1943馬渡―ショルフハイデ12
国際連盟軍による航空哨戒網の充実は、通商破壊作戦を実施するドイツ海軍潜水艦隊に大きな負担を強いることになっていた。
航続距離を重視した機体構造の為か、比較的鈍重な機種の多い対潜哨戒機に対抗するため、潜航による退避よりも積極的な反撃を意図して大口径の対空機銃を装備した潜水艦も多かったが、哨戒機によって位置が暴露された時点で本質的な対策にはなり得なかった。
むしろ、航空哨戒の増強は、直接的な脅威というよりも潜水艦隊の行動域を制限する効果のほうが大きかったかもしれなかった。
ドイツにとって見れば無数とさえ思われるような、大量の物資や人員を運んで来る航路が集合する英国本土周辺海域での行動が実質上不可能となっていたからだ。
フランス制圧後は、ドイツ海軍潜水艦隊の一部の戦隊を同地に展開することで、作戦海域への往復時間の短縮が図られていたのだが、航空哨戒網から逃れるための大西洋中央部への進出強要はこれまで以上に潜水艦隊の作戦計画に影響を与えていた。
ドイツ海軍潜水艦隊の主力であるⅦ型は、水上排水量で800トンにも満たない小舟だった。一応は外洋航行能力を有する航洋型ではあるものの、より大型のⅨ型などと比較すると建造費用が安価な上に必要となる機材が少なくなるから、数を揃えやすいという利点は大きいものの、航続距離などの航行能力は低かった。
この通商破壊作戦に多用されるⅦ型の航続距離を補うために、ドイツ海軍は少なくない数の洋上補給船を出撃させていた。
国際連盟軍が運用する哨戒機の航続圏外となるであろう大西洋中央部の作戦海域は、ブレストなど潜水艦隊の主要な母港から遠く離れていたから、作戦海域への往復だけで潜水艦に積み込まれた燃料の大半を使用してしまうことになるからだ。
また、修理や補給中の艦艇を除いたとしても、哨戒機の目を縫うように危険な海域をただ往復するだけに費やされる時間が増えるから、保有する艦艇の数に対して作戦海域で行動中の艦艇が極端に少なくなってしまうのだ。
元々、洋上補給船は開戦に前後して活発に行動していた水上艦による通商破壊作戦を支援するために派遣されていたものだった。
当時は英仏の洋上哨戒網は不十分なものだったし、無防備に独航する輸送船ばかりだったから、通商破壊作戦に長けた装甲艦や火力の高い戦艦などを充てるまでもなく、基本的に戦闘能力の低い改造商船でしかない仮装巡洋艦でも多大な戦果を上げることが出来ていたのだ。
同時にこれを支援する洋上補給船の活動も盛んだった。戦闘哨戒によって消耗した戦闘艦に燃料や弾薬などを補給すると共に、通商破壊作戦の過程で捕獲されたり撃沈した敵商船の乗員や、場合によっては鹵獲した敵船そのものを通商破壊艦から預かることもあった。
水上艦による通商破壊作戦が低調になったために、洋上補給船もその多くが引き上げられていたが、今度は潜水艦隊を援護するために出動がかけられていた。
洋上補給船といっても、専用の軍艦などではなかった。通常の商船に補給用の重量級のデリックや、大容量の燃料移送ポンプやホースといった補給装置に加えて、若干の兵装を搭載したというだけの代物だった。
武装と言っても、最低限の自衛戦闘が可能な程度でしかないから、原型が一万トン級の大型商船だったとしても、対艦兵装を装備しない近海哨戒艇程度ならばともかく、正規の戦闘艦に遭遇すればひと溜もなかった。
だが、原型が商船だけあって洋上補給船は目立たない存在だった。中には偽装を兼ねて開戦直後の水上艦による通商破壊作戦で鹵獲された英仏国籍の商船を転用したものもあった。
今次大戦が激化したとはいえ、広い洋上には国際連盟諸国に所属する商船だけが航行しているわけではないのだから、中立国籍商船に紛れたドイツ海軍の洋上補給船を特定するのは難しいはずだった。
そうした洋上補給船は、主要な航路帯を離れて慎重に行動しながら、国際連盟軍による航空哨戒網の圏外となる大西洋中央部で待機していた。
