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1943ローマ降下戦36

 やはり今日は厄日だった。奥山大尉は周囲で黙々と築城作業を続けている部下たちの様子を見渡しながらそう考えていた。


 今日一日で奥山大尉が率いる挺進第1連隊第4中隊の戦力は半減していた。戦死者こそ少なかったものの、負傷によって戦列から離れた将兵が多かったのだ。

 通常であれば全滅と判断されてもおかしくない状況だったが、挺進集団全体で見ても損害は大きかったから、第4中隊も戦力として見なされているようだった。

 むしろ工兵科出身が多く配属された第4中隊は陣地構築では主力といっても良い存在かもしれなかった。



 挺進集団の損害が大きかったのにはいくつか理由があったが、その中でも最大のものは本来の計画とは降下地点が直前になって変更になったことだった。

 勿論それには理由があった。挺進集団を乗せてきた輸送機がローマ付近まで接近していた時点で、本来の降下地点だった飛行場がすでにドイツ軍に制圧されてしまっている事を先行していた機動旅団が無線で警告してきたからだ。


 日本陸軍の機動連隊を中核に、国際連盟軍に参加する各国の遊撃戦部隊を集約した機動旅団と、北アフリカで暴れまわった特殊戦部隊である英国陸軍第77特殊旅団は、挺進集団と同じく空挺軍団の指揮下にあったが、同軍団主力である挺進集団と英国陸軍第1空挺師団に先んじてローマに投入されていた。

 これらの遊撃部隊は旅団呼称にも関わらず部隊の任務傾向から所属する兵員数は少なかった。そのような事情から少数の輸送機による夜間降下などの手段を用いて密かにローマに侵入していたらしい。


 空挺軍団には機動旅団、第77特殊旅団の他に、日本海軍から派遣された特務陸戦隊も配属されていた。特務陸戦隊は両旅団以上に特異な方法を使っていた。密かにローマ沖合まで接近していた潜水艦から上陸していたらしいのだ。

 奥山大尉には投入された潜水艦の種類や数などは分からなかったが、特殊な艦艇だから便乗できる将兵の数はさほど多いとは思えなかった。詳細は不明だが、特務陸戦隊も兵員の数はそれほど多くはないのだろう。

 それに特務陸戦隊は内陸部まで進出することなく、後から到着するはずの主力部隊が上陸する予定となっている地点の偵察を実施しているとも聞いていた。だから、今回の作戦で奥山大尉達と特務陸戦隊の隊員達が出会うことは無いはずだった。



 正直な所を言えば、これ以上の厄介事はもう要らない、奥山大尉はそう考えていた。挺進集団に対する機動旅団からの警告はそれほどきわどい所だった。

 前兆はそれ以前からあった。空挺軍団がローマに到着する前にラジオ局から送信されるはずだった、イタリア王国の国際連盟軍に対する単独講和が放送されなかったことだった。

 一中隊長に過ぎない奥山大尉は詳細までは知らなかったが、そのような噂は機上する前に耳にしていた。それに遣欧方面軍司令部から視察の名目で大尉達と同じ輸送機に乗り込んでいた辻井中佐は、今回の作戦行動の立案段階から携わっていたから、イタリア王国の行動計画も把握していたらしい。



 本来であれば、ローマからのラジオ放送は、現イタリア国王であるヴィットリオ・エマヌエーレ3世が、全イタリア国民と国軍に向けて国際連盟との講和と休戦を発表するものとなるはずだった。

 だが、その放送は予定時間となっても行われなかった。後からわかったのだが、その頃すでにローマ中心街では戦闘が起こっていたらしい。

 戦力不足のローマ駐留イタリア軍が郊外から進攻するドイツ軍に対処するのに精一杯であるために、未だに戦闘は継続していたが、ドイツ軍の部隊が立て籠もっているのは件のラジオ放送が発振されるはずだった放送局であるらしい。


