1944コルシカ島沖海戦12
駒形中尉は艦橋内の僅かな動きを感じていた。慌てて振り返ると、のっそりと浅田中佐が艦橋に入ってきたところだった。
「電探はもう失探したんだな」
通信科伝令に目を向けながら浅田中佐はそう言っていた。
眠そうな顔で浅田中佐は目をこすっていた。中佐が艦長室に引き上げてからそれほど時間は経っていなかった。
浅田中佐は哨戒任務についてから、島風駆逐艦長として出来るだけ艦橋に詰めているようにしていたようだったから、疲労が蓄積しているのだろう。
駒形中尉はそう考えていたのだが、よく見ると浅田中佐の動作は眠そうだったものの、それほど疲労している様子も、過度の緊張感もなく自然体でいるようだった。
最近ではむしろ珍しいのだが、浅田中佐は島風の以前にも別の艦で駆逐艦長を務めていた。島風に着任した時期は駒形中尉とそう変わらないが、それ以前は船団護衛部隊に配属されていた松型駆逐艦の艦長であったらしい。
開戦に前後して大量建造が始まった松型駆逐艦には派生型も多かったが、船団護衛に就いていたということは、浅田中佐が艦長だった艦はおそらく標準仕様と言える艦体延長型のものだったのだろう。
原型とでも言うべき松型駆逐艦の初期建造艦は、突出した能力は無いものの対空、対艦、対潜と多用途に使用できる使い勝手の良い艦だった。
しかし、日本本土から英国まで長期間の航行を余儀なくされる長距離護衛船団への随伴は、居住性の制限からなる兵員の疲労などからして難しいものがあったらしい。
現状の主力である艦体延長型は、そのような点を解決するために兵員居住区の拡張による居住性の改善や熱帯を長期間航行するのに必要な通風装置の増強が図られたものだった。
しかし、居住性を改善したとは言っても千トン級の駆逐艦で出来ることは限られていた。
最近ではドイツ海軍潜水艦隊の展開海域が限られるようになってきていたことから、南アフリカと英国本土間の大西洋を航行する間にのみ増員を図るなど護衛部隊の負担を軽減する対策も取られていたが、大規模船団の航行が開始されていた当初は、航行中の将兵の疲労も相当なものだったと駒形中尉も聞いていた。
船団護衛部隊の任務は、激戦の続く地中海戦線とは別の意味で消耗が激しかった。いつ襲ってくるのかわからない、それ以前に航行中の海域に存在するのかどうかもわからない敵潜に怯えながら長い航行期間を過ごさなければならないからだ。
そのような環境に置かれたために、浅田中佐は余計な力の抜き方を覚えたのではないか。常に緊張していては長時間の護衛任務で集中し続けることなど出来ないからだ。
最近では浅田中佐のような熟練した佐官級の指揮官が駆逐艦長になることが少なくなっていた。松型駆逐艦や鵜来型海防艦などが開戦以後続々と就役しているものだから、人手不足で艦長の階級は次第に下がってきていたからだ。
水雷戦隊配属の甲型駆逐艦では最低でも少佐の階級を保っているようだが、建造数の多い松型駆逐艦では大尉で艦長に任じられる場合もあるらしい。
駒形中尉の兵学校同期ではまだ艦長となるものは出てきていないが、同時期に在校していた顔なじみの上級生の中では、少佐進級に間がある大尉でありながら海防艦の艦長となるものも珍しくないようだった。
以前は領海警備の二線級の艦艇すべてが海防艦に類別されていたが、最近になって大量建造されている鵜来型海防艦などは船団護衛用の艦艇だった。
速力は低く、魚雷などの対艦兵装もないが、高角砲の他に充実した対潜兵装も装備していたから、航続力が低いことを除けば船団護衛に特化した小型の駆逐艦と考えても良いはずだった。
建造数が多いから大尉級でも艦長に任命されているのだが、それでも数が足りずに兵学校卒に限らずに予備士官出の艦長も珍しくなくなっていた。
むしろ、高等商船学校を卒業して商船に勤務していた予備士官の方が、船団護衛においてはその商船勤務の経験を生かして活躍することも多いらしいと聞いていた。
おそらく、浅田中佐のような熟練の佐官が艦長として配属されたのは、島風が秋月型に準ずるほど大型の駆逐艦であることに加えて、長期間の単艦行動を余儀なくされることが改設計の段階で分かっていたからではないか。
