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1943馬渡―ショルフハイデ5

 日本海軍の航空部隊、特に基地航空隊にとってユ号弾は将来の主力兵器に据える為に開発が進められていると言っても過言ではなかった。



 従来、日本海軍航空隊が対艦兵装の主力として用いていたのは航空魚雷だった。爆弾のように分厚い装甲に覆われた構造物を狙うのではなく、比較的脆弱な水線下の船体構造に直接打撃を加えることの出来る航空魚雷の威力は極めて大きかったからだ。

 艦橋や砲塔などの甲板上の構造物を破壊されても、艦体そのものに損傷を与えるのは難しいから敵艦を撃沈することは難しいが、水面下を攻撃する魚雷の場合は、艦体の損傷が浸水を招くことになるからだ。


 今時大戦開戦前に想定していた日本海軍航空隊の想定では、長距離哨戒機である飛行艇によって発見された敵主力艦隊に対して、まず最初に随伴する敵空母に艦上爆撃機で先制攻撃をかけ、命中精度の高い急降下爆撃で敵空母の飛行甲板に損傷を与えて敵航空機の無力化を狙っていた。

 これに対して艦上攻撃機や陸上基地から長駆進出する陸上攻撃機は、敵主力艦に対して水雷襲撃を行ってこれを無力化する事が期待されていた。

 戦間期の想定では、蒼龍型のような高速空母部隊は敵空母に対処するために艦上戦闘機と艦上爆撃機を主に搭載し、天城型のような大型空母は主力艦撃滅の為に大型の艦上攻撃機を搭載することとしていたのだ。



 だが、航空雷撃は絶大な打撃力を誇る一方で、本質的な脆弱性を持ち合わせていた。頑丈な弾体に装薬や信管を取り付ければ完成する爆弾などと比較すると、魚雷は自ら推進する為の機関や深度調整機能を搭載するために高価な上に強度が低かったからだ。

 しかも、爆弾の場合は投下されても落着するまでは空中をただ落下していくだけだが、投下された魚雷は着水する際に大きな衝撃を受けていた。

 水上艦から発射される場合も魚雷発射管の位置が高すぎると、場合によっては着水時の衝撃で魚雷本体が破損する可能性があるというから、航空魚雷の投下にはそれ以上の衝撃があるはずだった。


 大雑把に言えば、爆弾を投弾する際の機動制限は母機自体に過負荷をかけないためにあるが、雷撃の場合は脆弱な魚雷自体を保護するために制限が設けられていたのだ。

 航空魚雷の進歩によって雷撃時の制限は徐々に緩まってはいたが、敵艦に命中を期す為にはかなり接近する必要があったから、雷撃機は敵前を低速で直線飛行しなければならなかったのだ。



 軍縮条約の制限によって仮想敵米海軍に対して主力艦である戦艦の保有数に劣る日本海軍にとって、航空雷撃のみならず、組織だった水雷戦隊などによる雷撃戦は、想定されていた太平洋における漸減邀撃作戦にとって必要不可欠な攻撃手段だった。

 その大きな期待がかけられていた雷撃という攻撃手段そのものが疑問視され始めたのは、直接には昨年度のプロエスティ油田地帯への爆撃作戦で生じた一式陸攻装備部隊の大損害や、同年のマルタ島沖海戦における不徹底に終わった夜間雷撃などが契機となっていたが、実際には8年前の軍縮条約改定のころから関係者の間で俎上にのることがあったようだった。


 日本海軍の保有枠が増大した軍縮条約の改定によって、かつて想定していた主力艦保有数の対米比が概ね確保できるようになったために、危険を伴う雷撃に特化した兵器体系の見直しが図られ始めていたのだ。

 それに日本帝国は英国やシベリアーロシア帝国とは良好な国際関係を維持していたから、米海軍が太平洋に全力を投入する事態は考えづらく、想定によってはむしろ日本海軍の方が優位になっているとも言えた。


 現在のユ号弾の原型となる研究が開始されたのはその頃のことだった。つまり余裕ができた日本海軍が大威力の代わりに損害の大きい航空雷撃の代わりにより安全な攻撃手段を求めたのだ。

