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1944コルシカ島沖海戦21

 K部隊の取った針路はさほど複雑なものでは無かった。というよりも、この艦隊では夜間に精緻な艦隊行動を行うのが難しかったのだ。



 今次大戦において、有力な参戦国であったフランスが早期に脱落したことは英国海軍にとって大きな影響を及ぼしていた。

 広大な大西洋において跳梁するドイツ海軍の通商破壊艦に対抗する戦力が激減したのも、島国である英国の経済を維持するために英国海軍に与える負担を増すことにつながっていたが、それ以上に地中海戦線において与えた影響の方が大きかった。

 地中海方面には枢軸軍中枢といってもよいイタリア海軍が、英国地中海艦隊を上回る大きな戦力を有していたからだ。


 開戦に前後して立案されていた本来の想定であれば、イタリア海軍には同じく地中海で覇を競っていたフランス海軍が相対する想定だったのだが、同国の対独講和によってそのような目論見は一から崩れ去ってしまうことになった。

 それどころか、英国海軍は予防攻撃として残存するフランス艦隊の襲撃を行ったほどだった。

 だが、この作戦は戦術的にはともかく、戦略的な観点から見れば本国に残されたフランス国民の対英感情を悪化させて、その後の枢軸国に立っての参戦を招いた一因となってしまったという時点で失敗だったと言わざるを得なかった。


 地中海艦隊司令部の指揮下においてK部隊の編成が最初に行われたのはこの時期だった。ただし、この当時のK部隊は複数の戦艦を含む有力な戦闘部隊である現在の編成とは異なり、地中海艦隊主力から分派された巡洋艦2隻を主力とするごく小規模なものでしかなかった。

 この頃のK部隊は、地中海を縦断して北アフリカ戦線への補給を行う枢軸軍輸送船団を脅かすための通商破壊作戦部隊でしかなかった。

 むしろ、戦力を温存するために最前線であるマルタ島から後方のアレクサンドリアなどに後退を余儀なくされた地中海艦隊主力から取り残されたという方が正確だったかもしれなかった。



 そのような水上通商破壊作戦用の小規模な艦隊だったK部隊が、複数の戦艦を主力とする有力な機動部隊に再編成されたのは、シチリア島上陸作戦の直前だった。

 この頃には地中海方面の戦況は一変していた。フランスに代わって少なくとも海軍力では同国軍を上回る日本帝国が正式に参戦しており、英国海軍地中海艦隊の戦力を上回るほどに有力な遣欧艦隊が派遣されていたからだ。

 それだけではなかった。潜在的な脅威だったフランスのインドシナ植民地などが解放されて国際連盟陣営に加わったことで、アジア方面に展開していた英国軍の戦力も地中海に投入されるようになっていたのだ。


 枢軸軍と国際連盟軍が戦線を幾度も東西に行き来させていた北アフリカ戦線にも大きな変化があった。安全な後方拠点である日本帝国本土や各アジア植民地などから送られてきた膨大な物資を背景とした国際連盟軍の攻勢によって、枢軸軍は西へ西へと追いやられて、もはや反抗は不可能となっていた。

 次なる戦場としてイタリア半島、すなわち枢軸勢力の中枢である欧州本土への反攻作戦が行われるのは既定路線となっていたのだ。

 そのような状況の中で、規模が大きく小回りがきかない地中海艦隊主力であるH部隊を援護するための高速機動部隊として、K部隊は再建されていたのだ。



 再建されたK部隊は、従来の通商破壊作戦用の部隊などではなかった。

 北アフリカ戦線が半ば失われていて枢軸軍輸送船団の航行自体が激減していた上に、有力な潜水艦、航空部隊が充実していた国際連盟軍にとって、中途半端な戦力の水上通商破壊作戦部隊の有用性が失われていたこともあった。

 しかし、当時はフランス海軍だけではなくイタリア海軍にも高速の戦艦を含む有力な艦艇も残されていたから、新鋭のキング・ジョージ5世級戦艦を主力とするK部隊には大きな期待がかけられていたのではないか。


 だが、それ以降の戦闘でK部隊は幾度も大規模な再編成作業を余儀なくされるほどの大きな損害を受けていた。それだけ艦隊主力を援護するために激戦に投入されたということでもあるが、艦艇の入れ替わりはかなり激しかった。

