表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
316/819

1944コルシカ島沖海戦11

 ただ1隻で類別ごと建造が打ち切られた丙型駆逐艦となった島風は、その用途が変更されるほどの大規模な改設計が行われていた。

 戦訓から日本海軍が従来想定していた程には水雷戦の実用性が低いという判断が下されていたからだが、設計変更が決定された時点で島風は進水間際だった。


 水雷長の駒形中尉は、乗員予定者として建造時から配員される艤装員ではなかったために建造当時のことは伝聞でしか知らないが、建造にあたった工廠でも施工中の大規模な設計変更にかなりの混乱があったらしいとは聞いていた。

 ―――それくらいならば、そのまま純粋な駆逐艦として建造してしまえば良かったのではないか。

 苛立たし気にそう思いながら駒形中尉は視線を艦体後方に向けていた。だが、忌々しいことに艦橋後壁に遮られて中尉には巨大な後檣とその頂部にしがみつくように設置された対空捜索電探の姿は見えなかった。



 島風に搭載された対空捜索電探は巨大なものだった。本来は防空用の巡洋艦や、艦体に余裕のある戦艦に搭載されるために開発された巨大な空中線を持つ長距離捜索用の電探だったからだ。

 勿論、これを設置する後檣も頑丈極まりないものだった。丈夫な鋼材を組み合わせたトラス構造の後檣は、本来であれば巡洋艦、それも一万トン級の大型艦にこそ相応しそうなものだった。

 実際、その設計や資材の大部分は建造中の防空巡洋艦のものから流用しているらしいとも聞いていた。


 だが、この立派な後檣は単体で見ればともかく、大型とは言え駆逐艦でしかない島風に積まれると違和感を覚えるものにしかならなかった。

 最近では各種電探の搭載箇所として補強される例が多かったとは言え、通常は駆逐艦の後檣などは一本棒を突き立てたような単檣か、精々これに補強を加えた三脚檣程度に過ぎなかったからだ。

 それが艦橋直後に設置された前檣よりもずっと大きな後檣が設置されたものだから、全体としてみると立派というよりも木に竹を継ぎ足したような違和感や、逆説的に艦橋の方がみすぼらしさを覚えるのではないか。


 現在の島風の姿は、とても駆逐艦本来の姿とは言えない。駒形中尉は鬱屈としたそのような考えを配属当初から抱いていた。本来の駆逐艦は、自らを犠牲とすることがあったとしても、少艦よく大艦を屠るの思いを抱いて敵主力艦に肉薄する裂帛の気合をもって戦闘に赴くものではないか。

 少なくとも駒形中尉が子供の頃に近所の老人に聞かされていた日本海海戦の頃の駆逐隊の活躍は、そのような華々しいものだったはずだ。

 だが実際には、駒形中尉が乗り込んだ島風に期待されていたのは、単に航空分艦隊の目、それも遠く主隊から離れて孤独な哨戒任務をこなすというものだった。


 しかも、駒形中尉にはそのような島風の有り様を全面的には否定し辛い事情があった。仮に島風が原設計通りの強雷装艦として就役していた場合、兵学校卒業から間もない中尉の経歴と経験では駆逐艦の水雷長に任命されることはなかったはずだったからだ。



 島風に期待されていたのは、配属された航空分艦隊の主力から遠く離れた領域で敵機を発見する早期警戒能力だった。

 このとき、すでに日本海軍は長距離捜索用の対空電探を実用化していた。

 これは射撃指揮用のように敵機の正確な高度や位置を捉えるのは難しかったものの、性能が限られていた初期のものであっても大型機の編隊であれば、到底肉眼では確認できない百キロも彼方の目標を捉えることが可能だったのだ。


 対空捜索用の電探では、使用する電磁波の波長などから解像度に劣るために正確な目標の識別は難しかったものの、対空見張り用としてはこの性能は画期的なものだと言えた。

 ただし、その探知距離でも現在の航空戦では必ずしも盤石の体制というわけではなかった。


 探知距離百キロと言えば大したもののように思えた。解像度の低さは確かに大きかったが、見張り用としてはおおよその方角がわかるだけでも直掩の戦闘機隊などに指示を行うだけならば十分なものだった。

 ただし、それは相手が現在の高速の航空機でなければの話だった。


 例えば、新鋭戦艦の主砲はおおよそ最大で40キロ弱の射程を持つとされていた。だから100キロ彼方で探知された戦艦が仮に30ノット以上の速力を有していたとしても、相手が制止していた状態で射程に収めるまでには一時間以上かかることになる。

