1944コルシカ島沖海戦17
駆逐艦島風の艦橋には困惑が広がっていた。疑問は明らかだったが、有力な敵艦隊を間近に感じて緊張しているせいか、乗員たちの間には声を出し辛い雰囲気があった。
実際には島風の艦内でどれだけ人間が騒いだところで、敵艦隊まで声が届くわけでは無かった。周辺の海域が静まり返っていたとしても、敵艦も航行中なのだから、自艦から出る騒音に紛れて島風からの音が聞こえるはずはないからだ。
だが、それが分かっていてもどことなく周囲を伺うように口を閉ざすものが多かった。それだけ緊迫感があったのだ。
このとき、島風は敵艦隊を対水上電探の探知距離に捉え続けたまま接触を保っていた。
勿論、電探は全周走査を継続していた。日が暮れて視界が狭まっていたから、目視で継続した接触を行うのは難しかったからだ。
だがフランス艦隊にある程度の電子兵装があれば、すでに電探波自体を探知されて島風の正確な位置まで特定されてしまっている可能性は高かった。
今次大戦においてドイツ軍に一度破れていたとは言え、ヴィシー・フランス軍の装備を旧式と侮るのは危険だった。
単独講和を行ったイタリア軍から得られた証言によれば、最前線と位置づけられた地中海戦線に展開する艦艇には、優先してドイツ製の最新装備が導入されていたらしい。
大西洋方面では、有力な英国艦隊を恐れて活動中のドイツ海軍の水上艦艇は殆ど無かったから、その分地中海に機材が回されてきていたという側面もあるらしいが、詳細は分からなかった。
少なくとも、ヴィシー・フランス海軍でもイタリア海軍同様に初歩的な逆探程度は搭載されていると考えるべきだった。
敵艦隊を追尾する島風にとって、条件は悪かった。今日現在、月出、月没は早い時間に起こっていた。日没よりも月が正中に達する方が早かったから、目標と思われるコルシカ島に向けて東進する敵艦隊を後方から追尾する島風は、常に月を背にする姿勢になっていた。
当然、敵艦隊からすれば、島風は月を背景に浮かび上がって見えるから、遠距離からでも目視で発見されてしまうはずだった。そのうえ月は新月に近く、糸のようにか細く見えているだけだったから、遠くに見え隠れする敵艦隊まで照らし出してくれるほど明るくはなかった。
以前より仮想敵である有力な米艦隊に対する夜襲に傾注していた日本海軍では、夜間航行時の見張員の視力維持を重要視していたが、戦前の編制を維持している水雷戦隊に配属され続けている艦はともかく、今次大戦の開戦以後に続々と就役している艦艇では古参兵の数も少ないから練度は期待できなかった。
それに、最近では日本本土では地方においても工業化によって都市化が進んでいたから、平均して将兵の視力は低下する方向にあるという話もあった。
個人差の激しい目視による観測と比べると、対水上捜索電探による探知は安定していた。その変わりに自ら電波を撒き散らしながら航行しているようなものだから、こちらが発見される可能性は高かった。
―――あながち闇夜に提灯をぶら下げているようなものと言うのも間違ってはいないということか。
駒形中尉はそう考えていた。気象条件などの状況に関わりなく肉眼よりも遠距離で捜索が可能な電探だったが、能動的な電磁波の照射を嫌って使用をためらう指揮官も少なくなかったのだ。
今の所、接触を継続する島風に対して、ヴィシー・フランス海軍の艦隊に積極的な動きはなかった。ただし、それが敵艦隊が島風の存在に気がついていない証拠にはならなかった。
これまでの慎重な観測によって敵艦隊の構成は大まかに判明していた。
敵艦隊は3本の単縦陣を構築していた。そのうち、主力は中央の単縦陣のようだった。艦級は不明ながら戦艦2隻が含まれていたからだ。
しかも、後続する艦艇も少なくなかった。大型艦ばかりが6隻ほど戦艦に続航していたのだ。電探による観測ではやはり艦級は分からなかったが、先頭を航行する戦艦の反応と比較する限りでは、大型の巡洋艦である可能性が高いようだった。
数からしてフランス海軍に残された有力な重巡洋艦と軽巡洋艦をかき集めてきたのではないか。
