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1943ローマ降下戦48

 国際連盟軍本隊に先んじて到着した特務遊撃隊を迎えるために、コムーネの中心にある広場に集まった住民達の目には、恐怖や不安、そして困惑といった様々な感情が浮かんでいた。

 アルフォンソ伍長は、眉をしかめながらもそっと彼らから視線をそらしていた。集められた住民の多くは、議員を務めるコムーネの中心人物達だったからだ。

 まだ幼い少年の頃は、いずれの大人たちも揺るぎない偉大な人間たちだと思っていたのだが、今の彼らはまるで刑場に引き出された罪人のようにおどおどと周囲を伺っていた。



 今回はアルフォンソ伍長が配属されている金少尉の小隊の前に、王美雨中尉が率いる小隊がコムーネに入っていた。もっとも金少尉には特務遊撃隊の指揮官である尚少佐が同行していたし、王中尉の隊には日本軍の厨川大尉も付いていた。

 尚少佐はともかく、本来は厨川大尉は日本軍から満州共和国軍に派遣された軍事顧問だから、正規の指揮系統には入らないはずだが、実際には狙撃手として単独行動をとりがちな王中尉に代わって大尉が小隊を率いることのほうが多いらしい。


 満州の馬賊という盗賊なのか自警団なのか怪しげな集団上がりという特務遊撃隊の山賊のような将兵とは違って、厨川大尉は日本陸軍の士官学校を出た歴とした正規の将校だったが、長大な日本刀を自在に振り回す剣術家という側面も持っているようだから、荒くれ者揃いの特務遊撃隊を率いても違和感は無かった。

 ローマでの市街戦では、アルフォンソ伍長も座った目をした厨川大尉がドイツ兵の首をはねるのを目撃していた。その鬼神のような姿を見れば、特務遊撃隊の猛者共が大人しく付き従うのも不自然ではない、豊富な実戦経験を持つアルフォンソ伍長もそう感じていた。



 尚少佐達に気がついた厨川大尉は、困ったような顔を少佐に向けていた。

「この村も、これまでと同じです。地形からしてもローマからの電波は入りづらいでしょうし、アペニン山脈からではドイツ軍の電波妨害用の空中線との間に物理的に阻害するものはありませんから……

 人の行き来も元々戦時中で乏しかったものだから、ドイツ軍に街道を遮蔽された状態でも不自然に思ったり、特段の不具合が生じてもいなかったそうです……ここの村長の言い分が正しければ、ですが」


 厨川大尉と尚少佐が話し合っている間も、集められたコムーネ議員達は大尉達に同行していたヴィオーラ一等兵に懇懇と説明されているようだった。現在のイタリア王国を取り巻く状況を、アジア系の将兵で編成された特務遊撃隊の隊員達ではなく、イタリア人のヴィオーラ一等兵に語らせているのだろう。

 もっとも、その光景もこれまで幾度か見てきたものだった。おそらくはその事情もこれまでと変わりないはずだった。ローマや他の大都市から距離があって、孤立したコムーネの幾つかに見られる状況だった。



 他のコムーネとは異なり、ドイツ軍に協力的なコムーネの状況は概ね似たようなものだった。元々ローマからの距離があることも合ったが、住民の意識が他のコムーネと大きく違っているわけではなかった。

 むしろ、距離的な関係ではなく、情報的に孤立しているのが大きな共通性だった。

 ローマ周辺では北上していたイタリア艦隊や、市内から行われていたウンベルト皇太子、バルボ元帥らの対独姿勢を明らかとした放送が受信出来ていたのだが、山岳地帯では正規の電波が途絶えがちな上に、周辺に展開していたドイツ軍によっていち早く妨害が行われていたらしいのだ。


 情報の遮断は、ラジオ放送用の中継塔の物理的な破壊や妨害電波の発振など複数の手段で行われていた。ローマ周辺では距離と強度の関係からそれ程大きな成果を上げなかったドイツ軍による妨害電波だったが、元々ラジオ放送の受信が難しかった山岳地帯では効果を発揮していたようだった。

 戦時中だからローマなどから届く新聞などの配達が多少途絶えたところで理由はなんとでも説明が付くし、妨害電波による雑音の増大も山岳地帯による受信の困難さから違和感を覚えるものは少なかったのだろう。



 ただし、アルフォンソ伍長やヴィオーラ一等兵はこれまで明言を避けていたが、彼らの言い分全てを信じることは出来ないだろうと考え始めていた。確かにドイツ軍による情報の遮断は効果を上げたのだろうが、事変の発生からこれまで何の違和感も彼らが浮かべなかったとすればあまりにも不自然だった。

