1943荒野にて5
さっきはクルスクに巨大な我が軍の突出部が出来てしまっていたと言ったね。それにこの突出部を潰せばファシスト共から見れば戦線を整理できるとも……
だが、戦線を整理するやり方は、何も敵の突出部を潰すだけじゃないんだ。逆に相手の前線に食い込んだ部隊を後退させても良いんだね。例えば、さっきは突出部をこう突き出した拳といったが、逆から見ればその拳を両手で掴んでいる形になるわけだよ。
占領地帯を手放してもいいんなら、そうやって伸ばした両手を引っ込めても前線は短くなるから、そこに貼り付けられていた戦力を他所に持っていけるんだよ。
クルスクの戦いが起こる直前は、我が軍は何時までたってもファシスト共が攻め込んでこないものだから、クルスクに攻め込んでくるんじゃなくて、そういう形で戦線を整理しようとしているんじゃないかと考えていたんだな。
もしそれが正しいのだとすると、我が軍は無駄にクルスク周辺の突出部に戦力を集中させてしまっていることになる。当時の大戦略というのは、クルスクで一度奴らの攻勢を受け止め、これをへし折ってから余勢をかって大反抗作戦に繋げるというものだったらしいからね。
それで一度クルスクに集中した戦力を後方で再編成して予備戦力にしようとした、らしい。当時の我が軍は少ない戦力を上手くやりくりして一箇所に集中させるのが得意だったからね。
だからといって折角作ったクルスクの防御陣地を空にするわけにも行かない。本当にファシスト共が撤退を開始したならば、追撃部隊の出撃拠点になるかもしれないしね。
そこで再編成のために引き上げられた部隊の代わりに二線級の部隊、つまりは我が音楽小隊のような部隊が陣地に入れられた、というわけなのさ。
俺達が入った壕は、クルスク周辺に張り巡らされた対戦車陣地の一部だった。といっても、音楽小隊はただの訓練未了の歩兵部隊だ、対戦車能力なんて期待できるはずもない。
近くには大口径の対戦車砲をいくつも備えた陣地があった。俺達が入った陣地はその対戦車陣地を援護するためのものだったんだな。
その陣地に入っていたのは現役兵で編成された、まぁ精鋭と言ってもいい部隊だったはずだ。そいつらと入れ替わりに俺たちが警備のためと聞きながら陣地に入ったんだよ。
ところが、ファシスト共はさっき行ったとおりにクルスク突出部を忘れたわけじゃなかったんだよ。しかも奴らの攻勢は俺たちが陣地に入ってすぐに始められてしまったんだ。
移動してすぐだったからね。小隊の若い兵隊達は行軍の疲れか居眠りしてしまう奴や身繕いするのが多かった。
本当なら下士官である俺や小隊長殿がどやしつけて周りに偽陣地を作ったりと色々と仕事をさせなきゃならなかったんだろうが、二人共周囲の地形や状況を把握するので手一杯だった。
あの頃は本当に下士官が不足していたんだね。そんなところにいきなり轟音がして砲弾が着弾したものだから大騒ぎになってしまった。
最初に聞こえてきたのは炸裂音だったか、それとも発射音だったか、多分同じくらいだった。ということはそれ程早い砲じゃなかったはずだ。
それに砲弾の炸裂で出来たクレーターの大きさは2メートルかそこらだった。それで俺はファシストの105ミリ砲、そこからフガス弾が撃ち込まれたに違いないと素早く判断したわけだ。
いや、別に自慢できるほどのことじゃないよ。古参兵なら皆一瞬で分かるはずだ。戦時中はファシストの105ミリ砲は何度も遭遇したからね。それだけありふれた砲だったんじゃないかね。
だが、勿論音楽小隊の隊員たちにはそんなことが期待できるはずもない。慌てたり騒いだり……俺はとにかく壕に入るように大声で言ったが、とにかく自分の身を守らにゃならんから、とにかく自分も壕に入りこんだわけだ。
そこへ早くも次の射弾が俺たちを襲ったんだ。しかも、命中箇所は最初のクレーターと俺達の篭った塹壕陣地、それを結んだ線の先にあったんだな。つまりファシスト共からすれば遠弾、近弾と来たわけだね。
