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1943ローマ降下戦41

 シュラウダー曹長は、夜間行軍中の四号戦車の車長席から上半身を突き出して周囲を観察していた。

 曹長が乗り込む車両の前後にも中隊の四号戦車が視認しづらい減灯した状態で走行していた上に、随伴する歩兵部隊を乗せたトラックなども並進していたから見張りは欠かせなかった。

 操縦手も視界が制限される貼視孔ではなく、車体上部のハッチから頭を突き出すようにして運転していたが、それを補うために砲手や装填手もそれぞれのハッチから身を乗り出すようにして周囲を警戒していた。

 今日の月は半円にまで広がっていたが、夜半近くになってようやく地平線から姿を表したばかりだったから周囲は暗く、白昼のように行軍速度を上げることは難しかった。

 むしろ月光が斜光となってしまうから、角度によっては遠距離からでも明瞭に戦車の鋭角なシルエットを確認されてしまうかもしれなかった。



 シュラウダー曹長達の中隊は戦闘団主力に先行する前衛部隊を務めていた。前衛部隊は四号戦車で編成される曹長達の1個中隊にトラックに乗り込んだ歩兵小隊が配属されていたが、前衛の更に500メートル程先にも半装軌の装甲車であるSd.Kfz.251に乗車した部隊が斥候任務に就いていた。

 前衛部隊の背後には戦闘団主力が続行しているが、その戦闘団自体もヘルマン・ゲーリング空軍装甲師団の前衛としての機能を果たしていた。


 戦闘団を率いているのはヘルマン・ゲーリング装甲連隊第2大隊の大隊長であるベルガルド少佐だった。

 当然、戦闘団主力も同大隊を基幹としており、これにヘルマン・ゲーリング擲弾兵連隊、ヘルマン・ゲーリング機甲砲兵連隊から抽出した各1個大隊に加えて若干の偵察部隊を配属した連隊規模の有力な戦闘団だった。



 ただし、戦闘団に配属された各隊は装備、人員の両面において定数割れが激しかった。二ヶ月前のシチリア島での戦闘で被った損害から回復しきっていなかったためだった。

 陽動目的と思われる国際連盟軍空挺部隊の降下から始まったシチリア島の戦闘は、イタリア半島本土への交通路となるメッシーナ海峡から枢軸軍が撤退するまでの約一ヶ月に渡って激戦が繰り広げられていた。

 その中でヘルマン・ゲーリング装甲師団は、国際連盟軍主力の上陸開始直後からシチリア島を脱出する最後まで枢軸軍の最前線で果敢に防衛戦闘を続けて大きな戦果を上げていたが、その代償として少なくない兵員と重装備の大半を失っていた。

 ヘルマン・ゲーリング装甲師団は、共に第14戦車軍団を構成する第15装甲擲弾兵師団と並んでシチリア島内の枢軸軍部隊の中では機動力と打撃力を併せ持った貴重な機甲部隊だったから、強大な国際連盟軍の上陸に際して戦線の崩壊を防ぐために幾度も危険な後衛戦闘に投入されていたのだ。


 勿論、シチリア島で戦っていたのはドイツ軍の2個師団だけではなかった。二線級の警備部隊でしかない沿岸警備師団を含むとは言え、イタリア第6軍は合計10個師団という大兵力を指揮下においていた。

 だが、シチリア島は決して小さな島ではなかった。しかも、欧州でも有数の火山である西岸のエトナ山を含む地形は平坦なものではなかった。

 イタリア本土での戦闘が想定されるようになってから急遽相次いで編制されていた沿岸警備師団は、そのような険しい地形を短時間で踏破できるような機動力に欠けていた。

 それどころか予備役将校や現地招集兵員で構成された沿岸警備師団に配備された装備の中には、博物館から引っ張り出されたような旧式火器まで含まれていたから、同隊は頭数ばかり揃えただけと言っても差し支えない状態だった。



 そのような不利な状況下において、現地枢軸軍勢力の数上の主力であるイタリア第6軍と精鋭部隊であるドイツ第14戦車軍団の基本方針は、真っ向から対立するものだった。

 機動力と火力が共に貧弱なイタリア第6軍は、シチリア島を捨て駒としてもイタリア本土に強固な防衛体制を構築する時間を稼ぐためもあってか、防衛戦闘に有利な峻険な地形が連続するエトナ山に陣地を構築しての長期防衛を唱え、一方のドイツ第14戦車軍団はより積極的な水際防衛を考案していた。


