1943馬渡―ショルフハイデ3
最初は何気なく受け取ってしまった書類だったが、久慈少佐はのめり込むように頁を捲っていた。
それは間違いなく、先日ローマ沖で起こった戦闘の詳報だった。
配布部署が限定されているのか、それとも草稿段階のものを印字したものなのか、書類上の形式は整ってはいなかったが、それだけに実際に戦闘に参加した、あるいは参加したものから直接聞き取ったのであろう生の雰囲気が色濃く残るものだった。
ローマ沖での戦闘の概要は、早いうちから久慈少佐のもとにも聞こえていた。前後の経緯からしてユ号班の研究と関わるのではないかと考えられていたからだ。
戦闘自体は、ローマ沖に進出した英国海軍の分遣艦隊に対して、戦闘機隊の援護を受けたドイツ空軍の攻撃機隊が襲撃をかけたものだった。
進出した艦隊は、英国海軍地中海艦隊から分派されたとは言え、同艦隊の主力に遜色ない程の大きな戦力を有していた。
むしろ、鈍足のネルソン級戦艦や巡洋艦程度の艦体に戦艦主砲塔を搭載したモニター艦を含む地中海艦隊主力が、対地攻撃に特化した上陸支援用の艦隊に再編されたのに対して、機動力を持つ艦艇のみを抽出して別個に艦隊を構成したのではないか。
K部隊と呼称されるその艦隊は、最新鋭のキング・ジョージ5世級戦艦2隻を含む戦艦3隻を主力としていた。残りの一隻は旧式のクィーン・エリザベス級戦艦だったが、同級は当初から高速戦艦として建造されたものだから、今でもそれなりな速力を発揮できると判断されたのだろう。
この戦艦3隻に、護衛の巡洋艦、駆逐艦に加えて貴重な空母まで随伴していたというから、高速の水上艦隊としてK部隊は中々の戦力を有していたはずだった。
それに対して、確認された襲撃側のドイツ空軍部隊の規模はそれほど大きいものでは無かった。詳細は不明だったが、日本海軍航空隊の定数を当てはめれば1個飛行隊にも満たない程度でしかなかったらしい。
しかも、攻撃隊の編成はこれまで枢軸軍が対艦攻撃に多用していた単発で軽快な急降下爆撃機や、少数ながら確認されていた大威力の魚雷を搭載した雷撃機ではなく、機動力を有する水上艦隊には効果が小さいとされる重爆撃機によるものだった。
命中すれば大威力を発揮するものの、低空、低速での進入を余儀なくされるために、攻撃側の損害も大きくなる雷撃機はともかく、ドイツ軍が多用する急降下爆撃機は日本海軍としても無視できない脅威であると認識していた。
ドイツ空軍で運用される急降下爆撃機主力のJu87などは、さほど大出力とは思われない単発機であるためか搭載可能な爆弾もさほど大きくはないものの、機体構造が余程頑丈なのか急角度での降下が可能だった。
急降下爆撃による爆撃の命中精度は極めて高く、搭載する爆弾の低威力を補って余りあるものであるらしい。
その威力は日本海軍自身がマルタ島沖海戦で味わっていた。同海戦終盤において不用意にシチリア島のドイツ空軍基地の後続圏内に踏み込んでいた空母部隊である第二艦隊は、Ju87を主力とするドイツ空軍機の狙いすました急降下爆撃によって赤城、龍驤の2空母を始めとする戦力を喪失していたからだった。
ただし、急降下爆撃機では重装甲の戦艦を撃沈することは難しかった。急角度での爆撃によって命中精度は高いものの、大重量の爆弾を使用することは難しかったからだ。
Ju87の場合、これまでの戦闘で確認された限りでは250キロ程度の重量の爆弾が多用されているようだったが、これは日本海軍で以前に運用されていた99式艦上爆撃機でも同等だった。
懸吊金具の能力などからだけ見れば1トン程度の爆弾搭載量はあるらしいが、実際にはそのような大重量の爆弾を搭載した状態で確認されたことは稀だった。