勿論、こりゃあ不味いと思ったよ。要するにファシスト共の目標はどうやら我が陣地らしいぞということが分かってしまったわけだからね。
その陣地はそれなりに偽装されていたと思うんだが、多分近くに隠れて見張っていたファシスト共の偵察兵に部隊の入れ替え時の慌ただしい時を見つけられてしまったんだろうね。それに、陣地を狙った射撃もその観測所から修正を受けていたんだろう。
その観測兵は余程の手練だったに違いないよ。射撃修正は素早く、しかも正確だったんだからね。勿論、砲兵の方の技量も悪くはなかったんだろう。すぐに修正射を撃ってきたんだからね。
あんた、砲弾に狙われたことは有るかい。いや戦車や歩兵銃なんかじゃないよ、本物の大砲というやつにだ。それはそれは恐ろしいものだよ。
昔の欧州大戦の頃は、塹壕にこもった歩兵に向かって何発も何発も大砲が打ち込まれて、その衝撃で精神をやられる兵隊が多かったと言うが、無理も無いよ。
ましてや、ついこないだまで平和なキエフで音楽を学んでいただけの生徒だったからね、自分が狙われている事がわかって恐慌状態となってもおかしくはない。
だが……ちゃんと訓練を受けた兵隊ならやっちゃいけないことだったんだがね。
ああ、一人の生徒が壕から逃げ出してしまったんだよ。多分、壕の中で生き埋めになるとでも思ってしまったんじゃないかな。意外だったのは、普段はその生徒が皆のまとめ役、というか餓鬼大将みたいな奴だったことかな。
たまにあることさ、普段は臆病な奴が戦場で肝っ玉が据わって、逆に普段威勢のいい奴が臆病になる。不思議な事だがね。それだけ戦場が非日常だということかも知れんね。
その生徒は狙われている塹壕が危険だと思って逃げ出したんだろうが、本当に怖いのは破片なんだよ。いくらフガス弾でも高速の破片は飛び散るからね。なぁ、あんた想像できるかい。砲弾が1発炸裂する度に小銃弾が十発も百発も一気にぶっ放されたみたいに小さな破片が飛び散るんだよ。
だが、いくら早くともそんな小さな破片は、塹壕の中にいれば遠くから撃たれる小銃弾みたいに防げるんだ。だからこそ、ファシスト共は地面を掘り返すフガス弾を使ったんだろうがね。
最初に逃げ出したやつは、次の砲弾の炸裂と同時に吹き飛ばされて動かなくなってしまった。砲弾はそいつも塹壕からも離れた場所で起爆したんだがね、破片が運悪く当たったんだな。
そこから先はもう、思い出したくないね。死んだやつは、頭を半分吹き飛ばされて恨めしそうな顔をこっちに向けていた。なのに、そいつを助け出そうと飛び出して死ぬ奴、泣き出すやつ、砲弾の直撃、それやこれや……
気がつくと、ファシスト共の砲撃はやんでいた。多分ちっぽけな塹壕にはこれで十分だと思ったんだろう。実際、小隊は全滅していたんだからね。あいつらには対戦車砲とか、戦車壕とか……他にも撃たなきゃならない的がたくさんあったからな。
もっとも、奴らの攻勢は長く続かなかった。確かにあの時前線にいたのは俺たち音楽小隊のような二線級の部隊だったが、後退した精鋭部隊もまだ近くにいたからね。
クルスク突出部を断ち切るべく出撃したファシスト共は我が軍の前線を突破したが、後方に控えていた戦車部隊等による反撃で前進できなくなって後退。これでこの戦闘は終わってしまっていた。
そう、戦史というやつかね、あの大層な装丁の立派な本、そこには僅かな損害で敵軍を跳ね返しとかなんとか、そんな程度にしか触れられていなかったな。
あとは後退したファシスト共の部隊から取り残されていたいくらかの捕虜を写した写真が残されていたね。実際には、俺はあの後で捕虜が撃ち殺されるのを見たんだが……
いや、俺は捕虜を痛めつけるような趣味はなかったよ。音楽小隊の仇だったとしても、だ。勿論戦闘中は別だよ。ファシスト共を撃つのをためらったことなど一度もない。
