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1943馬渡―ショルフハイデ14

 1943年の半ば頃から潜水艦隊の損害が急増した理由は、それまでと同様に正確には分からなかった。



 国際連盟軍の対潜哨戒機の充実が原因の一つであるのは間違いないが、従来とは異なり陸上機部隊ばかりではなく船団護衛部隊に必ず含まれるようになった護衛空母の搭載機による早期警戒によるものである可能性が大きいのではないか。

 潜水艦隊からは絶え間ない航空機による対潜哨戒を逃れるために、従来よりも潜水行動の頻度が増すことで効率の悪化が報告されていたが、中には回避行動としての急速潜航の多用が逆に損害を増大させているのではないのかと主張する艦長も表れていた。

 本国から出撃するのならばともかく、ブレストなどに展開する戦隊では、ある程度は艦長の裁量で装備を強化することも可能だったから、武装の貧弱な対潜哨戒機を逆に制圧するために、潜航で回避を図るよりも防御火力として対空機銃を増設する艦も少なくないらしい。



 だが、海軍の部外から第三者的な視線で状況を考察しているシェレンベルク准将らは、潜水艦隊の損害が増大している背景には、国際連盟軍の陣容、装備の強化と同時に海軍内部にも原因があるのではないのかと推察していた。


 すでにドイツ海軍の戦力は潜水艦隊が主力となっていたが、有力な水上艦艇が残されていないというわけではなかった。

 テルピッツやマッケンゼンなどがこれまでの戦闘で失われたものの、ビスマルクは未だにフランス占領地域内のブレスト軍港で潜水艦隊と共に出撃の機会を伺っていたし、グナイゼナウは長期修理中だったが、同型艦シャルンホルストは北方の守りを固めるためにノルウェーに駐留して健在だった。

 緒戦において軽快艦艇の多くは損耗していたが、それでもアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦2隻を含むいくらかの艦艇がバルト海での陸軍支援などの任務に付いていた。


 しかし、それらの水上艦艇が外洋に出撃する機会がこれから先に訪れるとは思えなかった。

 短期的には、戦略的な奇襲となったであろうマッケンゼンの襲撃によって国際連盟軍に混乱を引き起こせたものの、それから一年近くたった今では護衛船団の体制は盤石なものとなっていた。


 単に護衛艦艇が充実しているだけではなかった。襲撃から無事に帰還した潜水艦乗員からの報告や、英国本土などから帰還した偵察機によって得られた情報を分析すると、護衛船団に所属する貨物船の型式の統一が急速に進められている様子があったのだ。

 船体内部の構造は積載される物資や人員などよって専門化されているから多少は異なるはずだが、全体的な船体構造物の型式は統一されているらしく、外部からはっきりと分かる差異は少なかった。

 勿論機関や操船部分の艤装もある程度統一されているはずだから、開戦直後の混乱期に雑多な商船によって編成された船団よりも大規模船団を構築するのは容易ではないか。

 船型が統一されているということは、操舵性能なども同一ということだから、潜水艦による襲撃を警戒した船団単位の急速転舵なども容易だろうからだ。


 勿論、艤装などの統一は量産効果による取得価格の低下と生産性の向上にもつながっているはずだった。シェレンベルク准将は、何の変哲もない一万トン級貨物船の群れが映し出された写真に空恐ろしいものを感じていた。

 改めてドイツが手を出してしまった世界第1位と3位を占める日英という二大海運国家の物量を垣間見てしまったからだ。



 マッケンゼンの出撃目的には、そうした護衛船団に戦艦級艦艇の編入を強制させることも含まれていたが、それはある意味で果たされていた。

 英国海軍のリヴェンジ級やクィーン・エリザベス級といった旧式戦艦ばかりではなく、新鋭のキング・ジョージ5世級戦艦までもがしばしば船団護衛部隊に編入されているのが確認されていたからだ。

 だが、それは戦艦戦力の引き抜きによる他方面の弱体化を意味しているとは言い切れなかった。地中海戦線に投入された国際連盟軍の艦艇はむしろ増強されているほどだったからだ。


 船団護衛部隊に編入された戦艦において、日本海軍の戦艦が確認された例は少なかった。おそらく単に英国本土を経由して地中海戦線に投入された艦艇、あるいは逆に本国に本格的な整備の為に帰還する艦艇が一時的に編入されただけなのだろう。