 それが昨年度の雷撃という攻撃手段そのものへの疑問視が強まったことで、開発にかける期待が強まっていたのだ。

 これには状況の変化という一面もあった。空母部隊や新鋭戦艦などからなる強大な戦力を欧州に派遣した日本海軍は、派遣艦隊帰還までの本土防衛に関わる安全保障体制に関して、本土で待機する残存戦艦群と共に基地航空隊による抑止力に大きな比重を置いていた。

 その基地航空隊による雷撃が実際には十全に機能しないとすれば、安全保障体制そのものが崩壊する危険性があったのだ。ユ号弾の開発が将来に向けた布石ではなく、現状で必要な兵器開発となったのにはそのような事情もあったのだ。



 だが、共同研究の体を取っているとは言え、陸軍は海軍とは事情が異なっていた。というよりも誘導方式の問題以前に、陸軍航空隊は海軍航空隊と比べると大型爆弾の需要そのものが低かったのだ。

 大重量の徹甲爆弾で我に対して優勢な敵戦艦を狙うのが海軍航空隊の主目的であるのに対して、陸軍航空隊の一義的な任務は仮想敵ソ連軍への先制航空撃滅戦にあった。つまり、開戦劈頭の無防備な在地状態の間に敵機を破壊してしまうのだ。

 友邦シベリアーロシア帝国を含めても、シベリア地方に展開する日本軍に対してソ連赤軍は圧倒的な量の航空機を有しており、漫然と消耗戦を行えば短時間で戦力が枯渇するのは自明だった。そのような状況が航空撃滅戦に特化した戦力整備に繋がったのだろう。


 しかし、航空撃滅戦では大型爆弾の使い道は少なかった。蝟集する敵機を焼き払うには、少数の大型爆弾を投下するよりも小型爆弾を束ねた集束焼夷爆弾などで広範囲に被害を与えたほうが効率が良かったからだ。

 敵基地滑走路などを長期間使用不可能とさせるために、遅延信管を使用して地面にめり込んでから起爆する徹甲爆弾を使用する場合もあったが、高速で海上を自在に機動する艦艇と違って、不動で長大な滑走路が目標であれば、高価で誘導装置分だけ炸薬量が減少する誘導爆弾を使用する利点は低そうだった。


 一応陸軍では誘導爆弾の導入目的として、シベリアーロシア帝国との実質上の国境線となっているバイカル湖畔一帯などにソ連が構築した永久トーチカなどの重構造物を、高々度からの精密爆撃で破壊する為としていた。

 確かに特殊なコンクリートや装甲板をふんだんに用いた永久トーチカを破壊するのは難しかった。通常の戦車や歩兵部隊による戦闘では相当近距離まで接近しないと攻略は難しいらしい。ものによっては野砲級の砲の直撃でもトーチカ内部に有効打を与えられないというのだ。

 不動であるから戦艦や戦車のように機動力や出力との兼ね合いから装甲厚に制限がかかることもないから、特に強固に建造されたものは戦艦にも匹敵する強度を持つらしいと久慈少佐も聞いていた。



 もっとも、相手が堅甲なトーチカであったとしても、必ずしも誘導爆弾の使用が最適だとは限らなかった。むしろ地下に潜って上空から隠蔽されたトーチカを高々度から識別すること自体が難しいのではないか。

 トーチカを目標とするのであれば、相手の火力に耐えられる程度の装甲と重砲級の大口径砲を搭載した対トーチカ戦に特化した砲戦車でも用意したほうが有利だった。

 そのような砲戦車は火砲の機動性が悪く対戦車戦闘には向いていないが、大抵のトーチカは精々野砲級の砲を搭載する程度だから、ある程度の装甲さえあればトーチカからの火力に耐え抜きながら接近して、重砲弾の直射でトーチカの装甲板とコンクリートの複合構造物を破砕することが可能だった。

 実際、4年前にレニングラードと白海・バルト海運河の安全確保を目的としてソ連赤軍がフィンランドに侵攻した際に、カレリア地峡のマンネルハイム線に構築されたトーチカを破壊するのにそのような車両が投入されたという情報もあった。


 ソ連がバイカル湖畔に構築したトーチカの中には、フィンランドのそれよりも遥かに強力な重砲以上の大口径砲を搭載したものもあったが、その場合は列車砲を使用すればよかった。

