1943馬渡―ショルフハイデ6
現状のユ号弾、すなわち電波誘導方式が抱える欠点に関しては、投下試験の責任者である久慈少佐もおぼろげながら感じていた。
確かに、試作段階である現在でも、ユ号弾は高い命中精度を示していた。今回のドイツ空軍が使用したであろう誘導爆弾と同等の戦果を上げるのは不可能ではないという判断は、決して贔屓目で見ていたからではなかった。
ただし、現状の電波誘導方式には固有の欠点があるのではないのか、幾度も繰り返された投下試験を見守る内に久慈少佐はそれに気が付いていた。
ユ号弾の電波誘導方式は、投下後の爆弾を母機の誘導手が操作するものだった。この内、外部からの電波による誘導操縦そのものの技術はすでに海軍内部で確立されていたものだった。
軍縮条約によって廃艦となった戦艦摂津を標的艦として運用する際に、随伴する駆逐艦からの無線操縦による無人操艦が行われていたからだ。
無人による操艦は、増強が図られていた航空隊の雷爆撃訓練に使用するためだった。炸薬が充填された実戦用のものの代わりに、再利用される訓練用弾頭を搭載すれば、安全に実戦同様の発射動作が可能な魚雷とは異なり、爆撃訓練には実際に爆弾を投下する必要があった。
勿論、魚雷同様に訓練時に使用される爆弾も炸薬は抜かれているものの、爆弾の場合は重力に引かれて加速された弾体の重量自体が危険極まりないものだったのだ。
そこで上甲板の構造を強化された標的艦は基本的に爆撃演習時は無人とし、外部からの無線操縦によって操艦するという方式とされていたのだ。
勿論、二次元の海上を航行する標的艦の無線操縦技術が、三次元空間で複雑な操作を要求される誘導爆弾のそれにそのまま流用できたわけではなかった。だが、技術的な基礎とはなり得ていたし、同様に対空射撃訓練で使用される無人標的機の開発で得られた技術を応用することも可能だった。
だから試作段階における初期不良などの問題を除けば、誘導爆弾の機動性そのものには支障がないはずだった。
だが、実際には誘導爆弾の操縦は難しかった。確実に命中させるには、海上を機動する目標と高速で落下する爆弾の双方の位置関係を上空の投下母機から正確に把握する必要があったからだ。
実際、投下試験が開始された直後は、爆撃手が慣れない作業に戸惑ったのか大きく目標を外す例が多かったし、気象条件が悪化して飛行高度から地上の目標が視認できなくなって安全のために投下試験を中止した事もあった。
投下試験の為に特に選抜された教官級の爆撃手であってもそうであったのだから、ユ号弾が実用化したとしても安定した養成課程を構築するのは難しいかもしれなかった。
しかし、久慈少佐自身はユ号弾のそのような問題に無頓着だった。というよりも、自分の任務は誘導爆弾の実用化であるのだから、所要の性能を達成した後は、運用側が解決すべき問題と考えていたのだ。
勿論運用部隊から要請があれば対処を考慮するのも吝かではないが、機材の開発段階ではそのような余裕はないはずだった。
ある意味で無責任な態度とも言えるが、元々久慈少佐が所属する海軍技術研究所は先端技術の開発を行う純粋な研究機関だったから、そのような解釈をとっていたのだ。
久慈少佐は渋面を作りながら矢坂大尉の話を聞いていた。やはり、大尉もユ号弾の運用の難しさには気が付いていたようだった。従来の編隊による公算爆撃以上に天候などの外的要因によって誘導時の精度が上下することを指摘していたのだ。
だが、大尉の話はそれで終わりではなかった。
やはり陸軍航空本部生え抜きの技術将校である矢坂大尉は、純粋な研究者である久慈少佐よりも運用者側の視線で考えているようだった。
「少佐殿もすでにお気付きでしょうが、電波誘導方式の誘導爆弾操作を行う爆撃手の育成には長時間の訓練が必要となると思われます。しかも、この操作手順は電波誘導爆弾を使用する際にしか使えないから、時間と予算の掛かる専門の爆撃手の数を揃えるのも難しくなるでしょう。