 戦闘で撃沈されたり、大破して前線での修理作業では間に合わずに後方に送られた艦艇も少なくなかった。

 艦隊旗艦も同型のキング・ジョージ5世級戦艦とはいえ、損害を受けたキング・ジョージ5世からアンソンに入れ替わっていたし、巡洋艦群もシチリア上陸作戦前の艦隊再建時から継続して配属されている艦はすでに無かった。

 笠原大尉の記憶が正しければ、K部隊で艦隊再建時からずっと変わらずに艦隊に残されていたのは、駆逐艦が何隻かだけだったはずだ。


 そのように連続した大規模な戦闘や、そのたびに生じた損害によって幾度となく行われた再編成作業によって目まぐるしく艦隊の構成艦が入れ替わったことで、K部隊の練度は段々と低下していた。

 もちろん再編成作業や作戦行動の合間を縫うように行われた訓練によって各将兵、個艦単位での練度維持はなされているはずだが、艦隊単位で機動演習を行うような余裕はなかった。

 そのような事情がK部隊に複雑な機動を実質的に禁じてしまっていたのだ。



 K部隊を率いるカナンシュ少将の立案した作戦行動は単純なものだった。

 ヴィシー・フランス海軍の艦隊が警戒のためか両翼に駆逐艦群の単縦陣を配して、中央に主力の戦艦、巡洋艦の順で配置した合計3本の単縦陣を構築しているのに対して、構成艦が少ない事もあったがK部隊は旗艦アンソンを先頭に駆逐隊を最後尾とする1本きりの単縦陣を組んでいた。


 敵艦との相対的な位置関係が当初と変わらなければ、K部隊はフランス艦隊から見て左舷後方から突入する形になるはずだった。

 この時期は糸のようにひどく細くなってしまっていたとはいえ、この夜闇の中では一段と目立つ光源となる月が西南西の方角に沈みつつあった。だから仮に敵艦隊の右舷から接近すれば、K部隊が月を背負う形になってしまうのだ。


 ただし、コルシカ島に向けて航行していると思われるフランス艦隊とK部隊の針路に角度はさほど大きくついてはいないから、両者が当初の艦隊航行速度を保っているのであれば、ほとんど同航戦で戦闘が開始されるはずだった。


 戦闘開始後は、敵艦隊軽快艦艇の妨害から主隊を援護するために3隻の駆逐艦は単縦陣を離れて警戒にあたることになっていたが、有力な敵駆逐隊の存在を考慮すると、場合によっては主隊の火力を敵駆逐隊の阻止に分散を余儀なくされる可能性も高いだろう。

 これに対して、アンソンを始めとする主隊は、敵艦隊主力を殿艦から片っ端から砲撃することになるはずだった。



 もっとも、このような作戦計画は先遣艦である島風からの緻密な情報をもとに構築されたものだった。ほぼ即時に伝えられていた島風に搭載された電探による捜索情報があればこそだったのだ。

 しかし、日本海軍航空隊と思われる敵艦隊への攻撃が開始された直後に、島風からの無線連絡は途絶えていた。伝えられていた敵艦隊との戦力差からして、敵艦に損害を与える間もなく撃沈されてしまった可能性も高かった。


 カナンシュ少将は奇襲を狙ってK部隊主力全艦に対してレーダーや無線の使用を禁じて電波管制を行っていた。最近では電探などの各種電波兵器の発達にともなって、逆に戦闘直前まで無線封止を含む電波管制を行う例も増えていた。

 あらゆる電波発振を断つことで、電子的に存在を隠蔽することが出来るからだ。


 通常であれば、このような場合は敵艦隊からの奇襲に備えるために艦隊主力から前進して電探による走査を行う前衛艦や前衛部隊を配置する事が多かった。特に状況が錯綜しがちな夜戦では、戦訓から前衛艦の配置なしでは統制が取れなくなることも多いという結論が出ていた。

 本来であればK部隊も駆逐隊を前方に配置するところなのだろうが、駆逐艦の数上の不足と電探捜索に特化した島風の存在がそのような役割の艦艇を廃させてしまっていたのだ。



 指揮官であるカナンシュ少将の判断に迷いはないようだったが、敵艦隊に接近するに従ってアンソンの艦橋には緊張が高まっていった。すでにいつ戦端が開かれるかわからない。そのような思いが乗員の多くを緊張させていたのだ。