大型艦が集中した主力の単縦陣と比べると、その左右に別れた2本の単縦陣は貧弱な構成だった。その数は左右2本併せて5隻しか確認されていなかったし、電探の反応からして駆逐艦級の艦艇しか含まれていなかったからだ。
ただし、単艦で行動中の島風にとってこちらも剣呑な存在であることに変わりは無かった。むしろ、邪魔な接触艦を追い払おうとヴィシー・フランス艦隊の指揮官が判断すれば、この2本の単縦陣の片方が島風に向かってくる可能性が高いのではないか。
フランス海軍の駆逐艦は、水雷艇から発展したと言っても良い小型駆逐艦と他国の軽巡洋艦に迫る大型で航洋性を重視した大型駆逐艦の2系統が整備されていた。
他に更に小型の水雷艇もあるらしいが、外洋航行能力には乏しいらしいから島風の目前で航行中の艦隊に含まれている可能性は低かった。
二度に渡る軍縮条約において、イタリアとフランスは戦艦や空母などの主力艦に関する制限には合意したものの、補助艦の規制には終始反対しており、結果的に軍縮条約には限定的な参加にとどまっていた。
地中海で覇を競い合っていた両国が、主力艦隊を援護する偵察艦として運用可能である有力な大型駆逐艦を多数建造していたのにはそのような背景があったのだ。
軍縮条約が無効となった後に建造された島風は、日本海軍としては秋月型駆逐艦に継ぐ大型の駆逐艦であったが、フランス海軍の大型駆逐艦の中には島風を越える大型艦も少なくないようだった。
勿論、単に図体が大きいというだけではなかった。余裕のある艦体には有力な兵装が満載されていた。それに日英の駆逐艦とは違って、条約期に建造された旧式艦でも、軍縮条約の中の駆逐艦に関する制限を越える大口径砲を搭載していた。
門数は単装砲計5門と数は少ないながらも、10年ほど前に建造されたル・ファンタスク級駆逐艦でも13.8センチという軽巡洋艦並の砲を備えていたから、発射速度などでは優れているものの島風が搭載する10センチ砲では射程外から一方的に打ち据えられる可能性すらあった。
搭載魚雷も単体の性能では勝っているかもしれないが、島風は大型の電探や指揮所を設けるための重量や容積を確保するために雷装を減じていたから、水雷戦でも不利なはずだった。
ヴィシー・フランス海軍の艦隊にとって、接触艦となって付きまとっている島風を追い払うのは簡単なことだった。主力部隊を投入する必要は全く無かった。駆逐艦一隻差し向けるだけで島風を阻止するのは可能だったのだ。
だが、ヴィシー・フランス艦隊に動きは見られなかった。島風が追跡を開始してから殆ど針路も変わることなくコルシカ島に向けて東進を継続していた。
島風ただ一隻のこちらの戦力を正確に把握した上で駆逐艦一隻程度ならば何時でも蹴散らせると考えているのかもしれないし、単に何れ姿を現すであろう国際連盟軍の主力部隊との交戦前に無駄な戦力を割きたくないだけなのかもしれない。
有力な敵艦隊を単艦で追尾することで生じる圧迫感には相当なものがあった。新兵も少なくない島風の乗員たちの間には強い緊張感が走っていた。
通常であれば古参の水兵や下士官が睨みを利かせるものだと思うが、島風は就役からまだそれ程経っていない上に同型艦のない特殊な駆逐艦だったから、古参の下士官でも艦の詳細まで把握しきっているものは少なかった。
そのせいなのか、兵たちの要となることが期待されているはずの下士官層までもが浮足立っているような様子があった。
先程、駒形中尉が艦橋近くの厠に行った時も、非直と思われる乗員が所在なげな様子で配置近くの甲板や通路にたむろしているのを目撃していた。中尉に見つけられた下士官達はばつの悪そうな顔になっていたが、それでもその場を離れて居住区に戻ろうとするものは少なかった。
艦橋にいたものはともかく、他の配置に就いていた島風乗員には詳細は知らされていないはずだった。しかし、下士官の間には新米士官である駒形中尉などには伺いしれないほど根強い情報網が自然と出来上がっていた。
特に艦長から口外を禁止する旨は出されていなかったから、それで艦橋勤務のものから次第に現在の状況に関する情報が流されていったのだろう。