 しかし、対空捜索用電探の本来の標的である航空機は、艦艇とは比べ物にならないほど高速化が進んでいた。速度性能の要求が高い戦闘機であれば、新鋭機では時速600キロを有に超える機体が珍しくなくなってきていたのだ。

 この速度であれば探知開始から艦隊直上まで戦闘機が到達するまでわずか10分程度しか掛からない事になってしまう。

 予め艦隊直上に直掩機を待機させているのならばともかく、追加の発艦を行えば10分などあっという間に過ぎてしまうはずだった。それに発艦には風上に向かって空母が無防備に直進航行しなければならないから、風向き次第では敵機編隊に向けて接近しなければならなこともありえた。


 勿論このような速度は、抵抗となる増槽などを機外に装備しない戦闘機での速度だから、雷爆装状態の攻撃機であればもっと遅くはなる。

 だが、それでも巡航速度で戦闘機の最大速度の半分程度は出るだろうし、彼我共に電探の装備が当たり前になってきていたから、逆にこれに対抗した戦術も考案されるようになっていた。



 最近では進攻時に理想的な巡航速度、巡航高度を取らずに低空を高速進入する戦術が多用されるようになっていた。

 照射された直進する電磁波が目標に反射された分の反射波を観測するという電探の原理上、水平線の向こう側に潜り込んだ敵機を探知する事はできなかったからだ。


 それに、電探から照射された直後の電磁波は次第に減衰して反射されてくるから、電探表示面に目標の存在による兆候が出るよりも早く、照射された目標の方でも電探の存在を確認することが可能だった。

 電探よりも遥かに簡易な電波測定機器であっても、少なくとも電探の存在は探知距離の遥か遠くからでも察知することが可能だったのだ。


 厄介なことに、電探の実用化以前からこのような現象は確認されていた。古株の艦長の中には闇夜に提灯をぶら下げて練り歩くようなものだと言って電探の使用に関して未だに消極的なものも少なく無かったのだ。

 更に最近では妨害電波の照射や欺瞞紙の散布で虚探知を誘うことも珍しく無くなっていた。



 このような問題の解決方法として、航空関係者からは捜索用電探の前進配置が早い時期から提案されていた。探知距離が限られていたとしても、艦隊から敵機の予想襲来方向に近づいていけばより遠距離から敵機を発見できるからだ。

 前進した電探を探知して敵機が低空侵入を選べば探知は困難となるが、燃料消費の激しくなる低空飛行を長時間強要することとなるから、結果的に見れば艦隊の保全につながるはずだった。


 元々この電探の前進配置は日本海軍が考案したものでは無かったらしい。英国海軍との軍事交流の中から出てきた一案であったというのだ。詳細は知らないが、英国海軍でも駆逐艦をこのような任務につかせるという案があったらしい。

 だが、一線級の艦艇をこのような任務に回せるような余裕は日英両国の海軍には無かった。その頃は地中海戦線で激戦が続いており、新鋭艦は次々と消耗の激しい水雷戦隊などに送り込まれていたからだ。


 性能の劣る旧式艦で代用するのも難しそうだった。旧式艦は発電力に余裕がないから大型の捜索用電探を最大出力で使用するのは難しく、発電機の抜本的な増載から必要だった。

 発展余裕のない駆逐艦ではそのような改装工事は莫大な工数となるはずだった。既存設備の撤去どころか、搭載空間を確保するために艦体形状の変更から取り掛からなければならないだろう。


 だが、安価に旧式艦で済ませようとしているのに、改装工事に多額の費用がかかるのでは意味が無いはずだった。

 また、単艦で敵地に向かって前進しなければならないのだから危険度も高く、敵機の集中攻撃で容易に無力化されて早々に捜索域の縮小につながる恐れも強かった。



 いわば宙に浮いた形の島風が注目されたのはそのような時期だった。

 元々島風は大型の水雷戦用駆逐艦として計画されていたから、大型の捜索用電探の空中線や関連機器を搭載する空間を確保することが出来そうだったし、まだ進水前後の時期だったから少なくとも一度取り付けられた艤装品を引き剥がす作業は必要なさそうだとでも判断されたのではないか。