 これに対して船団護衛に投入された戦艦の主力は英国海軍のそれに集中していた。これまでの戦闘で何隻かが失われたものの、英国海軍はまだ多くの戦艦を有していた。

 インドよりも東部のアジア圏などに展開していた戦力を引き上げれば、艦艇の余裕はまだあったのではないか。


 それに、戦艦が船団に随伴するのは大西洋を航行する際に限られていた。ドイツ海軍にはすでにインド洋まで通商破壊作戦用の艦艇を派遣する余裕は無くなっていたからだ。

 これにより戦艦が航行する海域はカナダと英国本土との往復か、南アフリカと英国本土との往復に限定されることになっていた。英国本土はもちろん、カナダも艦艇整備能力はかなり高かったから、船団航行計画に合わせて護衛用の戦艦を整備するのは難しくないはずだった。


 戦前の調査によれば南アフリカの工業力からすると常駐する戦艦整備は難しいとも思われるが、地中海に投入された日本製と思われる大型の浮揚船渠や工作艦が同地に持ち込まれているとすれば、定期的な整備程度は十分可能だろう。

 おそらく、英国本土を船団と共に出港した戦艦は、アジア圏に向かう船団と南アフリカで別れて同地で整備を行い、逆にアジア圏から英国本土に向かう船団が到着するとともに再び船団護衛部隊に編入されるのだろう。

 もしかすると、護衛空母などの他の船団護衛部隊の一部も効率化のために南アフリカを根拠地としている可能性もあったが、すでにドイツ海軍の活動域は大西洋中部程度までに限定されるようになっていたから、遠くアフリカ大陸南端の同地の様子を探ることはできなかった。



 国際連盟軍船団護衛部隊の陣容強化に反して、ドイツ海軍潜水艦隊の弱体化は、内部から進行している。シェレンベルク准将はそう推測していた。

 撃沈破された潜水艦から帰還する乗員が少ないために、潜水艦隊に蓄積される戦訓は少なかった。その一方で喪失と判定される潜水艦の数は少なくなかった。

 結果的に、続々と就役する新造艦に配属される固有の将兵は新兵が多くなり、根拠地に逼塞するために逆に異動が少ない水上艦艇とは違って、潜水艦隊に勤務する古参の下士官兵は貴重なものとなっていた。


 下士官兵ばかりではなかった。敵艦隊の動向を知り尽くしたベテランの艦長などは、その経験を活かすために戦略的な判断を求められる潜水艦隊司令部の幕僚に引き抜かれる事が多く、結果的に大尉級の若手の艦長が増えていた。

 勿論潜水艦勤務経験のない士官を潜水艦の艦長に充足させることは出来ないから、他艦での経験のある士官を引き抜くことになるのだが、それもまた引き抜かれた方の潜水艦の弱体化を招いていた。

 最近はどの艦も乗員定数を満たすことが出来ずにいるようだったが、そのような状態で戦闘時に万全の体制をとれるとは思えなかった。この乗員の定数や練度の不足が徐々に潜水艦隊の戦力を低下させているのではないか。



 マッケンゼンの出撃において、潜水艦隊への負担軽減と共に密かに期待されていた地中海戦線からの国際連盟軍戦力の誘引も成功したとはいえなかった。

 植民地の一部が平和裏に独立、あるいは亡命政権によって掌握された状況によって、すでに戦火から逃れた感のあるアジア圏から戦力の大半を引き上げた英国を始めとする欧州各国の海軍部隊が、大西洋方面に再展開しているようだったからだ。


 地中海方面に国際連盟軍が展開する戦力は膨大なものだった。艦隊主力の日本海軍正規空母部隊は8隻程度の大型空母で編成されていたから、これに英国海軍空母や船団護衛部隊から抽出されたと思われる護衛空母などを加えると搭載機数は千機程度には達するのではないか。

 この数は、イタリア半島に駐留するドイツ空軍第2航空艦隊にも匹敵するものだった。搭乗員の質や機体性能にも大きな差はないらしいから、現地の第2航空艦隊単独で国際連盟軍の艦隊主力に対して攻勢を加えるのは難しかった。

 海上の艦隊ばかりではなく、イタリア半島南部にはすでにやはり同等の戦力まで増強されたらしい日英主力の陸上航空部隊まで展開していたからだ。

 艦隊戦力が常に前線に展開しているわけではないようだが、陸海をあわせた航空戦力の戦力比でドイツ軍に対して国際連盟軍は二倍前後にも達していた。


 しかも、勢いに乗るソ連軍と対峙する東部戦線を抱えているドイツ軍が現在以上の戦力を地中海方面に投入するのが難しいのに対して、国際連盟軍の戦力はこれからも増大するものと推測されていた。