ただし、これは十分な予算と要員さえ確保できれば解決できるとも言えるでしょう。問題は爆撃手や母機を揃えたとしても、単一の目標に同時投入するには限りがある点にあります。爆撃手が自機から投弾された爆弾を特定する必要があるからです。
こちらの詳報にもありますが、最初の空母ハーミーズへの投弾以外は殆ど1隻当たり1発ずつの投弾という非効率なやり方を取ったのはそれが原因でしょう。
それにハーミーズへの投弾も実際には時間差を設けて、特定させていたのでしょう。また、特に最初に投弾した編隊に手練の爆撃手を集中させていた可能性も否定できません」
久慈少佐は眉をしかめながら返した。一応は対応策を以前から考えていたからだ。もっとも、この程度のことで自分たちの研究成果であるユ号弾の実用化を阻害されてはたまらない、そう強く思っていたのも事実だった。
「現在のところ投下試験では複数弾の同時投下は行っていないが、ユ号弾にその能力が無いということではない。同時投弾された爆弾の特定だが、現在識別用に使用している尾部の着火剤の種類を変更することである程度は対応できるだろう。
高々度から海面まで落下する間、視認し続けなければならないからある程度使用できる色は視認性の点から限られるだろうが、同時に当弾するとしても1隻当たり多くて小隊単位だろうから何とかなるだろう」
だが、矢坂大尉は曖昧に頷いただけだった。久慈少佐の意見を真剣に取り上げようとする様子ではなかった。少佐が運用者側の問題として、訓練面で生じる問題を意図的に無視した為かと思ったが、そのような単純なものではなさそうだった。
どうやら、矢坂大尉の話にはまだ続きがあるらしい。
「昨年頃から雷撃時において攻撃隊に発生する損害の大きさが問題となっていましたが、その点において現状の性能、いえ方式ではユ号弾も脆弱性があることには変わりがないと考えています」
久慈少佐はじろりと矢坂大尉を見つめた。
「ちょっとまってくれ、大尉も陸軍航空本部でユ号弾開発の責任があるのではないのか。それが誤りであったと言うつもりか」
矢坂大尉はかぶりをふると落ち着いた声でいった。
「私が問題があると言ったのは、現状のユ号弾における誘導方式、つまり母機からの操作を前提とする電波誘導のことです……高々度から投下されるユ号弾そのものに関しては、対艦兵装として有効なものであることは間違いないと考えています。
ただし、他にもっと有効な兵装はないのか、あるいは既存の兵器体系をこれ以上進化させることは出来ないのか、この点はもう少し研究する余地があるとは考えていますが……」
「電波誘導方式が問題だと……だが、海陸軍共同開発が開始された初期段階でこの方式を優先させることが決定された際には、むしろ陸軍側のほうが積極的だったと記憶しているが」
久慈少佐は当時のことを思い起こしながらそう言っていた。ユ号弾の開発にあたっては電波誘導方式以外にも幾つかの誘導方式が考案されていた。だが、そのいずれも陸軍が想定するトーチカへの投弾には適していなかった。それで陸軍は電波誘導方式を推していたのだろう。
「電波誘導方式に汎用性があるのは確かです。投弾母機による誘導が可能だから投弾後の柔軟な操作が可能だし、目標を選ばずに使用できます。
しかし、本質的な脆弱性を持ち合わせているのも確かです。投弾母機は電波誘導を行っている間は自在な機動をとることが不可能だからです。
ある意味において、これまで損害の大きさを危惧されていた雷撃よりも危険性は高くなるかもしれません。雷撃は目標に投弾した後は自由な回避行動が可能ですが、電波誘導方式の場合は投弾後も敵艦上空で目視で誘導を行わなければならないために母機の機動が制限されますから。
多数の大口径高射砲を備えた敵艦隊や厳重に防護された目標に対する攻撃では、電波誘導方式の方が損害が大きくなることも予想されます。目標とされた側にすれば、投弾後も母機さえ撃破してしまえば、誘導が途中で断ち切られて迷走することで爆弾を回避するのと同じ効果が得られるでしょう。
