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1944コルシカ島沖海戦2

 フランス国防高等会議の冒頭は現状の確認に費やされていた。急遽フランス全土から集められた各部からの出席者に共通認識を作り出すだけでも時間がかかっていたのだ。



 イタリアとの国境線に近いフランス本国の北東部に位置するニースの近郊に、国際連盟軍が上陸を敢行したのは昨日のことだった。

 これまで地中海戦線で行われた上陸作戦同様に、夜半から未明にかけて哨戒の目が緩む間に急接近した揚陸部隊が、日の出前後に戦艦群を中心とした火力支援部隊の援護の元で海岸に殺到していたのだ。


 国際連盟軍の戦力は大きかった。海岸から撤退した沿岸警備部隊からの情報を総合的に判断すると、少なくとも10隻以上の条約型の大型軽巡洋艦以上の艦艇が集中した艦砲射撃を行っていたようだった。

 増強が図られ始めていたとは言えフランス南岸の警備体制は未だ貧弱なものだったから、海岸陣地の大半はこの大型艦による艦砲射撃だけで壊滅的な被害を受けていたようだった。


 これまでの国際連盟軍の作戦傾向からして、上陸部隊を乗せた揚陸艦艇が海岸に接近する頃には、誤射を避けるためか艦砲射撃の目標は内陸部に変更されているはずだった。

 ただし、それで破壊を免れた海岸陣地が安全となるわけではなかった。今度は揚陸艦直援の駆逐艦や更に小型の砲艇による砲撃を受けるからだった。

 戦艦級の大型艦砲による攻撃よりも、場合によっては不用意な反撃等によって位置を特定された陣地を至近距離から狙い撃ってくるこうした中小型艦艇による火力支援の方が剣呑であるかもしれなかった。


 火力支援部隊だけではなく、上陸した部隊も規模が大きかった。すでにニース近郊の上陸地点近くを制圧されているために正確な戦力は推測する他なかったが、少なく見積もっても、上陸第一波だけで2個師団程度の戦力が一挙に上陸を図っていたらしい。

 これはすでに二線級の部隊でしかない現地の沿岸警備部隊が抗し得る戦力ではなく、彼らは戦力を温存するために一時的に撤退を図っていた。

 国際連盟軍はこれによりほとんど妨害のない状態で揚陸作業を続けていたから、揚陸開始から丸一日以上経過した現在では、ニース近郊にはすでに軍団級の戦力が上陸しているのではないか。


 国際連盟軍の上陸に対して、航空戦力による散発的な攻撃を除けば、本格的な戦闘はまだ起こっていなかった。ヴィシー・フランス軍、及び駐留ドイツ軍は、未だにその機動戦力を集結させている状態にあったからだった。

 それどころか、ニース近郊から離れていくらかの空挺部隊が投入された形跡があった。それらの部隊は何れも小規模な部隊であると推測されるものの、断続的に街道の襲撃を行うことで友軍部隊の移動と集結を効果的に妨害しているようだった。



 沿岸警備体制の不備から、緒戦から不利な状況に陥っていた国際連盟軍による南仏上陸だったが、実際にはその徴候は数ヶ月前から明らかになっていた。

 地中海方面で繰り広げられている枢軸軍と国際連盟軍の主戦場とも言えるイタリア戦線において、前線から不自然な戦力の移動が確認されていたのだ。


 前線から最初に姿を消したのは、英日の揚陸戦部隊や空挺部隊だった。もっとも、その事自体はそれ程不自然ではなかった。



 上陸作戦において第一波として敵地の海岸に真っ先に投入される揚陸戦に特化した専門部隊は、実質上今次大戦において初めて実戦に投入されていた。

 先の欧州大戦においてもトルコ帝国領のガリポリに大規模な陸上部隊を投入した例はあったが、当時はまだ上陸作戦に必要な専用の機材も開発されていなかった。

 むしろ、上陸に際して不手際が目立ったガリポリ戦などで得られた戦訓を分析しつつ、手探りの状態で戦間期に開発された機材を装備した部隊が今次大戦において投入されたと言っても良かった。


 上陸戦に特化したこのような部隊は、船首構造が開放されてそのまま上陸時にランプとして使用できる特殊な構造の揚陸艇に加えて、水陸両用車両なども大量に装備していた。

 船艇としてみれば抵抗が大きく、また純粋な車両に加えて水上航行用の推進機や水密性の高い車体を持つことから、揚陸艇や陸上車両に比べると水陸両用車両は性能に劣る上に取得価格も高かった。

