1943馬渡―ショルフハイデ11
ソ連と対峙する東部戦線に対して、国際連盟軍とドイツ軍が交戦する戦域は大まかに言って地中海戦線、ドイツ本国を含む欧州本土での航空戦、そして英国本土に向かう船団に対するドイツ海軍潜水艦隊による通商破壊作戦という投入される軍種や部隊構成が大きく異なる三方面に分かれていた。
欧州本土での航空戦は、実質上英国空軍による夜間爆撃機に対する迎撃戦闘に限定されていた。以前はドイツ空軍機の爆撃機隊が幾つもの翼を連ねて英国本土まで連日のように空襲をかけていた時期もあったのだが、ソ連侵攻後は爆撃隊主力も英国方面から引き上げられていた。
この方面の戦闘は、航空戦であるとともに、両軍共に最新鋭の電子兵装を争って投入する電子戦闘という側面を有していた。
英国空軍爆撃機隊主力のランカスターやハリファックスと言った4発の重爆撃機は、搭載量が大きい代わりに防御火器や防弾装備に乏しく、貧弱な防御力を補うために、夜間爆撃を実施せざるを得ないようだった。
だが、夜間爆撃は少数のレーダー装備の夜間戦闘機を除けば迎撃が困難ではあったものの、視界が効かないことから当然の事ながら命中精度は低かった。
この夜間爆撃故の命中精度の低さを補うために、一種の航法支援装置ともいえる電波誘導システムや、逆に敵レーダーや電波誘導システムを無力化するための電波妨害などが積極的に使用されていたのだ。
昼間の爆撃作戦で大きな損害を受けたことから、なし崩し的に行われるようになったと思われる英国空軍の夜間爆撃だったが、迎撃側のドイツ軍も夜間戦闘の準備はそれまで等閑に付されていた。
当初は夜間の離着陸すら難しい特別な装備などない単座戦闘機を、まだ性能の不安定だった地上レーダーの支援で大雑把に誘導した後は、僅かな星明かりやまばらに配置されたサーチライトの光のもとで目視で敵機を捜索していたのだ。
それが英国空軍の夜間爆撃が本格化したことから、ドイツ空軍も夜間航空団の創設と拡大、さらには大規模な地上支援部隊を含む組織的な夜間戦闘システムの構築によって対抗を図っていたのだ。
しかし、夜間迎撃はこれらのドイツ軍の努力にも関わらず困難なものだった。
かつてのように単座戦闘機が夜間迎撃に駆り出されることは少なくなっていたものの、夜間航空団に配属される迎撃機には3つの系統があった。元々駆逐機として開発されていたBf110のような双発戦闘機、高速爆撃機である双発爆撃機の転用、そして専用に開発された夜間戦闘機だった。
だが、これらの機種はいずれも一長一短があった。
最近は機上搭載が可能な捜索用のレーダーなどが開発されていたが、本来は単座戦闘機に準ずる軽快な戦闘機として開発されていた双発戦闘機は、機体寸法が切り詰められていたために増載された機上レーダーの重量やアンテナの空気抵抗による飛行性能の低下が著しかったのだ。
元々搭載量の大きい双発爆撃機を転用した機種では、こうした機上レーダーの搭載による影響は少なかったが、操縦性が鈍重で敵爆撃機に専念できれば十分な機体性能だったものの、爆撃隊にしばしば随伴する敵夜間戦闘機の襲撃に対抗するのは難しかった。
専用の夜間戦闘機として開発されていたHe219は、搭載量と機動性のバランスの取れた最良の夜間戦闘機として、夜間航空団期待の機材だったが、ゲーリング元帥とヒトラー総統の確執からわかるように、未だにドイツ空軍は攻勢作戦に用いる機材の生産配備を優先していた。
そのために、双発戦闘機や双発爆撃機の生産ラインを転用できる既存の夜間戦闘機と違って、純然たる迎撃機であるHe219の生産数は伸び悩んでいた。
だが、夜間航空団の最大の障害はこうした機材配備の問題ではなかった。英国空軍に続いて参戦してきた日本陸軍航空隊が集中して迎撃部隊を狙ってきたからでもあった。
