表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
283/830

1943ローマ降下戦45

 間近で見るテルピッツの巨体は所々が醜く黒ずんでいた。被弾による破孔や火災だけが原因だけではなかった。

 昨年度のシチリア島沖海戦で被った損害は、タラント軍港の工作部による応急修理で可能な限りの修復が行われていたと言うが、その応急修理によって取り付けられた外皮が今回の戦闘で吹き飛ばされてしまった結果、まるで古傷のような損傷箇所が露わにされてしまったようだった。


 ―――まるで歴戦を耐え抜いた古城が、ようやくに落城したといった雰囲気だな……

 左近允少将はそのようなことを考えながら、随員と共に興味深そうにテルピッツの艦内を見学していた。すでに日本本国からは艦政本部や技術研究所から選抜された各分野の技術者が派遣されているはずだが、彼らの到着までは損傷部は手を付けられない状態だった。

 テルピッツの新たな損傷は、今回のタラント軍港への上陸作戦によって生じた戦闘によるものだったが、それ以外の損傷部分は昨年度のマルタ島沖海戦において生じたものだった。



 戦艦だけでも両陣営各10隻程度を主力とする日英混成艦隊と独伊仏三カ国連合艦隊が、夜戦に於いて正面から激突したマルタ島沖海戦は、双方共に犯した錯誤が多い戦闘だったと言えた。


 戦闘後の詳細な分析によれば、枢軸側の三カ国連合艦隊は個艦性能というよりも、備砲の特性が違いすぎて同海戦のような単純な単縦陣では優位を活かすことが出来なかったのだ。

 高初速の為に至近距離では大威力を発揮するものの、砲弾重量の小ささから遠距離は急速に貫通距離が低下する傾向の高い小口径長砲身砲を搭載した中型戦艦が枢軸側の海軍には多かったが、同海戦では大口径砲搭載艦とこれらを同一の単縦陣内に置いてしまったために、自艦にとっての安全距離が確保できない艦が多かったようなのだ。

 三カ国連合艦隊、特に新たに枢軸国として参戦していたヴィシー・フランス海軍は同盟国海軍との共同訓練などの経験が薄いから、視界が悪く混乱しがちな夜間戦闘、さらに戦艦群に加えて巡洋艦、水雷戦隊などの複数の軽快艦艇群を運用するために比較的統制の取りやすい単純な単縦陣を採用せざるを得なかったのだろう。


 これに対して日英混成艦隊は、口径の大小こそあるものの、いずれも命中精度の上昇する中距離砲戦を前提としていたことから距離の固定されてしまう単縦陣でも大きな問題は出なかったはずだった。

 数の不利を跳ね返して有力な三カ国連合艦隊と互角の戦果を誇ったのがその証明ではないのか。



 ただし、元々日英混成艦隊、というよりも日本海軍が打撃力の中核として想定していたのは実際には戦艦群だけではなかった。

 戦艦群が敵艦と戦闘を繰り広げている間に、巡洋艦群の火力支援を受けた有力な水雷戦隊を密かに敵艦隊の反対舷側に回り込ませて集中した雷撃を実施するつもりだったのだ。

 だが、この水雷襲撃は当初の想定とは異なり、中途半端な結果に終わっていた。

 日本海軍が太平洋での対米戦を想定して練り上げられていた夜間水雷襲撃戦だったが、実際には電探技術の発展により夜の闇に隠れて実施する長距離雷撃戦は成立せずに遠距離から発見されて敵軽快艦艇群の迎撃を受けることになったからだ。


 この水上戦闘や、それに前後して実施されていたプロエスティ油田地帯への爆撃作戦などで明らかとなった陸上攻撃機の脆弱性によって、日本海軍はこれまで日米の戦力比を覆す手段として重要視していた雷撃という攻撃手段そのものに懐疑の目を向けるようになっていた。

 しかし、問題となっているのは雷撃を敢行する航空機や駆逐艦などといった兵器が有する本質的な脆弱性に関するものであり、喫水線以下に直接打撃を加える魚雷の威力そのものが否定されたわけではなかった。


 これまで廃艦を転用した実艦標的を除けば、新型の九三式魚雷などが実際に命中した艦艇の詳細は確認されてこなかった。

 だが、タラントの占領によって鹵獲されたテルピッツによって期せずして再軍備後に建造されたドイツ海軍艦艇の構造を含めて、貴重な技術資料が入手できた形になっていた。



 まだ投降した捕虜からの証言聴取が完了していないために断片的な情報しか得られていないが、テルピッツはまず戦艦群同士の砲撃戦の段階で主砲塔や艦橋などに大きな損害を受けて離脱するところだったらしい。