 だが、通信に制限のある機上からでは詳細は分からなかった。

 それどころか、ローマに降り立った奥山大尉達ですら正確な状況を把握できていないのだから、分析を行う司令部要員や通信設備が整っていたとしても、アレクサンドリアに司令部を置く遣欧統合総軍や、シチリアまで前進していた遣欧方面軍でも正確な情報は掴んでいないのではないか。

 明日に予定されているローマへの上陸のために、シチリア島やサルディーニャ島から出港して、今頃はローマに向けて北上、東進をそれぞれ続ける輸送船に乗船している主力部隊である遣欧第1、2軍や英第8軍などは、そもそも状況を掴んでいないのではないのか。


 場合によっては作戦そのものの中止も考えられる事態だったが、結局は作戦は決行されることとなった。ローマからのラジオ放送の代わりに、ナポリからウンベルト皇太子の名で同様の内容の通信が行われていたからだ。

 何故皇太子がローマから遠く離れたナポリにいたのかは分からないが、ウンベルト皇太子は現役の海軍将官でもあるらしいから、国際連盟軍に投降する予定だったイタリア艦隊に用事でもあったのかもしれない。



 結局作戦そのものは断行されることとなったものの、空挺軍団の行動には当初の作戦計画から齟齬が生じていた。ローマ降下直前に行われた機動旅団からの警告は、完全には間に合わなかったからだ。

 その時点で先行していた幾つかの部隊は降下寸前といっても良い状態だった。機動性を要求される特殊戦部隊である機動旅団が携帯していた無線機の通信可能距離では、空挺軍団を乗せた輸送機がローマに接近しない限り連絡が付かなかったらしい。


 機動旅団は、当初計画における降下地点であった飛行場がドイツ軍によって制圧されてしまっていること、代替となる新たな降下地点を連絡してきたのだが、それは同時に混乱の始まりでもあった。

 先行した部隊は機動旅団からの連絡にも関わらず降下を開始せざるを得なかった。すでに降下地点への進入路に入っていた輸送機群に自由な機動の余地はなかったからだ。

 それに、代替地点はローマ市街地や本来の降下地点から10キロ以上離れた場所だった。海岸と市街地に挟まれたそれほど広いとはいえない地域だった。

 作戦前に指揮官に配られた地図を信じる限りでは兵員の降下そのものに支障はなさそうだが、幾らかは森林地が点在しているようだから、部隊の集結や機動には手間取るかもしれなかった。


 仮に代替地点が兵員の落下傘降下には適していたとしても、事前の地形確認もなしに滑走機の着陸を行うのは難しかった。少なくとも着陸を強行したとしてもエンジンを搭載した四三式滑空機二型が自力で離陸するのは不可能ではないか。

 今のところ大型の滑空機を使用するのは正規の空挺部隊に限られていた。軽装で隠密潜入を図る機動旅団などでは滑空機の運用経験がないから、代替着陸地点の選定は難しかっただろう。


 結局、時間のなさが作戦の強行を促していた。将兵のみの身軽な姿で降下する第2挺進団の挺進第3、4連隊は機動旅団から連絡のあった代替地点に降下地点を変更することとなった。

 しかし、一部が降下を開始していた第1挺進団は、挺進第2連隊を第2挺進団に合流させる一方で、挺進第1連隊は滑空歩兵第1連隊と共に本来の降下地点である飛行場に降下を強行することとなっていた。

 奥山大尉達の輸送機に乗り込んでいた辻井中佐が、滑走機が着陸時に中身ごと損傷する危険性を強引に主張してそのような中途半端な対応となっていたのだ。

 おそらく辻井中佐としては、虎の子扱いの第1挺進戦車隊所属の四三式軽戦車が、戦闘ではなく着陸時の損傷で戦線を離脱するような事態は避けたかったのではないのか。



 だが、この土壇場での作戦変更は混乱を大きくしていた。

 無線を取りこぼしたのか、あるいは実際にはすでに引き返せない地点まで進んでしまっていたのか、上級司令部である第2挺進団ごと代替降下地点に変更した2個連隊はともかく、挺進第2連隊の一部も飛行場に降下を開始してしまっていたのだ。


