1943荒野にて1
俺に会いに来たってのはあんたか……悪かったな随分と留守にして。この刈り入れの時期は、コルホーズ総出で畑に出なきゃならんのでな。そう、俺みたいな会計係でも関係なしさ。
それで、あんたは……態々アメリカから来た記者さんだって。こんな田舎まで物好きなことだね。
いやいや、アメリカーニェツはいつでも大歓迎さ。あんたが知ってるかどうかはわからんが、俺はアメリカンスキーに少なくとも二度は助けられてるんだ。
勿論一回はあのネーメツ共と戦った大祖国戦争のときの物資援助さ。でも、何と言ったか……あのアメリカンスキーの肉は……スパムか、あれを食ったのは戦争中が最初だったが、アメリカンスキーの食い物を貰ったのはそれが最初じゃないんだ。
革命のごたごたでこの辺は以前ひどく貧しくてね。いまではコフホーズ化で何とか食っていけるが、俺が生まれた頃は随分とひどかったらしい。俺のように親をなくしたガキも少なくなかった。
いや、別にそれを悲観してるわけじゃない。コフホーズの孤児院の暮らしは、まぁ輸入されたアメリカンスキーの食い物もあったから、それほど悪かったわけじゃない……それにあの頃は孤児なんて珍しくもなかったからな。
それで、アメリカーニェツの記者さんが態々俺に何の用だい。
……これは……また古い写真が残っていたものだな。ああ、そうだ、この写真は俺が戦時中に所属していた小隊だ。まぁそうはいっても戦時中は部隊が壊滅したり解散して再編成されたりしたから、クルスク戦頃のほんのちょっとの間だけだったんだがね。
ほら、この中央に写ってる生真面目そうな眼鏡の人が小隊長殿の中尉だ。その後ろでしかめっ面をしてるのが小隊軍曹だった俺だよ。見なよ、他の奴らはほんの子供だろう。
多分、この中で大人だったのは小隊長殿と俺だけさ……いや、本当に大人だったのは小隊長殿だけだったかもしれないな。
しかし、よくこんな写真が残っていたものだな。全滅した小隊の集合写真なんてもう皆無くなってしまったものだと思っていたよ。そういえばクルスクの防御陣地に向かう前にアメリカーニェツの写真家が来ていたな。
確か、ロベルトだったかアンドレだったか、そんな名前だった。いや、その写真家がユダヤ人だと言うからなんとなく覚えていたんだよ。あいつはまだ元気か、俺より少し年上だったと思ったが……そうか、あいつも死んじまったのか。
何だか生き急いでいるような奴だったからな。
そうだな、たしかにこの写真は俺が所属していた小隊だ。さっきも言ったが、クルスク戦の前に編成されて、戦闘中に壊滅した。生き残ったのは俺だけだ。
……そう、あんたの言うとおりこの小隊の隊員たちは特別でね。普通は、まだガキだった俺が小隊軍曹になることもないし、他にも下士官が配属されるはずだが、あの頃は人手不足でね。
それで志願したキエフ音楽学校の生徒と先生なんて無茶苦茶な部隊が出来ちまったわけさ。お偉いさんは音楽学校の子どもたちでも戦っているって宣伝をしたかったんじゃないのかと俺は今では考えているんだが、まぁあの頃は迷惑な話だと思っただけだったな。
……そうだよ、態々こんなところまで来てすまないが、あの小隊のなかで、俺だけがキエフ音楽学校の生徒でもなければ先生でもなかったんだ。たまたま前の小隊が全滅してあぶれていた俺を連隊付の政治委員が配属させたんだよ。
いくらなんでも音楽学校の人間だけで軍隊は回らないだろうからな。
大体だね、こんな田舎者が、キエフのピカピカとした音楽学校を出た音楽家に見えるかい。見えるはずはないよな。
それで……何だいこのレコードは……あの小隊員達の演奏が入ってるのか。こいつは凄いな。俺も何度か大休止中に誰かが歌ってたり小さな楽器を弾いているのは聞いたことがあったが、音楽学校での演奏はもちろん聞いたことがないよ。
