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1944コルシカ島沖海戦22

 アンソン艦橋では、同時にいくつもの怒声のような声で報告が上がっていた。最初はレーダー室だった。

「レーダー探知、本艦右舷後方及び前方、前方の目標は複数、捜索を続行中」


 レーダー室からの報告は慌ただしいものだった。おそらく、電探による探知と同時に反射的に速報として報告を上げたのだろう。笠原大尉にはアンソンの電探操作員がどれほどの技量を有しているのかはわからないが、時間が経てば更に正確な情報を上げてくるのではないか。


 もっとも、この時点では周囲の状況はK部隊司令部の想定通りとも言えた。目視で確認されていなかったK部隊右舷前方側に艦隊らしき反応が発見されたことも違和感はそれほど無かった。

 見張員による目視確認は、夜間では探知距離は短くなるし個人の技量によってもばらつきが大きくなるが、電探による捜索はほとんど周囲の環境によって探知距離などは変わらないはずだったからだ。

 前方側の反応は敵艦隊主力であり、後方で単艦察知されたのは主力から脱落した損傷艦ではないかと思われた。



 これ以後のK部隊の対応は2つあった。当初のカナンシュ少将の命令通りにまずは後方の敵艦に射撃を集中するか、あるいはこれを無視して前進を継続するかだった。

 電探捜索は開始されたばかりだから、個艦の識別は艦種ごとであってもまだできなかったが、仮に後方を航行しているのが敵戦艦であっても単艦であればキング・ジョージ5世級戦艦2隻を主力とするK部隊の火力なら早々に無力化出来るはずだ。


 脱落艦など無視して敵主力を指向するのも十分に考えられた。艦隊単位での練度が不足しているK部隊では夜間戦闘時の発砲が大きな混乱をもたらす可能性も否定できなかった。

 そうなれば単艦の標的との交戦後に改めて敵主力の追尾を行っても、戦闘後の再編成に時間がかかって再度の補足に失敗するかもしれなかった。それならば、脱落艦など放置して敵主力との交戦に全力を注いだ方が有利なはずだった。


 もちろん、損傷艦を援護するために敵主力が反転して挟み撃ちに合う可能性も否定できない。

 それに、いずれの場合にせよK部隊は電波管制を解除して派手に電波発振を開始したからすでに奇襲効果は望めないかもしれなかった。



 だが、アンソン艦橋に上がった報告はレーダー室からのものだけでは無かった。カナンシュ少将や他の司令部要員がこれに反応するよりも早く、声が上がっていたのだ。

 しかも、その声は伝令と見張員、二人の声がほとんど重なっていた。

「敵艦発砲、敵艦発砲」

 見張員の声は焦っていた。確かに、それまでアンソンから見て背後に浮かぶぼんやりとした月明かりで僅かに照らし出されていた右舷後方の艦影が瞬いていた。

 その光は艦影が背負うか細い月よりも遥かに明るいものだった。


 しかし、アンソンの艦橋にいる中でその瞬きに注目した将兵はそれほど多くはなかった。あまり経験の無さそうな見張員の焦った声と同時に、伝令の声も聞こえていたからだ。

「隊内通信用、近距離周波数帯に入電、日本海軍艦の識別符号です。方位測定中……本艦右舷後方……」

 唖然として笠原大尉は首から下げた双眼鏡をアンソン右舷後方の艦影に向けていた。肉眼では光が瞬いていることしか分からなかったからだ。


 瞬いて見えるのは主砲の発砲によって生じる砲口炎らしい。その発砲炎が発生する間隔からしてあまり大口径の砲ではないのは確かだった。巡洋艦以上の大口径砲であれば装填速度が早すぎるだろう。

 日本海軍の新鋭艦である石鎚型重巡洋艦などは、装填機構に従来よりも格段に出力の向上した電動機などを導入することで装填時間を短縮しているが、今回の作戦では、石鎚は戦艦分艦隊に直衛として配属にされているはずだから、単艦でこの海域まで進出しているとは思えなかった。