 しかも挺進第2連隊の連隊長を始めとする連隊本部は代替降下地点に降下してしまったらしく、飛行場に降下した部隊は中隊単位でしか無かった。

 挺進連隊は部隊編成が小規模であるために、大隊結節を持たずに連隊直下に中隊を置いていた。通常であれば所属する兵員数が少ないからこのような指揮系統でも問題は起こりにくいが、今のように連隊が分断された形となる場合は混乱を助長させる原因としかならなかった。

 一応挺進第1連隊はまとまって降下したはずだったのだが、狭い降下地点に混在する挺進第2連隊の将兵の存在によって部隊の集結と指揮官による把握が遅れる結果となっていたのだ。



 また、本来は滑空機の着陸時に起こる損害を抑えるために平坦な飛行場への降下を強行したのだが、飛行場周辺に落下傘降下した挺進連隊はともかく、着陸時に滑走路上で損傷した滑空機は少なくないようだった。

 予想以上に緊迫した状況で、経験の少ない搭乗員が微妙な操作を誤った機体もあったが、それよりも滑走路上に障害物が散乱していた事の方が大きかった。

 空挺部隊の降下や滑空機の着陸を阻害するために組織的に構築された障害物などではなかった。ドイツ軍の物資などが滑走路上に点在していたのだ。


 機動旅団からの情報は正確だった。確かに飛行場はドイツ軍によって占領されていた。だが、その理由は飛行場の航空機支援能力を奪うため、あるいは自分たちで飛行場を使用するためではなかった。

 ドイツ空軍はすでにイタリア国内で幾つかの有力な航空基地を運用していた。中には半島を南下するための中継地としての機能しかないものもあるらしいが、イタリア半島が戦場となる可能性が高くなっていた頃からそうした基地も機能の充実が図られていたはずだ。

 だから態々ローマ郊外の元々民間用で機能の限定された飛行場を奪取する必要性は低かったはずだ。


 ドイツ軍は、実際にはローマで発生した戦闘に投入する部隊や物資の集積地点として広大な平地が利用できる飛行場を占拠していたらしい。

 この方面に展開するドイツ軍は1個降下猟兵師団を中核としたものだった。

 挺進集団と同様の性格の降下部隊だったから、大規模な兵站部隊は有していなかった。それで市街地に突入する師団主力を援護するために郊外に急遽集積地を設けたようだった。

 捕虜からの情報によれば、これに加えて空軍に所属する大規模な装甲部隊も増援として投入されてくるらしいが、この師団はローマからやや離れた場所に駐屯していたらしく、主力の集結までには時間がかかっているらしい。

 だが、その装甲師団が使用するための燃料弾薬の一部も事前に集約されているという話だった。



 滑走路に置かれていたのはそうした物資の一部だった。その物資の束を避けきれずに滑空機が激突してしまったらしい。しかも一機が衝突したことで玉突き式に着陸に失敗した機体が増えていったようだった。

 皮肉なことに、そうして着陸に失敗した機体が続出した一方で、飛行場に展開していたドイツ軍との直接的な交戦で被った被害はそれほど大きくなかった。


 当然といえば当然のことだったが、飛行場に展開していたのは降下猟兵師団の数少ない兵站部隊や警備部隊でしかなかったからだ。戦闘員の頭数で言えば挺進集団よりも大規模な部隊のようだったが、錯綜しがちな市街戦に大部分の部隊を投入したために飛行場の防備は手薄だったらしい。

 それは奇妙な戦闘だった。降下の際に混乱した挺進集団の一部と、予想外の敵襲を受けたドイツ軍の警備部隊が、飛行場に点在する物資や着陸に失敗した滑空機といった僅かな遮蔽物を頼りにして支離滅裂な戦闘を繰り広げたのだ。



