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1943馬渡―ショルフハイデ13

 ドイツ海軍の艦隊整備計画であるZ計画の中で、主力艦を補佐するO級巡洋戦艦の1番艦として就役したマッケンゼンだったが、就役時においてもいまだその艤装工事は完全なものとは到底言えるような状況ではなかった。



 作戦開始までに残された時間はあまりに少なく、残工事は膨大だった。特に問題視されていたのは機関部だった。マッケンゼンの主機関は、蒸気タービンとディーゼルエンジンを混載した変則的なものだった。

 蒸気タービンに統一されていた従来型同様の機関方式では、長大な航続距離の要求を満たすことができなかったことから、4基のスクリューの半分を燃料消費の少ないディーゼルエンジン駆動とせざるを得なかったのだ。


 ドイツ海軍では、大型艦でのディーゼルエンジン搭載に関してはすでにドイッチュラント級装甲艦である程度の実績を有していた。だが、同級の主機関には運用上の問題が多く、喪失艦の中には主機関に生じた不具合が遠因となって失われたのではないのかと考えられていた艦もあった。

 マッケンゼンに実際に搭載されたエンジン自体は、装甲艦に搭載されたものと同型ではなかった。同級の運用実績を元に改良された新型のものだった。


 ただし、改設計後の試運転は不十分なものだった。紆余曲折の結果マッケンゼンの就役が急がれたものだから、製造元での試験期間を短縮せざるを得なかったのだ。

 可能な限り不具合は拾い上げられて対策が施されているはずだったが、改設計が新たな問題の原因となることも十分に考えられることだった。



 問題はエンジンそのものだけではなかった。急遽就役が決まったマッケンゼンは乗員の定数を満たしていない状態だった。特に機関部将兵の不足は深刻なものだった。

 構造や様式の異なるエンジンの混載が最終段階で問題になっていた。実はこの時、蒸気タービンやボイラーに関しては、ドイツ海軍内の余剰人員に宛てがある状態だった。

 それは地中海戦線で大破した戦艦テルピッツの乗員たちだった。同艦はマルタ島をめぐる戦闘で実質上喪失判定を受けるほど大きな損害を受けていたのだが、被害が主砲塔や艦橋などの水線上の構造物に集中していた結果、機関部将兵の大部分はタラント軍港に無事帰還していたのだ。

 この元テルピッツ機関部将兵をマッケンゼンに転用したのだが、ビスマルク級戦艦は完全なタービン艦だったから、ディーゼルエンジンに精通した機関科将兵は得られなかったのだ。


 他艦からディーゼル員を引き抜くのは難しい状態だった。喪失艦を除く装甲艦は作戦行動中だったし、潜水艦隊から人員を転用するのは、同艦隊を援護するために出撃するというマッケンゼンに与えられた作戦目的からすれば本末転倒だった。

 結局、マッケンゼンは建造にあたっていた工廠や造機工場の工員を残工事の為に乗艦させたままという無茶な体制で出撃せざるを得なかった。形式的には乗艦した工員達は全員志願したという体裁が整えられていたが、状況からして実質的には強制という形だったのではないか。



 ここまで無理をして出撃を強行したものの、マッケンゼンには具体的な戦果など求められてはいなかった。同艦に求められていたのは、開戦初期に暴れまわった装甲艦が引き起こしたような国際連盟軍戦力の誘引、そして船団護衛部隊に対する大型艦配備の強要だった。


 この時期、未帰還となった潜水艦の喪失原因は未だ不明だったものの、潜水艦隊司令部は船団護衛部隊の充実が主な理由ではないのかと推測していた。独航船を廃して、輸送船団を構築する国際連盟軍の方針は次第に強化されていたからだ。

 当初は船団の規模は小さく、護衛部隊の数も限られていたのだが、最近では幾重にも連なって航行する50隻程度の大船団が目撃されることも少なくなかった。


 船団規模の拡大に伴って護衛部隊の規模も拡大していた。特に航空哨戒網の範囲外となる空白の海域を長時間航行する長距離船団には、専用の護衛空母の随伴が常識的になっているようだった。