集団で行動する駆逐隊を指揮する駆逐隊司令に匹敵するほどの権限と責任が島風艦長の肩にかかっているということだろう。
それに、大型の捜索用電探などを備えて哨戒機能を向上させた島風には、戦闘機隊の誘導、管制機能も備わっていた。艦隊航空による制圧範囲を増大させるための措置だったが、航空戦隊指揮下の戦闘機部隊を円滑に指揮するためには、指揮所の責任者にある程度の階級が必要だった。
戦闘配置において島風上甲板後部に設けられた指揮所に陣取るのは通信長だった。現在の島風通信長は、航空戦隊に配属されている多くの飛行隊長と同階級の少佐だった。
駆逐艦の通信長としては少佐の階級は高すぎるが、戦闘機部隊の指揮を取るにはこの程度は必要なのだろう。
もしかすると、浅田中佐が島風艦長に選出されたのは、単に通信長との階級の釣り合いを考慮されただけなのかもしれなかった。
しかし、このような単艦での哨戒行動は駆逐艦本来の任務ではありえない。隊列を揃えた駆逐隊による敵艦隊への華々しい襲撃という叶わぬ願いを抱きながら、駒形中尉はそう考えていた。
浅田中佐は艦橋内の微妙な雰囲気に気がついているのかいないのか、海図に目をやりながら独り言のようにいった。
「反応があったのは対水上電探のみ、短時間で失探、か。虚探知や誤操作の可能性は無いのか」
その声に艦橋要員の少なくない数が眉をひそめていた。実際に多くの将兵がその可能性を疑っていたものの、自分から口にだすことは出来なかった。電探による哨戒能力を高めたために、従来よりも電探などを操作する通信科員の多い島風では、電探などへの疑問を話題にし難かったからだ。
しかし、艦橋要員から目を向けられた通信科伝令の岩渕三等兵曹は特に気負う様子も、また指揮所に連絡を取ることもなく淡々とした口調ながらも即答していた。
「その可能性は低いと思われます。本艦に搭載された対空捜索電探は制式化から間もない新型機ですが、対水上電探はすでに多くの艦で使用実績が残されている為、十分な信頼性が確保されていると言えます。
勿論、担当する電測員も操作には手慣れていますから、誤操作の可能性も低いでしょう」
浅田中佐は曖昧に頷きながら岩渕兵曹の説明を聞いていた。実際に中佐が電探の信頼性を疑っていたわけでは無さそうだった。もしかすると艦橋要員のあやふやな電探への疑問を解消させるためにわざと言ったのかもしれない。
海図盤に目を向けたまま浅田中佐は訊ねていた。
「反応があった対水上電探だが……探知距離は最大でどのくらいになるかな」
「最良の条件であれば……20海里を超える程度にはなります。ただし、本艦の対水上電探は早期見張り用ですから、正確な測距や測角は困難です。特に探知可能距離間際であれば」
間髪を入れずにいった岩渕兵曹に曖昧に頷きながら、浅田中佐は視線を海図から艦橋から見える海面に向けていた。
「最良の条件というのは具体的に何を指すのか」
「波浪や気象条件、周囲の電波状況、それと電磁波の反射強度、すなわち目標の寸法形状、といったところです……」
駒形中尉の見守る前で、岩渕兵曹も浅田中佐の視線を追うように、微速で前進する島風によって発生した艦首波を除けば、今日も鏡面のように穏やかな海面に目を向けていた。
しばらく思案顔で海面を眺めていた浅田中佐が急に顔を上げて鉛筆を手にすると、さらさらと海図に幾つかの針路らしきものを書き込んでいた。
駒形中尉の位置からでは角度が悪く細かなところは分からなかったが、一つは位置からしてこれからの島風の針路のようだった。
「先任、敵艦の予想位置に進出する。細かな針路は任せる」
意外なほど繊細な指で海図の一点を叩きながら、浅田中佐は当直に付いていた先任将校の航海長にいった。
だが、海図台を覗き込んだ航海長は首をかしげながら心配そうな顔になっていた。
「しかし艦長、これだと分艦隊司令部の指示した哨戒範囲を大分逸脱することになりませんか。それに探知したのが上陸地点……ニースに向かう敵艦隊だとすれば、この予想進路では遠回りし過ぎではないでしょうか」
航海長は海図に書き込まれた針路を指さしながらいったが、浅田中佐は相変わらず眠そうな声で答えていた。