このドイツ海軍潜水艦隊にとっての聖域で待機する洋上補給船と邂逅した潜水艦は、母港からこの海域まで到達するのに使用した分、あるいは同海域で行った戦闘哨戒の間に消費した分の燃料を補給されながら、魚雷を打ち尽くすまで長期間の待機が可能となっていたのだ。
だが、こうした洋上補給船は現在その全てが再び洋上から姿を消していた。次々と撃沈されていたのだ。僚艦の撃沈後に出撃を取り消されて母港に逼塞を余儀なくされて、結果的に喪失を免れた船もあったが、補給船団が壊滅したことに変わりはなかった。
潜水艦隊に与えた影響は大きかった。単に哨戒行動の持続時間が短縮されただけではない。中には戦闘哨戒中に邂逅予定だった補給船が撃沈されて、補給の目処が立たずに洋上で当てどもなくさまよう羽目になった艦もあったらしい。
それだけではなかった。今年になって洋上補給用に建造された大型で特異な構造をもつ潜水艦であるⅩⅣ型までもが次々と行方不明になっていた。洋上補給船と比べても格段に秘匿性の高いはずのⅩⅣ型潜水艦の相次ぐ喪失は、潜水艦隊のみならず、ドイツ海軍全体に大きな衝撃を与えていた。
潜水艦の邂逅に必要な通信を送信する際に使用された暗号が解読されてるのではないか、そのような可能性が取り沙汰されていたのだが、他にも不可解なことがあった。
洋上補給船が撃破される際に、偶然補給を受けるために接触中だった潜水艦の乗員が、その補給船が英国空軍で使用されているモスキートによって撃破されたと報告していたのだ。
だが、その潜水艦U-88の報告が正しいとすれば、補給船が撃沈されたのは、陸地から遠く離れた海域だった。英国製の双発爆撃機であるモスキートは木製ながら速度性能に優れた機体であることが確認されていたが、より大型の哨戒機ですら到達が難しい海域に飛来してきたのは不自然だった。
仮に燃料タンクなどを増設した特別仕様機だったとしても、広大な大西洋で行動する補給船を捕捉して攻撃を行うには、相当に遠距離から正確な位置を把握する必要があるが、あまり現実的な想定とは思えなかった。
しかも、艦上から運用されたモスキートはこれまで確認されておらず、機体重量や離陸速度の推定などから艦上機への改造は難しいとの推論も出ていた。仮に艦上機としても運用可能となるのは、数少ない大型の正規空母に限られるはずだった。
もっとも、この報告を深刻に受け止めたものは少なかった。実際に目視確認したのはU-88の乗員の一人に過ぎず、しかも経験の少ない初級士官でしかなかったからだ。
その後、日本製の護衛空母が続々と就役しているのが確認されると、完全にモスキートの目撃例は誤認扱いされるようになっていた。
日本海軍の船団護衛用空母には、低速で鈍重な機体ながら、対潜機材が充実しているらしい双発哨戒機の運用が確認されていたからだ。
必ずしもU-88の報告とは出現時期は一致しなかったが、本格採用前の試験運用だと解釈すれば不自然ではなかった。少なくとも位置すら未知の陸上基地からモスキートが出撃したという話よりも現実味のある想定だったはずだ。
いずれにせよ、英国近海、ひいては欧州沿岸から追われ、聖域での洋上補給すら困難になったドイツ海軍潜水艦隊は、続々と就役する様子の日英護衛艦艇などによって次第に追い詰められていった。
このような事態に際して、ドイツ海軍上層部は奇策でもってあたろうとしていた。密かに建造が続けられていたO級巡洋戦艦、マッケンゼンを出撃させ、これを囮としようとしていたのだ。
O級巡洋戦艦は、ドイツ海軍の艦隊拡張計画であるZ計画の中でも特異な立ち位置の艦艇だった。その名の通り三万トン級という戦艦級の艦体に、ビスマルク級戦艦に搭載されたものと同型となる連装38センチ砲塔を同級よりも1基少ない3基、計6門を備えていた。
これは、概ねビスマルク級の前に建造された28センチ三連装砲塔3基を備えたシャルンホルスト級に匹敵する兵装だと言えた。実際、物資不足の中で建造されたマッケンゼンに搭載された主砲塔は、本来シャルンホルスト級の改装工事用に製造されていたものを転用したものだったのだ。