 見張員のどこか間の抜けた声が聞こえたのは、そのような時だった。だが、それは予想したアンソン前方右舷側に配置されたものではなかった。笠原大尉はまだ見張員の声が聞き分けられるほどアンソンに長く乗艦しているわけではなかったが、聞こえてきたのは明らかに後方に配置された見張員だった。


 戸惑ったような見張員の声が敵艦隊の発見を告げていた。その声に釣られるように、慌てて双眼鏡をその方向に向ける要員が続出した。

 確かに、見張員が敵艦の発見報告を上げたのは右舷後方、艦尾に近い方向だった。一度距離を置いて回頭したK部隊がそのような位置に敵艦隊を捉えるとは思わなかったものだから、配置された見張員は手練ではないはずだった。


 それに、最近は電探による観測が常態化していたから、夜戦能力を重視していた日本海軍でも夜間見張員の質は低下しているという話を笠原大尉は聞いていた。

 元々混乱しがちな夜戦を重要視していない英国海軍ではその傾向はもっと強いはずだ。だから見張員の報告を疑わしく思うものは多いようだった。



 もしも、見張員の報告が正しいのだとすれば、日本海軍航空隊による航空攻撃と島風との交戦後に敵艦隊は予想よりもずっと速力を落としていることになる。

 確かにその可能性は否定できないが、一隻たりとも敵艦隊に火災を生じさせていないことからすると、先程の航空攻撃はそれほど大きな損害を与えていなかったはずだ。

 だから、カナンシュ少将やK部隊司令部要員は敵艦隊の速度は戦闘後もほとんど変化がないと想定していたのだ。


 それに、本当に敵艦が見張員の報告していた位置に存在していたとしても、それが敵艦隊主力とは限らなかった。あまり戦果を挙げなかったとしても、航空攻撃が特定の艦に集中して一部のみが脱落、あるいは速度低下を起こさせた可能性もあったからだ。

 もしそうだとすると、ここで発見された目標に全力を傾けることは出来なかった。敵脱落艦との交戦で存在を暴露したK部隊に夜闇に潜んでいた敵艦隊が逆に襲撃をかける可能性もあるし、そこまで積極的で無かったとしてもその隙に離脱を試みるかもしれなかったからだ。



 笠原大尉は、思わずカナンシュ少将を盗み見ていた。航海機器などの表示を照らすごく僅かな夜間照明のみがつけられた暗い艦橋で少将の表情を読み取るのは難しかったが、それでも少将が口をへの字にして気難しい顔をしているのだけは分かった。

 そのような表情を見るまでもなく、カナンシュ少将が難しい判断を強いられているのだけはわかっていた。だが、少将が迷っていたのはそれほど長い間ではなかった。


 僅かに下げられていた顔をあげると、カナンシュ少将は勢いよく言った。

「電波管制解除、レーダー捜索開始、目視発見の敵艦を識別、確認取れ次第レーダー照準で全艦砲撃開始。敵の出方を見る。まずは発見された目標に艦隊で射撃を行う。艦隊への発砲命令は旗艦の発砲によって行う」

 いつものように自信に溢れた力強い意志が込められたカナンシュ少将の声で、アンソン艦橋の不穏な雰囲気は綺麗に一掃されていた。

 慌ただしくアンソンの関係部署にレーダー捜索を命じる声や、後続艦に無線連絡を行うための命令が聞こえていた。


 笠原大尉も高揚した雰囲気を感じながら艦首に目を向けていた。

 相変わらず切り立ったように垂直に立てられているアンソンの艦首からは激しく波浪が巻き上げられていたが、前甲板に絶え間なく降り注ぐ飛沫の勢いにも負けないほど力強く2基の主砲塔が右舷に方向を向けようとしていた。

 K部隊に着任した当初は、笠原大尉も重量対策のために妥協して連装砲塔と四連装砲塔が混在するはめになったキング・ジョージ5世級戦艦の主砲塔配置に違和感を感じていたのだが、飛沫を物ともせずになめらかに動くアンソンの主砲塔には、今は不思議と奇妙なほどの力強さを感じていた。



 しかし、アンソンの主砲が火を吹くことはなかった。主砲の発砲命令が下される前に、いくつもの出来事が同時に起こっていたからだった。

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