 日本陸軍の列車砲連隊が装備するのは、重巡洋艦の主砲すら超える大口径砲だった。単に大口径だというだけではなく相当に長砲身の砲で、最大射程は50キロを超えるらしい。



 結局のところ、陸軍の誘導爆弾の導入目的は無理があると言わざるを得なかった。一線で開発に当たる技術者達はともかく、陸軍航空隊の上層部には政治的な意図があったのではないか。

 久慈少佐は、その点で以前から気になる噂を耳にしていた。統合参謀部あたりが陸軍航空隊と海軍航空隊の統合、つまりは空軍の創設を画策しているというのだ。


 元々陸軍航空隊は陸軍内にありながら航空撃滅戦に特化するなど明らかに独立空軍を試行していた。海軍航空隊の場合は母艦航空隊など専門性が高い部隊は残さざるをえないだろうが、基地航空隊の大半は合流するのではないのか。

 対艦攻撃を主任務とする海軍基地航空隊が独立した軍種である空軍に合流するのであれば、当然誘導爆弾も新たな空軍の主力兵器の一つになるはずだった。

 陸軍航空本部が誘導爆弾開発に手を伸ばしてきたのも、予め空軍の独立を見越して将来兵器の開発の主導権を海軍系に握られるのを避けるためだったとすれば合点がいく話だった。


 だから陸軍航空本部としては、誘導爆弾の実用化が多少遅れたとしてもさほど問題とは感じていないのではないか。それが切実に有力な対艦兵器を必要としている海軍航空隊との温度差として表れたのだろう。久慈少佐はそう考えて矢坂大尉を鋭い目で見つめていた。

「陸軍は……いや陸軍航空本部ではユ号弾の開発を疑問視しているのか」


 久慈少佐は気負った様子で言ったのだが、矢坂大尉の反応は予想とは違っていた。大尉は一瞬戸惑ったような顔になってから、僅かに表情を崩していた。

「どうやら少佐殿は誤解されているようですが、小官を含め陸軍航空本部でも精度を格段に向上させる手段としてのユ号弾、いえ誘導爆弾には大きな期待をかけていることに変わりはありません。

 ですが、厳重に防護された、例えば防空艦に援護された艦隊などへの攻撃手段として見る場合には、現行の電波誘導方式は損害が大きすぎるのではないか、そう申し上げているのです」


 だが、そう聞いてもなお久慈少佐の視線は鋭かった。

「損害が大きいというが、大尉の言うとおりにユ号弾の命中精度の高さはこれまでの度重なる試験で証明されている。それに高々度からの水平爆撃としては、今回のドイツ空軍の攻勢においても使用された誘導爆弾は極めて命中精度が高かった。大型艦3隻撃沈という戦果は大きなものではないか」

 矢坂大尉は僅かに首を傾げていた。

「確かにこの規模の艦隊への航空攻撃としては戦果は少なくないように見えますが……撃沈された空母は旧式で小型のハーミーズですし、護衛戦闘機隊の存在も無視できません。

 それ以前に少佐殿にお聞きしたいのですが……仮に戦闘機隊に援護された状態の海軍の一式陸上攻撃機が同数機で雷撃を敢行したとして、この程度の戦果を上げることは可能だとは思われませんか」


 久慈少佐は虚を衝かれていた。

 海軍の陸攻装備の1個航空隊の定数は3から40機程度だったが、仮にこれが雷装で全力出撃した場合、命中率を二割としても6から8本の命中弾が得られるはずだった。確かにこの命中数であれば小型空母や巡洋艦程度であれば3隻の撃沈は不可能ではないかもしれなかった。

 勿論、これは理想的な条件に於いての話だった。実際には敵戦闘機等による妨害や、対空砲によって発射点に辿り着く前に撃墜破される機体も少なくないはずだった。

 だが、その点を質しても、予めそのような質問を想定していたのか矢坂大尉は淀みない様子で答えていた。

「確かに、雷撃という攻撃手段が本質的な脆弱性を有していることは間違いありません。個人的には海軍の陸上攻撃機そのものの脆弱性はやや誇張されているのではないのかとも思いますが……

 それ以前に電波誘導方式の誘導爆弾を使用する場合も、雷撃同様に固有の脆弱性を有している。そうは考えられませんか……」


 久慈少佐は、答えが見つからないまま押し黙って矢坂大尉の顔を見つめていた。

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