 だが、上陸時において水上からある程度の内陸部への進攻まで一貫して運用できるのは大きな利点だった。


 また、他の部隊が使用するものに比べると、揚陸戦に特化した部隊は大型の揚陸艦艇ではなく小型の揚陸艇に分乗する場合が多かった。

 これは上陸第一波故に、未だ残存する敵防衛部隊からの砲火を受けることが多いことから、分散することで部隊の損害を極限することに加えて、大量の揚陸艇で一気に押し寄せて広い範囲の海岸を制圧するのが目的ではないかと考えられていた。

 そうして揚陸戦部隊によって確保された海岸地帯に、第二波以降の重装備の一般部隊が効率の良い大型揚陸艦を使用して上陸するのが、これまで地中海戦線で繰り返されていた国際連盟軍による上陸作戦の典型的な展開だった。



 だが、揚陸戦部隊はこうした上陸戦に特化するために一般部隊と比べると重装備の保有数が少なかった。

 目まぐるしく状況が変わる上陸戦では腰を据えて大口径砲が連続射撃を行うために必要不可欠な射座を時間をかけて整備する余裕などないし、小型の揚陸艇の搭載能力も限られるから、大口径の榴弾砲などの重量級火器の装備は難しかったのだ。

 水陸両用の戦車なども確認されていたが、水密構造としたためか装甲は薄く、備砲も軽戦車用のそれでしか無かったようだった。


 これまでの国際連盟軍による上陸戦闘では、対抗する枢軸軍はこの揚陸戦部隊の貧弱な火力に注目して、第一波が上陸を終えたばかりで未だ橋頭堡が弱体な時期に、後方から機動力と火力に優れた機甲部隊を集中させて撃破を狙おうとしていた。

 だが、何れの場合も大型艦による艦砲射撃や有力な航空戦力によって機動が阻害されたことなどによって機甲部隊による効果的な反抗が成功した例はなかった。



 それに最近では国際連盟軍でも歩兵部隊でも運用可能な大口径のロケット砲や無反動砲を備えていた。

 これらの兵器は従来の砲とは異なり、砲身が砲弾発射時に装薬によって生じる強大な爆圧にさらされることがないことや、反動を抑制する駐退機の必要が無いことなどから、発射機構である機関部や砲身は砲弾口径の割に極めて軽量に製造することが可能だった。


 ただし、従来型の砲と比べると反動を打ち消したり、砲弾自らが推進するために発射に必要な装薬は多く、また弾速が低いことから着弾時の速度に威力が比例しない成形炸薬弾を使用する事がこの種の砲では多かった。

 徹甲弾のように貴重なタングステンなどの資源を大量に使用することはないものの、成形炸薬弾の製造には高い精度が要求されることや、着弾時に榴弾や徹甲榴弾と比べるとより適切なタイミングでの起爆が求められることから、戦場で安定した威力を発揮することは難しかった。

 それに加えて、砲本体は人力での搬送が可能なほど軽量であるものの、砲弾の重量は通常構造の砲のそれと比べてそれ程変わらないことから、少人数の運用班では人力で携行可能な弾薬定数は少なかった。


 結局ロケット砲や無反動砲を多用して火力を強化したとしても、今度は継戦能力が問題となることから、この種の部隊の戦闘能力は限定されたものでしかなかったのだ。

 その一方で、上陸戦が一段落して内陸部に戦場が移動すると、揚陸戦部隊は揚陸艇や水陸両用車などの特異な機材を活用できずに単なる軽装備の歩兵部隊としての戦力価値しかなかった。

 状況によっては大規模な河川を利用することで、内陸部でも他部隊では不可能な機動を行うことができるはずだったが、急峻な地形が連続するイタリア半島では揚陸部隊の機動性を活かした戦術を取るのは難しそうだった。


 それ以前に、上陸作戦において先陣を切って上陸する揚陸戦部隊は、特に防御側からの火力が集中する傾向があるから、損害が大きくなるはずだった。

 だから戦闘が一段落した時点で後方に下がって損耗した将兵や機材の補充と再編成を行うことは不自然ではなかったのだ。



 現在のイタリア戦線に展開する国際連盟軍の情勢からして、揚陸戦部隊を無理に前線に貼り付ける必要性は薄かった。ローマ周辺への上陸後も戦力が着実に強化されていたからだった。

 ファシスト政権下のイタリアによるエジプト進攻で開始された地中海戦線において、当初枢軸軍が相対していた戦力は英国軍に限られていた。開戦当初は未だ正式に国際連盟軍が編成されていなかったためだ。

