1942マルタ島沖海戦1
夏の地中海を渡る温かい風が吹く上甲板にでた石井一飛曹は、探していた人物を見つけて、思わず笑みを見せてから、飛行甲板のカタパルト付近へと向かった。
後部排気筒の更に後方に目指すべき整備スペースはあった。
意外なほど白いディーゼルエンジンの排気が、勢い良く排気筒から出ていた。
―――それにしても奇妙な艦だな…
機銃座が設けられた排気筒の上部ブリッジ構造を見上げながら、石井一飛曹は思わず考えていた。
自分が乗り込む艦であるにもかかわらず、石井一飛曹は違和感を抱かざるを得なかった。
石井一飛曹が乗り込む日進を含む何隻かの水上機母艦は、他に例のない異様な構造をしていた。
それは、まるでいくつかの艦を、一度途中で切断してから、ばらばらにくっつけた様な艦だった。
最前部は連装の14サンチ砲を三基も装備する軽巡洋艦並みの砲力を有していた。
三基の主砲塔に続く艦橋構造物も、大型の軽巡洋艦に準じたものだった。
ただし、巡洋艦らしい重厚な印象を与えるのはそこまでだった。
艦橋構造物より後ろは、いくつかのデリックと門型構造を持つ前後二基の排気筒を除くと、フラットな形状をしていた。
勿論、甲板上には何も置かれていないのではなく、水上機発進用のカタパルトや移送用のレールが設置されているのだが、遠目には所狭しと駐機している水上機に目が行って、後部甲板には空母の飛行甲板並に何も置かれていないようにも見えた。
そして、見るものが見れば、排気筒から吐き出される排煙が、ボイラーからのものとは違いがあることに気がつくのではないのか。
日本海軍が建造した瑞穂以降の水上機母艦は、他の多くの艦艇とは異なり、蒸気タービンではなく、ディーゼルエンジンを主機としていた。
蒸気タービンと比べて、ディーゼルエンジンは燃費には優れていたが、機関としての特質は異なっていた。
もしかすると石井一飛曹が感じている違和感の原因の一つは、居住区近くの機関室から聞こえてくる、ディーゼルエンジン独特の機関音のせいかもしれなかった。
これまで基地航空隊勤務が長かった石井一飛曹が乗艦したことのある艦艇は、蒸気タービンを主機とする巡洋艦ばかりだったからだ。
日進が、このような異様な艦形となったのは、水上機母艦としての機能の他に、敷設巡洋艦としても使用されるために建造されたからだった。
フラットな飛行甲板を有するのは、計画段階から水上機母艦として建造された他の水上機母艦も同様だったが、対空戦闘用の高角砲ではなく、強力な平射砲を装備していることや、28ノットという巡洋艦や戦艦に準ずる速力を発揮するのも、日進がいざというときは敵前で妨害を排除しながら機雷を敵港湾部に敷設する攻勢機雷戦を実施するためだった。
噂では、これに加えて洋上での艦隊決戦時には、奇襲攻撃用の小型潜水艦を発進させる母艦としての機能も持っていると言う話だが、いくら何でもこれは、下士官達のほら話のたぐいだろう。石井一飛曹はそう考えていた。
確かに、日進には艦体後部に潜水艇でも発進できそうなハッチや、格納庫内のレールが設置されていたが、それらは機雷戦用の機材だった。
格納庫内から、機材を上甲板に上げずに直接海面に降下出来るハッチも、敵前で迅速に機雷を敷設するためのものだった。
第一、地中海のような凪いだ海ならばともかく、日本海軍が予想戦場とする太平洋の荒波の中では、発進した小型の潜水艇が、敵艦に対して射点を確保することが出来るとは思えなかった。
幸運に巡りあわなければ攻撃の実施すら困難で、更に回収すら難しいそのような必死の戦法が採用される可能性はひどく低いだろう。
だが、日進は、そのような胡乱げな用途どころか、機雷敷設艦としても用いられることはなかった。
実際には、敵前での攻勢機雷戦ですら、哨戒機の発達した近代戦では容易に遠距離から発見されて、危険に見合うだけの戦果を上げるのは難しかったのだ。
だから、開戦以後の日進は、水上機母艦としての本来の任務をこなしていた。
ただし、今回の作戦に日進が参加しているのは、有力な水上機母艦能力のためだけではなかった。
石井一飛曹は、カタパルトに辿り着く前に、舷側から身を乗り出して、日進の前後左右に配置する友軍艦艇を眺めていた。
日進に続行して単従陣を組んで航行しているのは、第12航空戦隊で日進の僚艦となる千代田と、第11航空戦隊を編制する瑞穂と千歳だった。
この四隻は主砲が平射砲か高角砲かなど違いはあるが、概ね日進と似たような艦型をもつ水上機母艦だった。