 地中海戦線などに集中的に投入されている日本海軍の正規空母などと比べれば、商船を原型としているらしい護衛空母の能力は低かった。艦体の規模が小さいから搭載機は少ないし、速力が遅いために同時に発艦できる機数も少ないようだった。


 だが、目的が船団護衛であれば多数機を一度に運用する必要性は低かった。少なくとも哨戒機が上空に一機でもいれば潜水艦は効率の良い洋上進攻を断念して蓄電された貴重な電力を消費する潜水行動を余儀なくされるのだから、通商破壊作戦に与える影響は大きかったのだ。

 それに護衛空母には哨戒機だけではなく単発単座の艦上戦闘機も搭載されていた。搭載されていたのは、空母機動部隊での運用に耐えなくなった二線級の戦闘機のようだったが、ドイツ空軍の鈍重な長距離哨戒機などであればその程度の機体でも十分に役に立つはずだった。


 日本製らしい船団護衛空母はすでに多数が就役しているらしく、日本本土などアジア圏からの長距離船団だけではなく、地中海戦線での上陸支援やカナダと英国本土を結ぶ船団でも英国に供与されたと思われる艦が目撃されていた。

 船団周囲の哨戒に限れば、すでに潜水艦隊にとっての聖域は、こうした護衛空母から運用される直援の哨戒機によって閉ざされていたのだ。



 だが、対潜用途の駆逐艦程度の護衛艦艇や護衛空母が日に日に充実する一方で、船団直援に就く戦艦級の大型艦の姿は少なかった。

 日本海軍の場合は本国に残置されたものを除く主力を地中海戦線に集中して投入しているためでもあったのだろうが、開戦直後に暴れまわったドイツ海軍水上艦による活動が低調になった為か、英国海軍の戦艦群も活動は低調になるかブレストに逼塞するビスマルクなどを警戒して本国艦隊で待機しているようだった。


 マッケンゼンをドイツ海軍上層部が出撃させた目的は、このような状況を一変させるためだった。

 ドイツ海軍の大型戦闘艦が船団を襲撃することで、実質上無力化されている状態のビスマルクやシャルンホルストといった既存艦艇の脅威を過大に見積もらせるとともに、船団護衛部隊に戦艦級艦艇の随伴を強要させることで、相対的に対潜艦艇の比率を低下させようというのだ。

 もとより戦果を期待された任務ではなかった。単にドイツ海軍の戦艦が未だに健在であることを国際連盟軍に知らしめればよかったからだ。


 ただし、それには条件があった。決してマッケンゼンが脆弱な巡洋戦艦であることを知られるわけには行かなかったのだ。

 交戦状態に入ったマッケンゼンの行動には制限が課されていた。目標は、潜水艦隊とは異なり船団に所属する輸送船ではなかった。それよりも有力な護衛艦艇を撃沈して、マッケンゼンの脅威を国際連盟軍に知らしめることが目的だった。

 それにマッケンゼンには自由に撤退することは許されていなかった。開戦直後の大規模な水上艦による通商破壊作戦の中では、慎重を期すあまりに英仏艦隊との交戦を避けて早期に撤退を選択した例が少なくなかったからだ。



 最終的に今年の初頭に就役を繰り上げて出撃したマッケンゼンは、最初の作戦である意味想定通りに撃沈されていた。だが、当初ドイツ海軍司令部が見積もっていた実戦力以上の戦果を同艦は挙げていた。

 最初にマッケンゼンが交戦したのは、アフリカ大陸西岸付近を独航していた高速客船ノルマンディー号だった。


 鈍足の輸送船が船団を構築して周囲を護衛艦艇で固めて対潜防御を図るのに対して、大量の兵員を輸送するのに適した優速の大型客船は、船団どころか護衛艦もなしに航行していた。

 現行の潜水艦の洋上航行速度は最速でも20ノット程度に過ぎないから、高速性能を極めた結果、大半の戦闘艦をも上回る30ノット近い常用航行速力の大型客船に対しては射点に着くこと自体が困難だったのだ。


 だが、優速の大型高速客船であったとしても、同等の速力を発揮可能な巡洋戦艦から放たれた音速を遥かに超える砲弾から逃れる術はなかった。勿論短時間でノルマンディー号を撃沈し得たのは遭遇時の両艦の対敵姿勢に助けられたのもあった。