 第14戦車軍団を率いるフーベ大将らが立案した水際防衛案は苛烈なものだった。

 機動力に劣るイタリア沿岸警備師団は、海岸地帯に構築された陣地に篭って上陸部隊を拘束し、その間に内陸部に待機していた第14戦車軍団や数少ないイタリア正規師団などの機動力を持つ主力部隊を防衛体制の整っていない国際連盟軍の橋頭堡に向けて、これを撃破しようというのだ。


 この時の戦闘にはシュラウダー曹長も橋頭堡に進撃する部隊に参加していたのだが、結局はイタリア第6軍の戦力温存策に従ってイタリア正規師団の出動が控えられたことなどから海岸地帯での戦闘は短時間で切り上げられてしまっていた。

 上層部のことはよくわからないが、この際の消極的なイタリア第6軍司令部の作戦はドイツ、イタリア間でかなりの外交問題となっていたらしい。


 厄介なことにイタリア第6軍司令官であるグッツォーニ大将と第14戦車軍団を率いるフーべ大将は先任順こそ有っても同階級だった。

 形式上は現地の最高司令部はイタリア第6軍となるが、実質上の主力である第14戦車軍団の意向を無視することも出来ないから、両者の間を取り持っていた連絡官のエッターリン中将などは相当に苦労していたようだった。

 あるいは、シチリア島での初期の戦闘指揮が破綻したのも、隠れた功労者であるエッターリン中将が移動中に敵遊撃戦部隊の襲撃に遭遇して戦死してしまったためだったのかもしれなかった。



 だが、戦闘に参加していたシュラウダー曹長は、当時のドイツ軍上層部が考えていたほど水際防衛が上手く行ったとは思えなかった。上陸岸周辺には国際連盟軍の有力な艦艇が火力支援の為に遊弋していたからだ。

 一時はフランス艦隊の介入によって海岸付近から少なくない艦艇が姿を消していたらしいが、それでも複数の戦艦、重巡洋艦からなる部隊が支援砲撃を継続していた。


 最低でも2隻程度の戦艦は常時支援射撃が可能な態勢にあったのではないか。

 当時もヘルマン・ゲーリング装甲師団から分派された編成されていたベルガルド戦闘団には、ティーガー戦車を装備する重戦車大隊から派遣された中隊が配属されていた。

 そのティーガー戦車隊が連装砲塔4基を装備した戦艦の撃破を申告していたが、落ち着いてみるとシュラウダー曹長にはそのような戦果があげられたかどうかは疑問だった。

 彼らによれば至近距離からの連続した砲撃で敵戦艦の砲塔を破壊したというのだが、いくらティーガー戦車が高射砲を原型とする戦車砲としては長砲身の88ミリ砲を備えているとは言え、少なくとも砲弾の直径でその三倍にもなるという巨砲で撃ち合い続けることを前提とする戦艦の砲塔を至近距離でも容易に破壊できるとは思えなかったのだ。

 実際には戦艦ではなく、海岸地帯に残置されていた旧式の重巡洋艦に損害を与えたと言った程度ではないか。



 フランス艦隊の迎撃には高速艦のみを抽出して旧式艦を残したのではないか、そう推測する声もあったが、仮にそれが事実であったとしても実質はかわりなかったはずだ。

 それほど艦砲射撃の効果は大きかったのだ。搭載する備砲にもよるのだろうが、戦艦の火力は1隻で陸軍の師団複数にも匹敵するという説もあった。軍縮条約の制限では戦艦主砲の口径は16インチに制限されていたが、このクラスの砲は砲弾重量が約1トン程度にも達するらしいとも聞いていた。

 この1発の砲弾重量だけをみても一般的な編制の1個砲兵連隊の一斉射撃分にも相当するのではないか。もちろん射程や連続発砲能力でも戦艦は優れていたから、重砲を超える要塞砲を頑丈なコンクリート作りの永久構造物に備えた要塞でもない限りは陸上部隊が戦艦に対抗するのは相当に難しかったはずだ。


 水際防御作戦では、国際連盟軍の上陸第一波部隊を集中して撃破することを目的としていた。工業力の高い国際連盟軍は一般的に枢軸軍よりも車両や火砲をふんだんに装備する重量級の部隊が多かったが、上陸第一波の部隊はその例外だと考えられていた。

 海上を長駆進行して敵国沿岸に強襲上陸を掛けるそのような部隊は、特異な構造の揚陸艇などの特殊な機材を運用する能力をもつ一方で、その移動手段から迅速な揚陸を妨げる重装備の保有数は少ないはずだった。