 中にはドイツ軍の態度や情報の遮断などの状況の変化からローマで起こっている事態に薄々感づいていたものも少なくなかったのではないか。

 実際、同じように情報が遮断されていたコムーネの中には、独自に情報を入手してドイツ軍に対する態度を改めたものも合ったのだ。


 もっとも、そのように態度を改めたコムーネの中には、国際連盟軍や大規模な抵抗運動などの戦闘力を有する組織が到着する前に、ドイツ軍から徹底した攻撃を受けて壊滅的な損害を被ったものもあった。

 特に武力を伴う行動を起こしたコムーネは、激昂したドイツ軍によって破壊されてしまったようだった。

 あるいは、動きのなかったコムーネはそのような損害を避けるために日和見ていたのかもしれなかった。



 ふと、アルフォンソ伍長は幾つもの視線を感じ取っていた。それと同時にコムーネの住民たちが集められたあたりがざわめいていた。嫌な予感を覚えながらも恐る恐る伍長は視線をそちらに向けていた。

 予想通り、コムーネ議員達がこのコムーネ出身のアルフォンソ伍長に気が付いてざわついていたようだった。その中には、伍長の両親も含まれていた。


 アルフォンソ伍長の実家であるカンパニョーラ家は、先祖代々からの大地主だった。さして大きいとは言えないこのコムーネの中では有力な一族だったから、コムーネの中心人物が集められているのであれば、両親がいても不思議ではなかった。

 だが、両親はアルフォンソ伍長の記憶にある姿とはかけ離れていた。厳格で近寄りがたかった父親、美人だが勝ち気な母親は二人共ひどく疲れ切って、髪にも白いものが混じるようになっていた。


 アルフォンソ伍長が北アフリカ戦線に向かう頃には、すでに小作人達の多くを招集で持って行かれた父親はその傾向が合ったのだが、それまで家内を切り盛りしていた母親は、段々と不足する物資などに不平不満などが増えてはいたが、ここまで急に老け込んだ印象は無かったのだ。

 おそらく、黒シャツ隊の士官としてロシア戦線に派遣されていた兄、ヴィジリオの戦死の影響が二人に重くのしかかっていたのだろう。跡取りである優秀な息子を失った物理的な、そして精神的な衝撃が二人を急速に老化させて見せていたのではないか。



 戸惑ったような顔でアルフォンソ伍長を見つめていた両親だったが、周囲のコムーネ議員達に促されたのか、おずおずと言った様子で他の何人かと共に伍長に近づいていた。

「久しぶりだな……アル。随分と立派になって、お前もカンパニューラ家の男らしい顔立ちになってきたのではないのか」

 口ぶりは随分と親しそうだったが、最初に口を開いた叔父のわざとらしい笑みは引きつって見えていた。それに、アルフォンソ伍長は叔父の名前がどうしても思い出せなかった。

 兄と自分のたった二人の兄弟とは違って、父の兄弟達が数多かったせいもあるが、元々一族の注目は頭領たる父親の後継者である兄に向いていたから、アルフォンソ伍長は親戚ともそれほど親しくしていた記憶はなかった。


 白々しい叔父に続いて、父親が言った。

「一年ぶりか、アル。お前がこうして帰ってきてくれて嬉しいぞ。すまないが、お前からも彼ら、日本人に言ってくれないか。我々は元々国王陛下に忠誠を誓っている。ドイツ軍には騙されて協力していただけなんだ」

 笑みを見せながらも、父親は必至な表情を浮かべていた。アルフォンソ伍長はその視線に圧倒されて思わず目を背けていた。父親が背負う大勢の一族の者たちの重みを感じ取ってしまったからだ。


 だが、アルフォンソ伍長が何かをいうよりも早く、無神経に叔父がいった。

「このコムーネは元々王党派だ。あの忌々しいファシスト党を支持していたのは時節柄仕様がなかったことなのだ」

 アルフォンソ伍長は一瞬目を見開いてから、そっとヴィオーラ一等兵の顔を睨みつけていた。一等兵はどのような説明をしたのか、そう考えたからだ。

 鋭い視線を急に向けられて慌てた様子のヴィオーラ一等兵から視線を逸らすと、アルフォンソ伍長は不機嫌そうな顔を隠さずにいった。

「何も話を聞いていなかったのか。多くのファシスト党員も殿下の下に馳せ参じているというのに。ローマではファシスト党の黒シャツ隊員達の戦車師団がドイツ軍を阻止したんだぞ。

 それに……兄貴が居た場所を悪く言うことはないだろう」


 実戦を経験したアルフォンソ伍長の視線は、あまりに険しいものだった。真正面からそれを向けられた叔父は、息をするのを忘れたかのように口を開け閉めしていたが、伍長は早々と彼らに背を向けていた。