 だが、本格的な戦闘はその後に発生していた。脱出に成功した警備部隊から連絡されたのか、それとも十分な火力の支援のない市街地での戦闘に行き詰まっていたのか、降下猟兵師団の主力が飛行場に取って返して来ていたからだ。


 滑空機の着陸失敗によって、辻井中佐が期待していた第1挺身戦車隊の損害は大きかったが、速射砲や山砲などの重火器を装備していた滑空歩兵第1連隊の方はまだ戦闘可能な将兵が残されていた。

 操作する将兵は負傷していたとしても、破損した滑空機の中から回収された重火器は意外なほど使用可能なものが多かった。構造が単純で重度に固縛されていたから、離陸重量一杯で四三式滑空機の貨物倉に押し込まれていた軽戦車よりも着陸の衝撃にも耐えられたようだ。


 以前は対戦車部隊の主力装備だった速射砲は、現在では旧式化していた。重装甲化した戦車に従来型の対戦車砲で対抗するには大口径化を図るしか無いが、それは同時に大重量化による運用性の悪化につながるからだ。

 日本軍でも長砲身57ミリ砲に続いて、三式中戦車に搭載したものと基本的に同型の長砲身75ミリ口径の対戦車砲を実用化していたが、牽引方式による運用は限界に達していると判断して装甲兵車を原型とした装軌式の自走砲とされていた。



 だが、対戦車兵器としては旧式化していたとしても、この飛行場周辺のように遮蔽物の乏しい地形では初速が高いために弾道が低伸する速射砲の効果は大きかった。

 相手が碌な装甲を持たない降下歩兵部隊であれば、大遠距離から精度の高い制圧射撃が可能だったからだ。弾道が山なりになるために、威力は大きくとも精度の低い山砲よりもよほど役に立っていたのではないか。


 それでも、ドイツ軍降下猟兵師団は数で勝っていた。制圧射撃を継続していた速射砲などの重火器も弾薬を消耗したり、接近した降下猟兵による近接戦闘に巻き込まれて一つ一つと数を減らしていった。

 仮に速射砲部隊の配置が間に合わない状態であれば、挺進集団側が全滅していてもおかしくはなかった。


 速射砲以外の部隊の損害も続出していたが、ある時期をすぎると潮が引くように降下猟兵師団は飛行場からの撤退を開始していた。挺進集団の反撃に彼らの損害が増大したためではなかった。

 市街地から撤退した降下猟兵師団を追撃していたイタリア軍残党や市民からなる即席部隊を糾合した機動旅団の一部と、第2挺進団が危ういところで戦場に姿を表していたのだ。



 しかし、それで危機が完全に去っていたわけではなかった。挺進集団は滑空機の着陸の失敗とこれまでの戦闘で重火器の大半を喪失していたし、それは一般市民の有志まで混じっていたイタリア軍も同様だった。

 機動旅団のような特殊戦部隊も練度は高いものの、機動性を重視したために元々重火器の保有数などは少なかったはずだ。


 それに対して、全体で見れば降下猟兵師団に与えた損害はそれほど大きいとは思えなかった。飛行場から撤退したのも、混乱を避けて指揮系統を整理するためだったのではないか。

 物資集積場として使用されていた飛行場だったが、弾薬はともかく鹵獲された兵器類は少なかった。大半がドイツ軍が持ち出していたのだろう。多少の弾薬はあったが、規格が違うから当然使用することはできなかった。


 燃料はある程度鹵獲できたが、一部は滑空機の着陸事故で火災を起こしていたし、その燃料を使用できる数少ない肝心の戦車も、本来の用途ではなく作業車代わりに使われている有様だった。

 一度はドイツ軍も撤退したものの、まだ日は高かった。夜襲を避けたとしても体制を立て直すか、増援を得たドイツ軍が本日中に再度進攻する可能性は低くなかった。

 挺進集団は、雑多な集団とともに、飛行場周辺に陣地を構築してそれを待ち構えようとしていた。

四三式滑空機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/43g.html

四三式軽戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/43tkl.html

三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03tkm.html

三式対戦車自走砲の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03atspg.html

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