 そのような揚陸戦に特化した部隊であれば貧弱なイタリア軍部隊であっても正面から渡り合うのは難しくないし、特殊な訓練を受けた将兵や機材が多いから撃破できれば国際連盟軍の上陸戦能力を相当に減衰させることが可能なはずだった。



 だが、シュラウダー曹長の見る限り、そのような枢軸軍の作戦は実際には破綻していた。艦砲射撃による火力支援の効果を低く見積もっていたからだ。


 沿岸に布陣していたイタリア沿岸警備師団は、近接戦闘で上陸部隊を拘束するはずだったが、彼らは上陸前の集中した艦砲射撃によって実質上無力化されてしまっていた。

 戦艦級主砲から部隊を防護するには、コンクリートなどの資材を用いて強化した掩壕が不可欠だったが、沿岸警備師団各隊は現地での編制終了から敵部隊上陸を迎えるまでの期間が短かったものだから、陣地の構築にかけられる時間は少なかったはずだ。

 それ以前に急遽編制された沿岸警備師団は所属する工兵部隊の人員や機材は貧弱極まりないものだったから、用意できた資材の少なさを考慮すれば時間があっても戦艦主砲弾に耐久できるほどの陣地の構築は不可能だったのかもしれない。



 さらに言えば問題は沿岸警備師団だけではなかった。

 沿岸警備師団によって上陸岸付近で拘束された国際連盟軍上陸部隊に対して迅速に殺到して撃破する、いわば機動部隊としての役割を与えられていたヘルマン・ゲーリング装甲師団やイタリア正規師団も、艦砲射撃によって作戦を破綻させられていたと言っても良かった。

 単に彼らが艦砲射撃によって損害を与えられたというだけではなかった。海岸に近接するにつれて熾烈さを増してくる艦砲射撃によって迅速な部隊の移動を阻害されてしまっていたのだ。


 もしかすると、イタリア第6軍が彼らが当初考案していたとおりの戦力温存策、山岳地帯での長期持久に方針を早々と転換したのも、そのような国際連盟軍上陸直後の戦闘の趨勢を見極めていたからではないか。

 貧弱な枢軸軍の火力では海岸地帯に機動力を有する戦力を集結させない限り、迅速に上陸部隊を撃破することなど不可能だったからだ。



 脅威となる艦砲射撃は戦艦によるものだけではなかった。小艦艇による射撃も決して無視はできなかった。

 戦艦主砲が長射程大威力である一方で、その大威力故に友軍上陸後は彼らを超越しての射撃となるため誤射を恐れて慎重な射撃を行わなければならなかった。

 逆に枢軸軍とすれば、敵陸上部隊と近接してしまえば戦艦主砲を無力化出来ると考えていたほどだった。


 だが、小艦艇になるに連れて威力が減衰する一方で戦艦主砲のような制限は薄れていった。しかも小型艦ほど喫水が浅くなり座礁する危険性が低いために海岸線近くまで接近することが出来た。

 だから小艦艇といえどもその火力は無視できるものではなかったのだ。


 例えば日英の駆逐艦は5インチ級の主砲を最低でも6門程度は装備していた。5インチ砲は海上での戦闘では対空砲や小艦艇への射撃に用いられる程度の小口径砲に過ぎないというが、陸上部隊にすれば固定配備ではなく野戦で運用する砲兵隊が装備する最大級火砲である野戦重砲にも匹敵する重装備だった。

 場合によっては駆逐艦一隻の火力は砲兵1個中隊と互角といえるのではないか。


 しかも日英軍は更に小型で、上陸艇に最後まで随伴して海岸間近まで進出する装甲艇まで建造していた。

 上陸戦機材の一つとも言えるそのような小型艇は排水量で30トン程度でしかないし、搭載する火砲も戦車砲を流用した比較的小口径のものでしか無いが、その分上陸部隊からの要請で、大型艦による艦砲射撃から生き残った海岸陣地を至近距離から狙い撃つ様に射撃する場合も少なくなかった。



 今回のローマでの戦闘でも、そのような国際連盟軍側の重層的な火力支援体制によって、枢軸軍の迎撃態勢は後手に回っているのではないか。シュラウダー曹長はそう考えて僅かな月明かりによってぼんやりと照らし出された周囲を見渡しながら、今日一日の出来事を思い出していた。

駆逐艇の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/abkaro.html

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