その状態で急降下爆撃を行うには、いくら頑丈な機体構造を持っていても耐えきれないのだろう。それ以前にJu87の機体性能では、水平飛行で高度を維持するのが精一杯である可能性も高いだろう。
99式艦爆の後継機として現用されている二式艦上爆撃機彗星では500キロ爆弾も多用されているようだが、やはりこれも想定された目標は99式艦爆同様に敵空母の飛行甲板だった。
先制攻撃によって敵空母の飛行甲板を破壊して、艦隊航空戦力を早期に無力化するのが艦上爆撃機の任務だったからだ。
このように当初の想定からしても、急降下爆撃で敵戦艦を撃破することは困難とされていた。仮に攻撃したとしても、装甲帯外にある区画や脆弱な射撃指揮装置などの破壊は可能であっても、分厚い装甲を貫通して弾薬庫や機関部といった重要区画に損害を与えるのは既存の急降下爆撃機では不可能ではないか。
これに対して高々度からの水平爆撃は、理屈の上では戦艦を撃沈するだけの損害を与えることが可能だった。水平爆撃では、急降下爆撃のように機体構造に過大な応力がかかることがないから、大重量の爆弾でも運用が可能だった。
しかも、高々度から爆弾が投下されるから、重力に引かれて落着時の存速が高くなり、爆弾の運動量は大口径艦砲のそれに匹敵するほど大きなものになった。
実際に、水平爆撃で戦艦が撃沈可能であることは戦前に証明されていた。米陸軍航空隊の重爆撃機による水平爆撃によって、軍縮条約の規定に従って廃艦となる戦艦が撃沈されていたのだ。
保有量制限の関係から艦隊に残留させずに標的艦に転用されていたくらいだから、沈んだのは先の欧州大戦に前後して建造された旧式艦であり、新鋭戦艦は先の大戦の戦訓もあって特に水平面の装甲を大幅に強化されているはずだった。
もっともそれを言うならば航空機側も進化を続けていたから、現在でも新鋭重爆撃機であれば戦艦を撃沈可能な大型徹甲爆弾を運用する能力は有していると考えて良いはずだった。
ただし、理屈の上では爆撃機による水平爆撃で戦艦をも撃沈することが可能であったとしても、これまで実戦で戦艦が洋上で航空攻撃で撃沈されたことは一度もなかった。
地上の固定目標ならばともかく、海上を自在に機動して回避行動をとる敵艦に高々度から爆弾を命中させるのは難しかったからだ。おそらく港内に係留された状態でもない限り命中させるのは難しいだろう。
先の米陸軍航空隊による爆撃実験にしても、係留された状態、かつ乗員が退去して被弾箇所に応じた応急工作が行えないという不利な状況であるために戦艦が沈没した可能性も高かったのではないか。
しかも、急降下爆撃とは異なり、単に技量優秀で度胸のある乗員を揃えれば命中精度が向上するというわけでもなかった。水平爆撃の命中精度が低いのには原理的な問題もあったからだ。
仮に爆撃照準が正しかったとしても、高々度から投下された爆弾は落着までに不規則な機動を取っていた。地上までの間には不規則な風の流れがあったからだ。
しかも高度によって風速や風向きが変わる上に上空からの観測からでは、自機の飛行高度や海面の状況はともかく、その間に広がる空間の状況を把握するのは難しかった。
これに加えて、投下から落着までは時間がかかるから、優秀な艦長が操艦しているのであれば爆撃を回避するのも難しくなかった。
これらの問題を補うために重爆撃機隊が対艦攻撃を実施する際には、敵艦を爆弾の雨で包み込むように、編隊ごとにまとまって投弾を行う編隊公算爆撃を行うのだが、それでも命中は期し難いというのが現在の認識だった。
ユ号班の研究内容である誘導爆弾は、これらの諸問題を一挙に解決する画期的な新兵器となるはずだった。戦艦をも撃沈可能な大型爆弾に誘導機能を追加することで、飛躍的に命中精度を高めようとしていたのだ。