 有力な陸軍国だったフランスが戦列から脱落した影響は大きく、各国亡命政権などはあったものの、当時は実質上英国単独で戦線を支えている状態だった。


 しかし、現在ではそのような状況は大きく様変わりしていた。国際連盟の常任理事国である日本帝国の正式な参戦をもって前例のない国際連盟軍が誕生していたからだ。

 主力を担うのが英国軍であることに変わりはなかったが、その英国軍も内実は植民地や英連邦諸国から動員されたインド師団、カナダ師団といった多様な部隊を含む集団に変化していた。

 日本陸軍が派遣した兵力は2個軍団編成、計7個師団相当と数だけを見れば英国軍のそれに見劣りしていたが、列強各国の流行に逆らって未だ基幹戦力たる歩兵連隊を師団内に4個保有する大規模な4単位制師団を維持していたから1個師団辺りの戦力は大きかった。

 それに上級司令部の軍団直轄戦力も充実していたから日本陸軍遣欧軍はヴィシー・フランス軍にとっても無視できない兵力だった。



 だが、現在のイタリア戦線で目立っているのは、主力である日英両国軍よりも従来さほど重要視されていなかったその他の諸国軍の方だった。

 英国本土などに逃れてきた後、アジア圏の植民地などから徴募されてきた兵員の補充を受けて再編成された亡命政権軍や、これまで列強の一翼に数えられてこなかったような中小国から派遣されてきた部隊が確認されるようになっていたのだ。

 形式上は中華民国政府の統治下にあることとされている満州共和国などは、国際連盟内における政治的な地位の向上を狙っていたのか、共産主義勢力との内戦に明け暮れる中華民国を差し置いて機械化された1個師団という大兵力を派遣していた。

 この部隊は満州共和国軍政部直轄兵力ということもあってか、欧州への派遣に関して大々的な報道がなされていたほどだった。


 ヴィシー政権からすれば、離反した犯罪者集団という扱いに過ぎないが、国際連盟軍側についた自由フランスも独立を餌にインドシナ植民地から徴募した兵力で部隊を編成してイタリア戦線に送り込んでいたようだった。

 フランス本国や植民地に移民していたフランス系からなる自由フランス軍の部隊が主にヴァレンタイン戦車やスピットファイヤ戦闘機といった英国製兵器を装備していたのに対して、平均的な体格が近いせいか、あるいは単に補給が容易なせいかは分からないが、インドシナ植民地で編成された部隊は日本製の兵器を装備していた。

 捕虜などから得られた証言によれば被服や一部の小銃などの軽量級の装備は満州共和国製であるらしく、配属先の軍団も満州共和国派遣部隊などと共にアジア人でまとめられているようだった。



 もっとも、兵員数だけをみればイタリア王国正規軍が最近になってその存在感を増しつつあった。

 前国王エマヌエーレ3世の暗殺を基にイタリア王国は枢軸側より離反していた。前後の状況から判断するとそれ以前より国際連盟と密かに講和を交渉していた形跡があったのだが、暗殺事件が直接的な契機となったのは間違いなかった。


 これまでのイタリア軍は、戦時体制移行への遅れなどから枢軸側で参戦していた際には弱体が知られていたのだが、国際連盟軍側においては皇太子時代より人気の高かった現国王ウンベルト2世への期待や暗殺された前国王の仇討ちという大義名分を得たせいか士気が高まっているようだった。

 装備に関しても、日英製の最新兵器や、一部は国際連盟軍側に残されたイタリア南部で生産された国産品も配備されたようであり、枢軸側についていた時期よりも豊富な装備を配備されて再編成された部隊から前線に復帰しているようだった。



 このように続々と国際連盟軍に新たな戦力が前線に配備される一方で、その指揮系統の脆弱性を指摘する意見もあった。

 かつてのように緊密な同盟関係にあった英日両国などのみで編成されていた時期と比べれば、兵力総数どころか参戦に携わる思惑まで大きく異る雑多な兵力で構成された現在では、母体の異なる師団同士の連携などに支障が生じていると判断された例が少なくなかったのだ。


 しかし、師団司令部程度の判断で行う戦術的なものはともかく、イタリア戦線の枢軸軍がそのような国際連盟軍指揮系統のすきを突くような戦略を構築することは出来ていなかった。

 枢軸軍主力たるドイツ軍もまた指揮系統の混乱を抱えたままこれまで戦闘を継続していたからだった。

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