1943馬渡―ショルフハイデ4
ローマ沖で起こった海戦の詳報を読み込んでいた久慈少佐は、ふと我に返って顔を上げていた。そこには無遠慮に少佐を見つめる矢坂大尉の目があった。
どことなく冷ややかな矢坂大尉の目に、気圧されそうになった久慈少佐は思わず愛想笑いを浮かべていた。そういえば詳報を読んでいた間に何度か誰かに呼ばれたような気がしていたが、詳報に記載された文章を追いかけるのに夢中になっていたものだから、生返事ばかりを返していたような気もする。
その程度のことで矢坂大尉が気分を害したとは思えないが、久慈少佐は慌てていった。
「失礼……その何か言ったかな」
矢坂大尉は、表情を変えることなく言った。
「少佐殿は、やはりこの戦闘で使用されたのが電波誘導の……ユ号弾と同じ原理の爆弾だと思われますか」
久慈少佐は一瞬考える素振りを見せたが、実際には結論は詳報を読み込み始めてすぐに出ていた。少佐は力強く頷きながらいった。
「実機が鹵獲できたわけではないし、海域からして仮に不発弾があっても回収は不可能と思われるために証拠があるわけではないが、状況からして何らかの方式で爆弾が誘導されていた可能性は極めて高いだろう。
英海軍艦に対して投下された爆弾が降下中に機動したという記述は、単独で見れば観測者による主観的な思いが入っていて全面的な信用に値するとは思えないが、前後の状況からすると事実と考えて良いだろう。
しかも単機、あるいはごく少数機による時間差を設けた爆弾投下、さらに投下機が目標への直線飛行を続けたという部分を見る限りでは、現行のユ号弾と同じ方式の誘導方式を取っていると考えて良いのではないか」
現在投下試験を繰り返しているユ号弾は、投下母機からの誘導で動翼を操作する方法を取っていた。
爆弾の誘導系を母機以外に搭載すること自体は可能だったが、実際には投下を行った機体以外からでは、重力に引かれて文字通り加速度的に速度を上げていく爆弾と、海面上で盛んに回避行動を行う可能性の高い目標艦の2つを同時に視野に入れながら誘導を行うことは、極めて難しかったのだ。
しかも、複雑で精密な動作を要求される誘導作業中は、母機の機動は実質的に制限されていた。通常は照準を実施する爆撃手が誘導作業を兼ねることになるが、現状の誘導装置は精密性を優先して照準眼鏡の倍率を高めたために視野が狭く、下手に機動を行えば目標か誘導中の爆弾を見失う可能性が高かったのだ。
実は投下試験中のユ号弾もそのような事態になったことがあった。母機が突発的な横風に煽られた際に、爆撃手は爆弾を一瞬見失ってしまったのだ。
結局は再発見して何とか最後まで誘導を行ったのだが、ユ号弾は動翼の効果もあって下手に通常の爆弾よりも機動性が高いものだから、誘導に失敗して迷走する危険性は排除しきれなかった。
最悪の場合、水戸東飛行場の西側の海岸に大きく広がる平和な海水浴場のど真ん中に、模擬弾とは言え爆弾が落着してしまっていたかもしれなかったのだ。
だが、逆に言えば誘導爆弾は投弾後も観測と誘導作業の為に特異な機動をとるということになるから、それを観測できれば誘導方式の特定も可能だったのだ。
矢坂大尉は久慈少佐の答えに曖昧な表情で頷いていた。おそらく、すでに詳報を先に確認していた大尉も爆弾の誘導方式には見当がついていたはずだった。
海軍技術研究所で直接先端技術の開発を行っていた久慈少佐と違って、陸軍の技術将校である矢坂大尉は、技術者というよりも研究や製造を委託する各民間企業などを監督する技術官僚に近い立場だったから、技術者としての嗅覚は持ち合わせていないはずだが、それだけに幅広い分野の技術に精通しているはずだった。
久慈少佐に訪ねたのは自分の推測を補強する材料が欲しかっただけのことだろう。あるいは、単に事実確認を行うことで共通認識を予め得ておきたかっただけかもしれない。
「では試験中の電波誘導方式のユ号弾を用いた場合、同程度の損害になると考えられるでしょうか。ああ、つまり我がユ号弾とドイツ空軍が今回投入した誘導爆弾が同程度であるということでもありますが……
久慈少佐は僅かに首を傾げてから詳報に目を向けて考えながらいった。
「先程も言ったが、使用されたドイツ空軍の爆弾の実物は確保されていない。高々度からの投下ということを考えれば、弾着時の存速では偶然に弾体が撮影されていたという可能性も低いだろう。