場合によっては撃破する必要すらないでしょう。投弾後の母機が危険を感じて退避するだけでも誘導は途切れるでしょうし、煙幕などで視界を遮られた場合も同様です。
現に、今回のドイツ空軍の攻撃で空母ハーミーズは撃沈できたものの、その後は巡洋艦2隻の撃沈に留まったのは、対空砲火の激しい艦隊主力への攻撃となったからである可能性が高いようです。
また、電波誘導方式の同時攻撃数に限りがある以上、雷撃機のように同時に多方向から進撃をかけるといった手法も難しいでしょう……」
渋面を崩さずに久慈少佐は唸り声のような声を上げた。
「それがユ号弾の取得数が限られる理由というわけか……つまり陸軍、いや陸軍航空隊ではユ号弾の対艦兵装としての可能性は低いと考えているということか」
だが、今度は矢坂大尉が眉をしかめていた。
「何が誤解があるようです。陸軍航空本部でも、ユ号弾は将来の対艦兵装の一翼を担う存在であると判断していることに変わりはありません。私が脆弱性があると指摘したのはユ号弾そのものではありません。この問題は電波誘導方式固有のものと考えています」
久慈少佐は唖然とした表情を浮かべた。
「電波誘導方式そのものが問題だというのか。では大尉は他の誘導方式の方が有用であると考えているのか。だが対艦攻撃を行う場合、電波誘導方式の方が柔軟性を有していると言ったのは大尉ではないか」
現在、最も開発が進んでいる電波誘導方式以外の誘導方式としては、音響高調波感応式と熱源追尾式の二点の研究が継続されていた。
いずれも技術的な難易度が高いと判断されたことなどから、既存の技術を応用できた電波誘導方式に比べると開発は遅れていたが、何度か投下試験は実施されていた。
ただし、この2つの誘導方式は電波誘導方式とは原理が大きく異なるものだから、市街地に近すぎる水戸飛行場の敷地内で投下試験を行うことが出来なかった為、久慈少佐も試験の進み具合などの詳細は知らなかった。
電波誘導方式が投下母機に同乗する爆撃手が誘導操作を実施するのに対して、残り2つの誘導方式はいずれも自律式で爆弾弾頭に搭載された機構単体で誘導を行うものだった。
爆弾の尾部に設けられた操縦翼など、爆弾弾体の機動方式は電波誘導方式を含めて同一だった。というよりも、試作中のユ号弾は開発費用を切り詰めるために、操縦部分を含めて同一仕様の爆弾本体に対して、仕様の異なる誘導装置を搭載したというべきかもしれなかった。
あるいは、開発が先行している電波誘導方式のユ号弾で実用化が図られた動翼などの操縦部分を、後発の音響感応式と熱源追尾式に導入していると言ったほうが正確とも言えた。
もっとも、実用化の際には誘導方式によって最適化された独自の形状を取る可能性もあった。
しかし、久慈少佐自身はこの2つの誘導方式の実用化に疑問を抱いていた。爆撃手が誘導操作を行う電波誘導方式とは異なり、任意の目標を狙うことが出来ないのではないかと考えていたからだ。
ユ号弾は、基地航空隊に配備される陸上攻撃機、あるいはそれに準ずる長距離攻撃機に搭載する対艦兵装として開発されており、大威力の航空魚雷の代替としての意味を持っていたからだ。
日本海軍に対して主力艦数で優越する米艦隊に対抗するために立案されていた漸減邀撃作戦に投入される以上は、基地航空隊が最優先で狙うべき目標は主力艦に限定されるはずだった。
航空機や外洋での航行能力を高めた補助艦で敵主力艦を脱落させた後、有利な状況で主力艦同士の決戦を図るのが漸減邀撃作戦の骨子だったからだ。
敵航空母艦に対して先制攻撃を掛ける可能性も高いが、やはりその場合も目標の識別は必要不可欠だった。
だが、音響感応式も熱源追尾式も個艦の識別は不可能だった。単に誘導が爆弾に搭載された弾頭部の探知部で行われる自律式だからというだけではなかった。
むしろこれは原理的な問題だから、現状の技術ではこの問題の解決は困難ではないか。久慈少佐はそう考えていたのだ。