それに、正直なところを言えば、他の小隊でも休止中に音楽を弾いてる奴を見たこともあるが、戦争前の俺は音楽なんてまともに聞いたこともなかったし、ファシスト共に聞こえて撃たれたらどうするんだって、そんなことしか考えられなかったものだからね。
今思えば、随分と退屈な人間だったな……
そうだな、レコードならコルホーズの事務所にあるよ。アメリカンスキーのレコードだ。祭りのときとか、寄り合いのときに結構使うんだ。
いや、待てよ……ミーシャ、レコードを持ってきてくれ。確か刈り入れの時に邪魔になると思って教会に持っていってしまったんだった。
何、ソ連にも教会があるのかだって。何だ、あんたそんなことも知らんのか。キエフやモスクワの方ではどうだか知らんが、この辺の田舎には大抵どの村にも教会の1つくらいあるもんだよ。
革命直後は色々と共産党も宗教を厳しく取り締まっていたらしいが、しばらくしてから熱心な宗教家だったか信徒だったか、何十万もの人間がシベリアの帝国主義者の方に逃げちまったらしくてね。
その頃はもうシベリア鉄道の警備も厳重になっていたらしいが、その何十万もの宗教家は凍結したバイカル湖を抜けてシベリアの帝国軍に救助されて、暫くの間はあっちの方で盛んに宣伝に使われたらしいよ。
そんなことがあったから、共産党もあんまり宗教にはうるさく言わなくなったらしいよ。それぐらいで何十万も亡命されたら割に合わんと思ったんだろう。
だから、あんたもこの村にいる間に祈りたくなったら教会に行くといいさ。もっとも、神父様は殆ど寝たきりだがね。
別に共産党がどうのという話じゃないんだ。最近の若者は教会で祈ったり神父になるよりも、コルホーズでトラクターをいじったり、職工になろうと都会の工場に出ていったりしちまうからね。
あの神父の爺様もいい人なんだが、もう歳だからな。こんな田舎に代わりの神父様が来てくれるかどうか……
まぁ、そんなわけだからちょっと待ってくれ、いまレコードを取りに行かせるから……何、その間に俺のことを話してくれって。さっきも言ったが、俺はつまらない男だったんだよ。
そうだな、何から話そうか。俺は孤児院で育って、学校を出てからしばらくはコルホーズで働いていたんだが、田舎で農業をやるよりも都会で一旗上げようと思ったんだがね。
孤児上がりじゃ都会に出てもコネがないからまともな職場にゃ潜り込めんぞって当時のコルホーズ長に脅されてね。悪いことは言わんから、真面目に働けと言ってくれたんだが、俺も若かったからね。それなら軍隊に志願すると言ったのさ。
時たま田舎のコルホーズにもパリッとした軍服を着た徴募係の軍曹が来ていたものだからね。まぁ近くの都市を移動する間に、通りがかったコルホーズに顔を出してみただけだったかもしれんが。
それはともかく、孤児院で鼻水垂らしてたような子供の目から見たら、部隊で使い物にならんと徴募係に回された運動不足で腹の突き出た軍曹だってコルホーズの組合長よりも立派に見えたのさ。
とにかく渋るコルホーズ長から記載済みの書類をもぎ取るようにして、一日歩き通しで近くの駅についてからまた列車に揺られてようやくのこと赤軍に志願したというわけだ。
だが、軍隊に志願してすぐに、コルホーズ長の言っていたことは正しかったんじゃないかと思い始めていたよ。
あの当時の教育部隊ときたら、被服は粗末だし、食料は少ないし、そりゃ最初は皆下っ端から始まるんだとは覚悟していたが、教官でさえしなしなの服を着ているのを見て、あの軍曹が来ていたパリッとした軍服は嘘だったのかと思ったよ。