 前国王、エマヌエーレ3世の暗殺によって、イタリア王国が枢軸勢力から完全に離反していたからだ。

 開戦からこれまでの地中海戦線でその国軍は疲弊していたが、数が足りないドイツ製よりも日英製の新兵器を受領したイタリア軍は再編成を終えると続々と国際連盟軍側の戦列に加わっていた。


 それだけではなかった。これまでの地中海戦線では少数のオーストラリア、ニュージランドと言った英国軍傘下の部隊を含めて英国軍を中心とした編成だった国際連盟軍だったが、最近では日本軍などに加えて新たに加わった戦力が姿を見せていた。

 本格的に動員されてきた英インド師団、再編成を終えた欧州亡命政府指揮下の植民地軍、亡命ポーランド軍に自由フランス指揮下の旧インドシナ植民地から徴募されてきた部隊とその顔ぶれは多彩だった。



 もっとも、国際連盟軍の戦力が増大しているのは事実だったが、その内情はこれまでのように一枚岩とは言えないのではないか。

 冷静に、あるいは感情を込めて雄弁にゲーリング元帥に戦況を説明するシェレンベルク准将の後ろ姿を見ながら、准将の副官であるケラー中尉は無表情をつらぬきながらも、内心ではぼんやりとそう考えていた。



 シェレンベルク准将の戦況説明は淀みなく進んでいたが、実際には予め定められたシナリオからは一歩も逸脱していなかった。そのシナリオを演じているのはシェレンベルク准将だけではなかった。親衛隊の情報機関である第6局と対立関係にあるとされている国防軍情報部のオスター少将も演者だったのだ。

 勿論、そのシナリオを書いたのはケラー中尉ではなかった。観客がゲーリング元帥たった一人だけの劇だったが、中尉は精々主演の脇に控える助演か演者の補佐と言った役回りだった。

 あるいは、意地悪く考えれば演者であるシェレンベルク准将の監視が主な役割かもしれなかった。


 このシナリオを書いたのは、親衛隊に移籍したケラー中尉の元上司でもあるカナリス大将だった。老練な情報将校であるカナリス大将の前ではケラー中尉など完全な小物でしかなかった。

 カナリス大将のシナリオは慎重なものだった。自身の部下であるオスター少将と、密かに手を回したシェレンベルク准将に交互に戦況説明に訪れさせることで、他の情報源から切り離されたゲーリング元帥を意のままに操ろうとしていたのだ。

 主にゲーリング元帥の想像どおりに戦局が悪化してしまっているようにシェレンベルク准将が説明することで、その信頼を勝ち取ろうとしていた。



 ゲーリング元帥と直接接触するオスター少将もシェレンベルク准将も、カナリス大将には逆らえなかった。

 オスター少将は以前から反ヒトラー総統グループと接触している事実を握られていたし、前イタリア国王エマヌエーレ3世の暗殺、というよりもは誤射による事故死を招いた作戦に深く関与してしまっていたシェレンベルク准将に対して、暗殺作戦の責任を現地部隊の指揮官に追わせることで救ったのはカナリス大将だったからだ。


 エマヌエーレ3世を射殺した部隊は、武装親衛隊第502猟兵大隊だったが、特殊工作に従事する同隊には以前情報部の指揮下にあったブランデンブルク部隊出身の隊員もいくらか転籍していた。

 カナリス大将はその移籍した子飼いの隊員を意のままに操って複雑な情報操作を行ったらしい。


 もっとも、国防軍情報部から親衛隊に転籍したケラー中尉自身もその工作に関わった一人だった。

 おそらく、カナリス大将にとってケラー中尉は勿論、オスター少将やシェレンベルク准将、更にはゲーリング元帥も駒の1つに過ぎないのではないか。その真意はケラー中尉にもわからなかった。


 ただし、ケラー中尉は今のところカナリス大将の書き上げたシナリオを逸脱する様子の見えないシェレンベルク准将に、いささかの不信感を抱いていた。自分が情報部から送られていた監視という役回りを持っていることを承知で、准将は副官に任命していたのだ。

 ―――カナリス大将はたしかに精緻な脚本家なのだろうが、果たしてシェレンベルク准将はおとなしく最後まで演者の立場でいてくれるものなのだろうか……


 だが、ケラー中尉はそれを密かに恐れているのか、それとも何かを期待しているのか、自分でもそれが分からずにいた。

マッケンゼン級巡洋戦艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbmackensen.html

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