だが、この戦艦並みの大打撃力を有する一方で、マッケンゼンの装甲はやはりこれも文字通り巡洋艦に毛の生えた程度の弱装甲でしかなかった。
先の欧州大戦時に盛んに列強各国海軍で建造されていた巡洋戦艦のうち、ドイツ製のそれは比較的頑丈な艦体を有する戦艦に準ずるものだったが、マッケンゼンの設計は、むしろ軽装甲を高速力で補うという思想だった英国製のそれに近しいものだったと言えるだろう。
このようにO級巡洋戦艦は、正面切った水上砲撃戦において、戦艦と共に戦列に加わって戦うには難しい艦艇だった。同級はあくまでも従来の装甲艦の延長線上にあるものでしかなかったのだ。
Z計画の前提となる運用計画では、O級巡洋戦艦には、主力である外洋艦隊を援護する補助任務が割り当てられるはずだった。
つまり、敵主力の誘引や、より弱体の敵軍偵察巡洋艦群の撲滅だった。要するに正しく先の欧州大戦時の巡洋戦艦に連なる存在だったのだ。
この中途半端とも言えるO級巡洋戦艦の1番艦であるマッケンゼンが、他の多くの大型水上艦が建造中止、延期を決定された中で建造が継続されていたのは、皮肉なことにその性格にあった。
戦艦級の主砲塔はともかく、巡洋艦程度の弱装甲でしかないO級巡洋戦艦は建造コストが主力となる戦艦などと比べると低く抑えられていたからだ。しかも、その砲塔もシャルンホルスト級の改装工事用の機材を転用することで早期の入手が可能だった
だが、就役したところで今のドイツ海軍にはマッケンゼンの使い道はなかった。
長大な航続距離を活かして通商破壊作戦を実施するのは、開戦時と比べて国際連盟軍による哨戒網が充実したせいで難しかったし、仮に運用計画通りの敵主力艦隊の誘引を行ったところで、これに対処すべき味方主力艦隊は戦力をすり減らせていたから、有利な条件を作り上げたとしても艦隊決戦など不可能だったのだ。
様々な事情から、なし崩し的に建造が進められていたものの、就役したところでマッケンゼンには就くべき任務は無さそうだった。それが急転したのは海軍上層部の一部で奇妙な作戦計画が立案されたからだった。
作戦の概要だけ見ればおかしなところはなかった。O級巡洋戦艦の優れた航続距離を活かして、単艦で大西洋南部に進出して通商破壊作戦を行うというものだったからだ。
だが、開戦直後の英仏が無防備だった時期ならばともかく、哨戒網が充実した現在で水上艦による通商破壊作戦を実施するのは自殺行為だった。
勿論マッケンゼンの出撃に当たっては海軍の他部隊による支援が得られることになっていた。事前に潜水艦隊司令部などに集積されている国際連盟軍による哨戒機の飛行パターンを分析して、正確な出撃日時及び航行計画が策定されていたのだ。
また、マッケンゼンの出撃に前後して、ブレストに駐留していたビスマルクや一部のヴィシー・フランス海軍艦が出撃して英国本国艦隊などの誘引を行っていた。
ビスマルクとこれを援護する艦隊は、英国本国艦隊の出撃が確認された時点で、空軍の支援が得られる各母港に後退していたが、一部の大型潜水艦や密かに出港していた偽装補給船は各目標海域へと出撃していた。
マッケンゼンを母港から密かに出港させるために、主力の戦艦であるビスマルクが援護を行うのは、Z計画立案時の作戦計画からすれば矛盾しているようにも思えるが、ドイツ海軍上層部の意図は一貫していた。
現在のドイツ海軍の主力は、すでに相次ぐ戦闘で戦力をすり減らされて、母港に逼塞して敵艦隊を牽制させる程度にしか使えない水上大型艦艇などではなかったのだ。
主力艦を補佐する巡洋戦艦として計画されていたマッケンゼンは、現在の状況で実質上の主力である潜水艦隊を援護するために、最初で最後の戦闘航海に出撃したのだった。
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