だが、あとになって考えると、実戦部隊に配属されてからは、俺は前線で飢えた思いはしたことがないんだよな。多分、俺が思うに当時の赤軍は最前線のバイカル湖とか国境線の部隊に補給が集中していたんじゃないかね。
教育部隊が不要とは言わないが、後回しにしていたんだろう。そう思うよ。
一応俺はコルホーズの学校だといい成績だったらしくてね。
大学には勿論行く金がなかったが、なんとか10年制の学校は出ていたし、出ていく時に最初は渋ってはいたが、当時のコルホーズ長が推薦状も書いてくれたものだから、俺は半年の学校での教育を終えて部隊に配属されてから、下士官候補者ということになったんだ。
だが、すぐに配属された歩兵師団がフィンランド戦に動員されることになってね。下士官の学校には行かずに師団ごと列車に乗せられたって寸法だ。
フィンランド戦は外国じゃ色々と言われているらしいが、俺は党が言うとおりに別に我が国がフィンランドの領土が欲しかったわけじゃないと今でも思ってるよ。
何故かって、あんな寒いだけで何もない土地を態々欲しがる奴がいるのかという話だよ。
やはりフィンランドとの戦争は、白海・バルト海運河とレニングラードにフィン人を近づけさせない為だったんだろう。俺はフィンランドとの戦争が起こるというので列車に乗せられた時に始めてあの運河を見たんだが、あれは本当に立派なものだったね。
アメリカーニェツの技術者だの工作機械だの、外国製が随分と輸入されて使われたらしいが、それでも我が民族にもあんな偉大なものが作れたのかと誇らしげに思ったものだよ。
後の大祖国戦争の頃は、なんでもレニングラードで建造中だった戦艦をムルマンスクの方へ逃したり、逆に後になってからバルト海に艦隊を持ってきたりしたらしいね。今でも運河をひっきりなしに大きな船が行き来していると聞いているよ。
だが、やっぱり立派な運河でもフィンランドに近すぎたんだな。フィン人ってのは賢い連中だが、それ以上に寒いところで動き回るのが得意でね。それまでは我が母なるロシアの人民が一番雪国向きだと思っていたが、雪の中でフィン人共にスキーで襲撃されたときにはこれはまいったと思ったね。
フィン人はそんな連中だったからね。スターリンはきっと雪の中でも彼らが大砲を担いできて運河に撃ち込んだら困ってしまうと思ったんだろう。
これ以上は聞かないでくれよ。俺はこう見えても今では筋金入りの共産党員ということになっているのだからね。
さて、立派な運河を守るために始めた戦争だったが、当時の我が軍の精鋭は皆シベリアの連中に備えるためにバイカル湖の方にいたから、フィンランドに向かったのは俺みたいに新米の兵隊が多い部隊だったらしいよ。
俺だけじゃなかったと思うが、俺達は半年の教育部隊の後になってようやくそれなりに新しい軍服に着替えて、それにまともな飯が食える実戦部隊に配属されたものだから、もう一端の兵隊という気がしていたんだ。
そう、俺達だけじゃなくて、軍曹や中尉もそう考えていたんじゃないかな。俺達が一撃加えればポーランドみたいにフィンランドもすぐに降伏するに違いないってね。
だが、そうじゃなかったんだ。フィン人共は熱狂的に反撃してきたんだ。俺はポーランドの戦いには行っていないが、行っていなくて良かったと思うよ。
何故かってね、ポーランドに行った古参兵、まぁそいつは見た目だけの古参兵だったんだな。とにかく、その兵隊がポーランド兵はさっさと降伏したんだから、きっと奴らも降伏するさと大声で言って堂々と道の真中を歩いていったんだよ。
どうせあのトーチカは空っぽだとね。
ところがとんでもなかった。そのトーチカはすぐに勢い良く撃ち出してきたんだよ。小銃なんかじゃない。まるで無限に弾を持ってるかのように、機関銃が撃ち出してきたのさ。
それで俺の最初の小隊は全滅してしまったんだ。