だが、戦闘が終われば話は別だ。そうでなければ、俺だけが何度も生き延びた意味がないと思っていたよ。俺が正しく生きていかないと、死んでいった奴らまで後ろ指を刺されるんじゃないかと思ってね。
さっきも言ったが、捕虜が撃ち殺されるのは見たことが有る。最初はネーメツを一人の兵隊が殴っていたんだが、それを止めようとして俺が声をかけたら、その兵隊は怒声を上げてね。ここにファシストの捕虜なんていないと言って、次の瞬間そいつを撃ち殺していたんだよ。
俺はその兵隊を怒鳴りつけるよりも前に呆気に取られてしまってね。戦闘の直後だったから、俺みたいに仲の良かった戦友をファシスト共に殺されたのかと思ったんだが、あとから聞いたらそいつはユダヤ人だったらしい。
しかも、そいつが住んでいた家はファシスト共に占拠された地域にあったらしいよ。家族は全員収容所に送られて死んじまっていたそうだ。だから部隊の仲間じゃなくて、家族の仇のつもりだったのかも知れんな。
そいつか、いやその後すぐに死んだと聞いたよ。こういうのも因果応報とでもいうのかね。いや、家族の仇をとるというのはわからない話ではないが、やはり戦場に私情を持ち込んじゃいけないということかも知れんな。
俺は小隊長殿からそう教わったんだよ。
ああ、クルスクでファシスト共の砲撃が止んだ時、崩れかけた壕の中で生きていたのは俺と小隊長殿、後何人かひどいうめき声を上げているのがいたが、結局助からなかった。
小隊長共もとても助かりそうも無かった。太ももから足が切れて噴水のように血が吹き出していたからね。慌てて俺は止血したが、間に合わないのは明らかだった。それまでに血を失いすぎていたんだよ
それなのに、俺はかすり傷しかなかったんだよ。至近弾の破片が壕の中を嵐のように吹き荒れたというのにだ。
俺は助かったと喜ぶよりも、ただ悲しくて涙を流してしまったよ。多分、それが不思議だったんだろうな、小隊長殿がひどく澄んだ目でこっちを見ていた。もう、その頃には痛みも感じなくなっていたのかも知れん。
それで俺は……俺はきっと死神なんだと、俺のせいで皆死んでしまったんだと、まぁそんなことを言ったんだな。
だが、言い終わるよりも早く、小隊長殿に胸ぐらをつかまれたんだ。一体何処にそんな力が残っていたのか、そう不思議に思うほどだったよ。
今までになかったほど厳しい目をして、小隊長殿は力強くこういったんだ。調子に乗るんじゃない軍曹、君一人が皆の運命などであってたまるものか、皆一人ひとりが必死に生きたんだとね。
その時俺はどういったのか、それとも無言で圧倒されていたのか。もうわからんね。
ただ、小隊長殿は最後に表情を緩めた。力が抜けたのかも知れんが、俺はきっと最後に笑ってくれたんだと今でも信じている。
それでこういったんだ。必至に生きろ、とね……俺は……多分今も必至に生きているよ……
ああ、ミーシャ、遅かったな。レコードはちゃんと……あったみたいだな。神父様はちゃんと寝てたか。あの爺様は放っておくと勝手に出歩いて野良仕事でも始めようとするからな。
よし、これでようやく音楽小隊のレコードが聞けるよ。
うん……これは小隊長殿の声だぞ。そうか、音楽学校に居た頃の練習の時を録音したのか、やっぱりキエフの音楽学校は随分と贅沢だったんだな。
いや、あんたね、俺だってわが祖国の音楽家ぐらい知っているよ。戦後になってちゃんと調べたんだ。これはショスタコーヴィチだね。ラフマニノフやストラヴィンスキー達がシベリアの帝国主義者の方に逃げてしまったのに、我がソ連に残った偉大な労働者の音楽家だよ。
そうか、これがあの音楽小隊の音楽だったんだね……本当なら、戦争がなければ、彼らはきっと立派な音楽堂で皆にこんなきれいな音色で聞かせてくれていたんだろうなぁ……
なんだミーシャ、俺が泣いているって……お前も歳をとれば分かるようになるよ。
……いや違うなミハイル・マクシモヴィッチ。こんな思いをしないで済むなら、しないほうがずっと良い時代なんだよ……
なぁ、あんたもそう思うだろう?