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1943馬渡―ショルフハイデ9

 ベルリン郊外の広大な森林地帯ショルフハイデに建てられゲーリング元帥の邸宅カリンハル、その客間で始められた戦況報告は、当初こそシェレンベルク准将の贈り物なので和やかな雰囲気だったものの、それはすぐに重苦しいものに変わっていた。

 それだけ現在のドイツを取り巻く環境が悪化していたのだ。



 最初に取り上げられたのは、やはり現在の主戦線と言えるソ連と対峙する東部戦線だった。ドイツがその国力の大半を投入していると言えたからだ。


 ナチス党による政権掌握後に再建された軍事力をちらつかせながらも、それを行使することなくオーストリア、チェコを次々と併合したドイツは、ソ連と不可侵条約を締結した上で両国でポーランドへの侵攻を画策した。

 今時大戦開戦時のポーランドへの電撃的な侵攻の後、ドイツ軍はオランダやフランスといった西欧諸国に攻め込み、短期間でこれを屈服させて諸国を圧倒させていた。


 だが、これは開戦のはるか前からの軍備拡張や作戦計画、謀略といった計画があってのものだとも言えた。

 事実、フランス戦の時点でドイツ軍の戦時体制には綻びが見え始めていた。

 ゲッペルス率いる宣伝省の監督下で内外に盛んに報道していた精悍な機械化された精鋭部隊といったドイツ軍の一般的な印象とは異なり、フランス戦に動員されていた部隊の少なくない数が自動車化未了で、兵站部隊などを馬匹に頼っていたのだ。


 ドイツ軍が大国フランスを圧倒できたのは、装備面での優越があったからではなかった。むしろ、この時点でのドイツ製戦車などの重装備は装甲や火力では敵国のそれに大きく下回っている物が多かったのだ。

 そのドイツ軍がフランス軍や英海外派遣軍を圧倒し得たのは、従来のように戦線を構築するのではなく、その高い機動力をいかしてむしろ敵戦線の隙を突くように機動を続けていたからだった。


 しかし、そのドイツ軍機械化部隊の機動力は、砲兵などの火力部隊や機械化された大規模な兵站部隊などの支援を受けたものではなかった。

 むしろ展開速度の低いそのような部隊の進出を待つことなく、敵軍の予想よりも遥かに早く機械化部隊単独で前進を継続し続けたことが、開戦初期のドイツ軍が大勝利をおさめた理由の一つだった。

 側面の防御も疎かにして戦線後背で機動する機械化部隊の実数を見誤ったフランス軍の大半は、その脅威を過大評価してしまっていたのだ。



 フランス戦においてもまだ再軍備の開始から間もないドイツ軍は、これまでに併合、占領した地域の生産設備や鹵獲した機材、物資を積極的に自軍で運用していた。

 特に工業化の進んでいたチェコを併合した際には、まとまった数のチェコ製戦車を接収しており、同時期のドイツ製戦車よりも優秀である部分も少なくない同車は開戦初期のドイツ軍戦車部隊の一翼を担っていた。


 ドイツ軍が占領地域の機材を鹵獲して活用するは、そのような戦略的なものばかりではなかった。フランス戦において、動きの遅い砲兵部隊を後方に取り残して、それに代わる火力支援を空軍の急降下爆撃機に任せた機械化部隊は単独で敵中深く進出していた。

 そのような機械化部隊単独での進出を支えたのは、皮肉なことにフランス国内に整備されていたインフラ網だった。

 フランス軍にとって予想外の森林地帯を突破したドイツ軍戦車部隊は、よく整備されていた自動車道を使用することで戦線後方を高速で突破し、戦車に追随できない補給部隊の代わりに民間の給油所から燃料を調達して進攻を継続していたのだ。



 だが、そのように現地のインフラ網を活用できたのはフランス戦までのことだった。

 フランス戦に引き続いて開始された英国本土での航空戦において、英国空軍に対して決定的な勝利が得られずに英国本土への進攻を断念したドイツ軍が新たな標的としたのは、僅か二年前に不可侵条約を締結した大国、ソ連だった。

 不可侵条約に付随した密約によって独ソ両国でポーランドを二分していた分割線を越えて東進を開始したドイツ軍だったが、開戦当時には一定の勝算を抱いていた。


 対ポーランド、対フランスと続いた戦役において、ドイツ軍は機械化部隊による機動戦によって進攻開始から短時間で敵軍主力との決戦に拘泥することなく敵国を降伏においやっていた。この機動戦を重視した新世代のドクトリンであれば、ソ連もまた撃破することが出来るのではないか。

