艦に搭載される砲弾は榴弾である通常弾しかなかった。
仮に徹甲弾を搭載していたとしても、巡洋艦以上の重装甲を貫こうとすれば、結局は危険なほど接近しなければ不可能なはずだった。
それに、容積の限られる戦車はどこを貫通しても重要な部品や操作する戦車兵に損害を与えることができるが、艦艇の場合は無垢の徹甲弾では容積の大きな艦体内部に十分な損害を与えることは難しかった。
榴弾の威力という点では、やはり弾頭重量が減少する分だけ長10センチ砲は、従来のより短砲身な12.7センチ砲よりも不利だった。
軽装甲の艦艇に対しては発射速度の高さからなる手数の多さで対抗し得るかも知れないが、それが通用するのはせいぜいが軽巡洋艦、しかもアリシューザ級のような小型軽巡洋艦までのことだろう。
しかし、水上戦闘で高角砲や両用砲を使用する場合は、時限信管を用いて敵機の予想空域手前で炸裂させる対空射撃時とは異なり、弾種は榴弾である通常弾であっても、信管は着発を選択するのが通常のやり方だった。
高速で脆弱な航空機は、重量の小さい榴弾破片でも相対速度もあって十分な打撃を与えることが出来た。最近の軍用機はいずれも操縦席などの重要部の防弾装備が充実していたが、動翼など装甲を施すのが実質的に不可能な箇所も少なくなかった。
弾片が直撃しなかったとしても、至近距離で爆風を浴びれば飛行姿勢に影響が出るのは避けれれなかった。
元々対空射撃とは必中を期するようなものではなく、想定空域にどれだけの射弾を送り込めるか、言い換えれば敵機を害するのに必要な密度の爆散塊を作り出せるかどうかにかかっていた。
だが、十分な装甲すら持たないとはいえ相手が艦艇であれば話は別だった。着発信管を用いた上で作動を遅動として、敵艦内部に弾頭が躍り込んだ時点で炸裂するように設定するのが通常だった。
艦艇から距離をおいたところで榴弾が炸裂したところで、駆逐艦主砲の薄い防盾程度でも弾片防護程度にはなるから、敵艦内部や乗員に十分な打撃を与えことなく表面を焦がして終わるだけだ。
おそらく着発と同時に信管が作動する着発設定でも、同様に敵艦内部に弾頭が入り込む前に炸裂してろくな損害を与えられずに終わるはずだ。
だが、笠原大尉の眼の前では、明らかに海上に曳火砲撃による砲弾の空中での炸裂によるものである爆炎が発生していた。詳細は不明だったが、高角砲弾の弾頭重量程度で発生する榴弾弾片程度では敵艦に損害を与えることなど全く不可能なはずだった。
笠原大尉は僅かに首を傾げたが、視界の隅でカナンシュ少将が僅かに口の端をめくれ上がらせようとしているのを見つけていた。どうやら歪んだ笑みを浮かべようとしているようだった。
慌てて、笠原大尉は双眼鏡を爆炎が向かう先の方に向けていた。空中で炸裂した砲弾の爆散塊の散布は球状に広がる訳ではなかった。静止状態で炸裂すれば確率論に従って球状となるだろうが、発生した断片は砲弾の存速を有しているから、実際には砲弾の発射方向に偏在していた。
爆炎も弾片同様に発射方向に向かって赤黒い炎を見せていた。
笠原大尉は思わず双眼鏡の先に見えた爆炎によって僅かに照らし出された光景に目を見開いていた。
それとほぼ同時に、見張員の声も上がっていた。見張員は、大尉が手にしているような手持ちのものではなく、艦橋構造物に固定された高倍率で大口径の双眼鏡を使用しているから、より視野は鮮明のはずだった。
「敵艦隊を視認、丸見えです。手前にモガドル級らしき駆逐艦群、その後方にも単縦陣……後部に三連装主砲塔1基、上部にカタパルト有り……ガリソニエール級軽巡洋艦と思われる。更にその前方、巡洋艦らしい。数は……」
見張員の報告に頼るまでもなかった。闇夜の中から、高角砲弾の爆炎によって敵艦隊が引き出されようとしていた。
当初の想定通り、2,3隻程度の駆逐艦で構成された単縦陣の向こう側に、戦艦らしき大型艦や巡洋艦で構成された敵主力の単縦陣が航行していた。
ただし、彼方の爆炎の明かりの中でも、敵艦隊各艦の側面に艦首波が長々と伸びているのが見えていた。穏やかな海面だからか、真白い塗料で描いたようにに艦首波は細長く鮮やかに遥か艦体後方まで伸びていた。
敵艦隊は相当に高速を出しているようだった。僅かに笠原大尉は首を傾げた。フランス海軍の大型駆逐艦は、確かに下手な軽巡洋艦に迫る程の大型艦だったが、燃料搭載量などは重要視されていないのか、公表されている航続力の数値はさほど大きな値ではなかった。