 結局、この判断によって島風は駆逐艦でありながら防空巡洋艦用の長距離捜索用対空電探を装備するという異様な姿で艦隊に就役することとなっていたのだ。


 島風に設けられたのは電探だけではなった。その電探で得られた情報をその場で活かすために、やはり防空巡洋艦並の指揮所が設けられていたのだ。

 勿論、その指揮所で管制されるのは自艦の対空火力ではなかった。改装工事によって長10センチ砲に主砲を換装された島風の防空火力は増強されていたが、主砲塔は三基のままで変わりないから秋月型よりも火力は低かった。

 そうではなく、主隊から前進配置される島風の指揮所は、長距離から察知された敵機群を対処するために前進してくる友軍戦闘機隊を管制するものだった。

 戦闘機からの視界は限られるから、昼夜を問わずに敵機の正確な位置を探知した島風からの誘導で戦闘機隊を確実に会敵させるというのだ。



 だが、重量のある対空捜索用電探に加えてこのような大容量の指揮所を設けるのは、艦種にしては大型とは言え駆逐艦に過ぎない島風には荷が重かった。

 少なくとも、当初計画のままで追加装備を搭載することは出来なかったはずだ。結局、就役時の島風は自慢の重雷装を大幅に削減されていた。3基の魚雷発射管のうち2基分の重量と空間を電探や指揮所分の代替としてしまったのだ。

 兵学校卒業の年次から大型艦の水雷長となるには経験が不足している駒形中尉が水雷長になれたのもそれが原因だった。魚雷発射管1基、しかも任務からして華々しい敵艦への襲撃など考えられないのであれば、新米の水雷将校で十分というわけだった。


 しかも駒形中尉を含む島風乗員を腹立たせることに、本来想定されていた危険海域への前進配置という任務とは島風が現在与えられた任務は違っているように思えていた。

 島風が就役する前から、航空機搭載の電探の性能が向上していたからだ。



 航空機搭載型の電探には制約が多かった。空気抵抗となるから艦載のものと比べると空中線の寸法を大きく取るのは難しかったし、大重量の電源を空中に運び上げるのも困難だった。

 それに空間の限られる機上では電探表示面から正確に状況を読み取るのも高い技量が必要とされていた。読み取った状況を把握して空中から指揮を行うのは更に困難だったはずだ。


 だが、そうした技術的な問題は段階的に対処が施されるようになっていた。次第に空中線の形状は洗練されてきたし、新鋭機であれば空中線を露出させないように電磁波を透過する樹脂製の覆いを設けるものもあった。

 電探表示面も最近のものでは短期間の訓練で容易に読み取れるようなものになっているらしい。

 そうした機載電探の中には、全体的な形状を魚雷状とすることで艦上攻撃機などへの搭載を容易とするものもあったから、短時間で換装を行って予備機を用意することも可能という話だった。



 そうした機上電探の発展が、危険を伴う島風のような長距離捜索電探搭載艦の役割を奪おうとしていた。

 確かに艦載用の電探よりも機上電探の方が性能で劣るし、艦内に設けられた大容量の指揮所のような管制機能は期待できなかった。


 だが、性能に劣ったとしても、やはり原理上はいくら大型の檣楼上に設けたとしても海面数十メートルが一杯の艦載電探よりも、機裁型の方が遥かに上空からの走査が可能だったから、見かけ上の水平線は遥か彼方まで広がることになるし、高速の航空機に設置されているのだから再配置も容易だった。

 それにマルタ島沖海戦以後の地中海戦線では日本海軍航空部隊は対地攻撃の機会が多かった。

 自然と予想されうる会敵方向は内陸部からということになるが、駆逐艦に搭載されている以上は艦載電探を海岸線を越えて内陸部に進出させることは出来ないのだから、長距離哨戒の主力を艦載型が担うのも当然のことだった。



 今回の作戦で島風の哨戒域が上陸地点から遠く離れたニース南方海域に設定されているのもそれが理由だった。

 一度海上に進出してから、予想外の南方から艦隊主力に接近を図る敵編隊への警戒が目的だったが、今の所は長大な航続距離が必要なそのような飛行経路をたどって艦隊に接近しようという敵機は探知されていなかった。

 それどころか、反応を最初に捉えた電探は仰々しい長距離捜索用のものではなく、可能探知距離が限られているはずの対水上見張り用のものだったのから、艦橋要員が懐疑的になるのも無理はなかったのだ。

島風型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddsimakaze.html

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