英国本土に駐留した日本陸軍航空隊の爆撃機部隊は、欧州各国の空軍とは異なり、仮に4発の大型機であっても敵国都市や生産施設を目標とする戦略爆撃の為の部隊ではなかった。
戦力差の激しいソ連空軍とシベリア―ロシア帝国領内などで対峙していた日本陸軍は、敵航空戦力を目標とする航空撃滅戦に特化していたからだ。
日本陸軍の爆撃機は、英国空軍機と比べると規模の割に搭載量は少なかったが、それは枢軸側の損害の極限には直結しなかった。高速かつ重防御の日本製の重爆撃機は、英国本土から長駆侵攻して欧州各地に散らばるドイツ空軍の航空基地、特に夜間戦闘機が配備された基地を集中的に狙ってきたからだった。
防弾板が充実している上に、大口径の防御機銃を多数装備する日本陸軍の爆撃機は迎撃が難しかった。そこから投弾される爆弾は小型ではあったものの、着火性の高い焼夷子爆弾を散布する特殊爆弾などが多く、無防備な状態で襲撃された場合の損害は大きかった。
また、日本陸軍は爆撃隊に付随して、専用の高速長距離偵察機を投入しており、欧州本土の航空戦力の把握に努めている様子があった。
ドイツ空軍の夜間航空団は、これに対処するために昼間の間は爆撃圏内から退避を図るなどの対抗手段をとってはいたが、これはこれで余計に長時間の飛行を強いられる機材や搭乗員の損耗を増大させる結果を招いていた。
それに航空撃滅戦で破壊された航空基地を早急に修復しない限り、大型であるために離着陸に充実した能力を飛行場に要求する夜間戦闘機を再び前線で運用するのは難しかった。
だが、機材の数はともかく、性能面においては敵部隊に対抗可能な欧州本土での航空戦はまだましな方かもしれなかった。欧州本土から遠く離れた海域で繰り広げられていた潜水艦隊による通商破壊作戦は、充実著しい国際連盟軍の船団護衛部隊の圧倒的な戦力の前に破綻をきたす気配が強かったからだ。
再軍備宣言以後は、ドイツ海軍は強大な英国海軍に対抗すべく艦隊戦力の拡張に務めていたが、今時大戦開戦時においては艦隊整備計画は道半ばの状態にあった。
この艦隊整備計画は壮大なものだった。ヴェルサイユ講和条約の規定によって僅か30隻程度にまで制限されていたドイツ海軍の戦力を、1940年代後半までに駆逐艦以上の大型艦のみでも100隻を超える大艦隊に拡張しようというものだったからだ。
しかし、この艦隊整備計画で建造予定だった艦艇の多くが今では建造の延期や中止の憂き目を見ていた。開戦時期を見誤ってしまったドイツ海軍には、今次大戦中に就役が間に合わなさそうな大型艦の建造を継続する余裕がなかったのだ。
大型水上戦闘艦に代わってドイツ海軍が開戦以後に重点的に整備を図っていたのは、前大戦同様に英国本土への補給を断つ通商破壊作戦を実施するための潜水艦だった。
開戦前までは、艦隊整備計画によって大型艦の建造にドイツ海軍が傾注していた結果、潜水艦の建造はおざなりなものになっていた。
元々再軍備宣言以後の軍備拡張は実働戦力というよりも、ドイツを実力以上の大国に見せつけるために、他国に対する抑止力、自国民への宣伝と言った効果をより強く期待されたものだったからだ。
ドイツの戦力を過大評価させて開戦をためらわさせる為の抑止力が目的であれば、大型でも排水量千トン級でしか無い各種潜水艦よりも、巨砲を搭載した戦艦や巡洋艦の方が、より民衆に力強く訴えかけるものがあったからだ。
潜水艦は特殊な構造故に排水量に比して建造費は高かったが、開戦前後から行われている構造の改良、単純化などによって建造隻数は増大を続けていた。
開戦の年、1939年には月一隻程度だった就役数は、約一年が経過した41年末頃には月産10隻に達し、最近では一月に20隻もの外洋型潜水艦が新たに戦列に加わるようになっていた。
新規に建造された多数の潜水艦によって、ドイツ海軍潜水艦隊が戦前に想定していた大規模な通商破壊作戦の実施が現実化しようとしていたのだ。