広大な太平洋における米海軍の大艦隊との交戦を前提として以前より戦力を整備し続けている日本海軍は、駆逐艦にも外洋航行能力を要求したことで航続距離も高くなる傾向はあった。
だから、笠原大尉が日本海軍のそれを比較対象としていたことを除いても、フランス海軍の場合は国境を接するイタリア海軍との地中海海域での決戦を想定していたようだから、航続距離よりも戦闘能力を優先していたということだろう。
だが、高速航行の連続は巡航時よりも格段に燃料消費量が増大するはずだった。条件はK部隊も同様だったが、こちらはコルシカ島まで戻れば輸送船団に随伴する油槽船から補給を得ることも出来るし、制空権はこちらに優位だから最悪の場合は油槽船を進出させて洋上で邂逅することも難しく無いはずだった。
しかし、笠原大尉が考えにふけっていたのは、わずかな時間だったた。唐突に視界に閃光が発生していたからだ。
閃光は最初は僅かな数だったが、短時間のうちに数を次々と増していった。その閃光には見覚えがあった。つい先程島風から放たれた射撃と類似していたのだ。
ただし、島風が行ったものとは異なり、弾道は明らかに砲身を空高く向けて仰角を大きくとった対空射撃によるものだった。
射撃は高角砲と思われるものだけではなかった。高角砲よりも射撃間隔が短く、殆ど連続しているように見えるものがあった。夜間とはいえこの距離からでも明確に曳光弾を観測できるということは、相当に大口径の対空機関砲によるものではないか。
確かフランス海軍では40ミリ級の機関砲が採用されていたはずだった。おそらく現在射撃が行われているのはその機関砲によるものなのだろう。
だが、連鎖的に射撃が増えていったものだから、すぐに個々の砲口炎を識別するのは難しくなっていった。それに、連続した銃砲撃によって高速航行による合成風でも拡散しきれないほど濃密な砲煙が敵艦隊の周囲に広がっていた。
アンソンから見て、戦艦や巡洋艦で構成されていると思われる敵艦隊主力からなる単縦陣の前方には、フランス海軍の前衛となる大型駆逐艦と思われる単縦陣が航行していた。
その大型駆逐艦による激しい対空射撃による砲煙と砲口炎によって、背後の主力艦群は覆い隠されようとしていた。
勿論、意図的なものとは思えなかった。駆逐艦群周辺の砲煙を通しても、なお激しく燃え盛るような主力艦群による対空射撃の痕跡が見られたからだ。
この調子では、戦艦や重巡洋艦主砲などはともかく、対空射撃には向かない軽巡洋艦や大型駆逐艦の平射砲まで連続発砲をおこなっているのではないか。
先程の島風の曳火砲撃によって敵艦隊の姿は僅かに闇夜から引き出されていたのだが、今では自らの激しい対空射撃によってまるで昼間のように鮮やかに敵艦はその存在を周囲に知らしめていた。
ごく短時間で始まった対空射撃を、アンソン艦橋のK部隊司令部要員は呆気に取られてみていた。そのうち司令部要員の誰かがレーダー室に尋ねていた。対空捜索用のレーダーで友軍機の存在を捉えているのか、そう聞いているようだった。
回答はすぐに返ってきた。レーダー室につながる電話を抱えた伝令が、要領を得ない顔になりながらいった。
「レーダー室、対空捜索レーダーに反応なし。対水上レーダーも既知の敵艦隊、及び友軍艦艇と思われるものを除き何も捉えていません……」
司令部要員の多くは、それを聞いて首を傾げていた。おそらくは、敵艦隊による対空射撃は、島風による曳火砲撃がきっかけになっていたと思われるが、砲弾が炸裂した地点は敵艦からまだかなり距離があったはずだ。
殆ど損害を与えたとは思えない曳火砲撃で何故敵艦隊にここまで激しい反応が出せたのか、それが分からなかったのだ。
だが、司令部要員の多くは次の瞬間にあわてて振り返っていた。嘲笑うような暗い声が聞こえたからだ。笠原大尉は、カナンシュ少将が暗い笑みを浮かべているのを確かに感じていた。
「どうやら、我が同盟軍は大きな戦果を残してくれていたようだな……」
冷笑を浮かべながらカナンシュ少将がそういうのを、笠原大尉は眉をしかめながら聞いていた。
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