もっとも、駒形中尉も人のことは言えなかった。すでに中尉の直は明けていたのに艦橋の隅に残っていたからだ。敵艦隊の追跡を開始してから、現在まで哨戒直は続いていた。
現在の第三哨戒直体制の間は三交代になるから、非直になったあと一旦は士官室に引き上げたのだが、状況が気になるからすぐに艦橋に引き返してしまっていたのだ。
駒形中尉は、艦橋の隅にまとめて設置された魚雷戦指揮装置の脇で所在なげに立っていた。そこが水雷長である中尉の戦闘配置時の持ち場所だったからだ。
ただし、哨戒艦への改設計で島風の雷撃戦能力は著しく低下していたし、単艦で行動している島風が有力な敵艦隊に向けて華々しく雷撃を行う機会があるとは思えなかった。
戦闘があるとすれば、主力艦との交戦前に接触を断とうとする敵艦隊からの島風の退避行動という形になるのではないか。
そう考えて駒形中尉は不安そうな表情で艦橋を見回していた。だが、艦橋内には島風の指揮官である艦長の姿は見えなかった。哨戒直中に艦長が艦橋を離れる事自体はおかしくはなかった。操艦は当直将校である砲術長が行っていたからだ。
日本海軍の場合、交代制の当直割の中に艦長は含まれていなかった。駆逐艦である島風には配置はないが、大型艦の場合は副長も当直には加わらずに、分隊長以上が当直将校につく事になっていた。
艦長は当直割から離れて自分の判断で行動できた。接敵が予想される時間や経験の少ない当直将校が操艦する直などに限って艦橋に出てくる場合が多いようだった。
だが、哨戒直とはいっても、いつ戦闘に巻き込まれるか分からない状況で長時間艦長が艦橋を離れるのは異常ではないのか。
もっとも、艦長である浅田中佐の居場所は分かっていた。状況を把握するために艦体後部の指揮所に籠もっていたのだ。
妙な状況だった。駒形中尉はそう考えていた。駆逐艦に限らず、以前は戦闘艦のすべての情報が集約されるのは、艦橋以外あり得なかった。
大型艦であれば後部艦橋があったり、前鐘楼内の艦橋も複数配置されているものもあるが、戦闘時に艦長が配置される場所こそが情報の集約箇所であることに変わりはなかった。
それ程昔の話では無かった。駒形中尉は兵学校を卒業してからそれ程経っていないが、それでも戦闘の可能性がありうる場合に、艦橋以外に艦長が入り浸ることなど考えられなかったはずだ。
電探の実用化が始まった頃から、その情報が集約される指揮所の機能が急速に重要視され始めていた。むしろ、肉眼を遥かに超える距離から敵機、敵艦を探知可能な電探などの技術革新に対して、目視による観測に頼っている従来構造の艦橋が取り残されていると考えるべきなのかも知れなかった。
いくらなんでも戦闘になれば艦長も艦橋に戻ってくるはずだ。駒形中尉はそう考えていたのだが、実際にはそれは甘い考えだった。というよりも中尉は若いくせに固定観念に囚われすぎていたのかも知れない。
暗い艦橋の中で、自信なげに駒形中尉を呼ぶ声が聞こえていた。声を上げたのは、艦橋要員の刺すような視線を受けて萎縮している様子のまだ若い通信科伝令だった。
戸惑いながらも中尉も名乗りを上げていた。妙だった。非直の自分が艦橋にいることは誰も知らないはずだった。
だが、安堵した表情の通信科伝令から渡された艦内電話の受話器の向こうから聞こえてきたのは、確かに浅田中佐の声だった。
「水雷長か。これから総員直を掛けるから、水雷長も艦橋で雷撃の用意をしてくれ。照準に必要な諸元は電探から得たものを使用するからそのつもりでいてくれ。ただ……もしかすると派手なことになるかもしれん。とにかく、これは前代未聞の戦になるぞ。
ああ、それとそこに先任もいるな。俺はここから指揮を執るから艦橋は先任に任せる。先任に代わってくれ」
首を傾げながらも、今度は駒形中尉が砲術長を呼んでいた。一体島風に何が起こっているのか、それが中尉にはよく分からなかった。
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