 日和見主義者を絵に描いたような彼らをこれ以上見たくなかったのだ。



 アルフォンソ伍長が彼女に気がついたのはその時だった。それは、伍長の幼馴染といっても良いアデーレの姿だった。だが、同世代の多くの娘達がそうであったように、彼女も伍長の兄ばかりを見ていたようなものだったはずだ。

 それに、アルフォンソ伍長は、以前彼女に兄、ヴィジリオの葬儀で何故ロシア戦線で兄が戦死して伍長が生き残ったのか、そのようになじられたことがあった。

 しかもその時も伍長の両親すらアデーレを止める様子が無かった。優秀な兄を失った一族の者たちは、多かれ少なかれ死んだのがアルフォンソ伍長の方であればよかったのにと感じていたのだろう。

 それが、今や国際連盟軍の一員として、解放者としてこのコムーネに立ったアルフォンソ伍長におもねるような態度に変わっていたのだが、伍長の心には虚しさが残っただけだった。


 そう言えば、あの葬儀の時の出来事を悪夢として見続けていたアルフォンソ伍長は、それから北アフリカでも幾夜もうなされる羽目になったのだが、最近はそんなこともなくなっていた。

 国際連盟軍への投降からメッセ元帥が組織したイタリア解放軍への志願と目まぐるしく自分たちを取り巻く状況が変わる日々が続いていたからかもしれなかった。


 コムーネ議員の一人である彼女の父親の下に行こうとしていたのかもしれなかったが、アデーレは暫く戸惑ったような顔でアルフォンソ伍長を見つめていた。

 だが、二人が呆けたような顔を向けあっていたのは、ほんの僅かな時間だった。アデーレが挑むような視線を向けて来たからだ。

「どうして……どうして今頃になってあなただけが帰ってくるのよ。あなただけが……」



 アデーレの視線は鋭く尖ったものだったが、もうアルフォンソ伍長は以前の悪夢を見ていたときのような嫌悪は感じなかった。しばらくはそれが不思議だったが、こちらを睨みつけるアデーレの顔を見て唐突に気が付いていた。

 彼女の表情は険しいものだったが、何処か無理をしているような、強がりのようなところがあったのだ。単に己の感情を支配できずに吐き出しているだけだったといっても良かった。

 要するに八つ当たりの対象が、身近なアルフォンソ伍長ということだけだったのだろう。


 それに、アデーレの口ぶりからすると、このコムーネからもこの期間にドイツ軍に殺されたか、連れ出されたものでもあったのかもしれなかった。

 アルフォンソ伍長は、自然と浮かんでいた苦々しい表情を無理やりに笑みに変えると、アデーレに向かっていった。

「アデーレ、ここで、今は君だけが美しい」

 一瞬でアデーレは再び呆けたような顔になっていた。アルフォンソ伍長にからかわれたのかと思ったのだろう。だが、彼女が何かをいうよりも早く、伍長は歩き出していた。



 慌ててアルフォンソ伍長を追いかけながら、ヴィオーラ一等兵がいった。

「このコムーネは伍長の故郷だったのか……でもいいのか、親父さん達は結構参ってるみたいだったぜ」

 アルフォンソ伍長は振り向きもしなかった。

「放っておけばいいさ。統制の取れないレジスタンスならともかく、日本軍や英国軍は、ドイツ軍に食い物を売っていたくらいでは協力者でもイタリア人を片っ端から始末したりしないよ……お前の説明がいい加減だから、要らない心配をしてるだけさ」


 感情のままに言い捨てた様子のアルフォンソ伍長の背中を気まずそうな顔でヴィオーラ一等兵は見つめていたが、しばらくして意を決したかのような顔になっていた。

「なぁ伍長、ローマじゃ志願者が多すぎて、指揮官層に下士官経験者をかき集めているって聞いてるか」


 アルフォンソ伍長は怪訝そうな顔で振り向いていた。

「伍長の戦闘経験なら戦時昇進もありうると思うぜ。俺が保証するよ。どうせ軍人になるなら、将校になってみれば良いんじゃないか。それに兵隊上がりの強面の将校を出したコムーネだと聞けば、暴れん坊のレジスタンスだってここを襲ったりしないと思うぜ」


 最後のあたりは冗談めかしていたが、ヴィオーラ一等兵の目は笑っていなかった。

 それにアルフォンソ伍長は、ヴィオーラ一等兵の肩越しにこちらを見つめ続けるアデーレの姿を見つけていた。今にも泣き出しそうなほどひどく不安そうな彼女の顔は、今まで見たことがなかったような気がしていた。

「俺が将校か……それも良いかもしれんな」

 ぼんやりとアルフォンソ伍長はそうつぶやいていた。

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