更に後方には、この四隻の高速水上機母艦とはまた一風変わった母艦が航行していた。
水上機は水上機でも、精々三座や複座程度の単発機ではなく、大型の飛行艇の支援に当たる秋津洲だった。
支援に当たる機体は、日進が搭載する水上機などよりもはるかに大型であるにもかかわらず、秋津洲は他の水上機母艦よりも艦型は小さかった。
他の水上機母艦は、カタパルトを備えて航行中でも水上機の発進を可能にしているが、小型の秋津洲ではそのようなことは不可能だった。
大体、艦体がどれだけ大きかったとしても、巨大な飛行艇をカタパルト発進させるのは機体強度の面から行っても不可能だし、無意味だった。
実際には、秋津洲は他の水上機母艦とは異なり、泊地に進出して、前線での飛行艇の整備、補給等の支援に当たることになっている。
だから、秋津洲が本領を発揮するのは目的地に到着した後のことになる。
秋津洲は、2番艦が既に起工されているとはいえ、日本海軍でもただ一隻しか存在していない、貴重な大型飛行艇用母艦だった。
第11航空戦隊と、第12航空戦隊、秋津洲の五隻の水上機母艦と並進して航行しているのは、物資を積み込んだ運送艦と輸送艦だった。
ただし、貨物船を徴用した特設運送艦などとは異なり、固有の兵装を有した艦型は、日進などと同じく、遠目から見れば戦闘艦と見間違いそうなものだった。
軽質油を積み込んだ、艦体随伴型の高速油槽船である足摺と二番艦塩屋、それに就役が始まったばかりの一等輸送艦が三隻だった。
足摺と塩屋は最新鋭の給油艦だった。
他の艦隊随伴型の給油艦は、艦隊を構成する艦艇に対する給油が目的の油槽船だったが、足摺型は艦艇燃料の重油ではなく、航空機用燃料の軽質油を輸送するための、空母部隊支援専用の給油艦だった。
揮発性の高いガソリンを輸送するものだから、足摺型は消火設備や、配管の気密性はかなりのものが要求されていた。
それに、高速の空母部隊に随伴することが求められていたから、速力も大きく、自衛戦闘が可能な程度の対空砲も有していた。
足摺型に続く一等輸送艦は、外見上はさらに戦闘艦に近かった。
日進などと同様に、艦の前半部分だけ見れば完全に駆逐艦に見えるだろう。
だが、それも当然だった。
一等輸送艦は、やはり就役し始めたばかりの松型駆逐艦の設計を流用して建造された輸送艦だったからだ。
もともと松型は、量産性を重視して設計された駆逐艦だったが、ブロック構造の建造法は、製作するブロックを入れ替えることで容易に他目的の準同型艦を設計することも可能としていた。
駆逐艦としての松型の設計から、輸送用のスペースを捻出するために主機を半減しているとはいえ、一等輸送艦は、二十ノットを優に超える、輸送用の艦船としては破格の高速能力を有していた。
艦尾には大発発進用のスロープも兼ね備えていたから、高速性能のみならず、大発を利用した迅速な物資揚陸も可能だった。
これに加えて、艦橋までの艦隊の前半部分は完全に松型駆逐艦と同一だったから、対空戦闘も可能だったし、聴音機や探針儀も最新のものが備えられていたから、一応の対潜戦闘ですら可能だった。
艦隊に参加しているのは一等輸送艦ばかりではなかった。
その原型である松型駆逐艦も、一個駆逐隊四隻が直接護衛として参加していた。
石井一飛曹は、無理をして、舷側から身を乗り出すようにして日進の前後を見たが、後方を進む松型駆逐艦はかろうじて艦橋やマストの一部は見えたが、前方を警戒序列で航行しているはずの軽巡名取と指揮下の第五駆逐隊の姿は全く見えなかった。
日本海軍が採用する警戒航行序列は、電探の装備、運用が常態化するに連れて、その間隔が伸びていくようになっていた。
今のように高速で艦隊が航行する場合、中心を航行する艦から前方の警戒艦が見えなくなることは珍しくもなかった。
このように自衛戦闘が可能で、高速の新鋭輸送艦ばかりがかき集められ、さらに輸送艦の数に匹敵する護衛が付けられたのには理由があった。
目的地であるマルタ島周辺が、通常の輸送船が鈍足で航行できるほど安全な海域ではなくなっていたからだった。
元々マルタ島は、イタリア本土にほど近く、枢軸諸国と開戦となれば、最前線となることが予期されていた。
それにもかかわらず英国によるマルタ島の要塞化は、予算の関係などからさほど進められていなかったらしい。