だから状況証拠しかないわけだが、この詳報に記載されたドイツ空軍の爆撃機が示した挙動から判断するならば、使用された爆弾は少なくとも誘導性能に関しては我がユ号弾と大差ないのではないかな。
勿論貫通威力などは原型となった爆弾の性能が分からないから何とも言えないが、現行のユ号弾は80番通常爆弾を原型として操縦能力を追加したものだから、今回撃沈されたような空母や巡洋艦であれば、十分水平装甲を貫通して防御区画内で弾頭を炸裂させられるはずだ。
だが、1トン級の爆弾を高々度から投下したとしても、戦艦の装甲を貫通できるかどうかは怪しいところだ。単純に存速から運動量を求めた場合、この高度からでも戦艦主砲のそれにはやや劣る程度にしかならないからだ。
勿論命中箇所によっては1発でも大きな損害を受ける可能性は否定できないが、今回の戦闘で命中弾のあった戦艦がその後も戦闘行動に支障がなかったのも不思議ではないだろう……
これらの点からすると、威力の面でも現在のユ号弾であっても同数を投入できれば同等の戦果をあげることは十分可能だと思う」
話している間に考えがまとまってきたのか、久慈少佐は自信有り気な顔になっていた。ドイツ空軍で明らかに同種と思われる兵器が実戦に投入されたことで、ユ号弾の開発は増々重要性が高まってくるのではないか。
開発作業が開始された当初は、ジャイロの安定性不良や誘導装置の不具合といった機械的な問題にくわえて、爆撃手が電波誘導に不慣れだったものだから誘導爆弾の名に反して精度は低かった。
だが、投下試験で洗い出された不具合は一つ一つ着実に改良されており、爆撃手の練度も向上していたから、最近では爆撃精度は著しく向上していた。
だから、現在の試作段階のユ号弾であっても十分に実戦投入可能な性能を有している。久慈少佐はそう考えていたのだ。
だが、予想に反して矢坂大尉は戸惑ったような顔を久慈少佐に向けていた。
「どうも自分の言い方が悪かったようです。自分の言う損害というのは、相手に与えた損害ではなく、攻撃した部隊側が被る損害のことです。
つまり、我が九七式重爆や海軍の一式陸攻などが同数の機体でユ号弾を投下した場合、今回の戦闘でドイツ空軍が被ったのと同じ程度の損害を受けるのではないか、ということなのです」
久慈少佐は呆気にとられてから、しどろもどろになりながら言った。正直な所、少佐は詳報中でも誘導爆弾の挙動や艦隊の被害、つまりは爆弾の威力や機能に関して記載された箇所に注目していたから、爆弾を投下した機体がその後どうなったのか、その点はさほど気にしていなかったのだ。
「爆弾を投下した爆撃機の機種も正確には分かっていないし、部隊の整備状況や相対する艦艇の対空火力にもよるが、原理が同一であるとすれば機体の機動もさほど差は出ないはずだ。
一式重爆のように重防備の機体ではまた状況が変わるかもしれないが、敵艦の射撃機会という点であればほぼ同一になるのではないか」
また矢坂大尉は曖昧に頷いていた。久慈少佐は意図がわからずに首を傾げたが、それを気にした様子もなく大尉は続けた。
「自分も同じ考えです。また、電波誘導方式の原理上、研究が進められたとしても命中精度や整備性の向上は見込めるでしょうが、自機の機動余地に関しては抜本的な改良は望めないのではないか、これも少佐殿も納得されるかと思いますが……」
久慈少佐は不機嫌そうな顔になりながらも頷いていた。妙な方向に話が向かいつつある。そんな予感を感じていた。だが、あっさりと矢坂大尉は更に続けた。
「ではもう一つお聞きしますが、少佐殿の目から見て今回のドイツ空軍機による襲撃は成功したと思われますか。つまり彼らがそう判断したのか、ということですが」
不機嫌そうな顔を隠そうともせずに久慈少佐は首を振った。
「大尉は……何が言いたいのだ。ドイツ空軍の判断基準など俺が知るわけがないだろう。というよりも、大尉はこの攻勢が失敗したという前提で話していないか。
だが、俺が見る限りではこの戦闘におけるドイツ空軍機の命中弾は高々度からの水平爆撃としては極めて高い数値を示している。大尉は何故これを失敗と判断したのか教えてくれないか。それとも……何か詳報に記載されていないことを聞いている、のか」
矢坂大尉も眉をしかめて一言一言考えるように言った。