 マルタ島沖海戦時の日英艦隊の隊列から判断すると、テルピッツと直接砲火を交わしたのは第3戦隊の金剛型戦艦のはずだった。金剛型は日本海軍の戦艦の中でも最古参だった。


 それゆえに軍縮条約改定を受けて建造されていた磐城型戦艦が、保有枠の増大分を建造し終えた後には、同型の後期建造艦と交代して金剛型は揃って退役するはずだった。

 しかし、今次大戦の勃発や軍縮条約の無効化によって日本海軍の建艦計画は大きく変更が加えられており、磐城型戦艦の後期建造艦はより大型の常陸型戦艦に変更され、退役を免れた金剛型戦艦もその高速性能を買われて遣欧艦隊に配属されていた。



 たしかに金剛型戦艦は旧式化はしていたが、中距離砲戦時においてはその36センチ砲弾の落角が大きく、水平甲板部に命中する可能性が比較的高いこともあって、その砲威力は決して新鋭戦艦であっても無視はできないはずだった。

 それに、旧式艦だけあってその乗員には艦を知り尽くした熟練下士官が多く、命中弾は多かったようだった。


 対するテルピッツの方は射撃精度がそれほど高くなかったようだった。

 同型艦のビスマルクは、本国から占領下のブレストまでの移動中に起こった戦闘で、英海軍の巡洋戦艦フッドを短時間の砲撃戦で撃沈していたが、1番艦故にビスマルクは特に優秀な熟練将兵が配属されたのか、あるいは単にビスマルクの戦果は例外的なまぐれ当たりであり、従来極めて高いと考えられていたドイツ海軍将兵の平均的な練度そのものが低かったのかもしれなかった。



 もっとも、テルピッツ乗員の練度はともかく、戦意に関しては左近允少将も評価せざるを得なかった。

 国際連盟軍ではマルタ島沖海戦で損害を受けたテルピッツは稼動状態にないと判断していた。海戦から這々の体で離脱する様子や、幾度か行われていたタラント軍港への写真撮影などから損害が極めて大きかったと考えられていたからだ。

 実際、大落角で次々と弾着する金剛型戦艦から放たれた36センチ砲弾によって、テルピッツに4基装備されていた連装主砲塔は全て何らかの損害を負っていた。


 実測された主砲塔天蓋の装甲厚からすると貫通は難しいと思われるのだが、狭い範囲に短時間で着弾したものだから装甲強度が劣化した所に運悪く着弾して貫通して砲塔構造物内で完爆した砲弾もあったのではないか。

 勿論破壊されたのは主砲塔だけではなかった。巨大な艦橋や煙突などの上部構造物や、それに連なる副砲塔や高角砲なども損傷は激しいようだった。

 自由な回避行動の取れない単縦陣を取ってしまった上に、海戦初期の特殊戦機による探照灯照射などの影響で、短時間で命中弾が多数生じていたようだったからだ。



 激しい損傷を被ったテルピッツだが、航空偵察で見る限りでもその損害復旧工事が進捗する気配はなかった。少なくとも艦橋構造物や主砲塔と言った大物が再建される気配はなかった。

 それらの大物部材は大重量かつ大容積のものばかりだった。例えば戦艦の主砲塔はそれだけで駆逐艦級の艦艇であれば一隻分の重量があったから、タラントまでドイツ製の修理用部品を送ることができなかったのだろう。

 地中海の制海権が国際連盟軍に移った以降は、現実的な輸送手段は鉄道網を用いた陸上輸送しか無かったが、そのような手段ではドイツ本国から大物部材を移送するのは不可能なはずだった。


 水線下に生じた破孔の閉塞作業や上甲板の補修作業は行われていたから、防御力はともかく浮力の面では航行には問題はないはずだった。だが、現地の情報源によれば戦死した将兵の補充どころか、テルピッツ乗員には他方面への転属が相次いでいたらしい。

 テルピッツは砲撃戦では船体部の損傷は少なかった。集中防御を重視した他国海軍とは異なり、ドイツ海軍は船体全体の防御を重視していたらしい。そのせいで早々と脆弱な主砲塔を無力化されていたのだが、その一方で機関部を含む船体構造には致命的な破壊は無かったようだ。

 魚雷の命中によって船体部にも大破孔が生じていたが、その時点でも最低限の推進力は確保出来ていたらしい。

 だが、戦死者の少なかった機関科将兵もその後に大半が転属していた。勿論その状態でも機関の運転は不可能ではないはずだが、連続した直体制の維持や突発的な事態への対処は難しいはずだった。



 国際連盟軍がテルピッツが稼動状態にないと最終的な判断を下したのは、最終的にテルピッツ乗員がタラント工廠に派遣されていたドイツ人の工員を含めて二百名程度しか残されていないという情報が得られたためだった。