 それに、ソ連赤軍は強大な戦力を有しているのもの、精鋭部隊はいずれも東方に配置されているものと考えられていた。



 かつてのロシア帝国が先の大戦に於いて疲弊した末に崩壊した後に、各地に並行して成立していた革命政権を糾合する形で紆余曲折の上で誕生したのがソビエトだったが、共産主義者と対峙するロシア帝国の残存勢力はシベリア地方に逃れていた。

 そこで監禁状態から逃れてきた皇室の生き残りであるマリア、アナスタシア両皇女を旗印として、近隣の日本帝国やロシア皇室と関係の深かった英国などの支援を受けた旧帝国残存勢力はシベリアーロシア帝国を建国していた。

 当然のことながら、ソビエト連邦とシベリアーロシア帝国は激しく対立していた。お互いに自らこそがロシア帝国の全領土を統治する正統かつ唯一の国家であると主張していたからだ。


 両国の成立以前より対峙していた両勢力は、その内部抗争などを終えて国家としての姿を明確にする一方で、次第にバイカル湖畔を両国の実質上の国境線として固定していった。

 勿論、お互いに不当に自国の領土を占拠する非合法集団と規定してはいたのだが、先の欧州大戦やその後の内戦で疲弊した両国の国力では全土を制圧するのは困難であったことから、両者の勢力が拮抗するバイカル湖畔が境界線となっていたのだった。


 だが、特にシベリア鉄道が敷設されていたバイカル湖南岸付近に両国が構築した防衛線は、次第に縦深の大きなトーチカ群によって厳重に防護されていった。

 通常構築される機関銃や野砲装備のトーチカだけではなく、中には戦艦主砲級の大口径砲を備えた要塞まで備えていたから、機械化された大規模な部隊でも突破は困難だった。


 競い合うように構築されていたトーチカ群を制圧するのはお互いに難しく、時たま発生する小競り合いを除けば戦線は固定されていった。

 厳しい自然が広がるバイカル湖周辺の環境を考慮すれば、このトーチカ群を迂回するのは難しかった。バイカル湖北方は原野が広がる為に大規模な部隊を移動させるのが難しく、時たま小規模な偵察隊が浸透を図る程度だった。

 一方で更に戦線を南下させるのも難しかった。バイカル湖南方は、湖畔にしがみつくように構築されたシベリア鉄道や並行する街道を除けば険しい山岳地帯で構成されていたし、更に南方に進めばすぐにモンゴルとの国境線に達してしまうからだ。


 この環境を政治的に打破するためにソビエト連邦は、清國崩壊後の混乱に乗じて独立したモンゴル人民共和国を自国の構成共和国に編入させて南方からの浸透を目指したが、これも共産主義勢力の東進を警戒するシベリアーロシア帝国、日本帝国、英国などの支援を受けて大規模な奉天軍閥によって半独立国家となった満州共和国の成立によって頓挫していた。

 こうしてシベリアーロシア帝国の打倒と旧ロシア帝国領の統一を目指していたソビエト連邦の野望は半ば潰えていたが、同国がこれを諦めていたわけではなかった。

 その証拠にバイカル湖南方では平時よりソ連赤軍で大規模な司令部を要する方面軍を意味する「戦線」が司令部を構築されていたし、防御の為のトーチカ群後背にはこれに援護された大規模な精鋭機械化部隊が東進の機会を伺って待機していた。



 ドイツ軍によるソ連への侵攻、バルバロッサ作戦は、バイカル湖畔で待機を続けるソ連赤軍主力たる軍団の不在を見据えてのことだった。

 この赤軍主力軍団が欧州まで取って返す前に迅速な侵攻を続けて赤軍残存戦力を包囲殲滅して無力化するとともに、これまでのポーランド戦、フランス戦と同じように敵首都モスクワを攻略して城下の盟を誓わせようとしていたのだ。

 それに、ドイツ軍が侵攻を開始すれば、ソビエト連邦を不倶戴天の敵とするシベリアーロシア帝国がこれを絶好の機会として西進を開始するのではないのか、そのような予想もあった。


 シベリアーロシア帝国もまた、ソ連赤軍ほどではないにせよ主力部隊をバイカル湖東岸のウラン・ウデやチタなどの都市郊外に駐屯させていた。日本帝国や英国などの支援を受けていたシベリアーロシア帝国軍は、ドイツ軍ほどではないにせよ一定の戦力は有していると判断されていた。