ユ号弾の原理としては、母機からの無線通信によって底部に設けられた圧縮空気を動力とする動翼を操作し、それによって爆弾を目標まで誘導すると言ったものだった。
実際には開発段階では他にも多くの操作方式や誘導方式があったのだが、それらの多くは淘汰されるか、精度が不足していると判断されて現状の方式が優先研究対象となったのだった。
久慈少佐達ユ号班の班員達は、ローマ沖での戦闘では、ドイツ空軍が自分たちが研究するユ号弾と同種の兵器を投入したのではないのか、そう考えていた。そう考えなければ今回の戦闘は異様なものだったのだ。
投入されたドイツ空軍攻撃隊の戦力に対して、英国海軍が被った損害は大きかった。詳細はこれまで正確に伝わってこなかったのだが、少なくとも空母1隻、重巡洋艦2隻、それに随伴の駆逐艦も何隻か沈められていたらしい。
他にも戦艦群にも損害があったらしいが、こちらはその後も艦砲射撃を行っていたようだから、致命的な損傷ではなかったらしいが、やはり詳細は不明だった。
この戦果は異様だった。投入機数に対する戦果が大きいという点もあったが、それ以上に被害を被った艦艇の数が多すぎるような気がしていた。
撃沈された艦艇があった事自体は不思議ではなかった。重爆撃機を艦隊攻撃に投入したということは高々度からの水平爆撃だったのだろうから、空母や巡洋艦のような大型艦であっても撃沈されたとしてもおかしくはなかった。
投入された機材にもよるが、十分な高度を取った水平爆撃の威力は戦艦主砲のそれにも匹敵するという認識があったからだ、
だが、艦隊の規模からすると、常識的に考えて陣形は大きく広がっていたと考えるべきだった。
英国海軍のK部隊は、今回の作戦では上陸前の艦砲射撃、あるいは上陸部隊に支援部隊を含めた主力部隊に先んじての前衛としての役割を与えられていたようだから、戦艦群を中核にひとまとまりになって航行していたとは思えなかった。
それに久慈少佐も英国海軍の航行序列には詳しくないが、空母まで随伴していたのだから、前衛部隊を突出させた上で、戦艦群、空母とその直援といったようにある程度の間隔を保って配置していたのではないか。
しかし、そのように間隔を保って航行していたのだとすれば、一気に複数の有力な艦艇が被害を被るのはおかしかった。
これが戦艦だけ2隻だとか、空母1隻だけというのならばまだ分からなくもないのだが、標的となる敵艦をめがけて一斉に編隊単位で投弾する公算爆撃で、広い範囲に散らばって間隔を保って行動していたはずの艦艇群に命中弾があったということがあり得なかったのだ。
飛行隊単位ではなく、中隊単位で異なる標的に向けて投弾した爆弾が、それぞれ運良く次々と命中した可能性がないとは言い切れないが、常識的に考えれば高々度から水平爆撃で投下された爆弾が1発でも命中すれば良い方ではないか。
残る可能性は一つしかなかった。一斉に投弾した編隊の単位は中隊どころか小隊、あるいは単機ごとでの爆撃かもしれなかった。勿論、通常の公算爆撃ではありえないやり方だった。
だが、これがユ号弾のような誘導式の爆弾であれば少数機による投弾であっても命中弾を与えることが出来るのではないか。
海戦が起こった直後、戦地からの報道などを総合した乏しい内容の情報からそう推測していた久慈少佐は、戦闘中の経緯や詳細を記載した詳報の入手を要請していた。それが今日、陸軍でユ号班を担当する矢坂大尉の手で持ち込まれたのだ。
久慈少佐は頁をめくるのももどかしげに詳報を読み込んでいた。
だが、夢中になっていた久慈少佐はまだ気が付いていなかった。少佐に詳報を手渡した矢坂大尉の目は冷ややかなものだった。
天城型空母の設定は下記アドレスで公開中です
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