「確かにドイツ空軍機から投下された爆弾の命中精度はかなり高かったようです。急降下爆撃並といっても過言ではなかったでしょう。ですが、艦隊からの観測のみならず、航空隊からの証言などを突き合わせてみると、攻撃隊、特に投弾した重爆撃機の損害もかなりのものになっていたと思われます。
撃墜された機体こそ少なかったものの、長時間回避行動が取れずに高射砲の炸裂圏内に留まらざるを得なかった機体が多かったからです。基地に帰還できたとしても、長期間の重整備や悪ければ放棄を余儀なくされた機体もあったのではないですか」
「だが、それは……英国海軍側の防御態勢が予想を上回っていたからではないか。英国海軍でも我が海軍の石狩型のように防空戦闘に特化した巡洋艦があったはずだ。
重爆撃機隊には友軍戦闘機隊の妨害もあったようだから、その効果も大きかったのではないか。要するに攻勢側の損害に関しては重爆撃機隊以外の条件次第という側面が強かったはずだ。
それに……重爆撃機隊の損害状況に関しては、矢坂大尉の推測が強いのではないか……」
反論しながらも、久慈少佐は段々と自信がなくなりかけていた。自分と矢坂大尉は同じものを見ているようで、実際には見方が大きく異なるのではないか、そう考え始めていたからだ。
あるいは、久慈少佐が技術者としての目線でドイツ軍の新兵器として誘導爆弾の性能を確認していたのに対して、矢坂大尉はあくまでも用兵側からの視点に立っているのではないか。
ただし、技術者としての視線と運用側の視線の違いがどうして成否に関する認識の違いを生むのか、それが久慈少佐にはまだ分からなかった。
矢坂大尉は、卓上に置かれた詳報に視線を向けながら言った。
「防空巡洋艦……確かダイドー級でしたか。確かに同級艦はシチリア島への上陸作戦時にはこの艦隊に含まれていたようですが、この時は別動の部隊に抽出されていたようです。
代わって配属となったのが今回撃沈された重巡洋艦のようです。我が海軍では開戦前に就役していた重巡洋艦の防空装備は、連装の高射砲塔が4基程度と聞いています。
英国海軍艦には詳しくありませんが、対空砲に関しては備砲口径や装備数にそれ程大きな違いはないと聞いています。ですから、この艦隊はむしろ防空能力に関しては平均を下回っていたのではないでしょうか。
おそらく、英地中海艦隊としては我が海軍の航空母艦部隊の援護下で行動することを前提としたためにこのような編成をとったのでしょう。ところが、実際には国際連盟軍の中でこの艦隊が突出した結果、イタリア王国の変節を予期して準備していたドイツ空軍の攻撃部隊と遭遇してしまった。状況はこんなところでしょう」
「だが……この英国艦隊には撃沈された航空母艦が随伴していたのではないのか。防空戦闘は母艦航空隊を主力とするつもりだったとすればおかしくはないだろう。
それに……詳報には他隊から戦闘機部隊の援護も得られたとあるぞ」
「その戦闘機隊ですが、イタリア海軍所属の防空戦闘機隊だったそうです。当初は敵味方の識別すら困難だったと聞きますから、共同での戦闘はおぼつかない状況だったのではないですか。実際には重爆撃機隊に随伴するドイツ空軍の護衛戦闘機部隊との交戦で手一杯だった可能性も高いでしょう。
それに、撃沈された空母は船団護衛用の海防空母並でしか無い旧式の小型艦だったから、搭載された航空隊の能力や数もかなり限られていたようですね。
その状態でこの戦果は、護衛の戦闘機隊まで投入したものとしては、果たして釣り合うものだったのでしょうか……」
「だが、それでも高々度からの水平爆撃としては、この命中精度は無視できないだろう。空母と重巡洋艦2隻、随伴する駆逐艦3隻という戦果は大きなものといえるのではないか」
久慈少佐はさらに反論しようとしたが、矢坂大尉は冷ややかな声で言った。
「近いうちに陸軍航空本部としての決定が出されると思いますが、おそらく陸軍としては現状の電波誘導式のユ号弾が完成しても取得数は少数になると思われます」
眉をしかめながら、久慈少佐は矢坂大尉を見つめていた。実際には認識の違いは海陸軍のユ号弾に対する期待度の違いに過ぎないのかもしれない。少佐はそう考え始めていた。
九七式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です
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