この時期、潜水艦隊は常時100隻程度の潜水艦を外洋に出撃させていた。この多数の潜水艦によって英国本土周辺を航行する輸送船を撃沈させ、物資の流入を断ち切ろうとしていたのだ。
実際、潜水艦隊の増強に比例して撃沈した商船の数も増大していった。正確に言えば、新たに潜水艦が就役してから数カ月後に戦果が増大する傾向が確認されていた。
これは、実任務に初出撃して乗員たちに戦度胸をつけた潜水艦が無事に帰還し、所要の整備を終えて二度目の出撃から戦果を挙げ始めるからだった。
だが、開戦直後の就役数の著しい増大がもたらした潜水艦隊司令部の楽観的な雰囲気は、42年頃には早くも雲散霧消してしまっていた。これまでのように潜水艦の新規就役数と戦果が比例しなくなって、損害が増大していたからだ。
その頃から国際連盟軍は開戦前後の混乱期を乗り越えて、高速客船を除く独航船の禁止と護衛艦艇が随伴する船団の構築、大型機による長距離航空哨戒などの実施を行っていた。
もっとも、正確には統計的な損害の増大と戦果の減少をどの時点で潜水艦隊司令部が明確に認識していたかは、今となっては分からなかった。他の艦種と比べて、潜水艦の戦果、損害を正確に把握するのは難しかったからだ。
海面下に沈降可能な潜水艦は、外殻構造などこそ堅甲なものの、複雑な構造からわずかな被弾でも即破滅的な損害に直結する可能性があった。しかも、潜水行動中に損害を被った場合、敵味方から明確に認識されないまま海底深く沈んでいくことも少なく無かった。
その上に、多くの場合は単艦で進出して襲撃をかけるものだから、仮に洋上で撃破されて艦外に脱出した乗員があったとしても、友軍艦に救出される可能性は殆どなかった。
勿論、大半の場合は潜水艦の喪失が明確に判定されることもなかった。これまでの喪失艦の多くも、所定の帰港予定日に余裕を見込んだ日を過ぎても母港に姿を表さなかった潜水艦を喪失と認定していただけだった。
あるいは国際連盟軍に拿捕されるか、洋上で降伏した可能性もあったが、潜水艦隊司令部でその可能性を口にするものはいなかった。
結果的に、潜水艦隊司令部は通商破壊作戦に出撃した潜水艦が未帰還となった理由を把握することが出来なかった。
勿論、幾つかの仮説は立てられていた。ひとつは、英国空軍などによって徹底した航空哨戒が実施されるようになったことだった。
航空哨戒に投入された機体は様々なものがあった。サンダーランド飛行艇などの英国製のものにとどまらず、英国空軍仕様と思われる日本製の大型機が確認されたことも多かった。
特に、昨年ごろから前線から引き上げられたと思われる日本海軍の一式陸上攻撃機などが多数確認されるようになっていた。一式陸上攻撃機はこれまで使用されていた九六式陸上攻撃機と比べて全般的な性能が向上していた。
ドイツ空軍では同機は搭載量の割に脆弱な機体として軽視されていたが、双発機としては航続距離は大きく、潜水艦隊にとって無視できない相手だった。
このような多種多様な哨戒機の配備によって、従来ドイツ海軍潜水艦隊の狩場とされていた英国本土周辺海域での襲撃は難しくなっていた。
大西洋を挟んだカナダや、遠く離れたインド帝国やアジア圏からの航路が最終的に集約されるのがこの海域だった。だから、本来はこの海域で商船が到来するのを待ち受けるのが、効率の点では最も良かったのだ。
昼夜を分かたずに行われる航空哨戒によって、潜水艦隊の狩場は戦果の減少を覚悟の上で長距離哨戒機でも到達できない大西洋中央部に設定せざるを得なくなっていた。
ただし、この大西洋中央部もすでに潜水艦隊にとっての聖域ではなくなっているのではないか、そう推測する声も最近では大きくなっていた。
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