「本艦の対空捜索電探の哨戒範囲であれば、多少海域を逸脱したところでニースに向かう編隊であれば探知出来るだろう。それに分艦隊司令部は上陸援護と主力の防空で手一杯のはずだから、単独行動中の哨戒艦一隻にまでかまっていられないだろう」
浅田中佐は意図的に独断専行を行うつもりなのか。駒形中尉はそう考えて眉をしかめていた。状況が錯綜しがちな陸戦であれば、小部隊の指揮官でも独断専行の余地はあった。
しかし、哨戒中の艦艇が持ち場を離れるというのは、いくら島風が分艦隊直属で中間に戦隊司令部がないとは言え、流石にやりすぎではないか。
航海長も駒形中尉と同意見だったのか、戸惑ったような表情を浅田中佐に向けたままだった。だが、浅田中佐は更に続けた。
「無防備な上陸地点への敵襲を警戒するのは分かるが、現在の我が軍の防衛体制はニースに集中し過ぎている。上陸部隊を援護する艦隊主力の外周で警戒にあたっているのは本艦だけではないから、敵艦、あるいは敵航空隊がニースに向かえば上陸地点のはるか手前で阻止されるはずだ。
だが、その一方で他方面への手当はおろそかになっているのではないかな。地中海のヴィシー海軍はこれまでに大きな損害を受けているらしいが、決して奴らは無力でも戦意がないわけでもない。
国際連盟軍内でも自由フランスあたりは本土まで攻め込まれたヴィシー軍は戦意低下著しいと楽観視しているようだが、そんなものは唯の希望的観測に過ぎんと判断すべきだろう」
眠気がなくなってきたのか、次第に視線を鋭くさせながら浅田中佐がいった。大西洋で護衛船団を襲撃する通商破壊作戦を行っていた枢軸軍の主力はドイツ海軍の潜水艦隊だったが、少数ながら大西洋に展開していたヴィシー・フランス海軍の大型潜水艦も船団攻撃に加わっていたらしい。
もしかすると、浅田中佐は船団護衛部隊に所属していた際に遭遇したフランス海軍艦のことでも思い出していたのかもしれない。
「正面から我が軍と対峙する戦力がすでに無い以上は、彼らは自分たちに出来る範囲で最大の効果を狙ってくると考えたほうがいいだろう」
そういいながら海図をなぞるように浅田中佐の指が動いていた。最初、中佐の指はヴィシー・フランス海軍の根拠地であるトゥーロンの上に伸ばされていたが、そこからまっすぐにコルシカ島に動かされていた。
「目標は、コルシカ島から出港する第二陣の輸送船団、ということですか……」
航海長は息を呑みながらそういった。輸送艦の数や上陸地点の面積などの問題から、上陸部隊の第二波は未だ中継地点であるコルシカ島に残されているはずだった。
「そうなると、総員直を掛けますか」
今度は心配そうな顔で航海長はいった。現在の島風は、単艦で長時間の哨戒配備につくために、3交代の哨戒直体制が取られていた。この場合、配置についているのは乗員の三分の一だけになる。
これが戦闘体制に入る総員直が掛けられると乗員全員が戦闘配置につくことにある。当然のことながら、戦闘が予想される場合は総員直体制が取られるのが基本だった。
ただし、総員直体制を長時間連続させる事はできなかった。交代要員が居ない上に、駆逐艦のような小艦艇では部署によっては戦闘配置が掛けられると身動き一つ出来ない箇所もあったからだ。
特に島風の場合は、進水後の強引な設計変更によって無理のある配置の部署も少なくないようだった。そうなると総員直体制が長時間続けば、乗員の疲労で戦闘能力が逆に低下することにもなりかねなかった。
だが、思案顔の航海長に向かって浅田中佐はあっさりと首をふっていた。
「まだ哨戒直のままでいいだろう。この戦、思ったよりも長続きしそうな気がする……」
駒形中尉は、不吉な思いで浅田中佐の言葉を聞いていた。
島風型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です
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鵜来型海防艦の設定は下記アドレスで公開中です
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