当たり前といえば当たり前の話だが、英国海軍としては、マルタ島はあまりに敵本拠地に近すぎて、開戦直後から激しい攻撃を受けることが予想されるから、逆に中途半端な戦力を置いては危険と判断していたようだった。
そのマルタ島がこれまで陥落もせずに抵抗を続けていられたのは、予想外にイタリア、ドイツ両国からのマルタ島への攻勢が激しくなかったからだ。
枢軸側とすれば、高度に要塞化されているはずのマルタ島を、無理をして攻略するよりも北アフリカやギリシャに展開した戦線にその分の戦力を投入するほうが理にかなっていると考えていたのではないのか。
だが、マルタ島の平穏はさほど長続きをしなかった。
マルタ島を根拠地とする英国海空軍戦力によって、枢軸軍の北アフリカへの補給線が脅かされていたからだ。
今年に入ってから、マルタ島は連日枢軸軍による空襲を受けていた。
これによりマルタ島を根拠地とする通商破壊作戦は中断を余儀なくされていた。
それどころか、イタリア海軍によってマルタ島への通商路は遮断され、輸送船団の行き来は難しくなっていた。
この海上封鎖によって、島外から輸送される資源によって生活基盤が支えられていたマルタ島は、深刻な物資不足に陥っているらしかった。
そのような状況を打破するために、数カ月前にも補給船団がマルタ島に向かっていたが、戦艦をも投入したイタリア艦隊の出現によって、船団護衛部隊は一掃され、輸送船も一隻もマルタ島へ辿りつけなかった。
だから、敵航空戦力から対空砲火で身を守りつつ、敵艦隊が出現しても高速ですり抜けられる、このような軍用艦艇ばかりで編成された異様な高速輸送船団が送り込まれることになったらしい。
石井一飛曹は、そのような話を聞いていた。
それに、この艦隊の防御は、自衛火力や機動力だけではなかった。
地中海に展開する機動艦隊も、露払いの形でこの艦隊の前方海域を航行しているはずだった。
裏を返せば、マルタ島に接近するまで、この艦隊自身が戦闘に巻き込まれる可能性は低いはずだった。
そんなことを考えながら、石井一飛曹はカタパルト近くに駐機されている二式水戦の影で作業をする男に声をかけていた。
「大沢少尉、ここでしたか。飛行隊長がお呼びですぜ。少尉が士官次室に居らっしゃらないものだから、探してしまいましたよ」
声をかけられた大沢少尉は、二式水戦の主翼が作り出した影から抜け出すと、地中海の明るい日差しに目が眩んだのか、頭を振りながら目をぱちくりとさせた。
「永少佐、いや飛行隊長が何の用件でしょうか」
霞ヶ浦の教育航空隊から着任して、まだ数ヶ月の新米飛行士官である大沢少尉は、おっとりとした声に似合わず、強面の顔をしていたが、今は酷く眠そうな顔をしていた。
続いて翼下から抜け出てきた整備科の下士官に、手に持っていた工具を渡す大沢少尉を、面白そうな顔で見ながら、石井一飛曹は二式水戦の翼に装備されている機材を手でなぞりながらいった。
「少尉はよっぽど新機材が気になると見えますな」
大沢少尉は、首をかしげたが、石井一飛曹の指先を見て、ゆっくりと頷いた。
「夜戦仕様の陸偵で使用実績があるのはわかっているのですが、やはり実戦で自分で使ってみるまではなんともね…それに陸偵とは装備位置も異なりますから」
二式水戦の左舷側の翼からは、針金を何本か折り曲げてから束ねたようなアンテナが突き出していた。
「双発の陸偵では、機首に電探を装備できるし、離陸重量に余裕もあるから重装備とも併存できるんでしょうが、浮舟付の水上機ではそんなわけにもいかない…こいつは苦肉の策ってやつなんでしょうが、バランスが悪過ぎはないですかね」
自分も乗り込む機体だというのに、目の前の二式水戦を疑わしい目で見ながら酷評する石井一飛曹に、大沢少尉は苦笑するほかなかった。
確かに、二式水戦は、傑作艦上戦闘機と呼ばれる零式艦戦を原型とした水上戦闘機ではあったが、単純に初期生産型の11型や、空母航空隊主力となっている21型や32型でもなく、日本国内でライセンス生産されたマーリンエンジンを搭載した43型を原型とし、さらに片翼の20ミリ二号機銃の代わりに、簡易型の機上電探までを追加したひどく奇妙な機体へと仕上がっていた。
石井一飛曹と大沢少尉は、帝国海軍が二式水戦を装備した自分たちの航空隊に何を求めているのかわからずに首を傾げるばかりだった。
あるいは帝国海軍の上層部も、このような機体の使い道をよく分かっていないのかも知れなかった。
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