 それ以前に、彼方の瞬きはいささか弱々しく、20.3センチ砲の連続発砲による凄みは感じられなかった。



 もっとも、笠原大尉が見つけた瞬きが駆逐艦備砲によるものだとすれば、今度は間隔が空きすぎているような気がする。


 戦艦主砲などの大口径砲とは異なり、駆逐艦主砲や高角砲などに使用される10センチ級の砲では砲弾重量が小さいことから装填機構には人力を多用する傾向があった。

 装砲空間にもよるが日本海軍では迅速な人力装填が可能なのは、概ね従来は戦艦副砲にも多用されていた14、15センチ砲程度からと想定していた。


 ただし、人力を多用した場合、諸元表に記載されるような理想的な装填速度を維持することが可能な時間はそれほど長くはなかった。戦闘時のように短時間に継続した射撃を行った場合は装填手の疲労が激しくなるからだ。

 それに問題は疲労だけではなかった。装填速度を維持するためには、装填手、給弾手の作業性も考慮する必要があった。装填作業の際に障害物があるようであれば作業効率が悪くなるからだ。

 勿論、弾庫から砲側への移送路も無視できない要素だった。砲側の即応弾を撃ち尽くせば、弾庫からどれだけ重量物の砲弾を砲側に移送できるかが最終的な発射速度を左右するからだ。



 実際、これが問題となった場合もあった。防空艦不足から急遽改設計が行われた松型駆逐艦の対空型では、原型となった汎用型において魚雷発射管が配置されていた艦体中央部の第1、第2煙突間の空間に連装高角砲1基を追加で搭載していた。

 ところが、高角砲そのものは設置出来たものの、下部に揚弾筒などを設ける空間は無かった。


 松型駆逐艦の原型艦では予備魚雷などは装備されていなかったから、搭載されていた魚雷発射管は魚雷本体の格納庫を兼ねており、発射管下部には上甲板に据え付けられた発射管の旋回機構を除けば兵装用に確保されている空間は無かった。

 また、上甲板下の空間は機関部に充てられており、缶室と機械室が交互に配置されていたから、艦体中央部に新たな弾庫を設けるのは難しかった。



 結局、建造された松型駆逐艦の対空型では、急務となった空母部隊直衛の防空艦として運用することから、対艦兵装である魚雷発射管の代わりに給弾機構の不備を承知で連装高角砲を搭載する事となったらしい。

 だから厳密に言えば中央部に増設された高角砲は、揚弾筒などを持つ砲塔ではなく、砲や旋回機構しか持たない砲塔式でしか無いことになる。

 上甲板から嵩上げされた旋回機構周辺には即応段庫を設けていたから、短時間であれば発射速度は完全な砲塔のそれと大差ないというが、長時間の対空戦闘では原型艦から搭載されている上部構造前後に設けられた同種砲の発砲に追いつけないこともあったという話だった。


 一部の艦では前後の上部構造物内部にも応急弾庫を設けて給弾の迅速化を図ったり、高角砲周囲の搭載艇揚収装置付近などに砲弾を積み上げて対空戦闘に備えていたものもあるらしいが、そうした装填速度向上の措置はいずれも被弾時における誘爆の危険性と隣合わせでもあった。

 先の欧州大戦時に発生したユトランド沖海戦において爆沈した英国海軍の巡洋戦艦の中には、装填速度を向上させるために不用意に開放されていた揚弾筒の防火扉から突入した敵艦砲弾、あるいは火災が原因であるという戦訓もあったからだ。



 これらは改設計や建造に予算と時間をかければ解決できる問題ではあった。実際、水雷戦隊に配属される甲型駆逐艦の損耗に対応するために、松型駆逐艦の設計、建造計画の一部を流用する形で建造された橘型駆逐艦では、建造ブロック単位での再設計によって3基の主砲塔を搭載していた。

 しかも搭載された主砲は高初速の長10センチ砲の連装砲塔だったから、陽炎型駆逐艦代替の水上戦闘を重視した汎用型であるにもかかわらず、対空戦闘能力は射撃継続能力という面を含めても松型駆逐艦の対空型よりも上という奇妙なことになっていた。


 結局、諸元表に現れるような個々の要素自体の性能を向上させるのには熱心であったとしても、それをまとめ上げる事を怠っていたということではないか、笠原大尉はそう考えていた。



 兵器開発におけるこのような分野においては、日本海軍は立ち遅れている感があった。艦載兵器だけではなかった。航空機など他の分野でも原因を突き詰めれば同じような問題が生じていたのだ。