 この大軍が行動を開始すれば、ソ連赤軍も無視できないはずだった。バイカル湖畔のトーチカ群で阻止できなかった場合、モスクワまで有力な防衛陣地を構築する間もなく到達されてしまうかもしれないからだ。

 シベリアーロシア帝国が参戦した場合は、少なくともソ連赤軍主力部隊をバイカル湖周辺に釘付けにすることは出来るのではないか。


 勿論、ドイツ軍にとってもそれが最良の結果になるはずだった。

 ドイツ軍がモスクワ以西の広大な領域を占領さえしてしまえば、バイカル湖畔のソ連トーチカ群などによって主力部隊を足止めされたシベリアーロシア帝国と有利な条件で戦後にソ連領土を分割することが出来るはずだったからだ。



 しかし、ドイツからの公式、非公式を問わない参戦要求があったにも関わらず、シベリアーロシア帝国は主力部隊の西進どころか、大規模な予備役動員などの開戦準備すら行わなかった。

 観戦武官の国際連盟軍への派遣や一部物資の提供、売却などは実施してはいたものの、シベリアーロシア帝国は今次大戦に於いて中立を保っていたのだ。


 東部戦線の指揮を執るドイツ陸軍総司令部などでは、これまでのところシベリアーロシア帝国が今次大戦において頑なに参戦を拒んでいるのは、ドイツ軍の予想以上に同国が自軍を赤軍に比して脆弱と判断しており、その消耗を恐れているせいではないかと判断していた。

 というよりも、結局のところ参戦しないのであれば、腹立たしくはあるものの、その理由など考慮する必要性も無いと考えていたのだろう。



 だが、国際連盟の有力な加盟国であるシベリアーロシア帝国の動向を把握する意味もあって、シェレンベルク少将率いる親衛隊国家保安本部第六局では、同国政府の判断理由などを推測していた。

 シベリアーロシア帝国が中立を保っている理由はいくつかあると考えられていた。その1つには陸軍総司令部が判断したように同国軍とソ連赤軍との戦力差もあるのだろうが、シェレンベルク少将らはそれは主な理由ではないと考えていた。


 考えられるその理由の1つは、道義的なものだった。シベリアーロシア帝国はソビエト連邦と対峙してはいるものの、同時に旧ロシア帝国領の領有をも主張していた。だから理屈の上ではソ連に不当に占拠された領土に侵入したドイツ軍は解放者ではなく、侵略者とみなすことも出来るのだ。

 別に、シベリアーロシア帝国の政府首脳が潔癖主義者であるとシェレンベルク少将達が考えていたわけではなかった。

 そうではなく、すでに旧ロシア帝国が崩壊して年月が経ち国民の間にソ連人としての意識が芽生え始めていたソ連領内に、このような状況でシベリアーロシア帝国軍が侵攻したとしても火事場泥棒としか思われないのではないのかというのだ。

 おそらくそのような状態でソ連が打倒されたとしても、国軍に大きな被害が発生する一方で国民からの広範な支持など得られないのではないか。



 それに、すでにドイツは英国と交戦状態にあったが、シベリアーロシア帝国のマリア女皇の夫であるルイス公はその英国の生まれだった。

 元々ロシア皇室は欧州諸国の王室とも複雑な婚姻関係で結ばれていた。英国の高級貴族で、マリア女皇と従兄弟であるルイス・マウントバッテン公もやはり英国王室の血筋に近かった。

 ロシア帝国崩壊の反省もあって、皇室の政治的な権限が制限された現行のシベリアーロシア帝国の法制上は、王配であるルイス公には公式な権限は無かったものの、その出身国である英国は隣国である日本帝国と共にシベリアーロシア帝国建国時からの最大の支援国でもあった。

 ソ連領への侵攻は、その英国と交戦状態にあるドイツを利することにもなるから、シベリアーロシア帝国が西進を開始する可能性は低かったのだ。



 だが、ドイツ軍、というよりもソビエト連邦への侵攻作戦を最終的に判断したヒトラー総統の最大の誤算はシベリアーロシア帝国の動向ではなかった。

 彼らには、シベリアーロシア帝国の判断をあざ笑うような資格など無かった。彼らもまた、ソ連赤軍の戦力、動向を見誤っていたからだった。

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