 それだけではなかった。マッケンゼンは相当に運が良かったといえた。ノルマンディー号に続いて、同船に後続する大規模船団と会敵し得たからだ。


 もっともマッケンゼンに有利な条件ばかりではなかった。船団には戦艦一隻と艦種不明の大型艦一隻が随伴していたのだ。

 戦闘後の報道などの分析から、船団直援についていたのは英国海軍のリヴェンジ級戦艦レゾリューションと判明していた。レゾリューションは最初から船団護衛部隊に編入されていたわけではなく、南アフリカで修理を終えて本国に帰還する為に船団に同行していたらしい。

 もう一隻の大型艦の方は未だに正体がつかめなかった。戦闘中にマッケンゼンから放たれた主砲弾が少なくとも1発は命中しているはずだったが、それらしき損害を被った戦闘艦が船団の目的地である英国本土周辺で修理に入った形跡が見られなかったのだ。

 だが、マッケンゼンに乗艦していた工廠技術者の証言によれば、同艦に命中した砲弾の痕跡からしてその艦は8インチ砲を搭載した重巡洋艦である可能性が高いらしい。

 砲塔などの艤装方式からして英国海軍のヨーク級重巡洋艦だったのではないか。


 明らかに戦力ではマッケンゼンが不利だったが、不思議なことにレゾリューションからの反撃はほとんど無かった。何らかのトラブルで砲撃が不可能となっていたようだった。

 マッケンゼンは後続の重巡洋艦からの砲撃と他の護衛艦艇からの雷撃による損傷で撤退を余儀なくされたが、リヴェンジ級戦艦を撃破に追い込んだのは存外の戦果と言っても良かっただろう。



 ただし、その後の経緯は当初の予想通りと言っても良い状況だった。船団護衛部隊との交戦で損傷を負ったマッケンゼンに対して、国際連盟軍は大西洋で稼働する全戦闘艦を投入する勢いで包囲網を構築していた。

 中立国米国領海で潜水補給潜と邂逅したマッケンゼンは、燃料の補給と工廠工員などの非戦闘員を退艦させた後、包囲網の隙きを突くようにしてレゾリューションと同型のロイヤル・ソブリンと交戦してこれを撃沈することに成功していた。

 だが、これがマッケンゼン最後の戦果となった。相次ぐ戦闘による損害でマッケンゼンの速力は大きく低下していた。包囲網からの脱出は不可能だったのだ。


 最終的に日英戦艦群からの一方的な砲撃で沈んでいったマッケンゼンだったが、実際の戦果はリヴェンジ級戦艦一隻ずつの撃沈、撃破に留まらなかった。

 マッケンゼンを包囲するために、大西洋に展開する国際連盟軍の戦闘艦の多くが集結していたが、それらは本来は船団護衛部隊に編入されていた艦を抽出したものだった。


 ドイツ海軍潜水艦隊はマッケンゼンが包囲網に絡め取られている間、手薄となった護衛船団を全力を持って襲撃していた。マッケンゼンの出撃にあわせて護衛が手薄となるだろう船団の通過が予想される航路帯に展開していた艦も少なくなかった。

 1943年初頭、マッケンゼンの出撃と喪失に前後した時期は、それ以前に減少しつつあったドイツ海軍潜水艦隊の戦果が大きく向上していた。少なくとも潜水艦隊の援護という点ではマッケンゼンの挙げた成果は少なく無いと判断しても良いはずだった。

 この時期に限れば、ドイツ海軍潜水艦隊司令部が戦前に想定していた商船撃沈トン数の目標を達成出来ていたからだ。



 だが、潜水艦隊が戦果を維持できたのは、どう評価しても今年の夏頃までのことだった。その時期を境に潜水艦隊の戦果は、就役数や作戦中の可動艦数と釣り合わなくなっていた。

 それどころか、潜水艦隊の損害が増大して、損耗と戦果の釣り合いが完全に崩壊する事態に陥っていたのだ。

マッケンゼン級巡洋戦艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbmackensen.html

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