 例えば、戦闘能力を極めたように見える戦闘機であっても、エンジンカウリングを外して見ると無様な隙間が多々生じている事があったらしい。


 速度性能を重視する戦闘機では、本来であれば空気抵抗を極限まで減少させるために前方投影面積を最小限に抑えているはずだった。理想であれば、機体断面で最も直径が大きくなるであろうエンジン外径と同寸とするべきではないか。

 勿論視界を考慮すれば操縦席は胴体から突出する構造とせざるを得ないが、胴体幅に関してはエンジン外径と密接な関係にあるはずだった。仮に肥えたエンジンカウリングと細身の胴体部に段差が生じてしまえば、不連続面で乱流が生じて大きな空気抵抗が生じてしまうはずだからだ。


 ところが実際には機体からカウリングを外すと、不要な隙間によってエンジン外径よりも胴体部の方がだいぶ大きくなっていたのだ。

 これはエンジン側と機体側の開発陣間において十分な情報交換がなされていなかったのが原因だった。冷却空気の通り道とする意図もあるようだが、実際には後付の理由に過ぎないし、諸外国製の新鋭機ではカウリング隙間を最小限としているものも多かった。



 通常はある機体に搭載されるエンジンは、制式化済のものを軍側から開発業者に指定されるのだが、実際に搭載されるのは機体開発が開始された際に指定されていた原型ではなく、その改良型のエンジンとなる場合も多かった。

 航空技術の進歩が急速に進んでいるものだから、機体が完成する頃にはエンジン性能が陳腐化することが多かったからだ。


 だが、機体側に伝えられるエンジン設計は曖昧な情報のものでしか無かった。エンジンの外寸値などは正確であっても、増設される補機などが外部に突出することも多かった。

 そのせいで機体完成後にエンジンを搭載しようとしても干渉することになるが、そのような事態を避けるため、あるいは過去の苦い教訓から予め余裕を持ったカウリング寸法としてしまうことが常識化してしまったらしい。


 社外製のエンジンをあてがわれた場合にはこのような問題が生じることが多いが、機体とエンジンの製造業者が同じでも同種の問題が起こる場合もあった。

 エンジン製造部門と機体開発部門で十分な意思疎通が図られていないのであれば問題の根源は変わらないからだ。



 だが、戦闘機のこのような問題に限らず、最近では個々の兵器、要素にとらわれることなく総合的に兵器体系として捉えて開発が進められることが多くなっていた。

 理由はいくつか考えられた。一つは他国技術陣との交流だった。ドイツ空軍による空襲の影響を避けるために、英国では一部で先端技術者の組織的な疎開が行われていた。

 英国人の技術者だけではなく、ドイツに席巻された欧州各国から亡命してきた技術者も少なくなかったらしい。

 その中にはカナダなどを経由してより後方の日本本土まで移動するものもあった。日本帝国やシベリア-ロシア帝国との共同開発を行うためだ。


 日本に流入した技術は英国からのものだけではなかった。戦闘中に鹵獲されたドイツやイタリア製の兵器や捕虜からの情報に加えて、どのような手段で得られたのかは分からないが、少数ながらもシベリア-ロシア帝国経由でソ連やそれを支援する米国製と思われる兵器技術が得られたこともあるらしい。

 それに、個々の兵器だけではなく、最近では英国本土防空戦などのように、これまで操縦兵の判断で戦闘が行われていたものが、地上などに置かれた情報結節点の管制が行われることが多くなっており、それで電探などを含めた兵器体系として捉えられることも増えていた。



 ―――そういう意味では、あれも既存のものと新世代の兵器体系の転換点とも言えるものなのかも知れない。

 瞬きを続ける光点に照らし出されている長10センチ砲の連装砲塔を双眼鏡で確認しながら笠原大尉は思わずそう考えていた。その大尉の耳にしわがれた声が聞こえた。熟練の下士官である見張員が代わっていたらしい。

「艦橋前に連装砲塔1基……2基のフランス駆逐艦ではない。あれは日本海軍の駆逐艦だ」

島風型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddsimakaze.html

石鎚型重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/caisiduti.html

松型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddmatu.html

橘型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddtachibana.html

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