 現地の情報源から得られたものだったが、情報の確度は高かった。ドイツ軍兵舎に納入される生鮮食品の量や下水道の使用量などから人数を割り出されたものだから、現地部隊が相当に防諜に気を使って欺瞞情報を流したのでない限りは、推定された兵員数は概ね正しいと考えられていた。


 だが、この数は以前から推定されていた本来のビスマルク級戦艦の乗員定数である二千名前後という数からすると、あまりに少なすぎるものだった。現在も細々と続けられているという修理作業に従事する工員が含まれていることを考慮すると、最低限の保守作業程度しか出来なかった筈だ。

 テルピッツが書類上では現役艦となったまま、タラント軍港で修理中の扱いとなっていたのはあくまでもイタリアやヴィシー・フランスなど同盟国に対する政治的な面目を保つだけの意味しかないのではないか。


 しかし、ある意味で現在のドイツ海軍の主力と言っても過言ではない7型潜水艦であれば、戦艦一隻分の二千名という乗員数は40隻分の乗員にも匹敵する数だった。

 勿論戦死者などで兵員数は開戦時から減っているだろうし、戦艦から降りた乗員が即座に需要が逼迫した潜水艦乗員に転用できるとは思えないが、熟練した将兵多数を再就役予定のつかない艦に遊ばせておくような余裕はドイツ海軍にはなかったのだろう。



 だが、予想に反してタラント軍港を制圧するために接近した強襲分艦隊や離反したイタリア海軍が接収を試みたテルピッツは、残存していた副砲を用いて反撃を開始していたのだ。

 未だ詳細はタラントまで伝わっていないが、当初の予定とは異なり国際連盟との講和を公表するはずだったイタリア国王エマヌエーレ3世が戦死するなど首都ローマで異変が生じたらしいことは分かっていた。

 その混乱によってイタリア王国の講和宣言の放送が本来の予定よりも遅れてしまったことが、辺境のタラント軍港に停泊中のテルピッツ乗員にも抗戦を決意する時間の余裕を与えてしまっていたらしい。


 大半の兵装が使用できない上に、乗員が到底長時間の戦闘を行えるほど乗艦していないという著しく不利な点があったにも関わらず、テルピッツの火力は無視できなかった。

 長砲身の15センチ砲は軽巡洋艦の主砲に匹敵するから、旗艦である鳥海と僚艦である足柄の2隻の重巡洋艦はともかく、強襲分艦隊の他の構成艦は防空軽巡洋艦や敷設巡洋艦、さらには水上機母艦等の排水量の割には水上砲戦には不安のある程に軽装甲の艦しかなかったから、安々と装甲を貫通される可能性は高かった。


 狭いタラントの湾内を一瞬で火の海としたテルピッツは、強襲分艦隊とイタリア艦隊の近接砲撃によって新たな損傷をおって投降するまでに、幾度も発砲を続けていた。

 テルピッツが投降したのは戦闘能力を喪失したというよりも、ただでさえ少ない乗員の消耗が限界に達したためだったとも言えただろう。

 しかも、同艦が投降するまでの間に、包囲に加わっていたイタリア艦隊の旧式軽巡洋艦バリ及び英海軍の敷設巡洋艦アブディールの2隻が撃沈されていたのだ。


 どちらかと言えばバリは搭載していた爆雷の誘爆が沈没の主要因となっていたようだが、ほとんど移動能力すら無い損傷戦艦の戦果だとすれば十分に誇って良い戦果ではないか、左近允少将はドイツ海軍に敬意すら抱きながらそう考えていた。

 そのように考え事をしていたものだから、分艦隊司令部付きの参謀が自分を呼ぶ声に中々気が付かずに、左近允少将はテルピッツの損傷箇所に見入ってしまっていた。



 慌てて振り返った左近允少将に参謀が言った。

「ポーランド第1空挺旅団のソサボフスキー准将が御挨拶に見えたようです」

 半ば照れ隠しに左近允少将は重々しく頷きながら時計に目をやっていた。確かに予定されていた時間になっていた。

 タラントに駐留していたドイツ軍の制圧を完了したポーランド第1空挺旅団は、同時に上陸した英第78歩兵師団と現地のイタリア王国軍に警備を引き継いで、同隊は周辺都市の制圧、あるいは解放を行う為に北上することになっていた。

 おそらくその頃にはイタリア半島の爪先に相当するカラブリア州から上陸した部隊との合流も果たしているのではないか。


 ―――きっとソサボフスキー准将も祖国奪還の第一歩として張り切っているのだろうな……

 左近允少将はそう考えながら、短い艦歴において最後の戦果を挙げたのであろうテルピッツに背を向けて歩き出そうとしていた。だが、少将の判断は誤っていた。

磐城型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbiwaki.html

常陸型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbhitati.html

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